単行本 - 歴史

大河ドラマ「真田丸」の主人公・真田幸村の直系子孫による、初めての著書!

『真田幸村の系譜 直系子孫が語る四〇〇年』真田徹『真田幸村の系譜 直系子孫が語る四〇〇年』真田徹

『真田幸村の系譜 直系子孫が語る四〇〇年』

仙台真田家十三代当主
真田徹

 

真田幸村の子孫に生まれて

私は真田幸村から数えて十四代、仙台真田家としては十三代目の幸村系真田家の当主である。幼いころから「真田幸村の子孫」であることは聞かされていたが、正直、自分の中ではあまり本気にはしていなかったし、気恥ずかしいこともあった。また、父は大っぴらに話すことを良しとしていなかったので、当家に保管されている真田家の宝物・文書類をじっくり検証しだしたのはここ最近の話なのだ。

本書でたびたび引用する『仙台真田代々記』の著者で、当家を研究されている小西幸雄氏は、江戸時代に当家から分かれた分家筋の方なのだが、秘密主義の父を説き伏せ、語り伝えを聞き出し、当家の文書類を精査してくれた。浅学の私には誠に有難い存在である。したがって、この拙著も氏のご指導に負うところが多い。
私が自分の血脈について自覚し、当家の歴史をまとめようと思ったのは、当家のことを発表することを嫌がっていた父が亡くなり、私自身が定年退職をして時間ができたからだ。「なんとも偉大なご先祖様を持ったことか」と、改めて我が血脈に興味は絶えない。
父の時代、真田家ゆかりの子孫たちが集う「真田六文会」という集いがあった。「六文会」は真田家の血筋を探し、伝承を集めるのに大いに活動をしたものだ。「六文会」の研究成果をまとめた小冊子『真田氏の四六〇年』(昭和五十二年刊)はその後の真田氏研究に大きな影響を与えていると思う。
たまたま私が父の代わりに「六文会」の会合に参加したときのことである。宴も最高潮になった頃、古老の前に座らされ、「君、幸村公は家康の首を取ったのだよ。そのとき首は十一メートル以上飛んだんだ。覚えておきなさい」と聞かされた。大真面目である。お開きのころには真田幕府が成立していた。そんな話をツマミに酒を飲む。実に愉快で夢のある会だった。
追々、詳しく書いていくが、戦国期の真田家の歴史は負け戦の歴史である。もちろん勝ち戦もあるが、多くは弱小国家の健気な奮闘の歴史が綴られる。ときに狡猾な彼らの生き方は、当時の人々、特に権力者には「表裏比興」に見えたのかもしれないが、後世の私から見れば、ただただ自分たちの土地と一族を守ろうと必死に戦った、まさに一所懸命の人々に見える。戦国時代はきれい事でまとめられる世ではない。一族の歴史を繙いていくと、人間としての真田家が現れてくるのだ。
先出の「幸村は家康の首を取った」という話には、幸村の活躍を称えると同時に、自虐的な意味も含まれている。江戸時代、真田幸村は、民衆の幕府への不満を体現する存在としてキャラクター化されてしまった。幸村は創作と史実が入り混じった存在となっているから、真田家の人間としては、昌幸と幸村の悲願だった徳川家康の首を取ったことにしたい、いや、事実取ったのだと信じ願うわけである。
我がご先祖様ははたしてどのような人物だったのか。そして当家にはどのように伝わってきたのかを、本書で語っていきたいと思う。

私は宮城県仙台市の生まれで、大学卒業後、就職で東京に出てきた。当家は江戸時代を通じて藩士として仙台藩に勤めており、幕末には、仙台藩の洋式化を図った仙台藩参政・真田喜平太(幸歓)という怪傑を出している。ちなみに喜平太(幸歓)は私の高祖父に当たる。
真田幸村の子孫がなぜ仙台にいるのか。これには大きな歴史ミステリーが隠されている。
幸村の長男・大助は豊臣秀頼とともに自害して大坂城に消えた。真田家の家督は昌幸と幸村が九度山に配流になった時点で信幸(信之)に渡っていたので、真田家は生き残ることになるが、幸村系はここで途絶えたように思われている。実はそうではない。
幸村には四人の息子と九人の娘がいた。かなりの子沢山なのだ。幸村の男児四人は、長兄・大助を除いて大坂の難を逃れていて、当家は次男の大八の系譜である。
我が祖である大八は、大坂夏の陣の時点で数えで四歳。数奇な運命から伊達家に拾われ、伊達家の重臣・片倉小十郎重長の庇護を受けて仙台藩士となった。仙台藩士としての当家は幸村の子孫であることは公にはせず、片倉家の縁者の中堅藩士として生きた。真田姓を名乗れるようになるまでには大坂夏の陣が終結してから、実に百年近い時間が必要だった。真田幸村の子孫であることを公にできるには幕末まで待たなければならなかった。もっとも公然の秘密であったようではあるが。父が幸村の子孫であることを大っぴらにしたくなかった背景には、「負けて一度潰れた家である」という負い目もあったのだと思う。
その代わり、幕末の仙台藩を支えた高祖父・喜平太(幸歓)については話を聞く機会が多かった。幕末の仙台藩は、ご存じの通り奥羽越列藩同盟の盟主である。そこに至るまで仙台藩には仙台藩なりの紆余曲折があるのだが、そのまっただ中にいたのが喜平太(幸歓)であった。
当家には喜平太(幸歓)が残した記録が膨大に保存されているが、彼が兵法家として戦略を研究し、洋式武器の導入に苦心していたことがわかる。喜平太(幸歓)は尊皇の士であり、何よりも仙台藩士であった。徳川幕府瓦解後の仙台藩存立の立場から、新政府に対立し、頑迷な会津藩に引きずられて軍事同盟化する奥羽越列藩同盟には終始反対の立場を取った。
喜平太(幸歓)は戊辰戦争に六文銭の旗を掲げて参戦し、真田の血脈の誇りを取り戻した人物である。私が子どものころには喜平太(幸歓)と直接話したことがある人間はいなくなっていたが、語り伝えでは「いつも背筋を伸ばしていて寡黙で厳しい人だった」という。
「寡黙であるが行動を起こせば苛烈」。これは幸村にも通じる真田家の性分なのではないかと思う。
本書では、仙台真田家の前史と、当家がいかに江戸時代を乗り越えたかについてまとめていく。当家のご先祖様たちは、大坂城に入った幸村と同じように、問題にぶつかるととことんやる性分の人たちばかりである。幸村の血脈の息吹を感じてほしい。

平成二十七年 十二月   仙台真田家十三代当主 真田徹

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真田徹

真田幸村十四代・仙台真田家十三代当主。宮城県仙台市生まれ。福島大学を卒業後、就職とともに上京しサラリーマンとして歴史とは関係ない人生を送るが、仙台真田家の家督を継いだのをきっかけに、真田の血脈について考えるように。現在は、宮城県蔵王町や長野県上田市等、真田幸村ゆかりの地をはじめとする全国での講演活動や、テレビ出演、観光イベント出演などの精力的な活動をしている。信州上田観光大使。

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