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「トランプのアメリカ」の文化戦争とは? 12月下旬刊行予定『灰色の時代の現代アート(仮)』より一部を公開 - 3ページ目

●トランプ好みの「アート」とは?

 

 とはいえ、そこに深い意味はないのかもしれない。第45代アメリカ合衆国大統領はアートには、特に近現代の作品には、まったくと言ってよいほど関心がなさそうだからだ。不動産王と呼ばれていた1981年に、アンディ・ウォーホルにトランプ・タワーの絵を描かせようとしたことはある。ウォーホルはプレゼンテーションの際に持参した下絵を「(トランプ・タワーの)ロビーに飾るにはシックなほうがいいと思って、黒とグレーとシルヴァーで描いた」が、トランプは「色のコーディネートができていない」ことが気に入らず、話は流れた(パット・ハケット編『ウォーホル日記』。中原佑介/野中邦子訳)。

 その36年後、就任直後にオーヴァル・オフィス(大統領執務室)のカーテンを金色に変え、歴史学者に「ヴェルサイユ宮殿的な美学」と指摘(揶揄?)されたトランプは、カーテンの脇にアンドリュー・ジャクソンの肖像画を掲げた。黒人奴隷農場主として成功し、1812年の米英戦争で英国側に付いたネイティヴ・アメリカンを女子供も含めて約800人虐殺し、1829年に第7代大統領となった人物である。就任後はワシントンのエリート官僚を徹底的に排除し、自分の支持者だけで政権を固めた。トランプ政権で当初は首席戦略官兼上級顧問を務め、7か月後に権力争いに敗れて辞任したスティーヴン・バノンが、ジャクソンを先達と見なすべきポピュリスト政治家だとして、トランプに推薦したといわれている。現在のホワイトハウスの装飾品について、これ以外に報道された事例はほとんどない。例外はあるにはあるが、ろくでもないものばかりである。

 2018年10月14日、トランプはCBSの人気ドキュメンタリー番組『60ミニッツ』に出演した。視聴者がホワイトハウスの壁に見たのは額に収められた平面作品で、そこには、酒場のテーブルを囲んで談笑する男たちが描かれていた。エイブラハム・リンカーン、セオドア・ルーズヴェルト、ドワイト・アイゼンハワー、リチャード・ニクソン、ジェラルド・フォード、ロナルド・レーガン、ジョージ・ブッシュ父子……。いずれも共和党出身の過去の大統領で、中央にはやや細身に描かれたトランプその人が、定番の白いシャツに赤いネクタイを締め、にこやかに正面を見つめている。

アンディ・トーマス「The Republican Club(共和党員クラブ)」
(アンディ・トーマスのサイトより)

 

 この絵「The Republican Club」(共和党員クラブ)を描いたのは、アート界では無名の存在だったアンディ・トーマスという画家である。ミズーリ州出身のトーマスは独学で絵画を習得し、ノーマン・ロックウェルに影響を受けた。自らを「ノスタルジックな画家」と見なしていて、カウボーイを描くことに長けているという(ジョアンナ・ウォルターズ「Artist ‘astounded’ to see his Trump painting hung in the White House」。2018年10月15日付『ガーディアン』)。政治に特に詳しくはなく、「The Democratic Club」(民主党員クラブ)という絵も描いている。「The Republican Club」と同様の舞台と構図で、バラク・オバマを中心に、フランクリン・ルーズヴェルト、ハリー・トルーマン、ジョン・F・ケネディ、リンドン・ジョンソン、ジミー・カーター、ビル・クリントンら民主党出身の大統領がビールやコーラを楽しんでいる。

 トランプは、フロリダ州パーム・ビーチの別荘マール・ア・ラゴにも「The Visionary (or The Entrepreneur)」(先見の明のある者〔または起業家〕)と題する若き日の自身の肖像画を飾っている。自己愛もここまで来れば立派というほかないが、「The Republican Club」がオリジナルの油絵ではなく、トランプを支持する下院議員が贈った印刷物であることには驚かされる。つまりは複製であり、いわばポスターのようなものなのだ。ティーンエージャーの個室や大衆食堂の店内ならいざ知らず、そんなものがホワイトハウスに展示されたのは史上初めてではないだろうか。

 自己愛といえば、2006年から12年間トランプの個人弁護士を務めたマイケル・コーエンの証言もある。雇用主の「右腕」とまで呼ばれた弁護士は、2018年に禁固3年の有罪判決を受け、翌年には弁護士資格を剥奪された。トランプの不倫相手とされるポルノ女優に大統領選直前に口止め料を支払い、いわゆるロシア疑惑をめぐって連邦議会で偽証を行い、さらには脱税を手助けしたというのが罪状である。そのコーエンは2019年2月、下院監視委員会の公聴会で大略以下のように述べた。

 

トランプ氏に、あるオークションに氏の肖像画が出品されるが、氏の代わりに入札してくれる人物を探してくれと指示されました。目的は、最後に競りにかけられる予定の氏の肖像画に、ほかのどの肖像画よりも高い価格を付けることです。フェイクビッダー(偽の入札者)は結局、肖像画を6万ドルで落札しました。その後、トランプ氏はドナルド・J・トランプ財団に、財団の資金から購入費を返済するように命じたのです。(ヴェロニカ・ストラクアルルシ「Michael Cohen testifies that Trump paid for portrait with Trump Foundation funds」。2019年2月28日付『CNN Politics』)

 

 トランプ財団は慈善団体として登録されていたが、ニューヨーク州司法長官によって2018年12月に解散させられている。司法長官のバーバラ・アンダーウッドによれば、同財団は「トランプ氏のビジネスと政治的な利益に資する小切手帳として機能していたに過ぎず、衝撃的な違法行為の連続に関わった」(シェーン・ゴールドマッハー「Trump Foundation Will Dissolve, Accused of ‘Shocking Pattern of Illegality’」。2018年12月18日付『ニューヨーク・タイムズ』)。当のトランプは、オークション終了後の2013年7月16日に、「セレブの肖像画のチャリティーオークションで、アーティスト、ウィリアム・クイーグリーが描いた私の肖像画が、最高値の6万ドルを記録したのをたったいま知った」とツイートしている。報道によれば、トランプが自身の肖像画を別人に買わせた例はこれだけではない。

 そのいちいちを記すのは面倒だし気が進まないので、別の話をしよう。ジャーナリストのマーク・ボウデンは、1996年11月に取材でトランプと過ごした週末について2015年に記事を書いている。リドリー・スコットによって映画化された『ブラックホーク・ダウン』の原作者でもあるボウデンは、『プレイボーイ』誌に紹介記事を書くために、「未熟で滑稽なほど見栄っ張りで、気まぐれで、意地が悪く、俗物で、いいかげんで、声高で自説を曲げず、正しかった試しが一度もない(中略)これまでに会った中でいちばん自惚れ屋」の自家用ジェット、黒塗りのボーイング727に同乗した。ニューヨークのラガーディア空港から、マール・ア・ラゴのあるフロリダに向かう空の旅における挿話である。

 

トランプは機内のキラキラの内装を自慢した。私を手招きし、壁に掛かったルノワールの絵をじっくり見ろと促した。近づいてよく見るんだ……だが、何を? 筆触の素晴らしさ? 見事な色使い? いや、サインだ。「1千万ドルの価値がある」と彼は言った。(マーク・ボウデン「DONALD TRUMP REALLY DOESN’T WANT ME TO TELL YOU THIS, BUT . . . 」。2015年12月10日付『Vanity Fair』)

 

 同じ絵について、2005年にトランプの伝記を出版したティモシー・オブライエンも、『ヴァニティ・フェア』のポッドキャストで語っている。伝記の取材中に、ボウデンと同じくトランプの自家用機内で「こいつは本物だ」と自慢されたオブライエンは、すぐに反論した。「ドナルド、それは違う。私はシカゴで育った。その絵は『二人の姉妹(テラスにて)』といって、シカゴ美術館の壁に展示されている。そいつは本物じゃない」

 上述のテレビ番組『60ミニッツ』は、2016年11月、大統領選直後にもトランプをインタビューしている。場所はトランプ・タワーだったが、オブライエンはこの番組を見て、同じ絵がトランプの背後の壁に掛かっていることを確認した。

 後日、『シカゴ・トリビューン』紙がシカゴ美術館に問い合わせを行った。美術館広報は、1933年以来所有する同作について、「当館所蔵の作品が真作であることに満足しています」とだけコメント。トランプが所蔵する「ルノワール」の真贋については言及を避けた。トランプが主張するところの「本物」の来歴について、ホワイトハウスは回答を寄せていない。(キム・ジャンセン「Trump thinks he owns Renoir, but Art Institute says real one hangs in Chicago」。2017年10月19日付)

 実は、ホワイトハウスのキュレーターズオフィスを率いていたヘッドキュレーターのウィリアム・オールマンは、トランプの大統領就任から5か月も経たない2017年6月1日に「引退」している。その後、第8代目に当たる後任はなかなか指名されず、10月末になって、アシスタントキュレーターだった女性の昇格が発表された。オールマン「引退」の数週間前には、チーフアッシャーのアンジェラ・リードが突然解任された。ホワイトハウス全体の運営を担う要職だが、トランプ夫人のメラニアが選んだ後任は、ワシントンD.C.のトランプ・インターナショナル・ホテルの宿泊部門長である。

 グッゲンハイム美術館にファン・ゴッホ作品の貸与を求めたのがオールマンだったのかどうかは時期的に微妙である。常識的に考えれば、メラニアが「ファン・ゴッホが欲しい」と言ったか、オールマンやドナ・ハヤシ・スミスほかの専門家の助言に「イエス」と答えたかのどちらかだと考えるのが自然かもしれない。

 いずれにせよ、現在のホワイトハウスから本物の文化の香りはまったく漂ってこない。離職後に行われたオンラインの公開質疑応答で、オールマンは「キュレーターやチーフアッシャー、そしてホワイトハウス保全委員会の助言がありながらも、未来のファーストレディたちの管理下において、生きている史跡であるホワイトハウスが進化を止めるようなことがあれば、ジャクリーン・ケネディ夫人は非常に驚くことでしょう」と述べた(「Q&A: William Allman on Entertaining at the White House」。2019年1月10日付『ワシントン・ポスト』)。なかなか示唆に富む言葉ではないだろうか。

 

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著者

小崎 哲哉(おざき・てつや)

アートプロデューサー/ジャーナリスト。『03』副編集長、『ART iT』および『Realtokyo』編集長を経て、現在『Realkyoto』編集長、京都芸術大学大学院教授。編著書に『百年の愚行』『続・百年の愚行』他。著書に『現代アートとは何か』。

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