単行本 - 芸術

「トランプのアメリカ」の文化戦争とは? 12月下旬刊行予定『灰色の時代の現代アート(仮)』より一部を公開 - 4ページ目

2 「便器」をつくったアーティスト

 

 さて、黄金の便器の話に戻ろう。「アメリカ」をつくったアーティストはどのような人物なのか。これまでに僕が実見した作品と、2011年11月、グッゲンハイム美術館で開催された大回顧展『Maurizio Cattelan: All』を機に、同展をキュレーションしたナンシー・スペクターが企画編集した同名のカタログ(『Maurizio Cattelan All, Guggenheim』)、5年後に刊行されたその改訂版、そして各種媒体に掲載された記事を参考に記してみたい。

 

●首を吊られた子供たち

 マウリツィオ・カテランは、1960年にイタリアのパドヴァで生まれた。父親はトラックの運転手で母親は掃除婦。母親がリンパ癌を患ったために17歳で夜間高校に転じ、庭師の手伝い、教会の小物売り、洗濯屋、遺体安置所の助手などの職に就いて、ふたりの妹の養育費を捻出すべく働いた(母親はカテランが22歳のときに亡くなった)。だが、仕事はどれも退屈で、というよりもカテラン自身が怠け者で飽きっぽいために長続きせず(本人談)、遺体安置所では抑鬱状態に陥り、医師に診断書を書いてもらって半年間の有給休暇を取る。その間に家具デザインに手を染め、業界内でそれなりに知られるようになったが、デザインという職業には本気で打ち込めなかった。

 転機は25歳のときに訪れた。パドヴァのギャラリーで、アルテ・ポーヴェラのアーティスト、ミケランジェロ・ピストレットの自画像を観たのである。カテランが驚いたのは、支持体がキャンバスではなく鏡だったことだ。観客はだから、作家のポートレートとともに自分の姿をも観ることになる。熱心に作品に見入る若者に、ギャラリストは親切にも現代アートに関する本を貸してくれた。カテランはピストレット作品との出会いを「天啓」と受け取り、この日から独学でアート史に取り組んだ。

 実質的なデビュー作は1989年に発表した「Lessico familiare(家族的な語彙」)。裸の上半身を写した白黒のセルフポートレートで、作家は胸のあたりに両手でハートの形をつくっている。写真は銀の額縁に収められ、最初に展示されたときには、ふたつの枝付き燭台や、レース敷きの小さな胸像とともに、猫足のサイドテーブルの上に置かれた。中産階級に典型的な結婚写真の趣向である。ただし、写っているのがカテランたったひとりで、ハートの内側が空っぽであることに留意しなければならない。

 幼少時から青年期に育まれた複雑な思いは、その後もいくつかの作品に明示的・暗示的に現れることになる。例えば1991年に発表した「Untitled」は、小中学校で教師が生徒に課す不毛な罰としての課題に材を取っている。どの国にもきっとあった(まだある?)「カンニングはいけないことです」とか、「二度と宿題を忘れません」といった文章を何度も書かせるというあれのパロディだ。

 カテランがノートの切れ端に書いたのはイタリア語の「Fare la lotta in classe è pericoloso.」という文章。「教室の中で喧嘩するのは危険です」という意味である。この一文の中ほどに「in」という前置詞があるが、カテランはこれを、あたかも教師が修正したかのように赤字で消し、「di」という別の前置詞に書き換えた。すると全体の意味は「階級闘争を行うのは危険です」という意味に変わるのである。

 「classe」が「学級」と「階級」のふたつを意味するからこそ成立する言葉遊びだが、作家の青年期と重なり合う1970年代から1980年代は、イタリアは「鉛の時代」と称される政治的に極めて不安定な時期にあった。アルド・モーロ元首相が極左テロ組織「赤い旅団」に暗殺されたり、「教皇の銀行家」と呼ばれたロベルト・カルヴィが謎の死を遂げたりした、政財界、ヴァチカン、マフィア、極右、極左が入り乱れて「闘争」を行っていた時代である。ただの言葉遊びと受け取るには、あまりに重い内容が背景にある。

 1997年には「Charlie Don’t Surf(チャーリーはサーフィンしない)」という作品を発表している。題名は、フランシス・フォード・コッポラの映画『地獄の黙示録』(1979年)にインスパイアされてつくられたという、パンクバンド、ザ・クラッシュの同名の曲(1980年)から取られたもの。映画でキルゴア中佐が発するこの台詞では、チャーリーはヴェトコンを、サーフィンは文字どおりの水上スポーツを指している。だがカテラン作品においては、チャーリーは自身を含む現代の少年一般だろう。サーフィンはネットサーフィンを指しているのかもしれない。

 フード付きスウェットとジーンズを身にまとい、スニーカーを履いた小学校高学年くらいの男子生徒(の立体)が、学校によくあるスチールパイプの机に向かって座っている。後ろから観るとなんの変哲もない姿だが、横に回ると、両掌が鉛筆で貫通され、机に釘付けにされているのがわかる。思わず「痛ッ!」と叫びたくなる光景だ。

 

マウリツィオ・カテラン「Untitled」(Perrotinのサイトより)

 

 2004年に発表した「Untitled(無題)」は、痛さを通り越している。いたいけな少年を象った樹脂の彫刻を3体、ミラノの5月24日広場にある樫の木に、絞首刑に処したかのように吊したのだ。許せないと思った男が縄を切り、展示はわずか27時間で終了した。だが、およそ半年後に、同様の作品をセビリア国際現代アートビエンナーレに出展。自治体政府は子供が怯えるかもしれないと言って難色を示したが、キュレーターのハラルト・ゼーマンは撤収要請を一蹴。ビエンナーレ会長のフアナ・デ・アイスプルは「世間の人たちはどうしてこんなに偽善者なの? 吊された人形を見て驚くとか言うけど、私たちは毎日、本物の子供たちが飢えや戦争で死んでゆく恐ろしい写真を見ているじゃない」と反論した(デイル・フックス「Arts, Briefly; Hanging Offense」2004年10月8日付『ニューヨーク・タイムズ』)。敢然と作家を擁護したのである。

 

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著者

小崎 哲哉(おざき・てつや)

アートプロデューサー/ジャーナリスト。『03』副編集長、『ART iT』および『Realtokyo』編集長を経て、現在『Realkyoto』編集長、京都芸術大学大学院教授。編著書に『百年の愚行』『続・百年の愚行』他。著書に『現代アートとは何か』。

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