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「トランプのアメリカ」の文化戦争とは? 12月下旬刊行予定『灰色の時代の現代アート(仮)』より一部を公開 - 6ページ目

●隕石に強打されたローマ教皇と祈りを捧げる「彼」

 自己像を重ねつつ、あるいはほのめかしつつ、同時代の社会的な出来事を作品に引用する。これは少なからぬ数の現代アーティストが採用する手法だが、カテランの場合には、そこにナンセンシカルな諧謔とスキャンダラスな挑発が込められることが多い。最もセンセーショナルだったのは1999年の「La Nona Ora(第9時)」である。

 

マウリツィオ・カテラン「La Nona Ora(第9時)」(Perrotinのサイトより)

 

 真っ赤な絨毯の上に、祭服を着た人物が倒れている。時のローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の、等身大で非常にリアルな蝋製の彫像である。手前には硝子の破片が散らばり、腰のあたりに体の3分の1ほどの黒い塊が載っている。すべてのカトリック教徒を率いる最高位の聖職者は、教皇庁の(美術館の?)天井を貫いて落ちてきた隕石に強打されたのだ。教皇はキリストの磔刑像を頂く司教杖を握りしめ、固く目を閉じて痛みに耐えているように見える。

 「第9時」とは、約2千年前にユダヤ人社会で用いられていた時刻表示。現在の午後3時ごろに相当する。新約聖書「マタイによる福音書」第27章46節に以下のような記述がある。

 

三時ごろ、イエスは大声で叫ばれた。「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」これは、「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(日本聖書教会・新共同訳『聖書』)

 

 キリスト教徒にはあまねく知られた、イエス・キリストが磔刑に処せられ、昇天する直前の挿話である。「マルコによる福音書」にも同様のくだりがあり、救世主が神への不信を述べたという解釈と、旧約聖書「詩編」にある「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」を引用したという解釈がある。後者を採る人は、「詩編」が全体として神を賛美するものであることから、前者とは逆に、イエスが死に臨んでも神への信頼を失わなかったことの証しだと主張する。

 カテラン作品の解釈もふたつに分かれる。紛れもない神への冒涜であるとされる一方、メトロポリタン美術館で中世芸術部門と分館のクロイスターズ美術館を担当する学芸員、メラニー・ホルコムのように、むしろ教皇へのオマージュであると見る者もいる。ホルコムは、教皇の体と彼が握りしめている杖の上部にある十字架が無傷であることに注目する。「教皇の顔は穏やかなままであり、胴体はまっすぐで、十字架は曲がっていません。中世世界においては、奇跡的に保持された身体は、聖性を表す確かな指標なのです」(スコット・インドリセック「Revisiting Maurizio Cattelan’s Sculpture of the Pope Struck by a Meteorite」。2019年4月26日付『アーツィー』)。かくも苛烈にして激甚な災厄を平然と乗り越えることができる、教皇のような聖人とその篤い信仰、ひいてはカトリシズムへの敬意だというわけだ。

 もちろんこんな見方は少数派で、カテランは多くのカトリック教徒を敵に回すことになった。特に、カトリック教徒が国民のおよそ9割を占め、ヨハネ・パウロ2世の故国でもあるポーランドでは、反発が具体的な形を取って現れた。2000年12月、「La Nona Ora」は、ワルシャワのザヘンタ国立美術館が開館百周年を記念して開催した特別展で展示された。ところが開幕して1週間後に、ナショナリストの国会議員ふたりが会場を訪れ、教皇の彫像から隕石を取り去り、体を立たせようと試みたのだ。ふたりは、首相、法務大臣、文化・国家遺産担当大臣に、ザヘンタ美術館館長アンダ・ロッテンベルクの解任を求める手紙を出していた。「La Nona Ora」は、3か月前にロンドンのロイヤル・アカデミー・オヴ・アーツで開催されたグループ展に出展され、メディアで大きく取り上げられていたのである。館長のロッテンベルクはロシア生まれのユダヤ系ポーランド人で、手紙には「ユダヤを出自とする国家公務員が、多数派であるカトリック教徒の金を、汚らわしいアート作品に費やすことは許されない」などと書かれており、議員のひとりは「ロッテンベルクはイスラエルに移住すべきだ。そこでなら、ユダヤ教の宗教的指導者であるラビが、例えばパレスチナ・ゲリラの指導者であるヤーセル・アラファトに叩きのめされている彫刻を委嘱できる」と述べた。

 展覧会の開催前には、大統領と地元の聖職者ふたりが、「『La Nona Ora』は教皇に課せられた信仰の重荷のアレゴリーである」と予防線を張っていた。だが、折悪しく国政選挙を控えていたこともあり、リベラルな政党もポピュリズムに流れ、作品が擁護されることはなかった。「ユダヤの淫売はイスラエルに帰れ!」といった匿名のヘイトメールを多数送り付けられたロッテンベルクは、翌年3月に館長職を辞任した。(アポリネア・シェア「A Fallen Pope Provokes a Sensation in Poland」2001年5月13日付『ニューヨーク・タイムズ』)

 カテランの作品は、2012年にもポーランドで論議の的となった。このときに反発の声を上げたのはしかし、カトリック教徒ではなく国際的なユダヤ人団体である。

 2001年に発表した作品「Him(彼)」が設置されたのはワルシャワの元ユダヤ人ゲットー。鑑賞者はだいぶ隔たった木製の扉に開けられた穴からのみ、「彼」を観ることができる。子供のように小さな「彼」は鑑賞者に背を向け、扉の内側の通路にひざまずいて、金網越しに中庭を見ながら何かに祈りを捧げているように見える。決してこちらを見ることはないが、展示されることが前年に発表されて以来大きな話題となっていたから、鑑賞者はみな「彼」が誰かを知っている。灰色のスーツに身を包み、七三に分けた黒髪とちょび髭がトレードマークの、そう、アドルフ・ヒトラーだ。

 奇跡的にホロコーストを生き延びてナチ・ハンターとなったユダヤ系オーストリア人の名を冠し、反ユダヤ主義を監視し続けているサイモン・ウィーゼンタール・センターは「ナチスによるユダヤ人犠牲者の記憶を侮辱する愚かな挑発」と非難した。同センターのイスラエル支部長は、「ユダヤ人に関する限り、ヒトラーの唯一の『祈願』は地上からユダヤ人を抹殺することだった」と憤慨を露わにした。これに対して、主催者である現代アートセンターの館長ファビオ・カヴァルッチは「作家にも我々にもユダヤ人の記憶を侮辱する意図はない」「この作品は、あらゆる場所に悪が潜んでいる状況について語ろうとするものだ」と主張した。(キャス・ジョーンズ「Controversy over Adolf Hitler statue in Warsaw ghetto」。2012年12月28日付『ガーディアン』)

 2007年には、フランクフルトで、ビジネススーツとワイシャツをまとった3本の腕が壁から斜め上方に突き出ている「Ave Maria(アヴェ・マリア)」を発表している。いわずと知れた「ハイル・ヒトラー!」のポーズは、「La Nona Ora」や、2004年に発表した「Now(今)」と同様に論議を呼んだが、「Him」が呼び起こした反響はこれをはるかに上回る。説明が前後するが、「Now」は、棺に納められたジョン・F・ケネディの彫像である。

 

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著者

小崎 哲哉(おざき・てつや)

アートプロデューサー/ジャーナリスト。『03』副編集長、『ART iT』および『Realtokyo』編集長を経て、現在『Realkyoto』編集長、京都芸術大学大学院教授。編著書に『百年の愚行』『続・百年の愚行』他。著書に『現代アートとは何か』。

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