「枕女王」未瑠 1
芸能界を震撼させたベストセラー『枕女優』から6年 その身体のすべてを捧げ、「夢」を目指したもう一人の女性の物語、開幕

枕女王

「枕女王」未瑠 1

「こっちに恋♪ 私の恋♪ はやく気づいて♪ 愛(あい)たいよ♪ 愛ラブユー♪ はやく気づいて~ こっちに恋♪ 伝えて恋♪ 私のこの想い♪ 愛(あい)たいよ♪ 愛ニードユー♪ はやく気づいて~」
「宇宙一恋してる@君へ」――八十年代のアイドル風のメロディに載せて、未瑠は両手でハートを作り、流れる歌詞に口の動きを合わせた。
「ショコラ」は、ほかの地下アイドルの例に漏れず被せだった。
声をまったく出さずに唇だけ動かすのが口パクで、微かに歌うのが被せだ。
口パクが百パーセントの出力音量の歌を流すとするならば、被せは七十パーセントの出力音量の歌を流す。
不足した三十パーセントを、実際に歌うことで補うのだ。
被せの利点は、微かだが歌っているので臨場感が出て口パクということがバレ難い。
自信があれば百パーセントの生歌を披露するが、「ショコラ」のメンバー……未瑠、梨乃、奈緒の三人とも歌唱力が劣っていた。

『ミル! 恋! リノ! 恋! ナオ! 恋! こいこい恋! みーんな恋! ほーたる恋!』

レッド、イエロー、ブルーのライトを振りながら、オタク達がコールした。
「ショコラ」のライブでは、オタクひとりが三人のイメージカラー――三色のケミカルライトを持つのが決まりになっている。
因みに、レッドが未瑠、イエローが梨乃、ブルーが奈緒の色だ。
オタクの聖地……秋葉原のイベント会場には三百人ほど観客が入っているが、「ショコラ」のファンは三十人程度だった。
『アイドル戦国時代――「秋葉原の戦い」第一戦』は、八組のアイドルユニットが共演する合同ライブだ。
「ショコラ」の人気はちょうど真ん中あたりだが、まだ単独ライブを行えるほどの集客力はなかった。
「目指せ武道館!」を合言葉に二年半前に結成した「ショコラ」だったが、五十人規模の小箱も満席にできないのが現実だ。

ラストのサビに入る前の間奏――センターの未瑠、左に梨乃、右に奈緒……定位置で、三人は「スウィーツダンス」と命名した緩いダンスを踊っていた。
ダンスといっても、単調なステップを踏み、手でハートを作ったり投げキスをしたり……素人でも一度観たらすぐに覚えられる簡単な振りだ。
『子供からお年寄りまで一緒に踊れる「甘~い」ダンスを!』
建前ではユニット名に引っかけてプロモーションしているが、それは下手なダンスを誤魔化すための後づけだ。
最近は、ダンススキルが高い女子ユニットが多数デビューしている。
彼女達はもともとダンスの大会に出場しているようなスキルの高いコが多く、デビュー前に一日十時間近くもレッスンを積んでいた。
そんな少女達と競い合っても勝てるわけがなく、かといって、楽器も弾けないし歌で勝負もできない。
大きく垂れた黒目がちな瞳が印象的で、少女漫画から飛び出したようなビジュアルの未瑠こそ美少女だったが、梨乃と奈緒は微妙だった。
不細工とは言わないまでも、かわいくもない。
原宿の竹下通りあたりにゴロゴロしているレベル――ようするに、一般人レベルということだ。
消去法で残ったプロモーションは、「甘さ」を売りにした「支えられ系アイドル」だった。
僕らがついていないと彼女達はやってゆけない……という母性本能をオタクの心に芽生えさせるのだ。
「キュン恋♪ 瞬恋♪ 純恋♪ 恋の名前はいろいろだけど~ とにかく♪ とにかく♪ 私はあなたに宇宙一恋してる♪」
梨乃、奈緒が観客席に向かって片手で投げキスをしながらウインクした。
最後に、前に歩み出たセンターの未瑠が、唇に両手を当てて屈み、ためにためてジャンプと同時にキスを投げるとオタク達が一斉にケミカルライトを宙に放った。
『宇宙一恋してる@君へ』のラストのサビが終わったタイミングで、ケミカルライトを投げるのはオタク達の決まりごとだった。
「みなさーん! 『ショコラ』と一緒に盛り上がってくれて、ありがとうございましたー! 四時からの握手会で待ってまーす!」
未瑠は、煌く笑顔で観客席に向って手を振った。

☆     ☆

「あー太宰さん、今日もきてくれたんですね! 未瑠、とても嬉しいです!」
満面の笑みを湛えた未瑠は、太宰の差し出す右手を両手で包んだ。
太宰の本名は知らない。年の頃は三十代で、長髪で青白い顔をした物静かな雰囲気が小説家の太宰治に似ているという理由でオタク達にそう呼ばれている。
ライブ終わりの物販タイムが始まって、十分が過ぎていた。
出場したアイドル達はそれぞれ、指定された場所でCDや生写真を売る。
知名度の低い地下アイドルを抱える事務所にとって物販タイムは、なにより大事な稼ぎ時だ。
千円のマキシシングルを一枚買うごとに一回分の握手券が付いており、ひとり三十秒と決められた時間内で「推しメン」との会話を愉しむ。
オタク達にとってこの三十秒は至福の瞬間であると同時に、勝負の時間だ。
少しでも印象に残りたいために、質問内容やプレゼントをなににするかを徹夜で考えてくる者も珍しくない。
資金力に物を言わせて一万円分のCDをまとめ買いし、十回も列に並ぶ兵もいる。
CDや生写真の売り上げ以外での大きな資金源はチェキタイム――ファンとの写真撮影がある。
メンバーとのツーショット一枚につき千円の値段を高いと感じるかどうかは、個人の価値観に左右される。
骨董品マニアが一千万を払っても手に入れたい壷も、興味のない者には百円の価値もないのと同じだ。
「ショコラ」のような無名の地下アイドルがこぞって合同ライブに出演しているのは、知名度を上げるため……チャンスを掴むためだと本人達は信じて疑わない。
だが、二年も売れないアイドルを続けていれば、マイナーな合同ライブでブレイクする確率が宝クジで一等賞金を獲得するに等しいということがわかってくる。
事務所サイドが所属アイドルを積極的に合同ライブに出演させる本当の目的は、日銭を稼がせるためだ。
数少ないファンしかいなくても、握手で釣って大量に買わせたCDの売り上げとチェキの撮影代金を合わせれば、一度のライブで二、三十万になることも珍しくはない。
長い眼でみて地下アイドルをメジャーに育てようと考えている事務所なら、ファンにこんな負担をかけはしない。
もちろん、地下アイドルを抱える事務所の中にも、メジャーを目指し莫大な資金と多大な労力をかける事務所も存在する。
だが、「ショコラ」が所属する「グローバルプロ」には、所属タレントをメジャーにしようという考えは皆無……稼げるだけ稼がせる「消耗品」として扱っているのだ。
「グローバルプロ」の所属で「ショコラ」以外のタレントは、すべてグラビアアイドルだった。
グラビアアイドルといえば聞こえはいいが、事務所がじっさいにやらせているのは「着エロ」と呼ばれるほとんどヌードと変わらない衣装を身につけさせ、自慰行為やフェラチオを連想させるシーンを収めたDVDの撮影であったり、素人カメラマンから参加料を取っての撮影会といった、日銭目当ての仕事ばかりだった。

「おひとり様三十秒厳守でお願いしまーす!」
手メガホンで叫ぶチーフマネージャーの坂巻の声が、未瑠を現実に引き戻した。
「ショコラ」の物販コーナーにはオタクが三十人ほど並んでいたが、ほとんどが未瑠の列に並び、梨乃と奈緒の列にはふたりずつしか並んでいない。
「ショコラ」は、未瑠の人気で持っているといっても過言ではなかった。
対角線上は、今日の参加アイドルユニットの中で一番人気の「一年☆乙女組」のコーナーだった。
四人のメンバーの前には、満遍なく長蛇の列ができている。
パッと見だけで、ゆうに百人以上はいそうだ。
四人ともかわいい部類ではあるが、飛び抜けたビジュアルの少女はいない。
だが、彼女達のパフォーマンスレベルはかなり高く、MCだけで十五分のステージを持たせることができる。
フリートークができることは、アイドル……とくに地下アイドルには、ある意味、ダンスや歌以上に重要だ。
しかし、「一年☆乙女組」が人気といっても、あくまでもマイナーな世界での話だ。
メジャーなアイドル達は、〇がふたつは違う数のファンの前でライブを行っている。
「今日のライブもよかったけど、気のせいか疲れているようにみえたよ。ライブとレッスンで休む間もないだろうけど、休息を取るのも勇気だよ」
「ありがとうございます! 太宰さんはいつも未瑠の身体を気遣ってくれて、本当に優しい方ですね」
未瑠は、首を少しだけ傾げて眼を見開き、アヒル口を作ってみせた。
オタク殺しの十八番――未瑠にこうやってみつめられると、みな、筋肉弛緩剤を射たれたように締りのない顔になった。
「チーマネ、ミルミルを働かせ過ぎじゃないかな?」
太宰が、メンバーの背後でオタク達に睨みを利かせている坂巻にちらりと視線をやった。
ウェーヴのかかったロン毛、陽灼けサロンで焼いた肌、薄く生やした口髭、はだけたワイシャツの胸もとに覗くクロムハーツのペンダント――坂巻の外見からくるイメージは、芸能マネージャーというよりもクラブの黒服のようだった。
「十八歳っていえば、一般人の友達は恋したり旅行したり人生を謳歌しているよね? もっと、自由にしたいとか思わないの? 僕は、ミルミルの心が壊れないかが心配なんだよ」
太宰が、悲痛な表情を未瑠に向けた。
人より、自分の心配をしたほうがいい。
ひと回り以上も年下の未成年の少女のライブに入り浸り、何度も握手したいがために五枚も十枚も同じCDを買うような三十男……ありがたいとは思うが、その気持ちは感謝とは違う。
はっきり言って、いいカモとしかみていない。
太宰の大きな勘違いは、休息どころか、いまの十倍は忙しくなりたいと未瑠が願っているのを知らないことだ。
小箱で行うライブが月に数回程度では、芸能人とは言えない。
現実問題、未瑠はテレホンオペレーター会社でアルバイトをしながら生計を立てている。
ライブは知名度を上げるためのプロモーションということで、ギャラは交通費程度しか出ないのだ。
「ミルミルに聞きたいことが……」
「はーい、ありがとうございましたー」
坂巻が、質問を重ねようとする太宰をバッサリと断ち切った。
未瑠は、もっと喋りたい、というような視線を坂巻に送った。
もちろん、ポーズだ。
「ミルミルにプレゼント持ってきたよ!」
太宰に続いて、常連のプーさんが一メートルはありそうな大きな包みを未瑠に差し出した。
プーさんは、渾名通り大きく腹が突き出た力士のような体型からそう呼ばれるようになった。
年は四十代半ばで、水道橋のコンビニエンスストアで店長をしていると聞いたことがある。
「ありがとうございます! おっきいですね。なんですか?」
「ミルミルの好きなキティちゃんの抱き枕だよ」
「えー! 嬉しい!」
未瑠は抱き枕を受け取り、歓喜の声を上げた。
すかさず坂巻が手を伸ばし、未瑠から抱き枕を受け取った。
「今日は、体調がイマイチで振りのキレが悪くてごめんね」
「えー全然、そんなことなかったですよ。いつもの、キレキレのプーさんでしたよ」
未瑠は、スウィーツスマイルをプーさんに向けた。
「あっ、やっぱりみられてたんだ……」
プーさんが、汗塗れの顔を紅潮させてはにかんだ。
みているわけがない。
たとえみていたとしても、オタクの振りのキレがよかろうが悪かろうが、未瑠には興味がなかった。
「はい! ありがとうございましたー」
「じ、じゃあ、頑張ってね、ミルミル」
坂巻に急き立てられながら、プーさんが手を振った。
「プーさんも、お身体を大切にしてくださいね!」
未瑠は、無邪気な笑顔で手を振った。
プーさんの背中がみえなくなると、満ち潮が引くように未瑠の顔から微笑みが消えた。
「ミルミルの好きな表参道の生ドーナッツを買ってきたよ!」
背後から、声をかけられた。
「あ、ハマさかん! ありがとうございます!」
振り返った未瑠の顔には、飛び切りの笑顔が戻っていた。

☆     ☆

「お先に失礼します。お疲れ様でしたー!」
相部屋だった「田舎っコ娘」の四人が帰った瞬間、四畳半ほどの控室に重苦しい空気が漂い始めた。
梨乃と奈緒のふたりは一冊のファッション誌を仲良く覗き込んでいたが、未瑠だけは離れた位置でパイプ椅子に足を組んで座りスマートホンをイジっていた。
衣装から私服に着替え終わっていたが、車を裏口に回している坂巻が戻ってくるのを待っているのだ。
いつもの光景だ。
梨乃と奈緒はいつも一緒に行動していたが、未瑠だけは別だった。
省かれているというよりは、自ら進んで距離を置いていた。
ふたりは未瑠よりひとつ下の十七歳だった。
「このアクセ超かわいくない?」
「えーどれどれ? あ、本当だ! マジかわいいぃ!」
梨乃がファッション誌を指差すと、奈緒が黄色い声を上げた。
「うるさいから、静かにしてくれる? あんたらさ、アクセの前にアイドルなんだからもっと自分がかわいくなりなよ」
未瑠は、スマートホンで自分のブログをチェックしながら冷めた口調で言った。
室内に険悪な空気が流れたが、構わなかった。
未瑠は、事実を言ったまでだ。
「ショコラ」は一昨年のバレンタインデーに結成され、今年で二年半になる。
相変わらず、その他大勢の地下アイドルライブにしか出演できないのは、事務所のプロモーション力の弱さもあるだろうが、一番の原因は梨乃と奈緒だ。
とにかく、ふたりとも華がない。
ルックスが悪いなりに歌が上手いか楽器が弾けるかダンスが凄いか喋りが立つか、なにかひとつでも際立つものがあればいいが、彼女達には誇れるものがなにもない。
ルックス担当の未瑠がいればなんとかなるだろうという事務所の安易な考えが、そもそも間違っている。
実力のあるそこそこにかわいいメンバーがいる中に入ってこそ、自分のような飛び抜けたルックスが活きるのだ。
かすみ草の中のバラは映えるが、雑草の中に咲いていたらバラの魅力は伝わらない。
不満そうにしてはいるが、梨乃と奈緒が反論してくることはない。
未瑠が抜けたら「ショコラ」は存在できないということを、ふたりともわかっているのだ。

未瑠は、コメント欄をクリックした。
二十一件のコメント数に、未瑠はため息が出た。
国民的アイドルと呼ばれているユニットのブログなら千件単位で入っているので、いちいちチェックなどできはしない。

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ミルミル、これでスッピンとは驚き! やっぱり、ナチュラル美人だね!
(ミルミル親衛隊長)

いよ! 世界一のスッピン美人!
(スウィーツ王子)

メイクなしでこんなにかわいいなんて、神レベルでしょ。
(ショコラティエ)

ノーメイクで鬼カワ! 惚れ直したよー!
(アッキーバー)

どうしたら、ミルミルみたいにつるつるお肌になれるんですか? 私、ミルミルと同じ十八歳なんですけど、ニキビで悩んでます。お勧めのスキンケアがあったら、教えてください。
(ミルミルになりたい少女)

メイクとかじゃなくて、そんなに眼がパッチリしてるなんて驚き!
(ムシパンマン)

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最新のブログには、洗顔後のスッピンの写真をUPしていた。
タイトルは、『お勧め洗顔剤』。
スッピンを自慢するのが目的ではない、という見せかたをするのが重要だ。
そもそも、UPした写真はスッピンではない。
薄くファンデーションを塗り、眼張りも入れていた。
それだけではなく、専用ライトを死角の位置から当てているので陶器のようなすべすべ肌に写っているのだ。
未瑠にかぎらず、芸能人がノーメイクをアピールしているときは、例外なくスッピン風メイクを施しているものだ。
洗顔のCMに出演しているタレントも、もちろんスッピンではない。
芸能界は虚構の世界――魅力のない真実より魅力的な嘘が求められる世界だ。
「単純な奴ら……」
未瑠は呟き、コメント欄をスクロールした。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

洗顔なんて、どーでもいいんでしょ? 自分のスッピンをみせたいだけじゃん。あ、違うか。
スッピンにみせたくて何時間もかけてナチュラルメイクしてんだよね?
ばっかじゃねーの。そんな暇あるなら、生で歌えるようにボイスレッスンでもしろよ! あとさ、スッピンでも眼がパッチリしてるとかコメント入れてた人がいたけどさ、整形だから、せ・い・け・い! この女の中学時代の卒業アルバムみたらさ、キツネみたいな眼してマジウケるからさ、ネットで検索してみたらいいよ。親から貰った顔と別人になって売れてもさ、詐欺じゃね? そこまでして売れたいかね?
(樹里亜)

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

まただ……。
スマートホンを持つ手が震えた――激憤と羞恥に唇がわなないた。
我を取り戻した未瑠は、 樹里亜のコメントを削除した。
樹里亜と名乗る女性から中傷コメントが入るのは、初めてではなかった。
一年くらい前から、ちょくちょく未瑠のブログ――『ミルミルのミルキーな日々』のコメントを荒らしていた。
これまでは、無視していた。
反応してしまうと相手の思うツボで、余計にエスカレートしてしまうからだ。
アンチにとっては無視されるよりも、罵倒されるほうが嬉しいのだ。
それに、いままでは、ブス、整形女、死ね……などの、単純なものだった。
だが、今回の中傷は具体的で悪質過ぎる。
中学生の卒業アルバムのことまで持ち出すなど、シャレにならない。
質が悪いのは、樹里亜の中傷がすべて真実だということだ。
もしかして、知り合いなのか?
樹里亜のブログを追ってみたが、プロフィールは未記入で記事も投稿していなかった。
恐らく、自分のブログにコメントやメッセージを送るためだけに立ち上げたのだろう。
逆をいえば、こちらからメッセージを送れば眼を通す可能性が高い。
しかし、タレントからコンタクトを取るのは体裁が悪い……というより、相手を刺激してさらに厄介なことになる。
こういうとき、チーフマネージャーの坂巻はまったく頼りにならない。

――悪口も書かれなくなったら、終わりだぞ? 悪口を書くっていうことは、ブログを読んでくれているってことだろ? 腹立てるどころか、むしろ感謝しろよ。

以前、樹里亜からの中傷コメントで相談したときに、坂巻から返ってきた言葉が脳裏に蘇った。
未瑠は腰を上げ、控室を出た。
照明が切れかかり点滅する薄暗い廊下で未瑠は、慣れ親しんだ番号に電話をかけた。
微かな罪悪感――もう、穂積は自分の担当ではなかったが、なにか困ったことがあるとどうしても頼ってしまう。
五回目で、コール音が途切れた。
「すみません、未瑠ですけど……いま、少しだけ大丈夫ですか? いえ、トラブルとかじゃないんですけど、例の 樹里亜ってギャルがまた中傷コメントを入れてきて……はい、はい、チーフには言ってません。逆に、説教されるだけですから……」
「誰が説教するって?」
不意に聞こえてきた声に、心臓が停止しそうになった。
「あ、失礼します」
動揺を悟られぬよう、平静を装い未瑠は電話を切った。
「また、穂積にかけてたのか?」
坂巻が、咎める口調で言った。
「ちょっと、聞きたいことがあったので」
未瑠は、横を向いて言った。
「穂積は、半年前からグラビアのマロンのマネージャーだ。マロンをどう売るかを考え、マロンの相談に乗るのが彼女の仕事だ。ほかのタレントの相談事に乗るために給料を払っているわけじゃない」
高圧的な物言いを、未瑠は聞き流した。
坂巻の言動をいちいちまともに受け止めていたら、いま頃、精神科の病室か少年院に入っているかもしれない。

――未瑠、ごめんね。あなたのこと、チーフにやめるようにお願いしたんだけど、聞き入れてもらえなかったの。指示に従えないなら、芸能界を引退すればいいって……。

半年前――忘れもしないクリスマスイヴの朝、悲痛な顔で穂積がうなだれた。

――いいえ、いいんです。メジャーになるためなら、どんなことでもやってやるって意気込みで上京しましたから。逆に、私のために穂積さんが怒られることになってすみません。
――話は、それだけじゃないの。今日から、「ショコラ」の担当はチーフがやることになったわ。
――え? 穂積さんがいるじゃないですか?
――私は、「ショコラ」からマロンに担当替えになったの……。

穂積の無念の表情が、未瑠の脳裏に昨日のことのように蘇った。

「なにボーッとしてるんだ。入るぞ」
「お疲れ様です!」
坂巻が控室のドアを開けると、梨乃と奈緒が弾かれたように立ち上った。
「これを処理するから、もう少し待ってろ」
坂巻は言いながらゴミ袋を広げ、長テーブルに積まれたオタクからのプレゼントを次々と捨て始めた。
どこの事務所も、プレゼントやファンレターをアイドルに直接渡すことはない。
飲食物は万が一毒物が混入されている場合を考え、問答無用に捨てられる。
ぬいぐるみ類は盗聴機を仕掛けられている可能性があり、やはり捨てられる。
事務所によってはスタッフが持ち帰るところもあるが、どちらにしてもほぼタレントの手に渡ることはない。
地下アイドルは経済的に困窮している場合が多く、プレゼントを持ち帰りたいというのが本音だが事務所がそれを許さないのだ。
なにかがあれば責任を追及されるのは事務所なので、神経過敏になるのも無理はない。
「グローバルプロ」は、プレゼントだけでなくファンレターのチェックも厳しい。
まずは最初にマネージャーが読み、内容をチェックする。
住所や携帯番号が書いてあれば、その箇所を塗り潰してからタレントに渡す。
卑猥な言葉や誹謗中傷の手紙は渡さずに捨てる。
「グローバルプロ」は、プロモーションはろくにしないがタレントの管理だけは細かく徹底している事務所だ。
「チーフ、その『ゴディバ』はタカシさんがくれたものですから、毒なんて入ってないですよ。八個で一万円もするチョコレートを捨てるなんて、もったいないです」
梨乃は、なんとかベルギー産の高級チョコレートを持って帰ろうと必死だった。
「私も、そう思います。初めて会うファンの人から貰うプレゼントは気をつけますけど、常連さんは信用してもいいんじゃないかと思います」
奈緒が梨乃を擁護するのは、大好きな「バービー人形」を貰ったからに違いない。
「毒は入れなくても精子を入れる奴は多い。人形に盗聴器を仕込む奴もな。常連だからこそ、想いが募って常軌を逸する奴がいるもんだ。それとも、タカシってオタクの精子を飲みたいのか?」
加虐的に片側の唇を吊り上げ、坂巻がチョコレートをゴミ箱に捨てた。
「お前も、おしっこしてるときの音とかオタクに盗み聞きされたくないだろ?」
今度は奈緒に顔を向け、「バービー人形」をゴミ箱に放った。
梨乃も奈緒も不満そうにしていたが、坂巻に抗議する気配はなかった。
もっとも、坂巻は抗議したところで考え直すような理解ある男ではない。
「これも、これも、これも、これも、これも」
シュークリーム、生ドーナッツ、クッキーの詰め合わせ、縫いぐるみ、抱き枕――賞味期限切れの弁当を捨てるコンビニエンスストアの店員のように、坂巻は次々とプレゼントを捨てた。
「あ、そういえば、お前らさ、今日、チェキが二十枚しか出てないぞ。『ショコラ』のファンは三十人くらいきてたんだから、五、六十は注文入らないとおかしいだろ? もっと、積極的に営業しろよな」
坂巻が、眉間に縦皺を刻んだ渋面を、未瑠、梨乃、奈緒に順番に向けた。
「CDをひとりで何枚も買ってくれてるんで、チェキまでは勧めづらくて……」
「馬鹿かお前は!」
坂巻が、釈明しようとする梨乃に怒声を浴びせた。
「あいつらはな、『推しメン』のために金を使うことを生き甲斐にしてるんだっ。朝から晩まで、寝ても覚めても『推しメン』のことばかり考えてる。あいつらに金を使わせるのは、全然かわいそうなことじゃない。むしろ、使わせないほうがかわいそうだ。お前らに使う以外、金の使い道がない奴ばかりなんだから、遠慮せずにかっ剥いでやれよ。わかったな!?」
威圧的に同意を求めてくる坂巻に、梨乃と奈緒が渋々頷いた。
「わかったら、お前らふたりは先に車に乗ってろ」
坂巻が、梨乃と奈緒に退室を命じた。
未瑠は、暗鬱な気分になった。
このパターンは、これまでに何度も経験しているので次の展開は見当がついた。
坂巻がパイプ椅子に座り、煙草に火をつけた。
「今夜、八時に道玄坂のいつものところに行ってくれ。部屋番号は、あとでメール入れる」
梨乃と奈緒が頭を下げて出て行くのを待ってから、坂巻は買い出しでも頼むような気軽な物言いで告げた。
未瑠は、坂巻に背中を向け無言で立ち尽くしていた。
「なんだ? 嫌なのか? 音楽番組の製作会社のプロデューサーだから、お前にとってチャンスだぞ? 『ショコラ』にいても先がみえないからソロでやってゆきたいって言ってただろ? お前、セッティングするのに俺がどれだけ苦労したか……」
「嫌だとは、言ってません」
坂巻に背中を向けたまま、未瑠は遮るように言った。
「ソロで勝負したいという気持ちは、いまでも持っています。だから、チーフの命令に従ってきました。でも……」
未瑠は言葉を切った。
眼を閉じ、気を静めるように深呼吸を繰り返した。
「でも、なんだよ?」
「……ソロになっても、ブレイクしなきゃ意味がないんです」
「だから、音楽番組の制作……」
「製作会社のプロデューサーじゃ、弱過ぎます!」
振り返った未瑠の想定外の剣幕に圧倒された坂巻は、びっくりしたように眼を見開いた。
「どうせ枕やるなら、権限のある局Pにしてくださいよ」
一転して、押し殺した声で未瑠は言うと、感情を失ったガラス玉の瞳で坂巻を見据えた。
(つづく)

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著者

新堂冬樹(しんどう・ふゆき)

1966年生まれ。98年に、『血塗られた神話』で第7回メフィスト賞を受賞。その後ノワール&バイオレンスな作品で読者を魅了している。2003年『忘れ雪』で純愛に挑戦、ベストセラーとなる。

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