ミルクとコロナ

白岩玄と 山崎ナオコーラの往復・子育てエッセイ『ミルクとコロナ』第3回 ウイルスが帰ったあとに

2004年、『野ブタ。をプロデュース』でデビューした白岩玄さん。同じ年『人のセックスを笑うな』でデビューした山崎ナオコーラさん。ともに20代で文藝賞を受賞し、作家活動をスタートした二人が、子どもの誕生をきっかけに、まるで手紙のやりとりをするように、育児にまつわるエッセイの交換を始めた。

互いに第二子の誕生を挟んで、ゆっくりと4年もの歳月をかけて綴られた往復エッセイ。それらはコロナ以前、およびコロナ下の育児を記録しながら、日々の身の周りの出来事を通して、社会の問題を考えるものになった。

コロナ下での生活が長引く今、2020年の年末から2021年6月までに書かれた「アンダー・コロナ」の部分を、特別公開します!

 

第3回 ウイルスが帰ったあとに

 神社でお参りしたあと、

「神様に何をお願いしたの?」

 と私の家にいる四歳児にたずねてみたら、

「ウイルスが森へ帰りますように、ってお願いしたんだよ」

 という答えだった。

 なるほどなあ、と思う。コロナウイルスは森からやってきたのだから、この病気の収束はウイルスが帰ったときだ、と考えるのは筋が通っている。

「森からやってきた」というところまでは、私がした説明だった。これだけ世の中で騒ぎになって、一時期幼稚園が休みになって、手洗いを一所懸命にやることになって、マスクをすることになって、遊びに出かけなくなって、さすがに「コロナウイルスっていうもののせいで、病気がはやっている」というのはなんとなく理解したみたいだ。けれども、大人みたいには状況にピンときていない。「どういうこと?」「どうなるの?」といった質問も出てくる。説明が必要だった。

イラスト 山崎ナオコーラ

 

 前回、白岩さんが、お子さんの出生時に感染予防のために立ち会いができなかったという話を詳細に書いてくださっていた。そういう思いになるんだなあ、と自分の想像の行き届かないところが見えてくる文章だった。

 それで思ったのは、病気や怪我や生や死で私たちは病院に世話になり、医師や看護師、助産師、看護助手、医療事務といった方々に感謝をするわけだが、ストーリーまで医療従事者に任せるのは難しいということだ。

 私も、子どもを出産することになったとき、もうひとりの親の立ち会いを希望していた。その理由は、「親の自覚を持ってもらうため」といったことより、「万が一、生まれた子に病気や『障害』などがあった場合、一緒に受け止めて欲しい。決断が必要なことがあれば、私だけでなく、夫にも考えてもらって決めたいから」だった。また、もっと大きい病院へ子を搬送する必要が出たら、救急車にもうひとりの親が同乗してついていって欲しかった。

 私たちの場合、ひとり目が前置胎盤ぜんちたいばんによる帝王切開になり、その病院では分娩室での立ち会いはできるが手術室での立ち会いはできないので、もうひとりの親は待合室で待つことになった。そして、ひとり目が帝王切開の場合、二人目の出産時に経膣分娩を選択した場合は傷口の縫い目が開く可能性が高いため、医師は二人目の際も帝王切開を勧める。どうしても経膣分娩を希望する場合はVBACという方法があるらしいが、私は希望しなかった。私は、帝王切開という、医師の手による出産をとても気に入ったし、立ち会いができないこと以外には、帝王切開に不満がなかった。二人とも「新生児仮死」しんせいじかしという状態で生まれたためすぐに保育器に入れられ、もうひとりの親は抱っこはできず、ケース越しの面会のみだったので、もうひとりの親が親の自覚や感動などを味わったかどうか定かでない。ただ、子に病気や「障害」があった場合、もうひとりの親は、同じ空間にはいなくとも、ほぼ同時に知る、というのは、私にとってはかなり心強かった。

 結局、大きな困ったことは起こらなかった。ただ、小さい話にはなるが、前置胎盤による長期入院の乗り越え、予定帝王切開の誕生日決め、「新生児仮死」という言葉の受け止め、といったストーリーの共有ができたのはやっぱりありがたかった。

 数年前、父ががんで死んだことがあるのだが、そのときも、「医療従事者のストーリーに乗っかるだけでは、生きたり死んだりできない」と私は思った。医師には、「これはよくあるがん細胞であり、とにかく一秒でも長く生きられるように医療技術をスマートに活かそう」という考えがあると思う。ただ、患者や家族も、多様な存在であり、どうしたって自分の考えを持ってしまう。「がん細胞とは何か?」を、理解はできなくても自分なりに咀嚼したい気持ちがあり、手術や延命治療の選択時に自分や家族の生き方を振り返るシーンがあり、他のがん患者とは違う、父は唯一の生を生きているという感覚があり、何パーセントの確率でどうのという話があってもくじ引きはできないなんてことも思った。もちろん、「患者の家族」として、医師や看護師の邪魔にならないように治療時には部屋から出るし、病院のルールは極力守るし、医療従事者に余計な時間や手間を取らせないように心がける。けれども、私たちは、ただの「患者」や「患者の家族」という、言われた通りに動くだけの受け身の存在にはなりきれない。どうしたって、考えてしまう。言葉の理解、ストーリーの把握などが必要だった。

 コロナウイルスについても、高校でずっと理数系が赤点だった私に理解は難しいが、自分なりに受け止めたかった。

 ウイルスというのは、生物だと定義する専門家もいれば、無生物だとする専門家もおり、曖昧な存在のようだ。

 けれども、コロナウイルスの蔓延が始まると、世の中には、コロナウイルスに悪い顔が描かれたイラストや、「ウイルスをやっつけよう」「ウイルスに負けるな」と悪者のように仕立てる文章があふれるようになってきた。

 コップや石に顔を描くことだってあるし、生き物でないものをキャラクター化するのには見慣れている。そこは、私も受け入れられる。

 でも、コロナウイルスは悪者ではない、と思った。

 人類が地球の隅々まではびこったから、自然と人間の棲み分けがなくなり、人から人への伝播も簡単になり、パンデミックが起こったのだ。

 私たちは、「人新世(アントロポセン)」の時代を生きている。人類が、他の動物や植物に大きなダメージを与えている。私たちが、地球存続の危機を作っている。

 ウイルスは悪意を持っていない。人類を滅ぼそうと考えて行動しているのではない。人間とウイルスが交わると、病気が起こるというだけのことだ。

 そして、ウイルスの起源は、生物の遺伝子の一部が外に飛び出したもので、長期的に見れば、感染により遺伝情報を生物に伝え、進化を加速させている、という一面もあるらしい。

 とはいえ、死が不可欠で、それが進化に繋がるとしても、「生こそが絶対的に善だ」という文化を作るのが人間だ。

 私たちは、コロナウイルスに触ってはいけない。コロナウイルスから離れる努力をしなければならない。ただ、その努力は、コロナウイルスが悪者だから行うのではない。

 私はもともと、『アンパンマン』の中の暴力やルッキズムが好きになれなかった。作者のやなせたかしは立派な人だ。私はやなせが大好きだし、『アンパンマン』という作品の七割ぐらいは好きだ。でも、やなせは戦時中に青春を送った人であり、時代の影響があると思う。もしも、やなせたかしが現代を生きる人だったら、「アンパンチ」なんて暴力を設定しなかったんじゃないか、ばいきんまんを黒くて歯がギザギザという外見に描いたりしなかったんじゃないか、と思う。

 それから、この頃は、四歳児がウルトラマンなどのヒーローものにはまっていて、やっぱり暴力やルッキズムが気になる。ただ、これらの番組は毎年新しく作られていて、時代とともに変化はしているようだ。先日、『ウルトラマンZ』というテレビ番組を見ていたら、主人公のハルキが苦悩していた。レッドキングという怪獣は、自分の卵を守るために活動しているだけで、人間に危害を加えるために生きているわけではない、と知ったのだ。怪獣を倒し続けていいのだろうか、と罪悪感で苦悩する回は画期的だった。また、カネゴンという怪獣と仲良くするだけのほのぼの回もあり、四歳児はこの回が一番好きだったようなので、暴力のないウルトラマンをもっと作って欲しい。あとそれから、怪獣が人間の体を乗っ取るストーリー展開があるのだが、そこから「もう観るのをやめる」と四歳児が言い出した。これはルッキズムだなあ、と思った。怪獣というのは、人間とはまったく違う体つきで、いかにも悪者っぽい顔をしており、暴力を受けたあとは流血することなく爆発するので、やっつけても構わないと感じられるのだろうが、見た目が人間だと、たとえ体の中に怪獣が入っていても、暴力が恐ろしく感じられるのだろう。

 とにかく、そういういろいろな思いがあって、このパンデミックに際し、私は「憎きコロナをやっつけよう」路線で子どもに説明するのはやめて、

「コロナウイルスっていうのが、森から出てきて、動物の体に乗ったり、人間の体に乗ったりして、世界中に広まったんだよ。コロナウイルスも、悪いことをしようとしているわけじゃないんだけど、人間がコロナウイルスに触ると病気になって、さらに他の人にもうつしちゃうから、あまり出かけないようにして、どうしても出かけるときは手洗いやアルコール消毒やマスクをして、これ以上広がらないようにするんだよ」

 という説明をしてみた。

 育児は、それぞれの考えによって進めるのがいいだろうから、私の考えをみんなに広げたい気持ちはまったくない。みんなに同じ考えなど持って欲しくない。ただ、自分なりの考えを、それぞれ大事にしていいんじゃないか、と思うのだ。

 みんながそれぞれ、自分なりのストーリーを見つけるしかない。

 このコロナ禍の収束が、子どもの言うようにウイルスが森に帰ることで訪れるのか、ワクチンによって訪れるのか、集団免疫によって訪れるのか、共生によって訪れるのか、私は知らない。

 ただ、ウイルスを悪者に仕立て上げなくても、収束を願うことはできる、と私は思っている。自分なりに、「コロナ」「ウイルス」「病気」といった言葉に付き合っていきたい。

 

 

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著者

山崎ナオコーラ

1978年福岡県生まれ。2004年『人のセックスを笑うな』で文藝賞を受賞し、デビュー。小説に『美しい距離』『リボンの男』、エッセイに『かわいい夫』『母ではなくて、親になる』『むしろ、考える家事』など。

白岩玄

1983年京都市生まれ。2004年『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、デビュー。小説に『空に唄う』『ヒーロー!』『世界のすべてのさよなら』『たてがみを捨てたライオンたち』など。

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