ミルクとコロナ

白岩玄と山崎ナオコーラの往復・子育てエッセイ『ミルクとコロナ』第7回 家族と仕事

2004年、『野ブタ。をプロデュース』でデビューした白岩玄さん。同じ年『人のセックスを笑うな』でデビューした山崎ナオコーラさん。ともに20代で文藝賞を受賞し、作家活動をスタートした二人が、子どもの誕生をきっかけに、まるで手紙のやりとりをするように、育児にまつわるエッセイの交換を始めた。

互いに第二子の誕生を挟んで、ゆっくりと4年もの歳月をかけて綴られた往復エッセイ。それらはコロナ以前、およびコロナ下の育児を記録しながら、日々の身の周りの出来事を通して、社会の問題を考えるものになった。

コロナ下での生活が長引く今、2020年の年末から2021年6月までに書かれた「アンダー・コロナ」の部分を、特別公開します!

   

   第7回 家族と仕事

 確かに、コロナ禍によって、新しい働き方がぐんと世の中に広がった。

 以前の社会には、「自分の人生には仕事しかない」という顔をしなければ職業人として認められない雰囲気があった。育児が大変な時期でもそれを周囲に感じさせないよう配慮し、「育児をしていない人とまったく同じ形で働けます」と言うのがマナーだったように思う。

 でも、今の社会においては、「自分の人生には、家族や友人との関係や、家事や育児や介護や療養などの任務もあります。並行して、仕事も頑張ります」という顔でも職業人になれる。そう、たとえ利益を追求したいという考えを大事にするとしても、その人が他にも何かやりながら社会や企業を潤すなら、何も問題はない。あるいは、人生の他の部分も大事にすることによって人材の流出を防げたり、斬新なアイデアが入ってきたりして、社会や企業はむしろ得をするかもしれない。多くの人がそのように考えるようになってきたのだろうか、オンライン会議に子どもが映り込んでしまうハプニングを社会が許容したことに希望を感じる。

 これからの時代では、「たくさんのことを並行してやりながら、社会を良くします」と堂々と言えそうだ。副業を許す企業も増えているらしい。そして、育児者としては、非育児者の事情や環境に配慮することが大事だと感じている。ひとり暮らしの人だって、仕事だけに生きているのではなく、趣味や友人付き合い、病院通いなどの中で仕事をしている。たくさんのやりたいこと、やらなければならないことと共に、仕事に就ける時代が来る。

イラスト 山崎ナオコーラ

 

 作家の場合も、昔は育児をしている人が少なかった。育児をしない人生を選択をした理由は人それぞれのはずだからまとめて考えてはいけないが、私よりひと世代ふた世代上の作家たちは、育児をせずに文筆業に専念している人が多いようだ。割合の高さから、「パートナーが主婦あるいは主夫になって育児に専念してくれる場合のみ子どもを持てる」という労働環境だったのではないかと想像してしまう。趣味で小説を書く伯母から、「小説を書くために中絶をした人を知っている。小説家になりたい人はいっぱいいるんだよ。本を出せるっていうのは、すごいことなんだよ。本を出せて、子どもも産めるって、ものすごい幸せなんだよ」という話を聞いたことがある。だが、自分を幸せだと定義してはいけない、と私は思った。私は中絶という選択肢がある社会の方がいいと考えているのだが、「小説のために」というのは理由としてどうも受け止められない。おそらくその中絶は、小説のせいというより、時代のせいで起こったのではないだろうか。中絶しなくても小説が書ける時代にしたい、と思う。

 コロナ禍で、オンライン打ち合わせや、オンライン対談、オンラインイベントがどんどん増えた。

 感染の可能性をなくせる、というのが主なメリットだが、療養中でも育児中でも遠く離れていても仕事に参加できる、というのが当事者にとってはかなり嬉しいことだった。いい時代が近づいた風を感じる。

 子どもが家にいるとき、小説を書くのは難しいが、一歳児を抱っこ紐で抱っこしながらオンラインインタビューを受けさせてもらったり、五歳児に別室で動画を観せておいてオンライン打ち合わせをやったりしたことがある。 

 また、オンラインイベントでは、化粧しなくていいや、と思うようになった。画面のスクリーンショットがwebや雑誌に掲載されることもあるが、粗いのですっぴんでも気にならない。ピアスも随分していないので、耳の穴が塞がったかもしれない。おしゃれが好きな人にはつらいかもしれないが、私には楽でいい。ついでに全体三ミリの丸刈りにしてみた。化粧やドライヤーがこれまで自分の仕事や育児に負担だったことがよくわかった。

 オンラインで仕事ができるようになって、可能性が広がった。

 ただ、最近、仕事と家族の間の線引きに、ちょっと悩んだことがある。

 私は、書店に自分が書いた本を置いてもらいたい。また、サイン本を書かせてくれる書店があるのならば、たくさんサイン本を作りたい。POPも書きたいし、インタビュー記事やフリーペーパーなどの販促もしたい。

 もうひとりの親は書店員をしており、そこだと三冊サイン本を作り、売れたら継ぎ足す、というようなことができる。

 書店は本を買取ではなく委託販売をしている場合が多い。そのため、売れ残った本は出版社へ返品できる。ただ、サイン本は、汚れと同じなので、返品ができない。人気作家のサイン本だったら常に書店から喜ばれるだろうが、そうではない作家のサイン本は不良在庫になる可能性を秘める。そのため、書店は慎重になる。十冊どんと作るよりは、売れたら継ぎ足す方が不良在庫を作りにくい。だから、作家が頻繁に少しだけサインをするのがいい。これが作家と書店員が同居していると可能になる。三冊持って帰ってもらい、サインをして、次の日持っていってもらえる。

 しかし、ある日「旦那さんが書店員だと、本を置いてもらえていいですね」とある作家が言っていたと聞いてつらくなった。私としては、家族だから優遇してくれているとは考えていなかった。作家としていいと思ってくれたから、サインを依頼してくれたり、本を置いてくれたりしているのだ、と思っていた。ただ、同じ家に住んでいるため、やりやすさはあった。それは、確かに不平等なのかもしれない。多くの作家が、サイン本を作りたいはずだ。どうやったら、公明正大な作家になれるのだろう。

 私としては、他のお店の書店員の人からだって、頼んでくれる人がいたら、ぜひ書かせていただきたい。でも、なかなかそういう依頼はこない。出版社も、力を入れなければならない本がたくさんある中で、少部数の本に人件費をそんなに割けないので、出版社から書店さんに営業してもらうのも難しい。人気作家とは違う細々とした努力をするしかないと思っていたわけだが、平等な世界は作れていなかったかもしれない。

 作家にとって書店は舞台だ。平等に舞台に立ちたい。

 もう、もうひとりの親にこちらから書籍に関する頼みごとや説明は一切しない。もうひとりの親が勤める店の文芸書ご担当の方からの依頼があれば、それはもちろんお受けしたい。でも、こちらからは言わないようにしようと思う。

 現在、書籍の売り上げに一番関係すると言われる文学賞、作家が一番憧れる賞、そう、全国の書店員が投票できるというあの「本屋大賞」も辞退しよう。まあ、もうひとりの親はもう何年もずっと投票に参加していないので無関係になってしまってはいるのだが(投票者はエントリーされている十冊すべてを読まなくてはいけないという規定があり、その読書時間を作れないらしい)。とはいえ、私の作品は、かすりもしていないので、辞退するか否かなど考える立場でもなかった(ははは)。

「家族を利用していると思われてしまう」関連では、「子どもで金を稼いでいる」というのもあるだろう。育児エッセイってそう受け取られがちですよね。だが、育児をしていない作家だって、猫とか料理とか会社勤めの話とか園芸とか、身近なことを書いている。ちなみに私も園芸のエッセイを書いているし、たとえ育児をしない人生を過ごしていても、そのときどきの身近なことをエッセイにも小説にもすると思う。

 以前、「自分の子どもの『障害』について書くようになったら文学者として終わりだ」といったお考えの作家の話を聞いたことがあるのだが、私の場合は、それを書くべきだと考えている。むしろ、それが文学ではないのか。それが仕事なのではないか。

 個人の出来事を、社会の出来事だと捉え直すことが、仕事だ。私は、自分の日記を公にしていない。ただの個人の文章は、仕事にならない。育児エッセイとして発表するのは、個人の出来事を綴っていても、社会に関する文章だと考えている。

 まあ、書くときには線を引かず、売るときには線を引く、それが私なりの家族と仕事の間の感覚ということなのかもしれない。その感覚に迷いが生じたり、失敗したりして悩むこともあるが……。

 

 

 

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著者

山崎ナオコーラ

1978年福岡県生まれ。2004年『人のセックスを笑うな』で文藝賞を受賞し、デビュー。小説に『美しい距離』『リボンの男』、エッセイに『かわいい夫』『母ではなくて、親になる』『むしろ、考える家事』など。

白岩玄

1983年京都市生まれ。2004年『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、デビュー。小説に『空に唄う』『ヒーロー!』『世界のすべてのさよなら』『たてがみを捨てたライオンたち』など。

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