白岩玄と山崎ナオコーラの往復・子育てエッセイ『ミルクとコロナ』第8回 家族のことを書くために

ミルクとコロナ

白岩玄と山崎ナオコーラの往復・子育てエッセイ『ミルクとコロナ』第8回 家族のことを書くために

2004年、『野ブタ。をプロデュース』でデビューした白岩玄さん。同じ年『人のセックスを笑うな』でデビューした山崎ナオコーラさん。ともに20代で文藝賞を受賞し、作家活動をスタートした二人が、子どもの誕生をきっかけに、まるで手紙のやりとりをするように、育児にまつわるエッセイの交換を始めた。

互いに第二子の誕生を挟んで、ゆっくりと4年もの歳月をかけて綴られた往復エッセイ。それらはコロナ以前、およびコロナ下の育児を記録しながら、日々の身の周りの出来事を通して、社会の問題を考えるものになった。

コロナ下での生活が長引く今、2020年の年末から2021年6月までに書かれた「アンダー・コロナ」の部分を、特別公開します!

 

   第8回 家族のことを書くために

 個人の出来事を、社会の出来事だと捉え直すのが仕事だ、と山崎さんが書いていたが、たしかにぼくも、ここ数年はそういう意識で仕事をしている。エッセイや小説で扱うテーマは、ほとんどが個人的なことだし、おそらく今後も何かしら個人的なことを社会的な問題に結びつけて文章を書いていくだろう。

 ただ、この育児エッセイもそうなのだが、個人的なことをエッセイに書こうとすると、どうしてもそこに家族が絡んできてしまうことがある。書くのはぼくの気持ちひとつでできてしまうし、編集者がそれを世に出したいと思ってくれれば、仕事としては成立するわけだが、自分の意志とは関係なく引っ張り出された家族にしてみれば、たまったものじゃないと思うこともあるだろう。

イラスト 白岩玄

 

 一応、ぼくには家族のことを書く際のルールがあって、ひとつは、本人が読んで嫌がりそうなことは書かない。もうひとつは、内容についてのOKを自分だけで出さずに、必ず妻に読んでもらう。この二つをできる限り守るようにしているのだが、そんなふうにルールを設けたからと言って、気兼ねなく家族について書けるわけでもない。読んだ人からの反応で、誹謗中傷的なことを言われる可能性だってあるのだから、書きたいけどやめておこうかなとためらうことはしょっちゅうある。

 育児エッセイを書いている以上、「子どもで稼いでいる」と思われてしまうことについても、よく考える。ぼく自身が子どもが出てくるコンテンツを見た際に「子どもで稼ぐなよ」と思うことがあるから、余計に気になってしまうのかもしれない。つい先日も、三歳の息子がYouTubeを見たがるので一緒に観ていたのだが、子どもが顔出しで出演している一般の方の動画になんとなく心がざわざわして、別の動画に変えてしまった。おまえも似たようなことをしているじゃないかと言い聞かせはするのだが、ネットでの中傷が当たり前にあるこの時代に、子どもを矢面に立たせるのはどうなんだと思ってしまったのだ。

 もっとも、雑誌か何かでインタビューに答えているのを読んだのだが、子どもを顔出しさせているYouTuberは、そのリスクをよくわかっているからこそ、いろいろとルールを設けていたりもするようだ。子どもが嫌だと言ったらその時点でやめるとか、小学校に上がる段階で続けるかどうかを子どもと話し合うなど、子どもの自主性を重んじているようだったし、あとは自宅を特定されるのを避けるために、家の周辺では撮影しないようにしたり、公共の交通機関でどこかから帰って来た際も、家族に車で迎えに来てもらうか、どんなに近く でもタクシーで帰るようにしていると言っていた。その他にも、同世代の子どもたちが見るものだからこそ、影響を考えて動画内でも言葉遣いに気をつけたり、外での撮影の際は交通ルールをきちんと守らせたりしているらしい。

 なので、YouTubeで顔出ししている子どもに対していい印象が持てないのは、そうした裏にある努力を見ようとしないぼくの偏見も大きいと思う。だいたいメディアで顔出しするのが良くないのだとしたら、テレビで活躍している子役の子たちはどうなんだという話になる。ぼくは未就学児だった芦田愛菜ちゃんがドラマで泣いているのを見ても「すごい子がいるなぁ」と感心していた人間なので、要は新しくてまだ社会に定着しきっていないものを否定しているだけなのだろう。

 まぁ他人のことはいいとして、気になるのはやはり自分と子どもとのことだ。あらためて考えると、ぼくは子どもたちから何の許可も取らずにこの育児エッセイを書いてしまっている。もっとも三歳と〇歳なので取りようがないのだが、ある程度わかるようになったときに、一度きちんと話した方がいいだろうなとは思う。妻はぼくの仕事を理解してくれているし、これまでの信頼関係があるから好きなように書かせてくれるが、子どもたちにとって、ぼくはただの「パパ」であって、物書きの父親ではないのだ。それに信頼関係だって、妻のように一緒に何かを乗り越えてきたわけではないから、現時点ではそこまで深いものではない。

 子どものことを勝手に書いていることについてどう思うか妻に訊いてみると、「それはこの先、子どもたちとどういう関係を築いていくかで許してもらえるかどうかが決まるんじゃない?」ともっともな答えが返ってきた。しかもそれだけでなく、「私も今は信頼しているから何を書かれても構わないけど、もし将来的に自分が裏切られるようなことがあって、あなたのことが嫌いになったら、書かれるのは嫌だと思うかもしれない」と言われてしまった。

 でも、そうだろうなと思う。誰だって心底嫌いになった人には自分のことを書かれたくないだろうし、子どもたちに対しても、いろいろと欠点はあってもそれなりに信頼できる父親だと思ってもらえるように関係性を構築していくしかない。そう思うと、書くことよりもずっと日々の生活の方が大事というか、家族とどうやって信頼関係を築いて維持していくかがぼくにとっては最も重要なことであって、それが今後も個人的なことを書き続けるための条件と言えるかもしれない。

 もちろんそういうのも全部無視して、たとえ家族を傷つけようと書きたいように書くのが作家だという考えもあるだろうが、ぼく個人はあまりそういうことをしたくない。たとえつまらないと言われても、家族とのつながりを維持する中でしか書けないものがあると信じたいし、実際にそれは、あらゆる人を裏切ってみんなに呆れられながらものを書くのと同じくらい難しいことだと思う。

 でも考えてみれば、最近は小説も、普段の生活をきちんと送っていないと書けないと思うことが増えた。実際の生活の中で生まれてくる感情や思考をベースにしないと、自分が作る物語にリアリティーが宿らないように感じてしまうのだ。そしてそれはエッセイでも同じことで、特にこの連載は、コロナ下で過ごす家族との時間がしっかり取れていないとなかなか書き上げることができない。毎日きちんと家事をしたり、子どもたちの世話をしたりしていないと、文章に嘘が混じってくるというか、細かなニュアンスを伝える際に、夫や父親としての自分が信用できなくなって、どういう言葉を選べばいいのかがわからなくなってしまうのだ。だからパソコンの前に座ってそれらしい文章を一行書くより、まず娘のおむつを替えたり、散らかったおもちゃを片づけたりする方が、結局はエッセイのためになったりする。

 個人の出来事を社会の出来事だと捉え直すのがぼくにとっての仕事だが、それをするためには、そもそも個人の出来事の中に、一人の人間が確かに何かを抱えながら生きているという「暮らしの重み」のようなものが必要だと思う。ぼくの場合は、その多くが妻や子どもたちとの生活から生まれるものなのだろう。それが作家としていいことなのか悪いことなのかはわからないが、とにかく今はその先に何かがあると信じて文章を書いていきたいと思っている。

 

 

関連本

バックナンバー

著者

山崎ナオコーラ

1978年福岡県生まれ。2004年『人のセックスを笑うな』で文藝賞を受賞し、デビュー。小説に『美しい距離』『リボンの男』、エッセイに『かわいい夫』『母ではなくて、親になる』『むしろ、考える家事』など。

白岩玄

1983年京都市生まれ。2004年『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、デビュー。小説に『空に唄う』『ヒーロー!』『世界のすべてのさよなら』『たてがみを捨てたライオンたち』など。

イベント

イベント一覧

お知らせ

お知らせ一覧

河出書房新社の最新刊

[ 単行本 ]

[ 文庫 ]