ミルクとコロナ

白岩玄と山崎ナオコーラの往復・子育てエッセイ『ミルクとコロナ』第10回 息子の発育

2004年、『野ブタ。をプロデュース』でデビューした白岩玄さん。同じ年『人のセックスを笑うな』でデビューした山崎ナオコーラさん。ともに20代で文藝賞を受賞し、作家活動をスタートした二人が、子どもの誕生をきっかけに、まるで手紙のやりとりをするように、育児にまつわるエッセイの交換を始めた。

互いに第二子の誕生を挟んで、ゆっくりと4年もの歳月をかけて綴られた往復エッセイ。それらはコロナ以前、およびコロナ下の育児を記録しながら、日々の身の周りの出来事を通して、社会の問題を考えるものになった。

コロナ下での生活が長引く今、2020年の年末から2021年6月までに書かれた「アンダー・コロナ」の部分を、特別公開します!

 

  第10回 息子の発育

 これまではっきりとは書いてこなかったが、実はうちの三歳の息子は、言葉の発達が遅れ気味だ。もともと発語も遅く、二歳になってもごくわずかな言葉しか喋らなかった。うまく言えないことはすべて「あ、あ」で訴えて大人が察してくれるのを待つだけなので、ぼくと妻も息子が何を望んでいるのかがわからなくて困ることが多かったし、自分のしたいことがほとんど言えない中で迎えた二歳のイヤイヤ期は、ひどいときだと暴れ回って叫び倒して訴えるので、なかなかに大変だった。

 最近は以前に比べるとずいぶん喋れるようになったが、それでも二歳のよく喋る子と同じくらいの語彙力に思える。記憶は年相応にしっかりしているので、過去のことを質問しても、こちらが「ちゃんと覚えてるな」と思えるような答えが返ってくるのだが、使える言葉のバリエーションが限られているし、話し方もたどたどしい。一生懸命何かを伝えようとはしてくれるのだが、内容が支離滅裂で理解できないことも少なくない。あとは、微妙な音の判別と、それを口で再現することが苦手なのか、新しい言葉を教えたときや、間違って覚えている言葉を訂正する際に、ぼくや妻が何度か復唱しても、うまく言えなくて「むずかしい」とあきらめてしまうことがけっこうある。

イラスト 白岩玄

 

 一方で、息子は今、恐竜に夢中で、ぼくらが驚くくらいに詳しい。文字はまだ読めないはずなのに、絵を見ただけで何の恐竜かを的確に答えるし、毎日のように分厚い恐竜図鑑を眺めては、新しい恐竜の名前を覚えている。人間には情報をインプットする際に、目で見たものを処理するのが上手いタイプ(視覚優位)と耳で聞いたことを処理するのが上手いタイプ(聴覚優位)がいるそうだが、息子は圧倒的に前者なのだろう。恐竜というのは化石に色がわかるような証拠が残っていないため、同じ恐竜でも本や図鑑によって違う色になっていたりするのだが、そういった場合でも微妙な形の違いを見分けているのか「これは○○サウルス」と言い当てたりする。難しい事柄に対する理解も、恐竜がらみなら熱心に覚えようとするようで、恐竜が絶滅した経緯や、化石が発掘されるまでの流れを、自分なりの言葉で説明しようとしてくれたりもする。

 息子は三歳だが、もうまもなく四歳になるので、この状況をどう考えるかは人によるだろう。同じ歳の子はもっと普通に喋っている子もいて、周りは「全然大丈夫だよ」と言ってくれるが、ぼくも妻も、まったく心配していないと言うと嘘になる。ついついよその子と比べて、もう少し喋れるようにならないかなと思ってしまうこともあるし、この四月からは年少組になるので、活動の内容によってはついていけないこともあるかもしれないなと不安に思うこともある。

 ただ、とりあえず現時点では、今のまま様子を見るつもりでいる。そう思えたのには理由があって、ひとつは、妻もそれでいいんじゃないかと同意してくれたからだ。同じ子どもを育てる上で、もう一人の保護者である妻と意見が一致すると、不安はかなり軽減される。ときに意思疎通がうまくいかないこともある息子との接し方も、そのつど話し合って足並みを揃えることで、息子も「お父さんもお母さんも同じことを言っているな」と思うことができるだろうし、何より言葉の発達の遅れという問題から生じる、あらゆる心配事を一人で抱えなくて済むようになる。人によってはそんなの当たり前のことだろうと思うかもしれないが、夫婦というのは考えが一致しないことも多いので、これは地味に大きいことだと思っている。

 もうひとつは、息子を見ていると、言葉自体はおぼつかないが、それは技術の問題であって、伝えたいことはしっかりとあるんだなと感じるからだ。ぼくは仕事柄(なのかどうかはわからないが)、うまく言えないことに対してかなり寛容というか、実際に言葉にできるかどうかよりも、自分の中に伝えたい思いや気持ちがちゃんとあるかどうかを重要視するところがある。それは結局、その思いや気持ちが文章の根幹になるからなのだが、子どもの言葉も、ある部分では同じように考えていいんじゃないかと思っているのだ。特に複雑な感情を他人に伝える際は、的確に言葉を使いこなすのももちろん大事ではあるけれど、そこに思いや気持ちが詰まっていないのなら、それは形だけの言葉になってしまう。大人になればわかることだが、形だけの言葉というのは、使い続けていると心がカラカラに乾いていってしまう。ぼくらの心が潤って、嬉しくなったり、幸せを感じたりするのは、やはり溢れてくる気持ちをなんとか言葉にしようとするときだし、そういう瞬間こそ、人の言葉には力が宿って、聞く側も言葉以上の何かを受け取ることができるような気がする。

 だからぼくは、息子が一生懸命自分の知っている言葉を使って何かを伝えようとしているのを見ると、意味がよくわからなくても「いいぞ」と思う。息子の目を見れば、彼の内側に何らかの思いがあるのは明らかだから、今はうまく伝えられなくても、その思いの方をなくさないようにしてほしいのだ。それに、ぼくも親として、いい加減に話を聞いたり、「何を言っているかわからない」とあしらったりせずに、相手が聞いてくれると信じて懸命に話そうとする息子のこの純真さを守ってやらないといけないだろう。親の邪険な態度は、子どもの他人を信じる心を簡単に奪ってしまいそうな気がするから、特に気をつけたい。

 息子の恐竜好きを見ていると、手持ちの言葉では表しきれないほどの大きな気持ちを持ってくれているのがわかってぼくは嬉しくなる。それはたとえ言葉として外に出て行かなくても、図鑑を毎日眺めたり、大好きな恐竜のフィギュアで楽しそうに遊んだりすることにつながっているのだろうし、博物館で恐竜の化石を見たときに「すごい!」と指を差して興奮するのも、息子の中に蓄積された思いがあるからだろう。いつか今よりもずっと流暢に話せる日が来るのかもしれないが、たとえそのときが来たとしても、言葉以上の思いや気持ちを持ち続けられる子でいてほしい。

 長くなってしまうが、息子の発育のことで、もうひとつだけ書いておきたい。

 言葉の遅れ以外で言うと、集団行動についても息子は苦手な方だと思われる。以前通っていた保育園で、園からそのことで面談を申し込まれたことがあって、それはけっこうぼくと妻にとって大きかったというか、ちょっとショックだったのだ。園からは、他の子に比べて集団行動ができていない、直接声をかければ聞くものの、子どもたち全体に声をかけると息子だけ指示を聞いていなかったり、他の友達に釣られてなんとなくついていったりしているようだと言われた。おまけに切り替えが上手にできなくて、今やっている遊びをすぐにやめられなかったり、やめさせようとすると泣いて怒ったりもするようだった。

 親としては、多少のマイペースさは個性だとみなして、目をつぶってやりたい気持ちはある。ただ、集団行動にかんしては、言葉の遅れの問題と違って、ぼくらの考えだけを主張するわけにもいかない。保育園に預けている以上、子どもの安全を守るためにどうしても集団行動は必要になってくるからだ。たとえば散歩のときは、みんなで取っ手のついたひもを握って、列から離れないように歩かなければならないのだが、そういったときに個人のマイペースさを許してしまうと、取り返しのつかない事故につながる恐れがある。

 だからどうしたものかと夫婦で悩んでいたのだが、これについては、引っ越しに際して転園をしたことで多少改善された感があるので、同じような境遇にいる人の参考になるかどうかはわからないが書いてみたい。

 そもそも引っ越し自体は、コロナによって何かとリスクが高くなった都会での暮らしから距離を置くためのものだった。もともとは名古屋に住んでいたのだが、ぼくと妻はどちらもリモートワークをすることができたので、何もわざわざ人の多いところにいなくてもいいなと思い、妻の実家がある同じ愛知県の田舎の方に引っ越したのだ。

 ただ、前述した通り、前の保育園で面談を申し込まれたくらいだったから、新しい保育園でうまくやっていけるかどうか心配はしていた。でも、転園したのが息子の語彙力や他人への興味がぐっと伸びたタイミングと重なったからなのか、あるいは今の園がたまたま本人に合っていたからなのか、担任の先生から、特に気になるところはないし、前からこの園にいたんじゃないかと思うくらいなじめていますと言われた。ぼくらも驚いて最初は半信半疑だったのだが、実際息子は慣れていない場所に突然連れてこられたにもかかわらず、泣いてぐずるようなことはなかったし、保育園が楽しいと言っていた。いったい何が違ったのかはいまだにわからないのだが、たぶん今の園の方が規律がゆるいというか、普段の活動の中で集団行動を求められる割合が低いのだろう。あと前の園では、比較的喋れる子たちのあいだで、すでにコミュニティーができてしまっていて、そのときはまだあまり喋れない上に他の子にも興味がなかった息子は、うまくその輪に入れずに一人でいることが多かったのだが、今の園では語彙力が増えたことで、自分から他の子を誘ったり、遊びに混ぜてもらったりできるようになって、友達意識が芽生えたため、一人でいるよりもみんなといる方が楽しくなり、集団で動きやすくなったのかもしれない。

 どちらもぼくの勝手な予想に過ぎないが、子どもの発育に合った環境というのは、やっぱり大事なのかもなと思った。仕事や家の事情など、家庭によって限度はあるだろうが、うちの場合は引っ越して良かったし、今後も合わなくなったら息子が過ごす場所を変えることを検討してもいいのかもなと考えてはいる。

 とはいえ、これは偶然うまくいった保育園での小さな変化で、危なっかしい面はまだまだある。息子はここのところ、朝、車に乗る際に、自宅から駐車場までの20メートルほどの道を「よーいどん」することにハマっている。駐車場は車が出入りする場所なので走らないでほしいと何度も言っているし、ときには強く叱ったりもするのだが、どうしても走りたい気持ちが勝つようで、息子が一人で走っていってしまったところに、ちょうど車が入ってきて、ひやっとしたこともある。

 ただ、一方で、息子が以前よりもずっと社交的になったのは事実だ。保育園でもよく友達と遊んでいるみたいだし、少し前に受けた三歳半健診でも、特に何も指摘されなかった。キリンを含んだ絵を見せられ、この中で首が長い動物はどれかと訊かれて「ブラキオサウルス(首の長い恐竜)」と答えてしまう一幕もあったが、療育が必要かどうかを臨床心理士に相談しても、今見る限りは大丈夫そうだから、とりあえずこのまま様子を見ればいいのではないかということだった。

 悩んだり、安堵したり、簡単ではない子育てだけど、息子が毎日楽しく過ごせるのが一番だということに違いはない。大きくなるにつれ、またいろいろと状況が変化することもあるだろうが、そこだけは変わらずにいたいものだ。

 

 

 

 

 

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著者

山崎ナオコーラ

1978年福岡県生まれ。2004年『人のセックスを笑うな』で文藝賞を受賞し、デビュー。小説に『美しい距離』『リボンの男』、エッセイに『かわいい夫』『母ではなくて、親になる』『むしろ、考える家事』など。

白岩玄

1983年京都市生まれ。2004年『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、デビュー。小説に『空に唄う』『ヒーロー!』『世界のすべてのさよなら』『たてがみを捨てたライオンたち』など。

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