ミルクとコロナ

白岩玄と山崎ナオコーラの往復・子育てエッセイ『ミルクとコロナ』第12回 ブロックと田舎での暮らし

2004年、『野ブタ。をプロデュース』でデビューした白岩玄さん。同じ年『人のセックスを笑うな』でデビューした山崎ナオコーラさん。ともに20代で文藝賞を受賞し、作家活動をスタートした二人が、子どもの誕生をきっかけに、まるで手紙のやりとりをするように、育児にまつわるエッセイの交換を始めた。

互いに第二子の誕生を挟んで、ゆっくりと4年もの歳月をかけて綴られた往復エッセイ。それらはコロナ以前、およびコロナ下の育児を記録しながら、日々の身の周りの出来事を通して、社会の問題を考えるものになった。

コロナ下での生活が長引く今、2020年の年末から2021年6月までに書かれた「アンダー・コロナ」の部分を、特別公開します!

 

  第12回 ブロックと田舎での暮らし

 山崎さんのお子さんとの家での過ごし方が本当に充実していて、こんなにも家の中で豊かに遊べるものなのかと驚いた。

 うちは賃貸のアパートなので、家の壁に絵を描いたりすることはできないし、砂場を作れるような庭もない。まぁ住んでいるのが田舎だから、東京に比べるとかなり安い家賃でそこそこの広さの部屋を借りられるのだが、逆に田舎は周りがみんな持ち家で、庭付きの広い家に住んでいたりするので、感覚として自由のきく家に住んでいると感じることはあまりない。

 おまけにうちは二階で、下に人がいるので、騒音を気にして遊び方を限定してしまうことも少なくない。走り回るのを放置することはできないし(といっても走ってしまうのだが)、休日の朝早くや夜遅くなど、時間帯によっては大きな音を立てないように、遊びそのものをうるさくないものに変えたり、下に響かないように分厚いラグの上で遊んでねと息子にお願いしたりすることもある。ちょっと気にし過ぎなのかもしれないが、以前住んでいたところで苦情を言われたことがあるので、自分たちが窮屈にならない程度には気をつけるようにしている。

イラスト 白岩玄

 

 そんな中で、ぼくが家遊びとして息子とよくやっているのがブロック遊びだ。もともとぼく自身も、子どもの頃からレゴブロックが大好きで、大人になってからも大人用のちょっと高いレゴを買って組み立てたりしていたので、息子も好きになってくれたらいいなと思い、最初は二歳の誕生日に幼児用のレゴデュプロをプレゼントした。デュプロは普通のレゴよりもひとつひとつのパーツが大きいから小さい子でも扱いやすい。

 息子は始めこそそんなに興味を示さなかったが、基礎板という土台になる正方形の大きな板を買ってやると、そこにブロックを自由に積み上げていくのが面白かったらしく、自分から進んでやるようになった。作ったものをぼくや妻に褒められたり、自分なりに試行錯誤しているうちに、毎日必ずブロックをするようになり、保育園でも上手に作って先生たちから驚かれたことで、ますますハマっていったみたいだ。ぼくも自分が好きなせいで、財布のひもがついゆるくなってしまって、新しいセットを次々と買い与えた。今では大きなボックス二つと引き出しひとつを占領しているのでかなりの量だ。

 最近は、組み立て説明書を見ながら作ることもできるようになったので、新しく買ったセットは、ぼくが横について一緒に組み立てるのだが、やっぱりブロックは自由に作るのが一番だ。最初に作るものを決めて、たくさんあるパーツの中から良さそうなものを選びながら組み立てていると、そこには自然と自分なりの設定ができてくる(ここはキッチンで、ここは駐車場というふうに)。

 ぼくが一緒にやるときは、たいてい「パパは○○を作って」とお題を出されて別々に作り始めるのだが、自分のを作ればそれで終わりというわけではない。息子の作るものを横目で見ていて、ブロックを高く積み上げる際に、不安定で崩れそうだなと思ったときは、そっと支えになるようなブロックをあてがって補強してやる。崩れるのも勉強ではあるのだが、いい感じに作れているときは、崩れてしまうと落ち込んだり、やる気を失ってしまうことがあるので、状況を見て手助けをしている。

 それから息子が一人で遊んでいて、何かのパーツが見つからないと言われたときは、仕事や家事をしていても、中断して一緒に探すようにしている。たとえ片づけるのが面倒でも、すべての箱をひっくり返して、そのパーツを見つけ出す。なぜなら探しているパーツがあるときは、息子の中に作りたいもののイメージがあるときだからだ。イメージを実現させてやると、そこが作品の肝になったり、息子のお気に入りの部分になったりする。だから見つかるまで探すし、もし見つからなかった場合は、どういうふうにしたいのかを息子に聞いた上で、代用できそうなパーツを探して提案する。ブロック遊び(というかモノづくり)は、自分がイメージしたものを作れたという成功体験を重ねることが大事だと思うので、時間を取られることもあるが、そこには労を惜しまないようにしている。

 遊び終わったブロックを片づけるときも、一応組み方をチェックする(忙しくて、とにかく片づけるだけになることも多いのだけど)。ときどきこれまでになかった新しい組み方をしていて、こういうことができるようになったんだと成長を感じることがあるし、ときには、ぼくが以前作ったものを参考にして、まったく同じ組み方をしていたりするので、よく見ているなと感心する一方で、こんなふうにまねされるのなら、手を抜いたものは作れないなとも思う。

 でも面白いのが、こういったブロック遊びの付き合い方が、ぼくの場合、すべて父の受け売りであることだ。六歳のときに亡くなった父は、喫茶店をやっていたのだが、ぼくが店の一角で段ボールやボール紙で工作するのを仕事の合間によくみてくれた。小さい子どもには難しいところを手伝ってくれたり、できあがったものを褒めた上で、ここはこうした方がいいと具体的なアドバイスをしてくれた。父はものを作ることに対してはいつも真剣で、子どものやっていることだからと妥協したりはしなかった。

 別にそれを模倣しているつもりはないのだが、父がしてくれたのと同じことを無意識に息子にやっている。でもそういう親は案外多いのではないだろうか。いずれにしても、ぼくが父の遊び方をなぞっているということは、息子も同じことを自分の子どもにしてあげるかもしれないわけで、そう思ったら、今自分がしっかりと遊んでやるのは、まだ見ぬ未来の子どものためにも大事なのかもなと夢想することもある。

 家遊びについては、他に特筆するようなことがない。もちろんブロック以外にも、お絵描きや人形遊び、ままごと、ねんど、絵本の読み聞かせなんかもするのだが、どれもごく普通のやり方で、他の家と違いがあるようには思えないのだ。

 ただ、田舎に移り住んでからは、外遊びが充実していて、特に自然と触れ合う機会がぐっと増えた。川には大きな鯉や亀が泳いでいるし、公園で椎の実を拾ったり、散歩中につくしを摘んだりすることもある。冬から春にかけては、いたるところに菜の花が咲く。一度車で、見渡す限りの菜の花畑を見に行ったのだが、息子はどこまでも続く黄色い花畑を目を細めながら歩き、てんとう虫を見つけて手の平の上を歩かせていた。

 あとは海が近いので、つい先日も保育園の帰りに家族みんなで遊びに行った。一応、海水浴場ではあるのだが、夏以外はたいてい人がいないので、砂浜一帯が貸し切りになる。

 息子はもう慣れたもので、すぐに砂遊びを始めていた。手や足を埋めたり、海の水を子ども用のバケツですくってきて、掘った穴に流し込んだりしている。もうすぐ一歳になる下の子も、初めて連れていったときは怖がって浜に降りようとしなかったのだが、今回はまったく大丈夫で、砂を握ってその初めての感触を楽しんだり、砂浜をずっとはいはいしていた。最近は手を引いてやると歩くので、波打ち際を裸足で歩かせてみたのだが、わずかに沈み込む足の裏の感触が気持ちいいのか、すぐ近くで寄せては返す波が面白いのか、終始ご機嫌だった。

 他にも、流れ着いた流木の細枝を使って、巨大な書き初めをするみたいに砂浜に絵を描いたり、大きな石やきれいな石をたくさん探し集めて石屋さんごっこをしたりした。恐竜が大好きな息子は、自分で見つけた二つの大きな石が、ティラノサウルスとスピノサウルスの化石に似ていると言って、ずっと大事に持っていた。 

 岩の隙間にはイソギンチャクもいた。今住んでいる田舎は妻の地元なのだが、子ども時代をずっとそこで過ごしただけあって、妻は自然と触れ合うのがぼくよりも上手だ。そのときも、イソギンチャクをつつくと海水を噴き出すんだよと教えてくれて、実際にやってみた息子が驚いていた。

 子どもがいると、やっぱり外遊びができるのはすごく助かる。去年、名古屋に住んでいたときは、初めて緊急事態宣言が出されて保育園を自粛していた時期だったこともあって、毎日子どもたちと家の中にいるのがつらかった。当時は今よりも狭いアパートに住んでいて、ぼくも妻もその家があまり気に入っていなかったし、階下から物音がうるさいと苦情を言われたばかりの頃だったので、子どもがたてる音にもかなり敏感になっていた。家遊び以前に家の居心地が良くなくて、外遊びをしようにも、行けるのは近所の公園くらいだった。息子や生まれたばかりの娘は、そんなにストレスを溜め込んでいる様子はなかったが、ぼくと妻が精神的に疲弊して、心に余裕を持つことができなかった。

 ぼくら夫婦は、どれだけ家に引きこもっていてもあまり不自由を感じないタイプなのだが、子どもがいると話は別だ。気持ちにゆとりを持つためには、ある程度外に出ることが必要だし、子どもたちがめいっぱい外で遊んだあとは、そうすることでしか得られない充実した疲れを感じる。だからこれからも外遊びは欠かさないと思うのだが、ぼくらがもともと家が好きなのだとしたら、息子ももう少し大きくなったら家にいたいと言うようになるのだろうか? まぁそのときはそのときで、息子の意思を尊重するしかないだろう。

 家遊びが推奨される世の中ではあるけれど、外遊びが必要なすべての人が、早く外で気楽に遊べるようになれればいいなと思う。苦手な遊びをしていても、リフレッシュになんかならないからだ。

 

 

 

 

 

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著者

山崎ナオコーラ

1978年福岡県生まれ。2004年『人のセックスを笑うな』で文藝賞を受賞し、デビュー。小説に『美しい距離』『リボンの男』、エッセイに『かわいい夫』『母ではなくて、親になる』『むしろ、考える家事』など。

白岩玄

1983年京都市生まれ。2004年『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、デビュー。小説に『空に唄う』『ヒーロー!』『世界のすべてのさよなら』『たてがみを捨てたライオンたち』など。

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