ミルクとコロナ

白岩玄と山崎ナオコーラの往復・子育てエッセイ『ミルクとコロナ』第16回 ネイティヴ

2004年、『野ブタ。をプロデュース』でデビューした白岩玄さん。同じ年『人のセックスを笑うな』でデビューした山崎ナオコーラさん。ともに20代で文藝賞を受賞し、作家活動をスタートした二人が、子どもの誕生をきっかけに、まるで手紙のやりとりをするように、育児にまつわるエッセイの交換を始めた。
互いに第二子の誕生を挟んで、ゆっくりと3年半もの歳月をかけて綴られた往復エッセイ。それらはコロナ以前、およびコロナ下の育児を記録しながら、日々の身の周りの出来事を通して、社会の問題を考えるものになった。
コロナ下での生活が長引く今、2020年の年末から2021年6月までに書かれた「アンダー・コロナ」の部分を、特別公開します!

 

 第16回 ネイティヴ

 今の小さい子どもたちが「マスク・手洗いネイティヴ」というのは、本当にそうだなとぼくも思う。一歳になったばかりのうちの娘は、生まれてからずっとマスクと手洗いが当たり前の世の中で生きている。なにしろ出産のときでさえ、立ち会いと面会ができなかったくらいなのだ。娘が人の顔を見るときには、常に口元にマスクがあっただろうし、ひょっとしたら、人の顔にはもともとマスクがくっついているものだと思っているかもしれない。

 娘は移動がまだハイハイなので、外から帰った際は必ず念入りに手洗いをするようにしている。それが習慣づいてきたからなのか、最近、ままごとのキッチンセットの蛇口で、手を洗うまねをするようになった。もともとまねっこが好きで、手遊び歌なんかも上手にやるから、そのうち山崎さんのお子さんと同じように、マスクを着けるまねもするようになるかもしれない。このくらいの年齢の子どもは、日常的に目にするものをどんどん吸収していくから感心する。

 

イラスト 白岩玄

 

 そういえば、マスクの着用が当たり前になったことが、子どもの発達を阻害するのではないかという記事をネットで読んだことがある。特に一歳くらいまでの乳幼児は、大人の表情から喜怒哀楽を学ぶ際に、目鼻口の三点が見えていることが重要らしい(でないと顔だと判断しにくいようだ)。それを思うと、たしかにうちの娘は、コロナ禍より前の同じ月齢の子よりも、大人たちの目しか見えていないことが多かっただろう。

 ただ、実際に一歳の娘を育てていて、そういったことがどれだけの影響を及ぼしているのかは正直よくわからない。今のところ、娘の発達に問題を感じたことはない。彼女はよく笑うし、人見知りではあるが、慣れた人にはとにかく愛想がいい。マスクで口が覆われていると、口の動きもわかりにくいと思うのだが、言葉が出るのも早くて「アンパン(マン)」「ポッポ」「パパ」「マンマ」「ぶーぶー」「あった」「はーい」「じゃーじゃー」「ないないばぁ」など、息子が同じ月齢だった頃よりも、はるかに喋ることができる。もっともそれは、個人差が大きいのだろう。口元が覆われていることにかんしても、ぼくと妻が基本的に家の中ではマスクをしないことが多いから、影響が少なかったとも考えられる。

 それに、この前、妻が言っていてなるほどなと思ったのだが、たとえば、イスラムの一部の女性は日常的に顔を覆って目の部分しか出さないようにしているが、そこで育った子どもたちが人の表情を読むことが不得意だという話は聞いたことがないから、どこまで本当なのだろうという気持ちもある(もっとも、自宅では着けなくていいようなので、そういう意味では、今の我が家と同じ程度の顔の見えなさなのかもしれないが)。

 いずれにしても、まだしばらくはマスクをせざるを得ない状況なのだから、そこは前提とした上で育児をしていくしかないだろう。でもぼくは、割と楽観視しているというか、マスク・手洗いネイティヴ世代の子どもは、案外たくましく生きていくのではないかとも思っている。

 というのは、デジタルネイティヴ(生まれたときからインターネットがあった)世代の子たちを見ていると、やっぱりネットとの触れ合い方が上の世代とは全然違うように感じるからだ。ぼくはまったく詳しくないが、TikTokなどのSNSを見ていても、自分を表現するツールとしてうまく使いこなしている子が少なくない。なんというか、そこにはネイティヴならではの「身軽さ」のようなものがあって、高校生までネットで検索すらしたことがなかったぼくのような世代には、到底理解できない情報のやり取りが行われているように見えるのだ。もちろんそこにある種の危うさを感じることもあるのだが、それよりははるかに大きい前向きなエネルギーが彼らの中を行き来しているように思える。

 そう考えたら、マスク・手洗いネイティヴである娘の今後も、決して悪いことだけではない気がするのだ。たとえ弊害があったとしても、彼女はぼくらとは違った形で、うまくコミュニケーションを取れるようになるかもしれない。たとえば、目のわずかな動きや、声のトーンや、その人が醸し出す雰囲気だけで相手の感情を察知できるようになるかもしれないし、恋愛において、手をつないだり、キスしたりすることがぼくらの頃よりもずっと特別なものになるかもしれない。

 素人考えの理想論だろうか。でも何か、それくらいの可能性は信じてもいいように思うのだ。人はどんな状況下でもよりよく生きる術を見つけるものだし、親であるぼくらも、マスクを着けたり着けさせたりしていることに変に不安になったりせずに、普段通りの自分でいられる気がする。

 というわけで、一歳の娘にかんしては、まだ赤ん坊である分、いろんな可能性を感じてしまうのだが、今月で四歳になる息子の方は、もう少し現実的な問題があったりもする。彼はおよそ一年前まで、日常的にマスクをしない世界で生きていた。だから手洗いはともかくとして、マスクは生活の中に新しく入ってきた異物という感じで捉えたようで、最初の頃は着けるのをかなり嫌がった。息苦しいし、邪魔だし、においもあまり好きではなかったみたいだ。

 いつだったか、水族館に行った際も、三歳以上はマスクを着用してくださいと言われたのだが、息子はマスクを嫌がって、引っ張って取ろうとしたので、良くないとは思いながらも、入口でだけ着けさせて、館内では外させてもらった。当時、息子は保育園の二歳児クラスで、マスクの着用を免除されていたため、家でも着ける練習をしていなかったことも原因ではあるのだが、そのときは何度着けさせても、むしり取ってポケットにしまってしまうので、どうしようもなかったのだ(だったら入場をやめればいいというのはその通りで、強行したのはぼくの甘えだ。申し訳ない)。

 ただ、そんな息子も、保育園で同じ組の子たちがみんなマスクをするようになると、自分も着けたいと言い出した。それで彼の大好きな恐竜の絵がプリントされたマスクを買ってやると、これまで嫌がっていたのが嘘みたいに喜んでするようになった。今では休日に家族で出かけるときでも、マスクを着けてねと言うとすんなり着けてくれる。

 本当に、保育園の力というのはすさまじい。息子はトイレトレーニングも家では全然できなくて、おだててもご褒美で釣っても断固としてオムツをやめず、ぼくも妻も困り果てていたのだが、保育園でみんながトイレでしているのを日常的に見ているうちに抵抗感がなくなったのか、出なくても便器には座ってみたりするようになり、あるとき成功した際に、先生や友達みんなに褒められると(ものすごい拍手を受けて、ハイタッチしたらしい)、それ以降普通にトイレでおしっこができるようになった。だからトイレトレーニングと同じく、息子がマスクを着けられるようになったのは完全に保育園のおかげで、集団行動の力ってすごいなとつくづく思う。

 マスクの弊害についてはどうなのだろう。学校では、マスクをしていることで教師や生徒間のコミュニケーションが以前のようにスムーズにいかず、難しさを感じることがあるそうだが、通っているのが田舎の保育園だからか、マスクを外して過ごすことも多いようで、今のところ目に見えるような問題にはなっていない。小学校に上がって、コミュニケーションが複雑になったりすると、息子も不自由さを感じるようになるのかもしれない。

 いずれにしても、娘と同じく、悪いことばかりではないと信じたいものだ。でも、もし子どもたちが困ったときは、大人の自分ができる限りサポートしてやりたい。ぼくはマスクも消毒も一切必要がない子ども時代を過ごせたわけだし、そのありがたみは、マスクを着けている今の子どもたちに還元すべきだと思うからだ。

 

好評連載『ミルクとコロナ』が、本になります!
「ビフォー・コロナ」と現在公開中の「アンダー・コロナ」の2部構成の単行本には、白岩さん、山崎さんの描き下ろしイラストも多数入っています。
3年半にわたってじっくりとやり取りされた38のエッセイを、どうぞお楽しみに!

 

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著者

山崎ナオコーラ

1978年福岡県生まれ。2004年『人のセックスを笑うな』で文藝賞を受賞し、デビュー。小説に『美しい距離』『リボンの男』、エッセイに『かわいい夫』『母ではなくて、親になる』『むしろ、考える家事』など。

白岩玄

1983年京都市生まれ。2004年『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、デビュー。小説に『空に唄う』『ヒーロー!』『世界のすべてのさよなら』『たてがみを捨てたライオンたち』など。

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