ミルクとコロナ

白岩玄と山崎ナオコーラの往復・子育てエッセイ『ミルクとコロナ』第17回 こんな生活の中でのコミュニケーション能力

2004年、『野ブタ。をプロデュース』でデビューした白岩玄さん。同じ年『人のセックスを笑うな』でデビューした山崎ナオコーラさん。ともに20代で文藝賞を受賞し、作家活動をスタートした二人が、子どもの誕生をきっかけに、まるで手紙のやりとりをするように、育児にまつわるエッセイの交換を始めた。
互いに第二子の誕生を挟んで、ゆっくりと3年半もの歳月をかけて綴られた往復エッセイ。それらはコロナ以前、およびコロナ下の育児を記録しながら、日々の身の周りの出来事を通して、社会の問題を考えるものになった。
コロナ下での生活が長引く今、2020年の年末から2021年6月までに書かれた「アンダー・コロナ」の部分を、特別公開します!

 

 第17回 こんな生活の中でのコミュニケーション能力

「マスク・手洗いネイティヴの人の今後は悪いことだけではないのでは?」という白岩さんの文章を読んで、確かにそうだなあ、と思った。
 次世代では、新しい恋愛の感覚が芽生えて、新感覚の面白い恋愛小説も生まれるかもしれない。
 考えてみれば、原始のホモ・サピエンスが服を着始めたときも、「服を着て体を隠されたらコミュニケーションが取りづらい」とか、「服を着ている人との恋愛は難しい」とか思われていたかもしれない。だが、今となっては、服を着ている方がコミュニケーションが取りやすいし、服を着ている方が恋愛できる。
 とはいえ、今、育児界隈では、「この世代はコミュニケーション能力が下がってしまうのでは?」という心配をよく耳にする。
 マスクで顔を隠しながらの会話、黙って食べる給食やお弁当、人との間に距離を作りながらの行動、公園に行っても家族単位での遊びが推奨され他の子どもと遊ばない、そもそも出かける回数が極端に少なくなっている、という、これまでの他の世代とは違う環境で数年(あるいはもっと?)育つことになり、コミュニケーション能力を鍛える機会が減っている。
 どうしたらいいのか? 正直、私も、答えがわからない。
 もともと、コミュニケーション能力の育成に、私は自信がなかった。

イラスト 山崎ナオコーラ

 

 うちにいる五歳児はどうもコミュニケーションがうまく取れないときが多いみたいだな、と感じたのは、二年ほど前のことだった。まず気になったのは、挨拶がなかなかできないこと。
 未就学児は、挨拶ですべてを判断されるようなところがある。「おはよう」「ありがとう」「ごめんね」「さようなら」。これらが言えると「いい子」、言えないと「いい子じゃない」という雰囲気は、どうしても漂う。
 あれ? 言葉はわかっているのに、なんで言わないんだろう? そうか、親の私もあまり挨拶できていなかったのかな。反省しないと……。ものすごく焦った。「親が挨拶をしている姿を見せていれば、自然とするようになりますよ」とみんなが言う。
 一年ほど、いろいろと調べたり、習いごとに通ったり、頑張った。言語能力は発達していて図鑑の話などペラペラ喋るし、こちらが話すことも理解できている。けれども、挨拶だけ改善しない。そうして、いわゆる「アスペルガー症候群」に当てはまるんじゃないかな、と思った。
 数回前の原稿と重なるが、わかりにくいことなので簡単に再度説明させてもらうと、昔は「知的障害」は伴わずコミュニケーションの面での問題を抱えがちな性質を「アスペルガー症候群」と呼んでいたが、今の医療の場所では典型的な特徴のある人もそうでない人も、「知的障害」のある人もない人も、いろいろな人を含めて「自閉スペクトラム症」という広い言葉で捉えるようになっている。最近は「ASD」という頭文字で表されているのもよく見かける。
 そして、「ASDに当てはまるのでは?」と思ったのは私だけで、もうひとりの親も、祖父母も、保育園時代の先生方も、今の幼稚園の先生も、そうとは感じていないようだった。確かに、自閉症の典型的な特徴はない。一対一での会話はスムーズだ。だから、本を開いて「自閉スペクトラム症」のところを読むと「あまり当てはまらないなあ」と感じたのだが、「アスペルガー症候群」について書かれている記事を読んだら「これじゃないのかな」と私は思った。コロナ禍なので病院などに無闇に行かない方がいいのかなあ、焦ることでもないし……、とゆっくりしていたが、いろいろ調べると、やっぱり行った方がいいみたいな気がしてきたので、昨年、行動を開始した。
 親(私)の判断で児童発達支援センターに相談し、病院へ連れていき、受けた知能テストは点数が良くて凹凸も出なかったが、親の主訴から「そういう傾向があると捉えていいでしょう」と医師は診断した。
 私は、発達障害やASDにまつわる書籍やネット記事をよく読むようになった。世間には体験談がたくさんあった。
 よく目についたのは、「受容」に時間がかかることを中心にする描写だ。発達障害に限らず、病気や事故によって自身や子どもに診断名が告げられたときに、最初は泣いたり怒ったりして、「障害」を受け入れるのに時間がかかる。あるいは、診断名を聞いて腑に落ち、逆にほっとする。医師から「お母さん、これまで大変でしたね」などと言われて泣く、といったシーンに重点が置かれている文章やマンガがたくさんあった。
 でも、これらの話が、私にはまったく当てはまらないのだ。今は、もう一歩進んだ話の需要もあるのではないか。とにかく私としては、もう一歩進んだ話が欲しかった。
 今は、インターネットの普及などで情報が増えており、当事者になる前から知識として慣れ親しんでいたり、自分から「これではないかな」と思って受診する人もたくさんいる。また、親からの相談といっても、「育児が大変」ということではなく、より良い教育をするために特性を知りたいという場合もある。
 それから、普通とか普通じゃないとかを気にしない親も増えている。
 あるいは、医師に対し「先生」とか「教えてください」だとかといったことだけを言う、「一般的な患者キャラ」になることが難しい人もいる。

 ちょっとテーマとずれるかもしれないが、私がここのところ気になっていることを書いておきたい。
 育児エッセイを書くことが多かった最近の私に、社会学者や小児科医の方などとの対談の仕事依頼が増えた。相手の方も、編集者や記者の方も、みなさん素敵な方だ。私はこういった仕事に際し、「自分は文学者として、社会学や医療に詳しい人と対談するのだろう」という気持ちで臨んでいた。だが、実際に対談を始めたときの編集者さんや記者さんの反応を見て、「あれ? 私、期待に応えていない?」と感じることが何度かあった。たぶん、私に期待されていた仕事は、「先生、教えてください」「イライラしちゃってつい子どもを叱っちゃうんです。どうしたらいいですか?」といったことを言うキャラに徹することだったのではないか(これは、仕事相手の方が悪かったのではない。学者さんやお医者さんの方は私を作家扱いしてくださって恐縮だった。編集者さんや記者さんは拙著を読んで準備したり完璧にセッティングしたりと仕事ができる方だった。つまり、社会全体の空気に私がここで気がついた、という話だ)。
 こういうことを感じているのは、きっと私だけではない。
 育児者は「教えてくださいキャラ」だと社会的に捉えられている(もしかしたら、育児者の性別によって扱われ方が違ってくることもあるだろうか?)。
 いや、もちろん、医療を受けるとき、教育を受けるとき、私も相手を「先生」と呼び、素直に教えを乞い、尊敬や感謝を抱く。だが、「個性を消した弱者キャラ」になろうとは思えない。
 私は、発達障害の診断のためにひとつ目の病院に行ったとき、事前に提出する書類に「現状、本人も困っていないし、親も大変さを感じていないのですが、小学校に上がったときのために今からできることがあるのではと、早めに対策したいと思いました」「幼稚園からは何も言われていないのですが、私がそうかなと感じました」と書いて出したのだが、いざ診察を受けると、まず「お母さん、大変でしたね」「幼稚園でも困っているでしょうし」というセリフが医師から出て、「あれ?」と思った。「大変ということではなく……」と説明を試みたが、会話は最後まで噛み合わなかった。どうして伝わらないのだろう、と考えるに、おそらく、型にはめられているんだな、と……。
 医師を責めたいわけではなく、型にはまらないといけないんじゃないか、「世間から求められる親キャラ」の仮面をかぶって病院や療育に行かなければ、と、つい育児者が思ってしまうような状況が育児シーンには多いのだ。でも、はまらなくてもいいんじゃないかな……。
 微妙な話なので、気にしない人には理解しにくい話かもしれないのだが、気になっているのはおそらく私だけではないだろう、意外と少なくないのでは? と思い、ここに書いた。
 
 今、発達障害は増えている。それは当事者が増えているということではなく、診断が増えているということだ。十年前だったら何も診断されず、通常の教育のみを受けていた人が、今は診断を受けたり、療育や特別支援教室などに申し込んだりすることがある。それには賛否があるが、私個人としては「いいことなんじゃないかな」と思っている。
 うちにいる五歳児も、十年前だったら特に何も配慮されることはなかっただろう。勉強に支障はないような気がするし、大きな問題を起こす感じでもない。でも、うちにいる五歳児の場合、診断名をもらうことは人生にプラスになるだろう、と私は考えた。まず、ASDの場合、療育は早い時期から受けた方が効果があるという。また、自分の特性を知っておくことで二次障害を防げるという(今後、学校や職場などでコミュニケーションがうまく取れず、「どうして自分はうまくできないのか」と悩むことがあるかもしれない。自身の特性を知らない場合、理由も対処法もわからず、自己肯定感が著しく下がったり、うつ病などの二次的な精神疾患を抱えたりして、生きにくくなることがあるらしい)。
 でも、これは私個人の考え方なので、みんなそれぞれ、自分の信念で進むのがいいと思う。

 今回の原稿は、「コロナ禍におけるコミュニケーション能力についての話」を書こうとしていた。この話題では、「こういう工夫で能力を伸ばせる」などのアイデアの需要があるに違いないのだが、それこそ学者や医師の方がそれは供給できるだろうし、文学者の仕事ではないだろう。
 個人の話を書かなくては。
 発達障害の当事者でなくても、こういった話に興味がある人は多いと予想する(現に、私も当事者でなかった頃から興味があった)。
 とにかく、私の場合は、子どもの特性をきっかけにコミュニケーション能力のことを考えるようになった。
 今は、学力よりもコミュニケーション能力を重視される時代だ。
 昨年、病院や療育通いを始める前の私は、挨拶、挨拶、挨拶と思っていた。
 挨拶できなければ生きていけない、と頭を抱え、コロナ禍の外出自粛でさらにコミュニケーション能力が下がると懸念した私は、「動画を見る前には必ず、『おはよう』『ありがとう』『ごめんね』『さようなら』と言う練習をしなければならない」というルールを作った。ファストフード店でアルバイトをしていた頃、フロアに出る前に接客用語の発声練習をしていた。それみたいにやった。子どもが復唱できたら、「よし、観ていいよ」と動画を流す。数ヶ月やった。だが、だんだんと「こんなことしていいのかな」と心が痛むようになり、やがて「どうも間違っているな」と感じ、やめた。
 挨拶って何? コミュニケーションって何? 自分自身がもっと根本的なところを考え直さなければいけない、と思い至った。

 現在、一番感じていることを書くと、こうだ。
「おはよう」「ありがとう」「ごめんね」「さようなら」が言えなくても、「いい子」だ。
 療育を受けさせたい。それは決して、「普通と違っているせいで困ったり大変だったりしているから、普通になるように治したい」と思っているわけではない。
「特性を知り、自分に合った教育を受けて欲しい。周囲を傷つけることなく、自分も大事にして、生きていって欲しい」と願っている。

 もちろん、挨拶しなくていいとは思わない。挨拶できるなら挨拶した方がいいに決まっている。でも、みんながみんな、同じように成長して、同じような挨拶ができる子どもになるわけじゃない。多様な成長がある。
 コミュニケーションは、挨拶という型だけでしか行えないわけではないだろう。
 挨拶なしでいきなり図鑑の恐竜の話を始めるのは相手に失礼かもしれないが、性格が悪いせいでそう喋っているのではないはずなので、「こういう形のコミュニケーションなんだ」と捉えてもいいのではないか。失礼にならないようにするにはどうしたらいいのか、本人も私もまだ見えていないが、療育を受けているうちに、何かが見えてきたら嬉しい。

 五歳児が通う幼稚園では、先生方が、子どものことを「人」と呼ぶ。「〇〇な子」と言いがちなところを、「〇〇な人」と言う。たとえば、保護者への報告のとき、「今日は、恐竜ごっこで遊んでいる人や、忍者ごっこで遊んでいる人がいました」といったふうに、「子」で表現しそうなセリフを、必ず「人」と言う。たぶん、意識的に言っていると思う。それと、先生が自身のことを、「私」と言う。こういう仕事の人は子どもと話すときに主語を「先生」にしがちだと思うのだが、「私」で喋っている。たとえば、「先生は好きだなあ」と言うところを、「私は好きだなあ」と言う。

 子どもも人間だ。教育相手として関わっているだけでなく、人と人としても付き合っている。私もできるだけそうしようと思う。子どものコミュニケーション能力を育成できる、と考えていた私はおごっていた。まずは、自分自身に「コミュニケーションとは?」と問い直さなくては。そして、子どもと人間関係を築かなければ。

好評連載『ミルクとコロナ』が、本になります!「ビフォー・コロナ」と現在公開中の「アンダー・コロナ」の2部構成の単行本には、白岩さん、山崎さんの描き下ろしイラストも多数入っています。3年半にわたってじっくりとやり取りされた38のエッセイを、どうぞお楽しみに!

 

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著者

山崎ナオコーラ

1978年福岡県生まれ。2004年『人のセックスを笑うな』で文藝賞を受賞し、デビュー。小説に『美しい距離』『リボンの男』、エッセイに『かわいい夫』『母ではなくて、親になる』『むしろ、考える家事』など。

白岩玄

1983年京都市生まれ。2004年『野ブタ。をプロデュース』で文藝賞を受賞し、デビュー。小説に『空に唄う』『ヒーロー!』『世界のすべてのさよなら』『たてがみを捨てたライオンたち』など。

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