嵐の中を突き進む、小舟の出版航海記――三島邦弘 著『パルプ・ノンフィクション』

 2006年のミシマ社設立以来、出版界で異色の存在感を放ってきた三島邦弘さん。6年ぶりとなる待望の3冊目の単著には、三島さんの人間力の凄みが凝縮されている。出版不況の逆風のなか、「一冊入魂」「原点回帰」という理想を掲げ、その信念を貫いてきた「孤高の人」。三島さんには、そんなイメージがある。もしくは、時代の空気を敏感に感じとり、奇抜な発想で本づくりの新境地を切り開く「直観」と「ひらめき」のカリスマ編集者。

 でも本書に刻まれるのは、それとはまるで違う人間・三島のリアルな姿だ。理想と現実のはざまで苦悶し、自問自答をくりかえす。あらたなアイディアや発想が思い浮かんだ瞬間、「いや、そうじゃない!」と、さっと距離をおいて自分を客観視する。思い込みや思い上がりの罠に落ちていないか? 高速で自己点検して、軌道修正する。

 よき経営者とは、立派なリーダーシップのある強い意志の人ではない。そう感じさせられる。いや、たぶん会社を「経営」するだけなら、それでもいい。でも三島さんがやろうとしているのは、出版社の「経営」ではない。なんのために紙の本をつくって世に出すのか? この時代にその営みをつづける意味を問いながら、ミシマ社を運営している。それはより困難な道だ。そもそもなぜ会社はあるのか? なんのために働くのか? そんな根本的な問いと現実に会社を継続していくという難題に、同時にとりくんでいる。そのとき三島さんは、自分の弱さや足りなさに向き合い、ひたすら苦悩しながらも、動きを止めない。「直観」と「ひらめき」の根底に、この考え悩みぬいて動ける力があった。

 本書を読みながら、ずっと三島さんが必死に小舟の舵をとりながら嵐の海を突き進む姿が目に浮かんでいた。三島さんと私は大学のヨット・サークルで出会った同級生だ。琵琶湖で二人乗りのヨットに乗っていた。後ろに座って舵をとるのがスキッパー。前で帆を張り替え、風の勢いで傾く船体のバランスをとるクルー。三島さんが舵を手に、比叡山から吹き下ろす強風を帆で受けとめ、湖面を飛ぶように走る。その後ろ姿は、いつもまぶしかった。

 大学卒業後、大手出版社に勤めていた三島さんは、ひとりで出版社を設立。いつのまにか琵琶湖を出て、大海のどまんなかを航海していた。たびたび新聞や雑誌の特集でとりあげられ、一躍、不況にあえぐ出版界にあらわれた「スター」となる。そのころ三島さんに会うたびに感じていたことがある。社会の常識に染まって煤けていく自分とは対照的に、信念を貫き、理想をどんどん純化させて、青白い炎のように静かに燃えつづける。その純粋なオーラに、いつもはっとさせられた。

 でも気づくと、小さな出版社だったミシマ社も、東京と京都の2艇の小さなヨットに10人以上のクルーを乗せて走りはじめていた。しかも三島さんがその2艇を飛び移りながら、ひとりで舵をとっている。航海は、けっして順風満帆ではなかった。近くにいたはずなのに、本書を読むまでそのことを知らなかった。青白い炎どころか、真っ赤な顔をして、必死の形相で、もがいていたのだ。それは、純粋な理想を突きつめ、次々と行動に移してきたからこその困難でもあった。

 翌月の請求に支払う現金がない。その切迫感。目前に迫る大波に転覆させられる恐怖。しかも、もう三島さんひとりじゃない。自分の家族も、若いクルーたちの生活も、すべてその舵とりにかかっている。一冊入魂で本を世に送り出すだけでなく、「組織」となったミシマ社をとりしきり、クルーたちがその理想の実現に向けた動きをしているか、つねに目を配り、調整する。

 ヨットには錨がない。風が吹き、潮が流れているかぎり、止まれない。みずから動きながら、会社の舵とりをし、クルーたちを動かし、考え、迷い、苦悶し、行動に移す。理想という名の帆を下ろすことなく……。この本には、その生々しい試行錯誤の過程が、これでもかと赤裸々につづられている。

 

「走りながらしか考えられないのだ。答えがない時代を生きているのだから。そんな時代に生きて、手探りで、先が見えないまま走り、それでも何かをつかもうとして、つかみ、つかんだと思ったら手からこぼれおち、そうしたことをくりかえしながら言葉ができる。できたと思ったら、また思わぬ方向へ動き出す。」(300頁)

 

 2020年1月、ミシマ社の新年会にはじめて参加した。お客さんの車が玄関先につくと、まっさきに飛び出すのは、三島さんだった。つねに社員の動きに目を配り、席があいたり、料理がなくなったりすると、さっと社員に声をかけ、動くよう促す。苦悶の人は、気配りの人でもあった。ミシマ社の強さの秘訣は、いい本を出すことだけではない。書き手との信頼関係を築き、若い社員を育てながら、製紙業も本屋も出版文化も守る。そんな巨大な使命感を一身に背負い、日々、地道な行いを積み重ねてきたのだ。

 本書は、きらきらした薄っぺらなキャッチフレーズとは対極にある、ひとりの出版人の泥臭い漂流ノンフィクションだ。組織を動かすとは? 次の時代をみすえて動く鍵は? さまざまな業界が陥る硬直状態を突破するには? この漂流船に同乗した読者は、きっとそんな難問に立ち向かう三島さんのマグマのような熱に感化され、揺さぶられ、深い思考の渦のなかに引きずり込まれるはずだ。

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著者

松村圭一郎

1975年生。文化人類学者。岡山大学文学部准教授。エチオピアの農村や中東の都市でフィールドワークを続け、富の所有と分配、開発援助等の研究を行う。著書に『所有と分配の人類学』『うしろめたさの人類学』等。

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