「母」ではなくて「親」として、妊娠・出産・育児をしてみると、世界は変わって見えてくる! 周りを照らす灯りのような赤ん坊との日々を描く、全く新しい出産・子育てエッセイ。

母ではなくて、親になる

第1回 人に会うとはどういうことか

第1回 人に会うとはどういうことか

人に会いたい、人に会いたい、と思って生きてきた。
なぜ赤ん坊を育てたいのか? その問いについて深く考えることのないままここまできてしまったが、寂しいからと子どもを欲しがってはいけないのは重々承知しながら、やはり寂しかったのだと思う。

大きくなったら遠く離れていってしまう存在だとはわかっているが、自分の側で燃え上がってくれる小さい人間とほんのひとときでも過ごせたら、その思い出だけであとの人生も生きられるのではないか。おばあさんになったとき、「そういえば、昔、赤ん坊の世話をしたなあ」と目を閉じたりなんかして……。

思い起こせば、独身のときから子どもは育てたかった。
大学を出て、三年ほど会社員をして、二十六歳で作家になった。もともとぶすでモテなかったが、作家になってからはもっとモテなくなった。子どもが産めるなら産みたかったが、相手がいないのにどうやって産んだらいいのかわからなかった(ときどき、「女性の社会進出によって少子化が進んだ」「仕事のキャリアを築くことより、子どもを産むことの方に価値がある、と若い女性が考えを改めれば高齢出産は減る」といった声を聞くが、それは、「若い女性というものは、仕事さえしなければ子どもを産める」ということなのだろうか。その辺りがよくわからない。それはつまり、「子どもを欲しがらない男性を騙し、女性ひとりの判断で勝手に子どもを作って産み育てる」、「今の日本は大黒柱ひとりで家庭を運営することが難しい経済状況だが、女性はキャリアを築くことは意識せずに簡単な仕事をするようにし、生活水準をぎりぎりまで落とし、子どもの進学の可能性は考えずに見切り発車で産む」といったことを推奨されているのだろうか。「たとえ金がなくても、女性は仕事の勉強をするより化粧の勉強をした方が子どもを産み易くなるはずだ」という矛盾することを社会から言われているようで、私には理解が難しかった)。
そうして、子どもの産み方がわからないまま、三十歳を越えた。
三十三歳になって、やっと、「町の本屋さん」で働く書店員と結婚した。優しく、可愛らしい夫だ。結婚してみたら、夫の生活能力が低く、夫の世話を焼くシーンが増えていき、それが意外と楽しかった。「自分は世話好きかもしれない」と思った。夫に金を遣ったり、夫に服や食事を用意したりといったことに、喜びを感じた。子どもの世話も、きっとできる、と思った。
ただ、私は子どもを産みたかったが、子どもと仲良くなることは下手だ。親戚の子どもと会うとき、どう喋りかけたら良いのかわからない。子どものいる場に行くと、まごついてしまう。私は大人とだって、つき合うのが苦手なのだ。友人と会うとき、リーダーシップを取ったり、気遣いをしたりはまずしない。どちらかというと、みんなから自分を気遣ってもらいながら生きてきた。甘えていて、責任感に乏しい。だから、私の母や妹や友人たちは、私を世話好きだとは見ておらず、子どもをちゃんと育てられるのか、と不安に思っているようだ。「どんな風に子どもと接しているの?」とよく聞かれる。
けれども、 私が世話好きというのは、自分としては、たぶん、本当にそうだろうという感じが今もしている。他の人から見てとれるような「子ども好き」「世話好き」という雰囲気は私にはないかもしれないが、私みたいに内向的な世話好きもいるのだ。

今、私の前には二ヵ月の赤ん坊がいる。
赤ん坊のうんちを拭き取ったり、耳掃除や鼻掃除、爪切りをしたりしていると、ふつふつと喜びが湧いてくる。今のところ、おむつ替えや授乳を面倒に思ったことは一度もない。赤ん坊のために金を払うのもわくわくする。なんでもやってやろうと思う。

歌も歌う。ただ、私は声が低い。この間、「ドはドーナツのド、レはレモンのレ……」と『ドレミの歌』を赤ん坊に向かって歌ったのだが、「ソは青い空」のところで声ががさがさになり、喉が痛くなった。「歌の上手い人は三オクターブ出る、下手な人は一オクターブがやっとのこともある」と聞いたことがあるが、私は一オクターブどころか、ド、レ、ミ、ファの四音しか出ないようだ。子守歌を歌うときも、声が掠れる。映画やドラマなどで、主人公が子ども時代を回想するシーンになると、母親が美しいソプラノで子守歌を歌うような音声が流れることがあるが、ああいう風にはまったくならない。『ゆりかごのうた』も『シューベルトの子守唄』も、がさがさの低音だ。それに、歌詞があやふやで、同じ言葉を何度も繰り返したり、勝手に創作したりしていて、非常にくだらない歌になる。
でも、いいや。
私は赤ん坊に対しても、自分らしくないことをする気はない。赤ちゃん言葉なんて決して発しない。母親っぽい声は出せなくていいや、と思う。
妊娠中に、「母ではなくて、親になろう」ということだけは決めたのだ。
親として子育てするのは意外と楽だ。母親だから、と気負わないで過ごせば、世間で言われている「母親のつらさ」というものを案外味わわずに済む。
母親という言葉をゴミ箱に捨てて、鏡を前に、親だー、親だー、と自分のことを見ると喜びでいっぱいになる。
親になれるなんて、とてもラッキーだ。私が赤ん坊と過ごせるなんて、ものすごく嬉しい。自分に世話役がまわってきてありがたい。
人づき合いが下手でも、人に会うのは好きだ。人に何かしてあげる役回りが自分に巡ってきたことが、とにかく嬉しい。

赤ん坊に初めて会ったときは、本当に嬉しかった。
やはり、生まれてから赤ん坊に会った感覚がある。腹にいるときも身近だったし、見えなくても存在していると信じてはいたが、会ってはいなかった感じだ。病院で、「妊娠しています」と言われても、笑顔になれなかった。
正直なところ、腹の中にいるとき、赤ん坊は可愛くなかった。
検診に出かけて病院のエコーで見る赤ん坊は、医者でなければどこが頭でどこが足なのかもわからないグロテスクなものだった(今は3Dで見られるエコーもあるらしいが、私の通っていた病院のエコーは旧式のもので、平面的な画像だった。生まれる直前でも、顔や足はよくわからなかった)。妊娠後期になると胎動を感じるようになったが、私は神経が鈍い性質なのか、「蹴られた」だとか、「手だ」だとか、はっきりしたことは認識できず、「もしかしたら、今、腸ではなくて子宮が動いたかもしれない。だから、赤ん坊が生きているかもしれない」という程度の感じ方だった。無事に生まれてくるのかどうかがとにかく心配でたまらなく、妊娠中に嬉しさが込み上げてくるようなことはまるでなかった。会っている感覚がなかった。
外に出てきてくれて、顔を見て握手したときに、会えた、と思い、ああ、たぶん、これから当分は生きていてくれる、とほっとし、喜びに打ち震えた。

生まれた赤ん坊を病院から連れて帰り、ベビーベッドに寝かせたとき、ぽうっと部屋が明るくなったような気がした。赤ん坊は灯りのようだ。周りを照らす。

夫も喜んでいた。
夫は、自身の経済力のなさからか、子を持つことを結婚当初は躊躇っていたようだった。子どもが大人になるまで責任を持ち続ける、ということを重く捉えていたのかもしれない。「自分に育てあげられるだろうか」と不安があったのだろう。それで、「二人で暮らしていても楽しい」と私に言ってくれていた。でも、もともと子どもの相手は得意なようで、親戚の子どもと遊ぶとすぐに懐かれるし、働いている書店で子どもに喋りかけるときの声は自然だ。私よりもずっと子育てに向いているように見えていた。赤ん坊が家にいるようになったら、案の定、ものすごく可愛がり始めた。

夫に負けずに、私も可愛がる。
赤ん坊は可愛いものだということはこれまでいろいろな場所で何度も耳にしてきたので、そうなのだろうなと想像していたが、ここまで可愛いとは思っていなかった。

今は、三時間おきに授乳をしている。すると、授乳時間が待ち遠しくなる。二時間半ほど立つと、ベビーベッドの前に行って、早く泣き出さないか、と期待しながら、じっと見る。

空腹を訴え始めたら、服のボタンを外して右の乳首をふくませる。ある程度の時間が経ったら、赤ん坊を反対にして、今度は左胸を出して授乳し、立てに抱っこしてゲップを出させる。一連の作業が面白くてたまらない。

ぐずぐず泣いているときは、しばらくそのまま抱っこし続ける。
赤ん坊の頭から素敵な匂いが上がってくる。
焼き立てのクッキーのような甘い匂いだ。鉄の匂いもほのかにする。
すごく素敵な匂いで、いくら嗅いでも嗅ぎ足りない。抱っこしているときに何度も頭に鼻を近づけてしまう。大人のような汗臭さはない。
赤ん坊の匂いがする香水があったら、自分にも振りかけたいくらいだ。

生まれてくるとき、赤ん坊というものは頭を細長くして産道を抜けるらしい。そのため、生まれたあともしばらくは頭蓋骨の割れ目がぴったりくっついていないみたいだ。帝王切開だった私のところの赤ん坊は頭を細くしなかったと思うが、赤ん坊というものは皆そういう仕組みになっているらしく、やはり頭が柔らかい。頭頂部に骨のない部分があり、その柔らかい場所だけが脈拍と共にぺこぺこ動く。つむじとおでこの間ぐらいのところが、ぺこぺこぺこぺこ絶え間なく動いている。大泉門という名前が付いている箇所らしい。
抱っこして、そのぺこぺこぺこぺこを見ていると、本当に飽きない。

地球上に人がひとり増えたのだ。ぺこぺこぺこぺこ……。
これを機に赤ん坊のエッセイを書こうと思う。特別な赤ん坊でも、素敵な親でもないが、正直に書くように、そして面白い文章になるように、努力したい。

ただ、書くことはすべて正直でも、書かないことは書かないようにしよう。たとえば、赤ん坊の性別については書かないことにする。性別は赤ん坊側のプライバシーのような気がするからだ。
生まれたときの体つきによって病院で性別を判定されたが、将来、本人が今の性別とは違う性自認を持つ可能性もあるし、自身の性別について大人になったときの本人がどのような考え方をするか、今の私には想像がつかない。だから、私が先走って断定的な文章を書かない方がいいかな、と考えた。
性器について書くおりに性別がぼんやり伝わるかもしれないが、逆に言えば、性器の描写をするときぐらいしか性別を書かないことが問題になりはしないのではないか。
私は小説を書いて活動をするとき、自分の性別は公表していないつもりでいる。小さい頃から「作家」になりたかった。それで、小説が出版されたとき、「作家」になれたと嬉しくなった。だが、どうも馴染めないことが起きた。「女性作家」という職業に就いたつもりはないのに、「作家」ではなく、「女性作家」として社会の中で扱われてしまう。辟易した。「あ、でも、性別は公表していないんです」というタテマエを持つようにしたら、少しだけ楽になった。性別は隠すほどのことではない。でも、公表するほどのことでもない。
赤ん坊のことでも、別に性別を絶対に隠したいというほどの思いは持っていないので、なんとなくばれていくのはかまわないのだ。でも、あとで伝わるにせよ、最初に書く必要はないのではないか、と、その程度の気持ちがある。
私自身、生まれるまで赤ん坊の性別を知らなかった。赤ん坊の情報は、障害についても性別についても妊娠中は知らないで過ごすことにしようと夫と話し合ったので、医者にその旨を伝え、そういった情報はすべて産まれたあとに知った。
まっさらな状態で人に会い、親になった。どんな文章が書けるか、自分でも楽しみだ。

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著者

山崎ナオコーラ(やまざき・なおこーら)

1978年、福岡県生まれ。2004年、会社員をしながら書いた『人のセックスを笑うな』で文藝賞を受賞し、デビュー。他の小説に『浮世でランチ』『カツラ美容室別室』『ニキの屈辱』『昼田とハッコウ』『ネンレイズム/開かれた食器棚』など。エッセイに『指先からソーダ』『かわいい夫』などがある。

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