「母」ではなくて「親」として、妊娠・出産・育児をしてみると、世界は変わって見えてくる! 周りを照らす灯りのような赤ん坊との日々を描く、全く新しい出産・子育てエッセイ。

母ではなくて、親になる

第2回 同じ経験をしていない人とも喋りたい

第2回 同じ経験をしていない人とも喋りたい

この赤ん坊の姉か兄かというような存在があって、二年前、私は三十五歳のときに流産を見た。
流産は「よくあること」と、よく言われる。
実際、私の周りにも流産経験者はとても多い。妊娠から出産までの過程において、かなり高い確率で起こるようだ。
そのため、「流産になってしまって……」と打ち明けたときに、「私も経験があります」と返ってくることがあった。
世の中には、「流産したことは、あまり口に出すべきではない」という暗黙の了解があるみたいだ。話し出すとどうしても暗い流れになってしまうし、それを受けてどのように反応すれば良いかと相手が困ってしまうかもしれない。だから、遠慮して口を噤む。あるいは、自分としても言葉にするのがつらいので黙っていたい、という人もいるかもしれない。とにかく、普段、あまりオープンにされていない事柄だが、こちらが流産を経験すると、「実は私も……」と何人かが打ち明けてくれ、「そうだったんだ……」と初めて知った。つまり、「流産経験者同士では、話しても良い」という暗黙の了解もあるようだ。
ちょっと思ったのは、「でも、流産経験者同士だからって、何かをわかり合えたり、同じ思いを抱いたりということはないな」いうことだ。
私の悲しみは私の悲しみで、相手の悲しみは相手の悲しみだ。似た経験でも、同じではない。

流産とひと口に言っても、様々なものがある。
私の場合は妊娠初期の稽留流産で、妊娠を知って喜んで過ごしていたところ、途中で成長が止まって腹の中で亡くなったことを病院で告げられ、手術を受けた。堕胎と同じような手術ということにショックを覚えた。赤ん坊の服などを少し買っていたが、ベビーベッドの手配などの本格的な準備はまだ行っていなかった。
妊娠後期の場合、死産となって、通常と同じようにして出産しなければならないこともあるようだ。産声を聞けない出産は、とてつもなく苦しい体験になるだろう。すでに胎動を感じていたり、赤ん坊を迎える部屋作りを始めていたりしたら、なおのこと大きな悲しみが押し寄せてくるに違いない。
超初期の化学流産というものもある。現代では妊娠検査薬で妊娠を確かめる人が多いのだが、陽性反応を確認したあとに、少し遅れて次の生理が普通に来る。病院で初めて妊娠を知っていた時代では、認識されることがなかった流産だ。
また、悲しいことに、何度も繰り返して流産を経験する人もいる。
しかし、これらの様々な流産を比べる必要はあるだろうか?

流産の半年後に、私は父を病で亡くし、「ああ、『流産は私が今まで生きてきた中で一番悲しい出来事だ』と思っていたけれど、さすがに父とのつき合いの方が長かったから、父が死んだことの方が悲しいなあ」とぼんやり考えたのだが、すぐに、「でも、べつに比べることじゃないよな」と打ち消した。
流産の種類によって、苦しみの度合いも違うだろうが、比べたところでなんにも楽にならない。感受性も考え方も人の数だけあるから、どれくらいつらいかは本人にしかわからない。その人がそのときに感じていることがすべてで、他の人の経験や、自分の別の体験と、いちいち比べて認識する必要などない。
「よくあること」という言葉は、喪失体験にまったく効かない。

ただ、わかり合えないし、比べる必要もないから、話す必要がない、と私が考えているかというと、そうでもないのだ。
わかり合えなくても話していいんじゃないか。そんなことを思う。
そもそも、会話って、わかり合うためだけにしているんだっけ? と疑問だ。
「似た経験をした同士で、わかり合おうとするのが会話だ」と思い込んでいたら、外国の人と話すことなんてできない。
理解し合えないまま、ただ会話を続ける、ということが許されるようになれば、外交も上手くいくんじゃないか。そんなことも思う。
つまり、流産経験者同士でなくても、流産の話をしていいのではないか、ということだ。
私が流産の話をしたいのは、わかって欲しいからではない。理解などいらない。聞いてもらえたら、それだけで嬉しいのだ。とんちんかんな反応を返してきてもいい。私を傷つけても構わない。
確かに、経験や知識のある人は、会話の中の地雷を避けるのが上手かもしれないし、余計な説明を求めないで聞いてくれるかもしれない。でも、地雷を踏まれても、説明を詳しくさせられても、私は話したいと思う。少しくらい暗くなっても、おかしな反応を返されても、いいんじゃないか。

まあ、こういったことは、私が流産について話したいから思うことにすぎず、言葉にするのがつらい、黙っていたい、という流産経験者は、もちろん、口に出さないのが良いに決まっている。
だが、話したい人は、相手の経験の有無を気にせずに、話してもいいんじゃないかな、と私は思った。
それは、出産の話題でもそうで、「出産経験がある人同士に限っては、出産の話をずけずけ言い合える」と思われがちな気がする。
でも、出産していない人にも出産の話を、私はしたい。出産していない人が出産についてアドヴァイスをくれたり意見をしてくれたりもあるはずだ。

そうして、今、私は育児エッセイを書いているが、読者の育児経験の有無によって、文章の読みが変わるということはない、と思っている。もし、ただ経験と照らし合わせるためだけに文章というものが存在するのならば、文章を書くのはなんとつまらない行為だろう。

私は、今のところ、赤ん坊との暮らしが楽しくてたまらなく、大変さを味わっていない(これから味わうのかもしれない。夜泣きの時期や、イヤイヤ期に苦しくなるのかもしれない。あるいは、十代の思春期にものすごく大変になるかもしれない。ただ、今はつらくない)。とにかく、赤ん坊がうちに来る前に、いろいろな本や雑誌で、「育児は大変」「育児は孤独」と目にし、「特に出産後三ヶ月は地獄だよ」「最初の三ヶ月の中で一度は憂鬱な夜が来るよ」「産後うつもあるよ」というのも聞いていたので、赤ん坊が三ヶ月の今、「あれ? 全然そんなことないな。面白いだけだな」と驚いている。でも、こういう私の文章を読んで、決して、「私も赤ん坊がいるからナオコーラの真似をしてみよう」「ナオコーラが大変じゃないって書いているから、うちの奥さんも大変じゃないのだろう」なんて、思わないで欲しい。
赤ん坊の個性も色々、家庭の事情も様々、職業の種類も別々なわけで、それなのに、「同じ親だから」と同じように子育てをして、同じような感じ方をするなんてできるわけがない。
もちろん、「同じ女性だから」というのもない。
そもそも私は、「女性のために」と思って文章を書いたことがない。女性を代表して意見や感想を書く気など毛頭ない。
作家活動を行っていて、「女性作家」として扱われるのが嫌だな、と感じる理由のひとつに、「女性として男性に言いたいことがあるから文章を書いている」と思われている節があることだ。私は男性に言いたいことなどない。テレビの中では男性はぶすに意地悪だが、普段の生活では男性は意外とぶすに優しい。私はこれまで、たくさんの男性から親切にされてきた。男の人とも、いろいろな会話ができる。だから、ひとりの人間として相手に向かい合って、普通に話したい。
それから、「同じ女性として……」と女性同士でばかり話す気もない。もちろん、女の人とも話したい。でも、同じだから、という気持ちなど微塵も持たずに話したい。
「同じ親として……」という定型フレーズもあるが、私はこれもどうも馴染めない。このフレーズを聞くと、「親ではない人は、子どもに関する喜びや悲しみ、教育問題、子育ての悩みなどには、寄り添えない」というイメージが湧いてしまう。親同士だからわかる、という感覚が持てないし、親ではない人も話を聞いてくれたり意見を言ってくれたりする、という強い思いが私にはある。
子どもにまつわる悲しいニュースがテレビや新聞に溢れている。そんなとき、子どもの心に寄り添えるのは育児経験の有無に関係がない。子どものいない子ども好きの友人の方が、私よりもずっと子どもの心を想像している。
私には赤ん坊がいるが、あいかわらず他の子どもと接するのは苦手で、子どものいる場所に出かけたとき、やっぱりまごまごしてしまう。育児をしたことのない友人の方があやすのが圧倒的に上手い。
世界のあちらこちらに苦しい思いをしている子どもがいる。寄付をしたり、ボランティアをしたりして支えている友人もいる。親ではなくても、子どもを育てる力のひとつになっている。
それから、赤ん坊がいるからといって、後生のことを考えているとは限らない。会社で後輩の育成に努めている人の方が、「未来の社会を作ること」に意欲的だ。
「親」か「親でない」か、と分けてコミュニケーションを取ろうとするとこぼれ落ちてしまうことがたくさんあって、とてももったいない。
相手の経験の有無で話題を変える必要なんてない、と、やっぱり思うのだ。

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著者

山崎ナオコーラ(やまざき・なおこーら)

1978年、福岡県生まれ。2004年、会社員をしながら書いた『人のセックスを笑うな』で文藝賞を受賞し、デビュー。他の小説に『浮世でランチ』『カツラ美容室別室』『ニキの屈辱』『昼田とハッコウ』『ネンレイズム/開かれた食器棚』など。エッセイに『指先からソーダ』『かわいい夫』などがある。

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