第5回 新生児
「母」ではなくて「親」として、妊娠・出産・育児をしてみると、世界は変わって見えてくる! 周りを照らす灯りのような赤ん坊との日々を描く、全く新しい出産・子育てエッセイ。

母ではなくて、親になる

第5回 新生児

 生まれてから一ヶ月までの赤ん坊を新生児と呼ぶそうだ。
 もっと長い間の呼び名なのかと思っていたら、たった一ヶ月間のものらしい。
 その後、赤ん坊は月を過ごす度に、「一ヶ月の赤ちゃん」「二ヶ月の赤ちゃん」……、といった風に呼ばれるようになる。児童福祉法では、満一歳に満たない子どもを乳児と呼び、満一歳から小学校就学までの子どもを幼児と呼ぶらしい。べつに児童福祉法に倣うわけではないが、一歳までの毎月のことを書いてみようと思う。その月の私の生活についても書き添えておきたい。
 とはいえ、同じ月齢だからといって、他の赤ん坊と似たような発達状況とは限らない。人それぞれだ。立つのも喋るのもその子のタイミングがあるだろうし、体の大きさにも個性がある。私は私の家にいる赤ん坊のことしかわからないので、平均とは違うところが多々あると思うが、それは仕方ない。

 コミュニケーションの取り方がわからなくて内面が謎なので、いきなり見た目について書くのもかわいそうだが、まず顔のことを書く。
 新生児の間、赤ん坊には眉毛がなかった。これは、大体の子がそうらしい。顔全体に産毛が生えていて、動物じみている。肩や背中にもうっすらと毛があった。頭の上の毛も体毛と同じくうっすらとしたもので、とても細い。ただ、髪は赤ん坊によって様々なようで、病院の新生児室に並んでいた赤ん坊たちを見ると、最初からふさふさの子もいた。
 それから、上唇がめくれていて、顎がすごく引っ込んでいる。なんでそういう顎になっているのか私は知らないが、乳房にぴったりくっつけ易い仕様になっているのかな、と想像した。この、富士山型にめくれあがっている上唇や、ぺこっとロボットのように引っ込んでいる顎が、ものすごく可愛らしく感じられ、何度も触った。
 目はほとんどの時間閉じているので、きれいな横線になっている。ジップロックの袋を開けるときみたいに、ぷちんと音をさせながら開きそうな感じがする。視力はまだとても弱いらしい。見えていないわけではないようだが、目を開けているときでも、何かを認識している雰囲気はない。そして、長く寝ているので瞼が重いのか、目つきがとても悪かった。
 顔を爪で引っかいてしまうらしく、おでこや頰にしょっちゅう傷ができる。病院で見た他の赤ちゃんにもついていたので、よくあることのようだ。
「迫力が出たねえ」
 と夫は笑っていた。

 子どもが生まれる前から、ほぼ毎日夫は仕事帰りに病院に寄っていた。二日おきに私のパジャマを洗濯してアイロンをかけて持ってきた。周囲のほとんどの入院患者が病院のレンタルパジャマを着ていたが、私はわがままとも思わず、「そうしてくれ」と平気で頼んだ。他にも、毛糸が必要だ、と言えば、手芸用品店に走り、S字フックがいる、と呟けば百円ショップに行き、エッセイの資料が必要だ、と電話すれば、自分が働いている書店か、なければライバル店に足を延ばして書籍を購入するなど、夫は忠実に私の用事を果たした。入院費や手術費はもちろん、赤ん坊を迎える準備の多くの経費を私が負担しているし、出産や育児の計画はほぼ私が立てたし、前置胎盤は仕方のないことだし、私は堂々と入院生活を進めた。いろいろ頼んだせいで夫が途中でへこたれるのではないか、と危惧していたが、そんなこともなく、私がLINEで「何々を買ってくるように」「どこどこを掃除しておくように」等の指示を出すと、文句も言わずに営々とそれを行った。
 夫は、経済力も判断力もないが、とにかく人が良く、おおらかなのだ。私は、経済力や判断力を自分で身につけたいと思いながら生きてきたので、むしろ経済や判断を私にゆだねてもらえるのはありがたく、このような夫にとても満足している。「子どもが生まれたあと、旦那さんに不満が出てくるよ」と色々な人から言われたが、私は夫の悪口を書く気はない。よく夫や男を批判していい気になっているエセフェミニストがいる。いつまで弱者を気取るのか。今の時代、女性は強者だ。女性が優遇される時代を生きている自覚を持ち、弱く可愛らしい存在である男性には優しくしてあげなくてはならない。

 病院では、新生児室を窓から覗ける時間や、父親が中に入って赤ん坊と触れ合える時間を設定しており、赤ん坊が生まれてからは、夫はその時間に行って、顔を見たり、抱っこしたりしていた。
「ときどき、岡本太郎のポーズをするね」
 と夫は観察を述べた。
 それは、モロー反射のことだろう。
 大きな音が耳に入ったり、びっくりしたりすると、ばっと両腕を斜め上の方へ向かって広げ、何かをつかむような手つきをする。新生児は自分の意志で体を動かすことよりも、無意識に動いてしまうことが多いようだ。たとえば、てのひらに触れたものをぎゅっと握る把握反射、唇に触れたものに吸いつく吸啜反射など、数ヶ月すると消えてしまういくつかの原始反射が新生児には備わっている。モロー反射もそのうちのひとつだ。一説によると、猿だった頃、びっくりして木から落ちそうになったときに手をばっと伸ばして木にしがみつこうとしていた名残りらしい。モロー反射は、把握反射や吸啜反射と違って、人間となった今では、なんの役にも立たない可愛いだけの仕草なので、どうも可笑しい。赤ん坊が生まれた時期がちょうど花粉飛散の時期で、私がちーんと鼻をかむと赤ん坊がびくっとして手を広げるので申し訳なく思いつつ、その度に笑った。

 病院で見た限りでは、母親が抱っこして、父親が荷物持ちをして退院していく夫婦が多かったが、私たちの場合は、夫に譲ろう、と思った。すなわち、夫に赤ん坊を抱っこさせ、私がスーツケースを引っ張りボストンバッグを抱えた。それまでの二ヶ月近く、私は荷物を一切持たず、ほとんど動かず、診察などで違う階へ行くときは看護師さんが車椅子を押して移動させてくれていたので、私が大荷物を抱えて部屋から出てきたことに看護師さんたちは驚いていたが、なんとなく、応援してくれているようにも感じた。
 夫はものすごく嬉しそうだった。宝物のようにそうっと抱え、タクシーに乗っている間もずっと赤ん坊の顔を眺めていた。「退院の際にかぶせよう」と思って入院中に私が編んだ帽子はぶかぶかだったのでバッグに仕舞い、赤ん坊は安売りが有名な量販店で買った真っ赤なキルティングの上着のフードをすっぽりかぶっていた。すぐに大きくなってサイズが変わると聞いていたし、金は実用的なことにかけた方がいいし、性別もわからなかったし、セレモニードレスのようなもの(退院時やお宮参りなどに、男女関わらず着る白いひらひらの服)は私も夫も自分たちのキャラではない気がして(赤ん坊のものだから自分たちのキャラでなくてもいいのだが、買ってあげるのが気恥ずかしく)、安くてシンプルな服だけを用意していた。
 家に着くと、夫は勇んでベビーベッドの準備をし、近所のスーパーマーケットでうどん玉とコロッケとねぎを買ってきて、昼食にコロッケうどんを作ってくれた。これは私のリクエストだ。病院の食事は菜食で、肉に見える料理も大豆でできているようなあっさりしたものだったのだが、味はおいしく、意外と肉や魚がないことに不満は覚えなかった。それよりも、私は麺類好き(だから太るのだが)で、麺が週一回うどんのみというのが寂しかった。それで、そのうどんの日を楽しみに過ごしていたのだが、今週は手術で絶食した日がうどんの日にぶつかってしまい、食べ損ねたので、家に帰ったらどうしてもうどんが食べたいと思っていた。
 そのうどんを腹に収めたあと、夫は仕事に戻った(朝は、店で品出しを終えてから、赤ん坊と私を病院に迎えに来ていた)。

 赤ん坊と二人きりになって、私はどきどきした。これまで、医師や助産師や看護師に属しているように見えていた赤ん坊が、ぷっつりと病院から離れた。あんなに監視されていたのに、もう私しか赤ん坊を見ていない。目を逸らしていいのだろうか。
 トイレに行っている間に何かあったらどうしよう、と排泄もどきどきする。
 そして、トイレに入ると、全然違う方向に手を伸ばしてトイレットペーパーを取ろうとしてしまう。水を流すレバーも、「あれ? こんな位置にあったっけ?」となる。長く病院で過ごすと、病院が家のようになる。自分の家が、客から見た家みたいに、とても新鮮だ。天井ってこんな高さだった? ソファってこんな色だった? と、記憶と少しずれて感じられる。
 この家で、日中は私だけが赤ん坊を見る。おおー、と喜びが湧いてくる。
 重要な仕事を担った。それも、何かを命じられたり、こなしたりする仕事ではなくて、とても自由な仕事だ。助産師さんが、「授乳には一日八時間以上かかります。少なくとも三時間おきに、一日八回以上あげなくてはならなくて、最初の頃は一回に一時間ほどかかるため、そういう計算になります。だから、それが仕事のようなものです。産後は、体の回復のためにひと月ほど床上げしない方が良いと言われていますし、家事はできるだけ他の人にやってもらってください」と言っていた。これを仕事と思っていいなんて、嬉しい。
 それと、私は昔から孤独好きで、十代の頃から嫌なことがあると「ひとりっきりになりたい」とよく考えた。『源氏物語』の時代の人が「山に入りたい」と言って出家するみたいに世間から離れたい、なんの病気でもないけれど入院して周囲の人とひと月くらい縁を切りたい、としょっちゅう思った。「近況を聞きたいから友人に会いたい」とは思うが、「寂しいから友人に会いたい」「暇だから友人に会いたい」なんて、露ほども思わない。悩みは人に相談するより、ひとりでじっくり考えたい。だから、子どもができて、しばらく人と会えない、ということが苦ではなく、むしろ嬉しかった。そもそも、このところ仕事がぱっとしないので、人と会うのがつらくなっていたところだった。
 私はしばらく家にこもって、この赤ん坊と関係を作る。それだけだ、と考え、なんて楽なんだ、としみじみした。
 新生児仮死の件は、頭から消え去ったわけではなかったが、赤ん坊でなくとも、誰もが死ぬ。父親を看取ったときのように、「あれ? 息している? していない?」というのは、赤ん坊に対してもしょっちゅう思った。トイレから帰って来る度に口元に手を当てたり、胸が上下するのを確認したりした。すると、だんだんと、生きている? 死んでいる? と思うことに慣れ、それほどストレスではなくなっていった。

 夕方に夫が帰ってきた。風呂は夫主導で入れることにした。私は腹の中で育てたり、出産を楽しんだりしたので、子育ての面白いところはできるだけ夫に譲りたい。出産したため、現時点では私の方が子どもに関する知識や心の準備が上回ってしまっているが、助手や部下のように夫を扱ったら、夫は何事も私から教わろうとしたり指示を待とうとしたりしてしまって、子育ての面白さがよくわからないままになるかもしれない。他のことならこちらが指示を出してもいいが、子育てに限っては、夫は親なのだから主体的に行った方がいいだろう。
 私が予定よりも大分早めに入院してしまったので、一緒に行こうと予約していた地元の両親学級に、夫はひとりで行ってきた。他の親たちが二人で手を携えて人形をベビーバスに浸けている隣りで、夫はひとりで人形をいじくって風呂の練習をしたらしい。つらかった、と言っていたが、自信もついたようだ。病院で買ってきた風呂の入れ方のハウツーDVDを見て復習してから、夫が率先して風呂に入れた。流しにベビーバスを置いて、ガーゼで体を拭く。夫はやはり、嬉しそうだった。

 夜になった。病院では夜勤の看護師さんが見てくれていたのに、寝ていいのだろうか。でも、眠い。三時間ごとに起きて、あ、生きている、と思った。
 こうして、赤ん坊との日々が始まった。

 新生児はほとんどの時間を寝て過ごす。起きたら泣いて、わけもわからず乳首をふくむ。母乳は反射で飲む。
 赤ん坊は、私のことを親だと捉えていないのはもちろん、人間とさえ思っていない。抱き上げても、なんにも感じていない顔をしているし、たまに目が開いたときも、まったく私のことなど見ず、あさっての方向に視線を向ける。
 相手に認識されずに世話をする、それはすごく面白い行為だ。
 新生児にとって私は親ではなくて、世界だ。世界を信用してもらえるように、できるだけ優しくしようと思った。

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