いしいしんじが読む藤沢周『世阿弥最後の花』。世阿弥の素顔とは

この世をひとつの舞台として

  波の音ではじまる。船べりからのぞむ珠洲の岬。飛沫を上げる岩、倒れんばかりの松。ひとりの老翁が舳先から見つめる。振り絞るようなその息子、元雅(もと まさ)の声は、過去といま、未来をこえて、海原に響く。元雅の身は、すでにこの世のものでない。

 能楽者、世阿弥元清は七十二にして、将軍足利義教の勘気にふれ、なんの罪もなく遠い佐渡島へ流される。そうして、島の人々、豊かな風土、森羅万象との交感のなかで、老木に咲く「最後の花」を求める。

 世阿弥は立つ。大地に浜に、垂直に。「立っている、構えていることは、あの波飛沫や山の端や海鳥や、あらゆるものから引っぱられて、均衡を保っていることでもあります」

 松の木。北の山。寺の十一面観音。すべてが世阿弥と同じく立つ。天と地にはさまれたその存在を、容赦なく、存分に発露して。

 笛の音も、また立つ。「と、突然、天空を縦に引き裂くかのような鋭き音が立った」

 音が、目に見える。作者が、能舞台という「閾」に身を浸して音を書く。

 鼓が、謡が、乙女が海が、うたっている。「神楽鈴から溢れるばかりの豊かな種がこぼれ、砂金が宙に散るかに見える」。生きるとは、息づく。そのからだが音をたてること。

 この小説では、死者も音をたてる。死は世阿弥の、たつ丸の、了隠の真後ろにある。彼らが動けば、あとに彼岸の光がさし、むこうのひとの吐息がこぼれる。小説は、まさしく能舞台と同じ、いのちの汀となる。だから、たえまなく、波音が響いている。

 作中じっさいに、三つの能がかけられる。

「雨乞」の能。日照りに苦しむ島民のため、世阿弥は田に結界を張る。了隠の亡き妻が織った越後上布の狩衣をまとい、敬慕する父、観阿弥から引き継いだ鬼神面をつける。

「ねじり上げた眉と額の皺が深く波打ち、憤怒しているかのごとく大きく見開いた眼」この面は、雨雲そのもの。世阿弥の舞いは天と地をつなぐ。空に巨大な布がはためき、ひと粒、ひと粒、音をたてて雨が降ってくる。

 ふたつ目は「黒木」。この流刑地で客死を遂げた順徳院の霊に、世阿弥は語りかける。「人の生き死にのどうにもほどけぬ宿恨の結ぼれに、我が首を絞られ、息絶えんとするときに出てくる」、そのような息で。

 風が吹く。彼岸の波が、飛沫をたてて打ち寄せる。順徳院、後鳥羽上皇、元雅。つぎつぎと顕れる死者と息を合わせ、了隠の彫った生と死の面をつけ、世阿弥は舞いつづける。

 最後の「西行桜」で、世阿弥はもはや素顔だ。佐渡は都に、都は佐渡に。立つ「己れ」が消えるのと同時に、場所の名も意味をうしなう。このひとが踏んでいるのはどこまでもつづくひと連なりのこの世の土。そこに最後の花がひらく。能舞台の上に、そのひとは、ゆっくりと浮きあがる。波に濡れそぼったその素足から、この世にほとほと雫が滴り、自然と、文字のかたちを成す。これは、そんな小説だ。

 

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