作家・藤井大洋が読む台湾文学の傑作短編集、呉明益『雨の島』。

 郷愁を誘う台北の商場しょうじょうを舞台にした『歩道橋の魔術師』、自転車を軸に戦中戦後の台湾を描いた家族史の『自転車泥棒』、そして神話的世界と近未来をつなぎ合わせる思索SFの『複眼人』と、傑作が立て続けに刊行されてきた呉明益の最新刊は短編集『雨の島』だ。

 収録作品を駆け足で紹介してみよう。

 冒頭を飾る「闇夜、黒い大地と黒い山」はドイツの寒村で幕を開ける。身長が伸びない難病を抱えながらミミズの研究にのめり込むソフィー・マイヤーは“クラウドの裂け目”というコンピューターウイルス禍で義父の過去と自身の台湾ルーツを知ることになる。

 二作目の「人はいかにして言語を学ぶか」では、鳥の鳴き声を譜面に落とす力を持つ自閉症の鳥類行動学者が、母の死によって聴力を失ってしまうが、手話による表現で新たな人生を獲得していく過程が丹念に描かれる。

 南極探検のテントから始まる「アイスシールドの森」は、恋人のツリークライマーが事故で抑鬱よくうつ状態になってしまったことに責任を感じている敏敏ミンミンが、台湾原住民の小鉄シアオ テイエにツリークライミングを学ぶ物語だ。

「雲は高度二千メートルに」は妻を無差別殺人で亡くした弁護士が、妻の残した未完の小説に登場したウンピョウを追う物語だ。三作目の「アイスシールドの森」に登場する小鉄シアオ テイエが重要な役回りを果たす仕掛けも楽しい。

 一癖も二癖もある乗組員らが絶滅したはずのクロマグロを追い求めて航海に出る「とこしえに受胎する女性」は、奇妙な浮遊感のある幻想的な作品だ。もしも今『白鯨』が書かれたなら、こんな作品になるのかもしれない。

 最後の作品「サシバ、ベンガル虎および七人の少年少女」の舞台は商場だ。呉明益の作品に親しんでいる読者ならそれだけで心が躍る。大学入試に失敗した主人公の叔父がどこからか鷹を連れて帰って子供たち相手の見世物を始める最終話は、これまでの傑作に引けを取らない。

 後記も、この作品集を書くに至った彼の旅と視点の確かさを教えてくれる。

 小説作品だけでなく、扉の対向ページに印刷されている口絵も素晴らしい。物語と密接に関係のある博物画が、着彩はもちろん画像処理に至るまで著者の手によるものだというから驚いてしまうが、ある意味納得もしてしまう。描き飛ばすことのない博物画の実直な筆致は、対象をありのままに伝えようとする真摯な描写に通じるものがある。

 翻訳は及川茜氏。ソリッドな訳文はネイチャーライティング作家の一面を持つ呉明益によく似合う。ツリークライミングの舞台となる台湾の森や、航海の様子は「ナショナルジオグラフィック」のルポルタージュを思わせるし、主人公たちが思索を深めていく様からはカール・セーガンやリチャード・ドーキンスのような科学者の著書から受けるのに近い知的興奮を感じられる。

 科学の言葉と原住民族の伝承と、もやに煙る原生林と猥雑なストリートと、成長と別れ、恋と後悔とが美しく織り上げられた傑作短編集は、最高の形で出版される。是非とも手に取っていただきたい。

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