【特別公開】荘子 itによるエッセイ 「アンチ・オイディプスの音楽 」

【特別公開】荘子 itによるエッセイ 「アンチ・オイディプスの音楽 」

ジル・ドゥルーズの生誕100周年を記念して、ドゥルーズ+ガタリの主著にして現代の最重要思想書である『アンチ・オイディプス──資本主義と分裂症』と『千のプラトー──資本主義と分裂症』を一巻本の愛蔵版として発売いたします。

『アンチ・オイディプス』2025年12月26日刊行予定

『千のプラトー』2026年2月刊行予定

これらの刊行を記念して、雑誌「文藝 2025年 夏季号」の特集「ドゥルーズ、終わりなき生成変化」で掲載された寄稿の中から第一弾として、荘子 itさんのエッセイ「アンチ・オイディプスの音楽」を特別掲載します。

自身の創作経験を念頭に置きながら、哲学と音楽(芸術)が交差する場所をめぐって思索するエッセイは、『アンチ・オイディプス』、『千のプラトー』を紐解くきっかけに、あるいは再読のきっかけになるはずです。

是非この機会にお読みください。

 

[エッセイ]

荘子 it 「アンチ・オイディプスの音楽」

 

 ドゥルーズ+ガタリの『アンチ・オイディプス』は、「お前ら、(エディプス・コンプレックスに代表されるような)紋切り型の構造に、俺らの力を回収させねぇで、もっとどこまでもアナーキーに突き抜けてこうぜ!」という、激しい系の音楽ライブのMCの煽りみたいな核の部分はシンプルなのに、それが、信じられないくらい難解でハイコンテクストな文章で綴られていることで、異様な迫力を生んでいる。すごくエネルギッシュなのに、やたらと入り組んでて段々わけがわからなくなってくるような音楽が好き、というか、意識的に抑制せず自然にやるとそういう曲しか作れない自分にとっては、すごくしっくりくる。ただ、めちゃめちゃ共感もするんだけど、文章だけ追っていると難解でわけがわからなくなってくる瞬間もある。

 ドゥルーズの難解さについて二つのことが言えると思う。あまりの難解さに振り落とされそうになりながら必死に食らいついて読んでる間に、読者の側が勝手に盛り上がって、結果的に何かアツいものを受け取って元気になるという効果があり、現に学生時代の自分はそうだった。ただ、精神分析や西洋哲学を批判する本でありながら、同時にかなりそれらの前提知識を必要とするというねじれが発生している。

 さらに、あえて一歩引いて意地悪な見方をすれば、エディプス・コンプレックス批判をしながら、その実、ドゥルーズ+ガタリは自分たちが影響を受けてきた哲学や精神分析に対して、その語彙や文脈の中でハイコンテクストで執拗な反抗をしている、ある種のエディプス的振る舞いをしているとも言える。

 なので、そのようにして書かれた『アンチ・オイディプス』を今世に向けて推薦することは、この本が批判しているものも含めて復権させることになるのではないかと思う。似た話として、ミュージシャンの反商業主義的な姿勢が人気を得て、大きな商業構造にむしろ貢献しているといった指摘は、『反逆の神話』を引かずとも、広く見られることだ。

 結果だけを取り出せばそう言えるのかもしれないが、それでいいと思う。フロイトの精神分析に適切な批判をすることも、精神分析をよく学ぶこともどちらも大事だからだ。そして、複雑かつ精密なコンテクストで自らを縛る強大な構造から目を背けず自由になろうとした哲学なり音楽なりの、その固有な表現一つ一つの存在が毀損されることは永遠にない。その意味において、僕の音楽も常に『アンチ・オイディプス』と共にある、と言うことにためらいはない。『アンチ・オイディプス』を意識して僕が音楽を作っているわけでもなく、『アンチ・オイディプス』が僕の音楽の説明になっているわけでもないが、ただ、共にある、と思っている。

 ところで最近、僕と同世代のドゥルーズ研究者の福尾匠は、芸術と哲学に従事するもの同士が、お互いに分をわきまえたぬるいコミュニケーションばかりとっているように感じて気に食わないようだ。

 例えば、芸術や何かのコンテンツなりを作ってる人間と、哲学者や批評家や研究者のような人間がトークショーとかをやる場合、実践をする者に対して、そのやっていることへの意味付けや解説や評価をする者、という感じになる場合がそうだろう。作る側からしたら、自分のやっていることに社会的ないしアカデミックな価値や権威を与えられることはありがたいし、語る側にとっても、自分の論があたかも形を伴って実践されているかのように見せられたり、美的な価値判断を下すものとしての自分の権威性を再帰的に高められたりするので、WIN-WINの関係ではあるが、それだけではダメだということだろう。そうではなく、福尾匠は哲学には芸術(の説明や意味付け)とは別の、自律的な実践としての側面がある(あるいはそういうことがしたい)と言っていて、僕はそれに音楽家の側から完全に同意する。

 例えば、僕は昨年『Dos Atomos』という、「太陽と原子力」をテーマにした音楽アルバムを作った。

 哲学者の國分功一郎は『原子力時代における哲学』で、当時の知識人の中でかなり珍しく、原爆だけでなく、原発や原子力の平和利用(当時は原発も大方そう思われていた)も含めて批判していたハイデガーの議論を紹介し、國分自身反原発の立場で、原発を存続させるべきでないという根拠になりうる主張を展開することは絶対に大事としつつ、同時に、原子力をただダメだというだけで思考停止していては、原子力になぜ人が惹かれるのかという本質的問題に目を背けることになってしまうので、本当の解決にはならない(再び似たような別の問題が繰り返される)と説いている。

 原子力に人が惹かれてしまうことについて、國分は斎藤環の精神分析的な議論を援用し、「幼少期の第一次ナルシス的な全能感を断念した大人が、再びそれを取り戻そうとして、何にも(この場合は太陽に)頼らないエネルギーを自ら作り出したくなる」という根本的な欲求のためだと定義する。そして、単にそれをダメというだけではなく、その問題を自分ごととして体験することで初めて、それをキチンと反省することができるのだから、原子力について語る哲学もそのようなものでなければならない(そのためにハイデガーは論文という形だけではなく、異なる意見をもつ人物たちの対話編という形をとった)とする。

 僕自身が、アルバムに取り掛かる直前に第一子が生まれ、まさに我が子の第一次ナルシス的な全能感を毎日目にし、自分の幼少期を回想し理想化し、それに強く憧れていたという事実は確かにある。そして、自分の音楽作りと、例えば『オッペンハイマー』のような映画で描かれる研究者たちの開発に、近いものを感じなかったわけではないことも事実だ。そうして、人工的な音楽が生み出すエネルギーの熱狂と、原子力というテーマが密接にリンクしていた。だが、音楽を作りたいという欲求について、國分が原子力に人が惹かれる理由とした精神分析的な説明は、半分は適用できるかもしれないが、それだけでは語り尽くせないし、まして原子力への欲求のように、最終的には断念することが望ましいというような結論に至ることもない。『Dos Atomos』は、おそらく音楽作品という形だからできる、体験だけを提供するものになった。それは哲学に説明や存在価値を保証されることのない、ある別の実践だった。精神分析を激しく意識しながら、それで全てを説明することに抗ったドゥルーズ+ガタリに共感するのはそのような点においてだ。(了)

 

〈ジル・ドゥルーズ生誕100年記念出版〉

ドゥルーズ+ガタリの主著、現代の最重要思想書を、
一巻本・愛蔵版として!

2025年12月26日刊行予定
『アンチ・オイディプス 
──資本主義と分裂症
ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ著 宇野邦一訳
「器官なき身体」から、国家と資本主義をラディカルに批判しつつ、分裂分析へ向かう本書はいまこそ読みなおされなければならない。無意識論、欲望論、身体論、国家論、資本論、芸術論……。来るべき思考と実践へ向けてマグマのような文体で書かれた20世紀最大の思考の挑発。
本体6,500円(税別)  仕様:A5判/上製/480頁
ISBN:978-4-309-22983-6

○2026年2月刊行予定
『千のプラトー ──資本主義と分裂症
ジル・ドゥルーズ/フェリックス・ガタリ著 宇野邦一他訳
ドゥルーズ/ガタリによる極限的な思考の実験。リゾーム、抽象機械、アレンジメントなど新たな概念によって宇宙と大地をつらぬきつつ生を解き放つ。顔貌性、そして逃走線の考察から生成変化をめぐりつつ、宇宙の時を刻むリトルネロへ向かい、絶対的な脱領土化の果ての来たるべき生と民衆を問う。
予価本体8,000円(税別)  仕様:A5判/上製/720頁
ISBN:978-4-309-23176-1

関連本

関連記事

著者

荘子 it(そうしっと)

ヒップホップトリオ「Dos Monos」トラックメイカー、MC。1993年生まれ。アルバム「Dos Atomos」

人気記事ランキング

  1. ホムパに行ったら、自分の不倫裁判だった!? 綿矢りさ「嫌いなら呼ぶなよ」試し読み
  2. 『ロバのスーコと旅をする』刊行によせて
  3. 鈴木祐『YOUR TIME 4063の科学データで導き出した、あなたの人生を変える最後の時間術』時間タイプ診断
  4. 日航123便墜落事故原因に迫る新事実!この事故は「事件」だったのか!?
  5. ノーベル文学賞受賞記念! ハン・ガン『すべての、白いものたちの』無料公開

イベント

イベント一覧

お知らせ

お知らせ一覧

河出書房新社の最新刊

[ 単行本 ]

[ 文庫 ]