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親友の妊娠を素直に喜べなくて──紗倉まな本音トーク@大盛堂書店
紗倉まな
2026.03.23
2026年2月15日(日)東京・渋谷駅前の大盛堂書店にて、紗倉まなさんの最新小説にして作家デビュー10周年代表作『あの子のかわり』の刊行記念トーク&お渡し会が開催されました。
本イベントは大人気完売御礼。残念ながら落選し参加できなかった方、遠方の方やご都合で足を運べなかった方の声にお応えして、愛溢れるトークの一部を、作品抜粋と共にネタバレギリギリ(!?)でレポートいたします!(聞き手:大盛堂書店・山本亮さん)


──『あの子のかわり』とても面白かったです。男の視点でも結構ドキッとする、思い当たるところも多くて、序盤の「男は洗濯する時に洗剤入れすぎ」みたいなところで、まず「あ、そうだよな」とか思って(笑)。
まさかそこに注目してくださるとは(笑)。
主人公の由良はちょっと完璧主義者みたいなキャラクターで、由良の夫は家事もちゃんと頑張っているんだけれども、由良にとっては完璧じゃないから、ぐちぐちぐちぐち言うんですね。その中で、由良が洗濯物を畳んでいるときに衣類から強い柔軟剤の匂いがして、(夫は)入れすぎだ、みたいな描写があるんです。
タオルは柔軟剤の匂いが少しきつく、いつもよりも配分が多いと感じる。洗ったのは夫だった。そのまま夫の手によって取り込まれた洗濯物は客室兼物置部屋にある折り畳み式ベッドの上に山積みとなっていて、その洗濯物にコロコロを撫でつけてハリエットの毛を取りながら、全て一律のサイズに畳むのは私だった。あの大量の衣類を一枚ずつ嗅いでいけばこのタオルと同じ匂いがするのだろう、と想像した途端に、また喉元まで込み上げてきたため息を押し殺す。
この本は、「女性の出産・妊娠」というテーマが主軸ではあるんですけれども、かといって、男性を糾弾するようなことを言いたいとか、男女の分断を煽りたくて書いたものでは、まるでなくて。
ただ、そうは言っても「男女あるある」みたいなものが多少出ているところがあり、(男性側は)読んでいて逆にイラッとするところがあったんじゃないかなと。頑張っているのに、こんなふうに厳しく評価するのかっていう。
──由良のパートナーって、普通に見れば「いい人」みたいな感じじゃないですか。
お寄せいただく感想を見ていると、「夫にイライラするか?」「由良にイライラするか?」で結構反応が二分化されていて。
「本当に夫にイライラしました」っていう人と、「なんて良い夫なんだ」っていう人で、すごく分かれているのが面白くて。ただ私にとっては、「完璧主義の由良には、こういうふうに穏やかな夫がいたら平和でいいな」みたいな、理想を託して書いた部分もあったので。
──もちろんプライベートとかそういうのは別として、紗倉さんが普段抱かれている思いが色濃く投影されている作品だと思ったんですが。
そうですね。たとえば「クイックルワイパーは出しっぱなしにしないで毎回片付けてほしい」とか(笑)、由良を構成する成分や、考え方の癖の部分は、かなり似ているところがあると思います。犬と一緒に過ごす中で由良が抱く思いも、私自身が犬との暮らしを体験しているからこそ書けたり、書きたいと思ったことでもあるので、実体験は確かに結構反映されているという気もします。
実は、「由良みたいになってみたかった」みたいなところもあって。由良がちょっとずつ空回りして暴走していく感じは、愛おしく思いながら描いていたところもあり。
──物語が進むにつれて、由良が抱く複雑な思いはどんどん強まっていきますが、その気持ちの変わり方も、紗倉さん自身と被るところもあるんでしょうか。
ありますね。なかなか表にはあまり言えないこととか、後ろめたい気持ちとか、由良に代弁してもらうということではないけれども、日常的にずっと蓄積されてるものを、由良が語ってくれたりしているので。
でも由良の方が(自分より)かなり過激派ですね。言うこととか、チョイスとか。何を伝えるにも、言い方ってあるじゃないですか。由良は本当に「ここまで言うか」ってところがあって、その調子は私の母の方が近くて、たまに母が降りてる。母の声が聞こえます(笑)。
由良みたいになりたいけどなれないし、由良みたいにはなりたくない感じもある。
──由良と有里奈(主人公の親友)の関係性は印象的でした。信頼しあっているからこそ、お互いに被害者にもなり加害者にもなるという。
私は向坂くじらさんと往復書簡をやっていて、(そこで出た話題で、今の話と)若干つながるかなと思うのが、無意識の差別。結局みんな悪意があるんじゃなくて、無自覚に人を差別して傷つけているというのが、絶対あるし、私も敏感に感じ取るタイプではあるんですけど、きっと私もしてるんですよ。誰かに対して。だから、絶対的に被害者ぶってる自分というのはなんか違う気がしていて、絶対、加害者の側面がある。愛しい人に対して、かける言葉が適切なのかどうか。それこそ悪気なく言った言葉で相手が傷ついたり、「実はめちゃくちゃ嫌だった」ということも絶対あるじゃないですか。
──たとえ的を射ていても、言われて嫌なことは嫌ですよね。
そうなんです。そこの難しさは常に私も対人関係で感じていて、由良と有里奈もまさにそうですよね。お互い無自覚に傷つけあうことを言い合って、どっちが被害者で加害者なのかわからないような展開になってくるんですね。別にどっちも悪くない話なんですけど。絶妙な心の駆け引きみたいな。
──有里奈が「今そういう話してない」って言うところあるじゃないですか。象徴的ですよね。
有里奈は基本的に、かなり根が良い人。有里奈が言うことって内容的には何も間違ってなくて、常に理性が働いている感じ。でも自分が怒っているとき、落ち着き払った誰かに「今はそういう話をしてないよね」とか言われると、「同じ熱量で対応してもらいたかったのに」って思っちゃうじゃないですか。
だから、有里奈は常に由良を落ち着かせつつも、イラつかせる。それで、ぜひこれから読まれる方にも注目していただきたい、“パスタ事件”が起こるんですよ。
「だって私は、絶対に絶対に産まないんだよ!」
「……」
「……どうせハリエットを一生懸命育てても、ブロンを育てても、子育てにはならないんでしょ……!? カウントされないんでしょ、どうせ!?」
「そんなことないよ。立派な子育てだよ、それも。……でも由良。今はそういう話をしていないよね?」
──由良とパートナーの関係の描かれ方も面白い。結婚しているけど、ラブラブ、みたいな感じでもなくて、由良は夫に「好きだけど、こういう関係でいるのはもうしょうがない」と言う。
いろんな方から聞く「夫婦あるある」で、やっぱり長く一緒にいたら、恋人から家族に“なっちゃった”というのがあって。
私は、自分が生まれ育った家族も母が結構クレイジーだったので、家族という枠組みにあまり固執していないんですよ。ただ大人になって、家族という枠組み、“形”みたいなものを大事にすることに憧れたりもしていて。
「家族になった」って良いことのはずなのに、「もう家族になっちゃったから」みたいに、ちょっとネガティブに言われることがあるのがずっと頭の中に残っていたんです。
「好きだけどこういう関係〜」っていうのは、由良から夫への思いなんですけど、この二人だけじゃなくて、夫婦という形そのものの在り様として描いたところがあって。ここはぜひみなさんに読んでほしいなと。
「もうしょうがないよね」
「ん? 何が?」夫が目を見開いたので、「好きだけど、こういう関係でいるのは、もうしょうがないよね」と言った。「ん? 好きだけどこういう関係、っていうことは、この関係は好きな感情を持っていたらないだろうって思えるような、そんな良くない関係ってこと?」
「わ、ちゃんと聞き取れている。珍しいね」私が演技っぽく驚いた声で言うと、「英語だって日本語だって、由良ちゃんの言葉だったら聞き取れるよー?」とおどけた調子で返してきたので、私は久々にちゃんと笑った。
──たびたび登場する「群れ」というキーワードについて伺いたいです。
「群れ」は私が犬を家に迎えてから感じたことなんです。子犬を迎え入れたとき、めちゃくちゃ夜鳴きがすごかったんですよ。犬の夜鳴きって、人間の赤ちゃんのような、オムツ変えてとか、ミルクちょうだいとか、お腹空いた、とかとは違う性質のもののように感じて。十分にご飯を与えていっぱい遊んでいても鳴くんです。私の犬が夜鳴きしていた一番の理由として私が勝手に感じていることは、これまで複数のワンちゃんの中で生きてきて、急に自分だけが群れから離れたこと、群れとして生きていく習性がある生き物の本能的な叫びみたいなものだと思って。私はそれに衝撃を受けたし、どうしたらいいんだろうとすごく悩んでいたときがあって。
結局「家族」って、集団を呼ぶ単位みたいなものじゃないですか。それと一緒で「群れ」も集団の単位じゃないですか。私はどっちかというと、「家族」っていうより「群れ」っていう形で生きていく方が自分に合ってる。その都度メンバーを変えたり、招集の仕方を変えたり、途中で誰か抜けたりまた戻ってきたりみたいな自由がある、そういう「群れ」みたいなものに憧れます。
それでも有里奈と一緒に過ごしているうちに、どうしてか有里奈と私はとても近いように感じてしまっていただけで、有里奈とは家族でもなんでもないのだし、確かに大事な親友かもしれないけれど、全てのことの足並みを揃えなくたっていい。そんなことは当然。でも有里奈といる時は、ちゃんと群れになっていた気がする。私と有里奈という、二人っきりの群れ。
──今の紗倉さんの仕事も「群れ」みたいな感じはあるんじゃないですか。女優さんとして。
集団でありながら個人で動くみたいな、その感覚は私たぶん好きなんですよね、生き方として。集団にドバッと押し込まれて足並み揃えて一緒にやりましょうとなると、きっと嫌だってなっちゃったりするんですけど、みんなただの「群れ」として集まっていて、各々が何してても別に気にしないみたいな、そういう集まり方、遊びがある状態みたいなのが、私の中での、理想の人との共生の仕方なのかなというところがあります。
──家族のありかたにも縛られないみたいな。
そうですそうです。「家族」っていう言葉に実は結構苦しめられることあるじゃないですか。うちなんて、本当、解散宣言されたわけですからね。「うちはもう解散です!」と。中学のときからずっとそのショックがあったんですけど、でもここに来てなんか「家族」っていう形へのこだわりを捨てるっていうことの、一つの縁(よすが)となるような、すがれるようなところとして、この「群れ」っていう形に行き着いたんだと思います。
トークの後、会場に寄せられた多数の質問にもお答えいただきました。その中から1つ紹介いたします。
──「ちょうど私も30代に突入し、良くも悪くも変わらない生活を送っている自分と、結婚し出産し家族として生活を送っている友人と、勝手に比較して劣等感を感じたりしている、今の自分にすごく響きました。まなてぃーは30代になってから心の変化はありますか? また今の自分を愛せるようになるにはどうしたらいいか、まなてぃーに教えてほしいです。」
めちゃくちゃわかります。私も、もともと人と比較しがちな人間なんです。嫉妬から生まれた人間なのではってくらい、満遍なく何にでも嫉妬してきて。
「天才」って言葉に対しても、天才になりたかった、でも絶対なれなかった側の人間で、憧れてたんですよ、ずっと。厨二病のように。たとえば「BEATLES天才!」とか聞くと、BEATLESにまで嫉妬するくらい、私の嫉妬って際限がないんですよ(笑)。
自分がなんでそんなふうになったんだろうって思うと、昔、何においても順位をつける学校に通っていて。「鉄棒ワースト3」に入れられて、家帰って泣きながら、「お母さーん、今日私鉄棒ワースト3だったー」みたいな(笑)。字も、その先生のお気に入りの独特な美文字があって、その型にハマってる子に対してすごく贔屓して、チューリップのスタンプとか押してるんですよ。それが欲しくて欲しくて、でもいつももらえなくて。
常に成績の順位も貼り出されてたし、そうやって競い合うっていうこと、人と比較して自分が今どの位置にいるのかみたいなのを、常にいろんな方面からジャッジされて。
自分でもすっかり忘れていたんですけど、母親と話しているときに、「あんた本当に常にランキング付けされてたからね」みたいなことをしれっと言われて、あー、みたいな。
それで、「もう根っこは変わらないかな」って思ったんですよ。ずっとその癖がついているわけですから。だけど、最近になって、当たり前のことなんですけど、嫉妬したとて、私の人生にそれは関係ないじゃんって思うようになってきたんです。
他人が成功を収めていたり幸せであっても、それと自分の人生は全然関係ないじゃないかって。その人が幸せになって、私が不幸になるわけじゃないし、でも誰かが幸せになると、なぜか自分が天秤にかけられて不幸になるような、そういう焦り方があったんじゃないかなって。
「私は誰がどうであっても、干渉されないたった一人の生き物だ」っていう、めちゃくちゃ当たり前なことを、最近になってちゃんと思うようになって。そこからあんまり、結婚・妊娠出産・キャリアアップとか、人生にはいろいろある中で、「きーっ」みたいに嫉妬することはなくなりました。
──嫉妬を「眺める」みたいな? そういう感じ?
嫉妬は悪いことじゃないと思うんですけど、いくら羨ましがったって私はその人にはなれないし。私は自分から逃げられないんだなって、改めて思っちゃったりして。
それで最近、図々しさが増してきて、自分を愛せているような気がします。自分を愛しきれてる、とまでは思わないんですけど、たとえば何かに打ちのめされたときに「みんなすごくって私はちっぽけな人間で、ああ私かわいそう。本当に真面目に頑張って生きてるのに、こんなに誠実に真摯にやってるのに。なんて私かわいそうなんだ! ふざけるな!」みたいな、あえてそういうことを思い続けてたら、自分のことを好きになった(笑)。
私はこんなに頑張っているんだから、こんなかわいそうな思いをするべきじゃないんだって、めちゃくちゃ自己愛が溢れてくるんで。なんならナルシストじゃない?っていうくらい(笑)、汚い感情を持っていながらも自分のこと愛せる気がするようになった感じがしますね。
でも、本当に落ち込むときとかね、自分ちっぽけすぎてなんなんだ、みたいなときもありますよね。30代って本当にいろいろ考えます。自分が変わってなくても、周りが変わるから。変わらないといけないのかなって勝手に思っちゃう気がするんですよ。
どの人の選択にもどの人の生き方にも、何がベストとか正解とか不正解とかなくて。でも、さもそれが正解かであるかのように見立てる風潮があったり、そういうのを見て、みんな多分傷ついたり焦ったり。私はそこに対しては反発するような心持ちで、常に書いています、たしかに。「あの子のかわり」も結構そういう気持ちが強かったんです。
──最後に会場の皆さんにメッセージをお願いします。
みなさんにここに来ていただけていることも、この本に興味を持っていただけることも、本当にありがたくて。テーマ的に女性メインの話なのではと思われることもあるかもしれないですけど、これは男女関係なく人間としての一つの物語として、ぜひ読んでいただけたらなと思います。
大盛堂書店では現在、『あの子のかわり』を入り口すぐに大展開いただいております。紗倉さん自身も「私の本と読者さんの“聖地”みたいなところ」と語る大盛堂書店に、ぜひお越しくださいませ!

『あの子のかわり』










