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世界的考古学者が「言葉がどう生まれたか」の謎を遂に解いた『言語の人類史』訳者特別寄稿
岩坂彰
2026.04.22
言語はなぜ、いつ、どのように生まれ、いかに進化してきたのか——。
『心の先史時代』『歌うネアンデルタール』で著名な考古学者、スティーヴン・ミズン教授が、この人類最大に謎に壮大なスケールで挑んでみせた一冊『言語の人類史』が発売されました。
サルの鳴き声、声道のしくみ、石器の製作、子どもの言語学習、火の使用、脳の進化、遺伝、意味や発音の変化、抽象思考、象徴性……ジグソーパズルさながらに多岐にわたるピースを、言語学、考古学、人類学、遺伝学、神経科学、心理学、動物行動学などなど各分野先端の知見を駆使して組み合わせ、言語進化の全体像を提示してみせた力業です。
この大著を訳し終えた翻訳家・岩坂彰さんが、「The Language Puzzle」(人類進化のパズル)を鮮やかな図に起こしつつ、熱い知的挑戦の魅力を語ります。

スティーヴン・ミズン著/岩坂彰訳『言語の人類史——言葉の進化の謎を解く』

言語は人類が生み出した?
人類最初の文字は、楔形文字であれ亀甲文字であれ、人間の知性が生み出した発明と言ってよいと思う。その文字で書き表された言葉、つまり言語もまた、人類の知性の産物であると思っていた。だが本書『言語の人類史』を訳し終えた今、そうではなかっただろうと考えている。
たしかに構造化された言語は人類特有のものである。しかしそれは、人類が生み出し、進化させてきたというよりも、人類の脳と身体の構造の変化に付随して自ずと生じてきたシステムと考えるほうが真実に近いのではないかと思えてきたのである。
まずは、本書の著者である考古学者スティーヴン・ミズンが、言語の発生と進化の謎にどのように取り組んでいるかを紹介しよう。
先史時代を浮かび上がらせるジグソーパズル
ミズンはこれまで、ネアンデルタール人を含む先史時代の人類の心のあり方について多くの著作を発表してきたが、言語を中心テーマに据えた著作はなかった。言語には関係する分野があまりに多く、うまくまとめられなかったようだ。
ところが、この課題をジグソーパズルとしてイメージするという着想を得て、本書を執筆できたのだという。各分野に散在する証拠(=ピース)を組み合わせて全体像に迫ろうというわけである(原書タイトルはThe Language Puzzle)。
そのジグソーパズルは、初期人類史(第2章)と言語の概観(第3章)を外枠として、その内側を埋める12のパーツ=動物行動学(第4章)、古人類学と音声学(第5章)、認知科学(第6章)、旧石器学(第7章)、コンピューター科学(第8章)、言語獲得研究(第9章)、文化人類学(第10章)、脳科学(第11章)、遺伝学(第12章)、言語変化研究(第13章)、認知言語学(第14章)、考古資料学(第15章)=からなる。各章で言語進化につながりそうなピースを組み立ててそれぞれの分野のパーツを作り、それらを組み合わせて全体の絵柄を浮かび上がらせる、という構成を取る。
本書を訳し終えた私の頭の中で組み立てられたジグソーパズルは、以下のようなものだった。
※クリックすると拡大されます。
初期人類史と言語の概観のふたつのパーツが上下の枠を形作る。左端が人類とチンパンジーの共通祖先(LCA)がいた約600万年前。右端が石器時代が終わり農耕が始まった約1万年前である。中心を貫くのは、考古学者である著者にふさわしく、石器製作技術の発展。上部は脳をはじめとする身体的パーツ、下部は社会的パーツおよび言語分野内のパーツで埋まる。
この図の中から、著者が考える言語の発生と進化に関係する各分野間のつながりをいくつか紹介しよう。
脳と石器と言語は、並行関係にある
図の左端に近いところに言語の発生段階がある。
言語学的研究から、吠え声やうなり声から言葉への橋渡しとなったのは、アイコン(類像)的な音声であった可能性が指摘されている。アイコン的とは、対象の性質を模倣していることを言う。現代語で言うとオノマトペが代表例である。初期人類も、たとえば危険なヘビを表すために地面を這いずるような音声や身振りを使ったと考えられる。ところが、このように視覚的な情報を音声で表すには、視覚、聴覚、体性感覚などの間にクロスモーダルな連携がなければならない。
チンパンジーなど現生の類人猿を対象とする認知的研究から、彼らには視覚的対象(形)と聴覚的対象(音)を「似たもの」として捉えることが苦手であることが分かっている(丸い形と丸い音、尖った形と尖った音の結びつきを見る「マルマ/タケテ」「ブーバ/キキ」実験など)。
すなわち、人類の祖先が完全にアイコン的な鳴き声を発するようになったのはLCAより後のことと考えられる。おそらく、脳が拡大したホモ・ハビリスの時代に、視覚野と聴覚野、運動野、体性感覚野などの間に連結が生じ、その経路のニューロンで信号漏出が起こって「共感覚」的でクロスモーダルな連携が可能になったのではないか、とミズンは推定する。
次に、図の中で左右に延びる脳と石器製作技術のパーツを見てみよう。
考古学者ミズンは、初期人類の頭蓋骨の形から脳の容積と形状を、頭蓋底の形や舌骨から声道の形を推定する。また、他の骨格構造からは二足歩行や投擲能力や未成熟での出産(幼児期の出現)など、間接的に言語の発達に関係しうる条件も考察する。
一方、石器については、250万年前以降にアフリカのホモ・ハビリスなどにより製作されたオルドワン石器、160万年ほど前からホモ・エレクトスにより製作されたアシューリアン(両面加工)石器、40万年前以降のネアンデルタール人やホモ・サピエンスによるルヴァロワ技法と、製作技術の進歩を詳述する。これらの技術的進歩は漸進的ではなく、オルドワンやアシューリアンは100万年も変わらず使い続けられた後に、にわかに次の段階に移っていくという。
こうした変化の時期と、頭蓋骨から推定される脳の大きさや形の変化の時期は符合する。たとえばアシューリアンの出現期は、後にブローカ野と呼ばれるようになる脳領域の出現期と一致するのである。ブローカ野は言語に関係することがよく知られているが、運動のコントロールにも関係する。そのことはアシューリアンのような対称的な形の石器製作にとり重要だったはずだとミズンは指摘する。
そして、進化した石器の特徴である定型性や汎用性、また製作手順の構造化が、その場限りのアイコン的な発声とは異なる定型性や汎用性や構造を持つ「言葉」の特徴と重なることに目を向けるのである。
球状になった脳、メタファーという力の獲得
このように、ミズンは脳の進化と石器製作技術の発展と言語の進化の間に関連性を見いだしていく。
中でも重要なのが、ミズンが「認知的流動性」と呼ぶものである。認知的流動性はミズンが旧著『心の先史時代』(1996年)で提案した概念で、初期人類では社会、自然(博物)、技術にそれぞれ特化した知能領域が発達していたが、現生人類ではこれらの領域間が流動的につながり合うようになったとする考え方である。
『心の先史時代』では、領域特異的な知能を(キリスト教の)聖堂内で壁面に個別に設えられた各チャペル(礼拝堂)にたとえ、認知的流動性を、それらのチャペルの間に穴が開けられた状態として説明していた。
正直に言うと、私がはじめてこの説明を読んだとき、このようなイメージは、そう考えれば説明がつくという程度の思い付きの構成概念ではないか、と少々不満だった。だが本書『言語の人類史』で、ミズンはこの概念に具体的な裏付けとなりうるものを提示している。
それは30万年前から10万年前にかけて進行したホモ・サピエンスの脳の球状化である。脳は球状化と共に、機能的に特化した脳領域間をつなぐ広範なニューラルネットワークを発達させたとミズンは推測する。心理学者のアネット・カミロフ=スミスが「グローバル・ワークスペース」と呼び、コネクトーム研究により実際に確かめられているニューロンのネットワークである。
ネアンデルタール人が持たなかったこの広範な脳内ネットワークにより、ホモ・サピエンスは異なる領域の概念をつなぎ合わせるメタファーの力を獲得し、抽象概念を操れるようになっていった、とミズンは想像を広げる。
言語進化のシナリオ
ミズンはこうして各分野のパーツを用意した後、最終章でパズルを完成させ、以下のような言語進化のシナリオを提示する。
・800万~600万年前
LCA(人類とチンパンジーの共通祖先)の時代、鳴き声にはある程度言葉的な性質が存在したが、発声のコントロールは不十分。鳴き声はホリスティックな意味を持ち、個別の意味を持つ音声を組み合わせることはなかった。
・400万年前~
乾燥化により森林から草原の生活に移行。アウストラロピテクス属のホミニン(ヒト族)の中で統計的学習能力の高い個体が自然のサインを読み取る力により集団内での優位性を高めた。この淘汰圧と、石器を使って動物の肉や骨髄を迅速に入手できるようになったことにより、ホミニンの脳は拡大していった。
・280万年前~
大きな脳を持つホモ属(ハビリス)が出現し、各感覚野・運動野の間の連結の増大とそこからの信号漏出により、共感覚的な状態が生じた。それにより、アイコン的な鳴き声や身振りが使われるようになった。オルドワン石器を製作。
・180万年前~
ホモ・エレクトスは二足で歩いたり走ったりして行動範囲を広げ、石器を持ち歩いて多用途で用いるようになった。脳にはブローカ野が発達した。二足歩行の影響で赤ん坊が未熟状態で生まれ、幼児期が出現。音声学習の期間が生まれた。こうしてアイコン的な音声セグメントが世代から世代へと伝わる間に、統計的学習能力と共感覚的知覚を通じて「アイコン的な語」が成立する。
ブローカ野の機能にも支えられ、石器はアシューリアンの両面加工石器に進化。各種の石器には名前がつけられた。アイコン的な語の組み合わせで「言語」の萌芽が現れた。だがホモ・エレクトスの脳は共感覚性に縛られ、アイコン的な語から先に進むことはなかった。
・75万年前頃~
ホモ・ハイデルベルゲンシスは現生人類に近い大きさの脳を持ち、機能的に特化したいくつかの領域(社会、自然、技術に関係する入力情報を処理する)を発達させていた。これによりアイコン性の縛りは弱まり、学習中のエラーや社会的圧力などを通じて恣意的な言葉が出現してきた。世代ごとに学習を繰り返す間に品詞や文法語が成立していった。
・45万年前頃
ホモ・ハイデルベルゲンシスの声道は現生人類的に変化していた。その遺伝子は、ヨーロッパのネアンデルタール人とアフリカのホモ・サピエンスに受け継がれた。
・30万年前~
ホモ・サピエンスの脳が球状化し(~10万年前)、機能的に特化した領域間が接続されて「認知的流動性」が生じ、別領域の概念を重ねるメタファーが用いられるようになった。そこから抽象概念と抽象語、象徴的思考が生まれてきた。遅くとも4万年前までには、ホモ・サピエンスは構成性を備えた「フルモダン言語」を操っていた。ネアンデルタール人にはこのような変化は起こらなかった。
私たちは使っている言語とは、いったい何か
こうしてミズンが描いたシナリオは、言語学の専門家ではない学者が想像するひとつの仮説にすぎない。裏付けも万全とは言い難い。だが、かなりいいところを突いているように思う。
このシナリオを通して見ると、言語というものについて新たな見方が開けてくる。
冒頭に記したように、私には言語が人類による「発明」とは思えなくなってきた。言語とは、様々な環境変化に適応して淘汰を繰り返した初期人類の脳や身体構造の変化に伴い出現・発展してきた情報伝達システムのひとつの形なのではないだろうか。
本書の第8章で、言語進化シミュレーションの研究者による「(このモデルの)システムは適応をする」という言葉が紹介される(p.203)。人間が適応をして言語を獲得したのではなく、言語システムの方が人間の生物学的、あるいは社会文化的条件に適応して進化してきたとも考えられるのである。人類に特有の言語は、言語システム自体の適応によりたまたまこのような形を取っただけかもしれない。
余談だが、ミズンは本書中でチョムスキーの普遍文法を繰り返し批判している。たしかに文法構造の面では世界の多様な言語のすべてに共通するものはないもしれない。だが、言語というものが上記のように脳や身体に適応したものならば、その脳や身体のあり方(=フルモダン言語を成立させている条件)そのものが「普遍文法」だと言えるのではないかと思ったりもする。
どんな言語の話者でも「マルマ/タケテ」実験で同じ傾向を示すのならば、そのマルチモーダル性は人類に普遍的な言語基盤なのだから。そう考えると、言語の獲得能力そのものを「普遍文法」と見るチョムスキー本来の考え方にむしろ近づくようにも思える。
話を戻すと、ミズン自身は、言語を人間から独立したシステムとして見るというところまで踏み込んで語っているわけではない。考古学者として、先史時代の人類はこのように言語を得て、発達させてきたのではないかと推定しているだけである。
だが、考古学に関係しているとはいえ、専門外の文献を広く調査し、言語学者も遺伝学者も脳科学者もいまだ全体像を描けていない人類の言語史に単身斬り込むというのは、たいへんなことに違いない。この学際的挑戦の熱量に煽られ、私は「言語とは何か」というところまで思いを馳せることができた。読者もそれぞれに新たな刺激を得られるのではないかと思う。
あえて未踏の領域への冒険に乗り出したスティーヴン・ミズンの勇気に敬意を表したい。
==本編は、スティーヴン・ミズン著/岩坂彰訳『言語の人類史——言葉の進化の謎を解く』にてお読みください。==

スティーヴン・ミズン著/岩坂彰訳『言語の人類史——言葉の進化の謎を解く』











