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第59回文藝賞受賞記念対談  安堂ホセ×島本理生「本気の遊びに本音を乗せる」

実際に生きてるってこと。盗用したポルノごっこじゃなくて――

アフリカのどこかと日本のハーフで、昔モデルやってて、ゲイらしい。スポーツブランドのスタッフ専用ジムで整体師をするジャクソンについての噂。ある日、彼のTシャツから偶然QRコードが読み取られ、そこにはブラックミックスの男が裸で磔にされた姿が映されていた。

鮮烈なる逆襲劇を描き、各誌紙、SNSに快哉の声があふれる第59回文藝賞受賞作『ジャクソンひとり』。受賞を記念し、選考委員の島本理生氏と安堂ホセ氏が対談を行った。

 

(右)=島本理生氏、(左)=安堂ホセ氏

「服にQRコードがついていて、もしそれを知らない人が読み取ったら」

島本 「ジャクソンひとり」は、四人の男性が見分けづらい外見を逆手にとって入れ代わる、という発想が非常にテーマともリンクしていて面白く読みました。そこには男性同士の性や暴力も描かれていますが、過激さだけが作品の本質ではなく、その狭間に繊細な叙情性が差し込む瞬間があって、私はそこにとても惹かれました。たとえば「一度でも親切にしてくれた相手のことを、はっきり敵と見なす勇気がジャクソンにはなかった」というところや、「判断力が鈍っている」「うん」「怖い怖い」と言い合って終わっていくところなど、感情にまつわる描写が印象的でした。捻られた展開で物語を動かす一方で、描き方が0か100じゃなくて、69、とか36、といったような、人間の定まり切らなさを書ける方だなと、私は作品を読んで感じたんです。そこが素敵だと思いました。

 

安堂 そう言っていただいて、すごく嬉しいです。最初はもうちょっとジャクソンが極端な性格であるというような書き方をしてたんだけど、それを変えたんですよね。

 

島本 勤務先で上の人にジャクソンがクレームを入れますよね。それに対してエイジから、「気分で決めてない?」と言われて「俺に気分があっちゃダメですか?」とジャクソンが答えるところ。一貫した主義主張があるものだという自分の思い込みにも気づかされて、ハッとしました。そういった瞬間がこの作品は本当にたくさんあるんですよね。ジャクソンの性格のいろんな細部の揺らぎみたいなものがよくて、それがすごく小説の奥行きを感じさせる作りになっていたように私は感じました。どういう風に書いていったんですか?

 

安堂 最初は「服にQRコードがついていて、もしそれを知らない人が読み取ったら」といったような思いつきから始めました。オチもあんまり考えないで書き始めていって。今島本さんに褒めていただいたところは、最初から決めていたわけではありません。こういうことが起きたら、登場人物がどう思うかみたいなことをひたすら考えて、なるべくその感情に素直に素直に、と考えて書いていきました。小説としてこういう形のほうが理想的、とかカッコいい、といったようなことを考えないように、心の動きに集中して書いていくことが多かったですね。

 

島本 そうなんですね。だからこちらも恣意的に導かれるのではなく、思わぬところで感情が自然に動くような感覚だったのかな、と思います。

 

島本理生 1983年、東京都生まれ。近著に『憐憫』(朝日新聞出版)。

 

安堂 嬉しいです。

 

島本 特に好きだったところがジャクソンとジェリンの在留カードのやりとりにある、「俺の在留カードがなかったから、意地悪されたんだよね、ごめんね。ジャクソンのアンラッキーっていうより、俺の話だよね。俺がそうなってたかもしれないって話だよね。ひとごとみたいに寝ててごめん」というところ。彼らの関係性だからこそ、この台詞が自然にここで出てくることに納得しましたし、そのあと「ジェリンにぶつけるつもりで喉までせりあがっていた言葉なのに、いざ本人の口から聞くと訳のわからないショックを受けた。ジャクソンはジェリンに抱きついた。」というところも、最低限の描写と説明だけなのに、ここは「抱きついた」という動作しかないという実感がありました。なにか感覚として分かる、というのがこの小説に惹かれた一番の理由かもしれない。

 

安堂 説明するのを忘れている、くらいの感じだったかもしれません。ここも最初から考えていたシーンじゃなかったんですけど、これしかないというか、こうだよな、みたいな気がして、素直に書きました。抱きついたりするシーンって、エモさでごまかしているような印象もあるのであんまりやりたくないんですけど、ここはいいかなって感じで書いてましたね。

 

安堂ホセ 1994年、東京都生まれ。2022年『ジャクソンひとり』で第59回文藝賞受賞。

 

Netflixの30分ドラマみたいな小説にしたかった

島本 服にQRコードがついてアクセスできるところから始まり、ジャクソンに似ているように見える男性たちが四人で入れ替わるという流れは、物語の仕掛けとしても考えられているなと感じましたが、これまでどういったカルチャーに影響を受けてこられたのでしょう?

 

安堂 もともと大学で映画の勉強をしていたこともあって、映画や映像をよく見ていました。Netflixで見られるような海外ドラマが好きでよく見るのですが、ああいう30分くらいの尺で単純に見ててワクワクする面白い展開をつくりたいなと思って。仕事が終わって疲れて家に帰って、みんなで適当に見て楽しめるような、難しく考えすぎないで一気に読んでもらえる小説をつくろうと思いました。「セックス・エデュケーション」とか好きですね。あと、サスペンスや「マイ・ディア・ミスター〜私のおじさん〜」っていう韓国のドラマとか。

 

島本 拝読していて、映画がお好きなのかも、とは少し思っていました。いいですね。好きで楽しんで見てるものを自分でもやってみようという。

 

安堂 そうですね。その自分版をやりたいと思いましたね。

 

島本 私ももともと映画が好きだったので、小説を書くときは映像から想像して書くんです。なので、映画から風景の書き方なんかは影響を受けてる気がします。主人公の目線だと相手しか見えてないですけど、映画だと海辺を引きで撮ったりする。

 

安堂 わかります。

 

島本 雪景色のなかでも海辺でもいいんですけど、そこに主人公と恋人がいるようなシーンを私は引きで書いてるところがあって、それは映画の影響かもしれない、と今ふと気付きました。ただ、作品を読んで一つ思ったのは、ジャクソンの思考や内面の揺らぎだったり、それこそ気分でたまに良いも悪いも裏返ったり、ちょっとしたことで憎んだりするようなこと、誰にでもある微妙な感情は、もし映画だったらここまで微細には分かり得なかったし、むしろ彼らの想いを簡単に自分のことのように感じてはいけない、と思ったのかもしれない、ということなんです。それを小説として個人的に受け取ることで、私は自分の知らない世界、自分が知らないけれど知っていた感情、新しい気付きに出会えた、と思って、それがとても嬉しかったんです。

 

一人称と三人称の使い分けはどうしてる?

島本 昨年も「赤青闇黄色坂」という作品で最終選考に残っていらっしゃいましたよね。そのときは一人称の小説だった記憶があって、今回は三人称です。変えられた理由はあるのでしょうか。

 

安堂 ゲイの書き手がゲイの小説を書くときに一人称を使うと、自分の話やエッセイみたいなものと思われて、小説と思ってもらえなかったりすることがあるなと前から思っていました。たとえば悲しい状態を一人称で書くときに、書き手よりも読み手のほうが入り込みすぎちゃうというか。悲しい話で悲しい語り方です、となると読んでいる人からしたらそれは単純にしんどかったり、最初の時点でこの作者は何を訴えたいかを決めつけて、読む気がなくなっちゃうことがあるのかなと思って。

 

島本 そうなんですね。

 

安堂 遊びに見えるようにしたかったんです。だから設定も日本だけど片仮名の名前がたくさん出てきて、話のスピードもすごい速くて、コミカルな感じで読んでもらえたら。言い方は悪いんですが、舐めた態度で読んでもらえるようにしたかったんです。いろんな人が出てくるから、一人称でジャクソンがいろんなことを追っていくよりも、読み手と少し距離がある三人称で書いていったほうが話も進めやすいとは思いました。

 

島本 私も今回の構成とストーリーには、三人称視点がすごく合っていたと思います。ストーリーの構成といい意味での抑制を意識して書かれたのかな、と読んだときに思いました。

 

安堂 島本さんは一人称と三人称の使い分けってどういうふうに決めてるんですか?

 

島本 私は基本は一人称なんですよね。自分の好きだった小説に一人称が多かったというのもあって。だから逆に三人称で書こうと思うときは、普段より自分と切り離した俯瞰の視点が必要なときと、あとは大きな物語を書こうとしてるときかもしれないです。

 

安堂 人というより話というか?

 

島本 そうです。明確にストーリーを重視したものを書こうというときに、三人称をとることが多いかもしれないですね。

 

安堂 一人称で自分に近い人を書いたりするときって、これはこう思われるから書かないようにしようとか、細かいところで僕は迷ってしまうことも多いんですけど、そういうことってあったりしますか?

 

島本 一人称だとこう思われるかもしれないから迷う、はないんですけど……でも難しいな、あるかもしれない。自分ではないと思っていても、たぶん無意識のうちに、こうありたいとか、こういうふうな読まれ方はされたくないっていう取捨選択はあると思います。たぶん人によって全然違って、みんな違うポイントがあるかもしれないです。

 

安堂 けっこうそれを難しく感じているんです。一人称の作品は、自分自身が今この言葉をこの段階で書きたくないといったような思いがけっこう出てきて、本当に書くのが難しいなと思いました。前作よりも今作のほうが楽しく書けた気がします。前作は自分に似た人の一人称の語りで進む作品だったので、どこまでが実体験なのか、とか実体験と思われないようにするにはどうしたらいいのか、とかばかり考えてしまって。自分が語りたいことを語り手が言いすぎるとテーマが前面に出すぎるから違う登場人物に言わせたほうがいいかなとか、そういうことを考えてたら、けっこう入り組んでしまって大変で。

 

島本 自分に近い状況の主人公を、作家が一人称で書く行為はとても勇気があると思うんです。ただやっぱり距離を取るのが難しいし、かえって読者に理解されづらい、という場合には、主人公の立場を観察者にして、主役を別に置くというやり方に変えたりもします。去年応募した作品が初めて書いた小説で、今回が二作目?

 

安堂 そうです。今回はそれを考えすぎず書いたことが、すごくやりやすかったです。楽しみながら最後まで書けた感じがしました。

 

島本 書いていると楽しい作品っていいですね。これまで書いてきた実感としては、書いていて楽しかった場面や作品って読者にも伝わるので。

 

安堂 反応がよかったですか?

 

島本 そうですね。そこは重なることが多いと思います。

 

それぞれのリアルな「復讐」がある

島本 小説って作者の実感の有無によって、たとえば同じ「悲しい」という言葉を使っても、一方では全然悲しくなくて、別の一方ではただ「悲しい」って書いてあるだけで本当に悲しく感じる、っていうような、不思議なことが起きるんですよね。「ジャクソンひとり」には、そういった実感や余白があったように感じました。ひとつお聞きしたかったのは「復讐」という言葉についてです。キーワードとして作品中によく出てくるんですけど、その言葉って物語を動かす上での鍵となるポップなものなのか、それとももっと様々にシリアスなものを含んでいるのか、その言葉に対してどういう感覚でお書きになったんだろうと思いました。

 

安堂 具体的に「復讐」として何をしたいか、というのは、実は四人ともそれぞれ動機が違っています。たとえばエイジに対しても、それぞれの人物が何をやり返したいか、どういう気持ちでやり返したいか、とかは微妙に違って、それを一言でいうときに「復讐」を使ってるかもしれないですね。ポップにしたいわけじゃないけど、読んでいてそこに目が止まらず、むしろ通り過ぎて読んでもらえたら、という感じで使ってましたね。

 

島本 前作のときもたしか復讐って言葉がけっこう多かったんですよ。

 

安堂 本当ですか。全然考えてなかったです。たしかに僕、「キル・ビル」とかめっちゃ好きなんですよ(笑)。

 

島本 そうなんですね(笑)。

 

安堂 タランティーノ監督作品のマイノリティの描写は、たとえば黒人の復讐物語でありながら、本編のほとんどは黒人への暴力を楽しむ作りになっていたりして、全然良くないと思うのですが、サブキャラのキャラの立て方とかエピソードの入れ方とか、山場と山場をつなぐだけの場面でも、面白くなるまで絶対にそのシーンにとどまる感じが好きで、真似したいなと思ってましたね。

 

島本 「キル・ビル」、私も当時見ました。前後の辻褄無視の、ヴィジュアル重視の暴力シーンの連続が衝撃でした。あれ、さっき雪降り始めたよね? もう一面積もってるけどどういうこと? みたいな(笑)。

 

安堂 ガバガバなんですよね。空間もガバガバだし、話の進め方もガバガバみたいな。

 

島本 女同士がひどい目に遭うひどい話ではあるんですけど、当時見たとき、とにかくこの絵が撮りたいっていう勢いとキャラクター的な面白さに押されて、私も熱中して見てしまいました。

 

安堂 そうなんですよね。けっこうひどいことが起きているのに、つい見れちゃうみたいな。

 

自分にしか書けない物語にまっすぐ挑むこと

島本 「ジャクソンひとり」というタイトルの意味が気になっていました。ストーリーの上ではむしろ複数だけど、ひとり、なんですよね。

 

安堂 自分と同じマイノリティの人が近くにまったくいない状態で悩んでるよりも、ちょっと似てはいるけど齟齬があるくらいのほうが、結果的に楽になるんだなっていうことを、書いているときに思ったことがあるんです。この悩みは自分だけの深刻な悩みだけれども、誰かからしたらちょっとオイシイとか面白いって思える状況のほうが健やかだな、と。まったく同じじゃなくて、微妙に違いがあるというのが楽に思えるんです。この小説もみんな自分のことだけ考えてる状態から始まるのは、そういうところが反映されているのかなと思います。

 

島本 安堂さんはいつから小説を書き始めたのですか?

 

安堂 去年初めて書いて文藝賞に応募しました。その作品の構想を思いついたときに、最初は映像にする方向で考えてたんですけど、映像って人がたくさん関わるものだから、一人の考えだけでは全然つくれないし、たくさんの人に説明をするのも厳しいなと思って。主人公の微妙な気持ちを自分だけで書けるのは小説だなと思って。二年前にたまたま「文藝」の「覚醒するシスターフッド」という特集を読んだんです。メッセージ性が強い文芸誌があるのかと驚いて、応募してみようと思いました。

 

島本 その作品が昨年の文藝賞の最終候補にもなっていましたね。

 

安堂 島本さんの去年の選評を読ませていただいたんですけど、すごい勇気をいただきました。ありがとうございます。

 

島本 いえいえ。前回の作品もよかったので、あのときもすごく迷って。でもこの書き手の方だったらまた同じ主題で違う物語を書かれるのかもしれない、そうだといいなと思っていたので、今回の受賞は本当によかったです。……私が「よかったです」って親戚のように……すみません(笑)。

 

安堂 嬉しいです(笑)。そのときは小説って何作も書けるって思っていなかったし、最初の作品ということもあって、これしかないくらいの気持ちでした。でも選評で「これからももっと書ける」みたいなことを書いていただいたりとか、触れていただいた冒頭のシーンも自分としてはかなり頑張って書いたところだったので、それがこんなに伝わるんだっていうのがわかって、それでもう一回書いてみようという書くきっかけをもらいました。

 

島本 角田光代さんが、このテーマは作者が書かざるを得ないことで、きっと本人が必要で書いているんだ、ということを選考会の席でおっしゃっていて、私も本当にその通りだな、と思いました。次の作品はもう考えているんですか?

 

安堂 文藝賞を受賞するかわかんないし、もう一作書きたいなという気持ちがあって書き始めていた作品があるので、それをまた完成させたいなと思っています。たぶんまた似た感じの話です。自分に関係ある話だと思ってます。

 

島本 題材は近くても、私は前回と今回でまったく違う印象を受けました。登場人物たちはそれぞれ異なる課題と内面を抱えていて、その個人的な細部こそが作品の魅力だと感じたので、テーマや題材が一緒でも似ているというふうにはじつは思わなかったです。どちらも独立した小説としてすごく面白く読んだので、三作目も楽しみです。

 

安堂 自分はこういう感じで、自分がテーマの作品を書いていきたいんですけど、どのくらいまで続けられるとかもすごい不安です。デビューしてすぐ本を出せなくなっちゃう人もたくさんいるし……。島本さんはデビューされた当時、小説を書き続けていくことに関してはどう思われていましたか?

 

島本 それを言ったら、私はいろいろ書いてきたようでも、主に年の差のある男女の恋愛の話、同じような話をずっと書いてるというのがあって。でもそこにそれぞれみんな違う人がいれば、全部違う話になるんですよね。だから人間に関心がある限り、書きたいことは失われないんじゃないかな、と自分では思ってます。あとは本を読むことかな。月並みになってしまうんですけど、他の作家の小説をたくさん読んでると自分でも書きたくなるし、自分の思考で凝り固まった部分を解放してもらえるので。その二つが大きいかなと思います。

 

安堂 小学校のときとかは全然本が好きじゃなくて、教科書とかもあんまり読めなかったんですけど、川上未映子さんの詩集『先端で、さすわ さされるわ そらええわ』を読んだときに、自分が大人やクラスメイトに本当に言いたかった気持ちを作品が言語化していることがわかって、けっこう文学って面白いと気づいて。そこから松浦理英子さんとか黒田夏子さんとか多和田葉子さんとかの本を読んでましたね。

 

島本 文学で女性の書き手の方が多かったんですね。

 

安堂 結果的にそうですね。読むときに自分では意識はしていなくて、なんでかはわからないんですけど。たぶんゲイの作家って棚はないじゃないですか。男性作家、女性作家って分かれてて、女性作家の人が書いてることのほうが自分の関心に親しみやすかったと思います。

 

島本 私は実は前から思っていたのですが、これだけ作家がいて小説があるなかで、女性同士の恋愛はまだわりと書かれるけど、今作のような小説は日本にあまりなかったのが、少し不思議だなと思ってたんですよね。こんなことを言ってしまうと身も蓋もないですけど、これだけ本が出ているなかで、他の人が書けない世界を書けるってすごく強みだと思うんですね。私自身は今回「ジャクソンひとり」を読んで、これまで気付き得なかったことに気付かされたり、性別や立場を超えて個人的に共感していいんだ、と実感できたことが嬉しかったです。きっと同じように感じる読者はたくさんいると思うので、いろんな方に読んでもらいたいなと思いますね。

(2022/8/29)

 

写真:藤澤由加

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著者

安堂 ホセ

1994年、東京都生まれ、在住。28歳。「ジャクソひとり」で第59回文藝賞を受賞しデビュー。

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