発売直後にもかかわらず絶賛の声、続々! 中村文則、2年ぶりの最新小説『彼の左手は蛇』書評

『彼の左手は蛇』
 

中村文則 著

 

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蛇がとりなす「狂気の水平関係」
評者=髙城晶平(cero / Shohei Takagi Parallela Botanica)

 

 ここ最近、毎日のように熊出没のニュースを目にします。山での食料を失った熊は、人里へ降りてきて畑を荒らしたり、人間を襲ったりしているようです。先日はスーパーマーケットの中にまで侵入したらしく、事態の深刻さには目を見張るばかりです。
 今年になってからは、熊を駆除するために、特例的に市街地でも猟銃の使用が許可されるという、改正鳥獣保護管理法が参議院本会議で可決・成立しました。
 人間ならば、たとえ町中で悪事を働いていたとしても、すぐさま銃殺となるケースはまれでしょう。熊の場合がそうでないのは、ひとえに彼らの力があまりにも圧倒的で、制御不能だからです。
 また、熊を殺したからといって、人間側が殺人罪に問われるということもない。同じように、熊が人間を殺してしまったとしても、彼らが人間の司法によって裁かれるということもあり得ません。熊たちは人間の秩序の外部に棲まう、聖なる存在なのです。だからこそ、彼らと我々の間の問題は、むき出しの命の奪い合いでしか解決できない現状があるといえるでしょう。
 では、そんな彼らのエネルギーを操ることができたとしたら、どうなるのか。
 
『彼の左手は蛇』では、聖なる存在は蛇という姿をとって描かれます。
 これは、ある男の手記によって構成された小説です。そこには、前述のような制御不能な聖なるもの=蛇の力を利用したテロの企てが綴られています。
 日本の中央に見捨てられた「町」と呼ばれるが村のような過疎地――かつては蛇信仰もあったという地で、誰かが逃したという毒蛇と主人公が出会う。そんなマジックリアリズムの香りをたたえた書き出しで、手記は書き始められます。
 幼少時に蛇に取り憑かれた記憶のある主人公は、この毒蛇との邂逅をきっかけに、以前仕事で付き合いのあったアメリカ人ビジネスマン、ロー・Kを殺害する妄想に囚われていくのです。
 その過程で、彼は白蛇を祀る宮司、蛇を求める女、「町」の市議会議員とその議員の死を調査する刑事という、奇妙な人物たちと関わることになります。彼らとのやりとりは、全て主人公の主観で綴られていくのですが、その文章は常に混乱――作中の表現を使えば「蛇行」──し続けています。読者は、禍々しいまでに「蛇行」した彼の思考を追い続け、憑依させなければなりません。
 手記のなかで語られる彼の論理はこうです。
 金儲けの末に、命をも軽んじるようになった人類や世界は間違っている。かつては世界中に蛇を信仰する社会があり、そこでは今とは違った価値観が認められていた。オルタナティブな価値観の象徴である蛇たちを解放することで、現代を体現する死のビジネスマン、ロー・Kに天罰を与える。世界の理不尽を是正するという題目のもとで、彼の破壊の欲望は正当化されるというわけです。
 主人公がこのような思い切った決断へと追い立てられていく要因は、主に「孤独」と「焦燥感」にあると考えられます。
 仕事を辞め、女性と別れた彼は、世界の中に自分を位置づけるための水平的な関係、横のつながりを失いつつあり、袋小路からの救済を、自分一人で高みへ到達しようとする垂直方向の運動に求めている。この状態が、幼少期から抱えていた蛇との宿命的な物語の文脈と合流した結果、彼を一連のテロ計画へと向かわせたといえるのではないでしょうか。
 
 しかし、彼は計画をすんなりと実行することができません。様々な妨害にあったから、ともいえるかもしれませんが、私には違って感じられました。
 実は、彼が出会った登場人物たちは、彼の行動を本当には止めようとはしません。刑事でさえ、彼を捕らえることをしないのです。
 宮司、蛇を求める女、刑事。彼らはそれぞれが狂気の中でもがいており、主人公との出会いの中で、口々に過去についての告白をします。彼が失った横のつながりに取って代わるかたちで、「狂気の水平関係」とでも呼べそうないびつな交歓があった後、モノローグだった手記は、毒々しいまでのダイアローグへと変容する。それが深まるほどに、主人公の信念は逡巡に足を取られていくように私には思えました。
 ここで私が告白しなければならないのは、物語終盤、主人公の葛藤が強まるほどに、私の心が「さっさとロー・Kを殺せ」と騒いでいたことです。彼の「蛇行」した手記に自分を憑依させ続けた副作用として、いつの間にか私自身が最も暴力的な蛇になってしまっていた──。
 この不気味な小説が暴いてきたものの正体に気づいた時、私は、主人公が念願した「失われた宗教の復活」が、とっくに成就していたことを悟ったのです。
 
 しかし、最後に物語は読者を思わぬ方向へと導き、蛇たちは我々に「生きろ」というメッセージを投げかけてきます。とぐろを巻いていた暴力性は、一気に純粋なリビドーへと昇華され、やがてゆっくりと消えていきました。
 本来、人間もまた熊や蛇と並び立って、聖なる存在としてあり得たはずです。だがいつしか人だけがそれを失ってしまった。失った聖性を補うためにこそ、人間は宗教や芸術を作ってきたのではなかったでしょうか。同じように、この小説が必死に「蛇行」しながら追求してきた主題もまた、人間の聖性──「本能」とも言い換えられるエネルギー──の回復にあったのかもしれません。
 少なくとも私の胸には、確かに得体のしれない熱源が宿っていた。読後のヒリヒリした余韻が、今もそれを物語っているのです。

 

【書店員から絶賛の声続々!】

 

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