ためし読み - 芸術

70年以上読まれ続ける稀代の美術書「2本のしおり紐」の絶大な効果──『美術の物語 ポケット版』刊行記念。「ポケット版への序文」を全文公開!

1950年に初版が刊行された『美術の物語』。本書には1971年の第12版以降に掲載された著者エルンスト・H・ゴンブリッチによる序文が掲載されています。また『美術の物語 ポケット版』には、これに追加して著者の孫レオニー・ゴンブリッチによる「ポケット版への序文」が掲載されています。

このうち「ポケット版への序文」は、ゴンブリッチの死から5年後の2006年に初めて刊行された『美術の物語 ポケット版』製作の裏話から、ゴンブリッチのこだわりをどのようにポケット版で工夫を凝らしたのか、またその工夫によって生まれた『美術の物語 ポケット版』の新しい魅力について語られています。

本書の巻頭で掲載されているこの序文は、これからはじまる美術史の長い旅の羅針盤の一つとなることでしょう。

是非、この機会にご一読ください。

 

 

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■ポケット版への序文

 

 絵を好きになるのに悪い理由など何一つありはしない。それがこの本の最初の数ページでわたしの祖父E・H・ゴンブリッチが表明している信念だ。この本は彼の著作の中でもっともよく売れた美術の入門書で、1950年に初版が刊行されて以来、世界中の数百万人の読者に喜ばれたものだ。あなた自身はどんな美術が好きか、という質問を彼はよく受けたが、そのときは、絵に「点数をつける」気はしないから、と逃げを打つのが彼のいつものやり方だった。結局のところ、好みとは変わるものだ。『美術の物語』があらゆる世代の読者にたいし新鮮さをもちつづけてきたのは、それが好みを語る本ではなく、代々の芸術家たちが全力を傾けて取り組んできた新鮮な挑戦の物語だからであろう。

 

 私の祖父にとっては、彼の熱烈な読者の多くがつねに自身も芸術家であること——この本の解釈を通じて自分たちの先祖の努力に血のつながりを感じる芸術家であること——が、大きな意味をもっていた。今日それを読めば、書き手の言語が当の時代の影を宿していること、のみならず、書き手が同時代の読者を想定して文を綴っていることは否定のしようがない。だが、そのような歴史的事実にもかかわらず、ゴンブリッチの美術の物語は、時の経過に流されないつながりが——創造し、発明し、新たに作り出す人間的衝動の普遍性と重要性の認識に根ざしたつながりが——美術の歴史をつらぬいていることを数十年にわたって示してきた。

 

 いま読者が手にしている本について言うと、『美術の物語』という本自体が、中身はもとのままだけれども、ある意味で新たに作り出されたものだ。新版の挑戦を見事になしとげたファイドン社の新世代の人びとにたいしては、祖父のみならず私の家族も感謝しなければならない。ここに収録された一連の序文は、ゴンブリッチがその都度、読者に向けて語った16版に及ぶ物語の、興味深い、ささやかな歴史を示している。このポケット版は、読者を十分に満足させつつ次々と刊行されたシリーズの最新版である。

 

 2006年、祖父の死の5年後にポケット版の第1刷が世に出たとき、シュラッグマンがその序文で述べているように、もともと各章の末尾に付録として載せられていた図版がなくなったのは、多くの人と同じく私にも残念だった。16版までは意味のあったこれらの図版が、ポケット版のデザイン変更によって宙に浮くことになったためだ。ただし、現代の読者は、いまも刊行中のフルサイズの第16版を手に取れば図版を見ることができる。

 

 もうひとつ気にかかるのが、図版はそれに言及した本文とつねに同じページに出すようにという、ゴンブリッチの頑固な原則から外れるポケット版でどう策を講ずるかという点だった。ゴンブリッチの原則は何年にもわたって出版社にも、デザイナーにも、著者にも多くの手ごわい難問を突きつけてきたが、その一方で無数の読者に好評を博してもきた。出版社の思いついた解決法は、本に2本のしおり紐をつけ、本文と図版のあいだをたやすく行き来できるようにすることだった。そんなふうに祖父の原則からの逸脱が気がかりだったので、私は文字と図版の配置については徹底して検討を加えねばならないと思った。そこで私は新装の本を通読したのだが、その結果、2本のしおり紐の方式が思い通りの効果を上げているのが確かめられてとてもうれしい。

 

 実際、この新装版では図版が本文に引きずられてあちらこちらに飛び散ることがないため、図版の明解さが増し、それがポケット版デザインの思いがけぬ長所となっている。

 

 けれども、なによりよかったのは新版の出来栄えを検討する通読が、祖父との水入らずのつき合いを改めて可能にしてくれたことだ。私は彼の書いたほかのものを読まねばならぬ機会を何度ももったけれど、何年ものあいだ『美術の物語』をまるごと再検討したことはなかった。正直に言うと、わたしは2本のしおり紐の効果を調べるために、1章か2章だけ再読するつもりでいたのだったが、明快で、知的で、人間性ゆたかな彼の文章は過去と未来の実に多くの読者を後押しし、してくれるだろうように、私を後押ししてくれた。美術の案内者としてのかれのすばらしさを私はよく覚えているが、美術館や画廊や宮殿や礼拝堂の宝物を見て回るときほど彼の話に磨きがかかることはなかった。

 

 好みは変わるかもしれない。しかし、過去の特別の芸術作品がなぜ世界中の壁面に並ぶのかを——そして、私たちがなぜその陳列を好むのかを——理解したく思うどんな人にも、この本は話しかけてくれる。このすてきなポケット版を手に、あなたもまた私の祖父を案内役としつつ、美術の世界が広がるさまを見ることができるだろう。

 

2022年10月 レオニー・ゴンブリッチ

書籍としては異例の2本のしおり紐をセット。

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著者

エルンスト・H・ゴンブリッチ

1909年ウィーン生まれ、2001年没。20世紀最大の美術史家。ロンドンのウォーバーグ研究所所長兼ロンドン大学教授を務める。ナイト爵位、メリット勲章、ゲーテ賞、ヘーゲル賞等世界各地で多くの賞を授与された。

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