ためし読み - 芸術

紛争下のサラエヴォ訪問と最後の恋のはじまり「ここで起きているのは戦争じゃない。では、戦争はどんなものなの?」60年間を自ら克明に記した奇跡の日記『ジェーン・バーキン日記』

紛争下のサラエヴォ訪問と最後の恋のはじまり「ここで起きているのは戦争じゃない。では、戦争はどんなものなの?」60年間を自ら克明に記した奇跡の日記『ジェーン・バーキン日記』

 

2023年7月、76歳で世を去った女優、歌手ジェーン・バーキン。

彼女は寄宿学校へ通う11歳の頃から、2013年、長女ケイトの思いがけない死まで、約60年にわたり何冊もの日記を書き残していました。

このほど刊行された『ジェーン・バーキン日記』は、ジェーン自身がこの日記を読み返し、当時を振り返りながら追記を加えた、彼女の「自伝」的作品。ありのままのジェーンの姿、これまで語られることのなかった思いが、この本のそこかしこに記されています。

第7回は、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争下の旧ユーゴスラヴィア、サラエヴォへの訪問途上に、三女ルー・ドワイヨンへ宛て綴られた、1995年7月の日記より一部抜粋、再編集してご紹介します。
母ジュディが、第二次世界大戦中のロンドンで激しい空爆に遭った際「スキャパレリのショッキングピンクの香水」を持って逃げたという話を深く心に留めていたジェーン。絶えず砲弾が飛び交う恐怖、死と隣り合わせの女性たちへ届けられた口紅、香水、シルクの下着といった「心の贅沢品」は、彼女たちに生きる喜び、尊厳を思い起こさせる大切な贈り物でした。 

 

* * *

 

ルーへの手紙、パリからザグレブへの道中

私のルーへ、
飛行機の中よ。スーツケースは預けたけど、コーヒーとあなたが包んでくれた砂糖、試供品とネグリジェは持ってきた。だからね、私のルー、あなたは私と共にあるのよ。カード、ありがとう。それからカバンの中で割れてしまったチョコレートもありがとう。ひどいことに溶けちゃったの!

そろそろザグレブ[クロアチア最大の都市]に着くわ。女の子たち用に香水を買ったところ。ビュエブ[支援団体「パリ・サラエヴォ」設立者のフランシス・ビュエブ]がもっとお金を隠すように言うんだけど、クラッチバッグは預けてあるの。ザグレブで降りた後、スプリット[クロアチア第二の都市]に向かう。目的地まで行けるのが嬉しい。私があなたを愛していることを忘れないで。この日記はあなたに宛てたものよ、私のおかしな女の子。ああ、トラブルなんてキライよ! でも怖くはないの。私には想像力がないから。


少女たち〈原注1〉のもとに行きたい。私が行くのをはばむものは何もない……。あぁ、揺れる! エルネスティーヌ〈原注2〉がいなくてもうまくいってたはずなのに。善意からだけど、彼女ったら今朝、私に遺書を書けって言うのよ! すべてうまくいくわ。なぜなら私の心の中のあなたはパリを走っていて、ローリング・ストーンズのコンサートに行っている。あなたがご機嫌な時もそうじゃない時も一緒にいるわ。


最後に、昨日の私はちょっとおかしかったかもしれない。不安だったの。ケイト[長女ケイト・バリー]、シャルロット[次女シャルロット・ゲンズブール]、ロマン[孫ロマン・ドゥ・ケルマデック]、あなたと離れたくなかった。庭であなた達を撮影したくなかった。それをあなた達の最後の姿にしたくなかったから……。


ザグレブに到着したわ。私のルル。どうやら私たちは頭がおかしいと思われているみたい! 空港でイゴールと世界の医療団の女性に会ったけど、私たちの目的地にとても驚いていた。とても危険だし、私たちの車は防弾でもないし、山の方から発砲されると言っていた。


つまり、最初の恐怖ね。これはファックスじゃなくて、あなたは後でしか読めないから言っておくわ。でも、偶然出くわしたビュエブの知人のジャーナリストでサラエヴォの政治ラジオ「99」の創立者であるその人は海岸のどこかに行っていたんだけれど、私たちが辿り着けるなら、彼も戻れる希望があると言っていた。おとといテレビが止まったけれど、それでよかったのかもしれないとも。


彼は私たちの幸運を祈り、感謝を伝えてきた。私たちが流れに逆行した探検をしている最中なんだと理解したの。つまり、全員逃げようとしている、子どもがいればね。私はあなたのことと、あなたが昨夜言っていた「私はママにいて欲しい。でもその人たちもママに来て欲しいから……」という言葉を話したの。彼らはとてもステキだと言っていたわ。

私たちはサラエヴォに辿り着けた時のために、彼のラジオ用のテープを持ってきた。テープは香水と一緒に収納棚にある。私たちのリュックはトイレに置かれているの。客室乗務員はそこを閉めると言っていたわ。オシッコに行く必要もないくらい短いフライトだけど! 海でバカンスを過ごすためにスプリットに向かう子どもたちのグループを見るのは楽しかった。人々はうんざりしてる。ここでは飛行機で30分の場所で戦争が起きている。とにかく私は何も分かっていないから……。

 

 

〈もしかしたら、彼が私の最後の恋かもしれない。〉サラエヴォ訪問で出会ったオリヴィエ・ロランから贈られた花を絆創膏で貼った1995年8月の日記。『ジェーン・バーキン日記』下巻「Post-Scriptum」 P270より

 

徹底した反セルビア派のイゴールが私にデッサンをくれた。「以前のような友達ではいられない。思い出、犯罪、ナイフがあまりにも多すぎる」。イゴールは私に向かってあなたが気に入るに違いないステキなジェスチャーをしたの! 憎しみね。彼はセルビア人民族主義者によって占領された場所を指で示し、海を見せてこう言ったわ。「ここで彼らは何も持っていないし、持つこともない」と。

イゴールは誇り高く宣言した。「奴らはセルビア人だ。我々は出港禁止を受けているけど、なんでも海から来る」。ボスニア人である彼に対する戦士の無力さを示す大きなジェスチャー。世界の医療団の女性は私がピコリ[俳優ミシェル・ピコリ]とおこなった「民族浄化反対」の広告を覚えていた。

ここで起きているのは戦争じゃない。では、戦争はどんなものなの? 私のルー、彼らは何を言っているのかしら? 私たちに向かって銃が撃たれるってこと。幸運と感謝を!

ローラ[元パートナー、ジャック・ドワイヨンの長女]とケイトがシャルロットの家にいる。スプリットからファックスを送るわ。あなたにもよ、私の可愛いヤギちゃん。ローリング・ストーンズを見に行くの? 今、5時20分。「ウォーター」と言ったら、ファンタが出てきた。出されるままに飲んだわ。私のことを誇らしく思うはず。タバコを1本も吸ってないんだから。きっとあなたは必要ないって言うわね。オリヴィエ〈原注3〉とビュエブが3人分吸ってるわ。あなたのことを思ってる。

ビュエブは、熱狂的なレジスタンスみたいな人で、ふわっとした外見に隠れた頑固な魅力がある。彼は空港にいたジャーナリストたちに「昨日、武器が届いた」と言ったけど、彼らは信じられずに驚いて目を見開いていた。ビュエブを誇りに思ったわ。彼はこの街を愛している。それに彼が少し太ったこともうれしかった。自分の友達の状態が喜ばしかったの。

私は3年前から包囲されているこの街の人々のことを何も分かっていないと気づいた。お姉さんたちにキスを送ってちょうだい。あなた達のこと、ずっと愛してる。

ママより、現地時間、夜の8時10分

 

〈原注1〉サラエヴォ高校の女子学生。

〈原注2〉私の秘書。

〈原注3〉作家のオリヴィエ・ロラン。

* * *

 

『ジェーン・バーキン日記』上・下巻/封入特典/特製

 

著者
ジェーン・バーキン JANE BIRKIN
1946年12月14日ロンドン生まれ。1965年、映画『ナック』でスクリーンデビュー。作曲家ジョン・バリーと結婚し、長女ケイトを出産。離婚後、永住の地となるパリへ。フランスの国民的アーティスト、セルジュ・ゲンズブールと出会い、公私にわたるパートナーに。1969年に発表された楽曲「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」は各国で放送禁止処分を受けながらも世界的大ヒット。1971年に次女シャルロットを出産。歌手として、セルジュの楽曲を収めたソロアルバムのリリースを重ねる。1980年代に入り、映画監督ジャック・ドワイヨンと事実婚、三女ルーが誕生。ドワイヨン監督作のほか、ジャン=リュック・ゴダール、ジャック・リヴェット、アニエス・ヴァルダら名匠による作品に出演。2000年代以降も、音楽、映画、舞台の各分野で表現者としての幅を大きく広げ、2007年、半自伝的映画『Boxes』では監督・脚本を務めた。エルメスのバッグ「バーキン」の生みの親で、メンズライクなシャツにジーンズ、コンバースといったシンプルで洗練された着こなしは「フレンチシック」の代名詞となった。2023年7月16日、自宅で死去。享年76。
 
監訳
小柳帝 MIKADO KOYANAGI
ライター・編集者・翻訳者・フランス語教室ROVA主宰。訳書にジャン=クロード・カリエール『ぼくの伯父さん』『ぼくの伯父さんの休暇』、著書に『ROVAのフレンチカルチャーAtoZ』などがある。
 
書誌情報
書名:ジェーン・バーキン日記(上巻『Munkey Diaries』、下巻『Post-Scriptum』)  
著者:ジェーン・バーキン
監訳:小柳帝
訳者:椛澤有優/手束紀子/金敬淑/髙橋真理子/徳永恭子
装幀:大倉真一郎
表紙写真:〈上巻〉 Andrew Birkin/〈下巻〉Gabrielle Crawford
ISBN 978-4-309-29519-0
発売日:2025年12月2日
税込定価:19,800円(本体18,000円)
特製函封入特典:
①クオバディス × ジェーン・バーキン「オリジナルノートブック」(フランス製)
②封筒入り「オリジナルポストカード」10枚
 
本書特設サイト
https://www.kawade.co.jp/janebirkin_munkeydiaries/
書誌URL:
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309295190/

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