ためし読み - 文庫

THINK SLOW.フェア開催記念! 宮沢章夫『時間のかかる読書』の「はじめに」を全文無料公開!

2025年11月1日より、THINK SLOW.というコーポレートメッセージを掲げている、取次会社のトーハン。

「一度立ち止まり、熟議することの重要性」を呼びかけるこのメッセージを起点に、トーハン・出版社・書店が連携し、熟慮のきっかけとなる本を選書、発信する「THINK SLOW. フェア」が、ただいま開催中です!

本フェアに、小社からは、劇作家・演出家・小説家の宮沢章夫さんのエッセイ『時間のかかる読書(河出文庫)が選書されています。

1時間ほどで読み終わる横光利一の短編「機械」を宮沢さんが11年かけて読み、読書の楽しみを伝える名著で、2010年には伊藤整文学賞(評論部門)を受賞しました。

本ページでは、そんな『時間のかかる読書』の「はじめに」を、「THINK SLOW. フェア」開催記念として全文公開いたします!!

また、フェア開催書店では、フェア書目の紹介文や出版社からのコメントが掲載された小冊子を配布しています。

この機会にぜひ書店へ足を運び、他にどのような作品が選ばれているのか、どのような作品なのか、手に取ってご覧ください。

 

宮沢章夫『時間のかかる読書』(河出文庫)

 

 

はじめに——べつに本なんて、速く読めばいいものではない。

 

 なんの展望もないまま、わたしは読み続けていた。そうすることに意味を感じていたわけでもないし、いまとなっても、なにか成果があったとは思えない。

 横光利一が一九三〇年に発表した『機械』という、原稿用紙にすると五十枚ほどの短い小説を、ある出版社が刊行した日本文学全集のたぐいの、ぶあつい本を開いて見つけ、おそらく『機械』というタイトルに惹かれて読みはじめたのではなかったか……いや、わからない……もっとちがう理由があったかもしれないし……あるいは……もっとべつの……いや……しかし……というほどに、記憶もひどく曖昧だ。そのことはまたあとで書こう。ともあれ、そうして毎月、ゆっくり読みを進め、「読み」について短いエッセイを書く連載が続いた。

 いったいこれはなんだったのだ。

 だが、わたしはこれを、ひとつの冗談として書いていたことはたしかだ。

 十一年と数カ月だ。ひたすら読んでいた。とはいっても、短い小説なので、一回に読む分量は、せいぜい五行ほどだ。条件としてそう課していたわけではなく、ある一行を読むたび、そこに出現する「言葉」や「人物」、あるいは「出来事」に出会ったときの、その驚き、あるいは悦びを言葉にしていった。なにしろ次のような人物が出現するので驚かざるをえない──あるいは悦ばざるをえない事情があった。

「主人は金銭を持つとほとんど必ず途中で落してしまう」

 ここで書かれる「主人」というのは、本文を読んでいただければわかるように、主人公らしき「私」が働く「ネームプレート製作所」の経営者のことだ。しかし、「金銭を持つと殆ど必ず途中で落して了う」とはいったいなにごとなんだ。そんな経営者がいるものか。とはいっても、そんなに重く考えるようなことではないのかもしれない。こうした人物など、ただの「うっかり者」としてほっておくのが「文学」に接する正しい態度なのではないか。しかし、それにしたって、どうかと思う。驚かざるをえなかったし、気になって仕方がなかった。

 もちろん、『機械』について書かれた批評のたぐいを読まなかったわけではない。文学の領域において評価はほぼ定められ、出尽くしている感があり、いまさらわたしが読み、批評したところで意味はない。しかも、十一年以上かけて読む行為、そしてそれをしてしまう者など、「金銭を持つと殆ど必ず途中で落して了う人」と同じような存在ではないか。

 だから逆に、わたしは読んだのかもしれない。

 愚鈍であるために時間をかけて読もうと決意した。いったいどこまで時間をかけて読むことができるか、それ自体を楽しむように。

 

 自慢にもならないけれど、わたしは比較的、本を読むのが速い。読書には慣れのようなものがある。読む「こつ」に近い技術があるのだろう。それというのも、好きな作家の小説、いつも参照させてもらっているさまざまな分野の研究者の著作など、読むのに苦労を感じず心地よい速度で読んでおり、その理由に思いあたるふしがあるとすれば、文体に慣れていること、言葉の使い方をすぐに理解できること、読書に停滞が起こりづらいなどいくつかの要素が考えられる。

 だが、速く読む必要などなにもない。むしろ「読むことの停滞」の中にほんとうに大事なことがあると思える。そこで立ち止まり、考えるからこそ、読む体験の中から、意味のあることを獲得できる。

 だから、「速読術」というやつがわたしにはまったく理解できないのだ。たとえば、「詩」を速読することを考えればその無意味さがわかるだろう。ものすごいスピードで、たとえば、中原中也を読むこと、金子光晴を読むこと、アレン・ギンズバーグを読むこと……まあ、ほかにも多くの詩人の言葉を猛烈なスピードで読んだところで、いったいそれがなんになるだろう。DVDで映画を早送りしながら観るようなものだ。「あらすじ」と「早送りした映像」だけで映画がわかった気になるとしたら、それほどナンセンスなことはない。映画も詩も、映像や言葉が発する力を感じ、観る者の内側にべつのイメージが出現する。

 早回しはだめだ。

 早く回してなにが知りたいのだ。

 速読はそれに似ている。

 だから逆に言えば、「読み」は遅ければ遅いほどいい、とも言えるが、しかしそれが、ふつうに読めばおよそ一時間で読めるところを、十一年以上かけたとしたら、いったいなにが起こっているのか人は不審に思うのではないか。まあ、簡単にまとめてしまうなら、それはきわめて愚かなふるまいである。

 

 あらためてその本を手にしたときのことを振り返ってみよう。

 繰り返すが、ある日、ふと横光利一の『機械』を読もうと思った。それ以前に一度、さらっと読んだことはあったが、一時間ほどで読んだかもしれないし、読点によってだらだらつながる文体になじめず、もう少し時間がかかったかもしれない。だが、『機械』を読みそれについてエッセイを書くにあたって二つの指針を決めた。

「なかなか読み出さない」

「できるだけ長いあいだ読み続ける」

 なぜそう決めたか、いまとなってはもうわからないのだ。これも繰り返すことになるが、記憶はきわめて曖昧だ。そうしたかったとしか言いようがない。まして、なぜ横光利一だったのか。『機械』という、横光利一の代表作のひとつとはいえ、少し毛色の変わった作品を、なぜ選んだか——正直、もうわからなくなっている。はっきりした記憶はない。なにしろ十一年も過去のことだ。

 ただ、わたしには、「無謀なことをしよう」という気持ちは少なからずあった。世界でもっとも高い山に挑戦する登山家たちのように。サッカーのスペインリーグで活躍する日本人のように。宇宙に飛び出して行く者らのように。そうした挑戦に近い気持ちがなかったと言えば噓になる……ということも「いま作った噓」のようだし、そうした野望があったのか……なかったのかどうか……あったのかもしれないけれど……なかったんじゃないかと……記憶はどこまでも曖昧だ。

 ふつうに読めばおよそ一時間で読める短篇である。出来事が発生するのは、主に「ネームプレート製作所」の工場内だ。この世界を読むのにいかにしたら十一年になるか。……いや、もちろん連載を開始した当初はそんなに時間がかかるとは思ってもみなかった。だが、時間がかかることが次第に心地よくもなっていたのだ。連載の一回分で、ほんの一行ほどしか読まなかったこともあった。このでたらめなほどの遅々とした進行に一人悦に入っていたが、べつにこうした読書がわたしの独創だなどと考えているわけではない。ロラン・バルトも、たしかどこかで似たことをしているのだし、アイデアとしてはさほどのことはない。だが、そこに十一年という時間の蓄積がある。

 いったいこれは、どんな種類の冗談なんだ。

 やはりわたしは、「読むことの停滞」について書いていたのだ。あるいは、「ぐずぐずすることの素晴らしさ」について書いていたと言ってもいい。近代からこのかた、人は合理の中で、するすると仕事を進める。滞りのなさや、失敗しないこと、器用にものをこなすことに快感を得ている。それがなによりの美徳かのようだ。だが、そうしたくてもできない者だっていることを、いかに擁護するかも大事ではないか。わたしはできない。そんなふうに器用にはできないから、電車とバスをうまく乗り継ぎ、時間に正確に、目的地にはたどりつけないのだ。

 気がついたら、とんでもない場所にいる。

 渋谷に行こうと思って、ふと気がついたら、なぜか栃木県の宇都宮にいるかもしれないのである。しかし、宇都宮にいることの驚きは新鮮であり、「あ、なぜ、こんなことになってしまったんだ」と嘆くとき、人はもっとべつの大きな価値を得ているのにちがいない。それこそ、「ぐずぐずすることの素晴らしさ」だ。わたしは演劇を専門にしている者だが、サミュエル・ベケットというアイルランド出身で、ノーベル文学賞も受賞した劇作家に、『ゴドーを待ちながら』という有名な作品がある。ウラジミールとエストラゴンという二人の男が、ゴドーを待っているだけの話だ。二人の、ぐずぐずしている態度が素晴らしい。ゴドーなど待たずにどこかに行ってしまえばいいものの、来るあてもないその人を待って、ただ無意味な会話を繰り返す。

 わたしもまた、横光利一を待っていた。

 来るあてのないその人を待っていたが、とうとう、その人は来なかった。そのようにして『機械』を読んだ。「読むことの停滞」を味わいながら読んだ。べつに本なんて、速く読めばいいものではないし、停滞するからこそ、読んでいる内容とは異なることに意識が動き、あ、なんで俺はいま、『機械』を読んでいるはずなのに、美味しい天ぷら屋のことを考えているのだ、ということは何度もあった。ぐずぐずしているのだ。停滞しているのだ。そのときはじめて、もっとべつの、読みの悦楽をわたしは感じていた。本書の読者にも同じような悦楽が生まれたらと願っている。読むことの停滞と、ぐずぐずすることの素晴らしさのために。

 

==続きは『時間のかかる読書』でお楽しみください。==

 

宮沢章夫『時間のかかる読書』(河出文庫)

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著者

宮沢章夫

1956年、静岡県生まれ。劇作家・演出家・小説家。1985年、竹中直人、いとうせいこうらとのユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成、作・演出を担当する。90年、演劇ユニット「遊園地再生事業団」を結成。93年、その第2回公演『ヒネミ』で岸田國士戯曲賞を受賞。99年〜2000年、『サーチエンジン・システムクラッシュ』で芥川龍之介賞候補、三島由紀夫賞候補。2010年、『時間のかかる読書』で伊藤整文学賞(評論部門)を受賞。著書に『牛への道』『わからなくなってきました』『ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集』『長くなるのでまたにする。』など多数。2022年9月、逝去。

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