ためし読み - SF

韓国SFが描く新しい価値観、新しい世界、新しい言葉ーーキム・ボヨン『どれほど似ているか』解説「わたしたちが手をつなぐために」(池澤春菜)

韓国ではいまSF小説が活況を呈しています。

韓国SFのはじまりは、1960年代。韓国初の長篇SFとされる『完全社会』(ムン・ユンソン/未邦訳)は、朝鮮戦争から十数年後の軍事独裁体制下に発表され、男女間戦争の末に女性だけが残った世界を描き、それは、当時の男性中心の社会規範を転覆させる想像力による衝撃的な作品でした。
そしていま、韓国では2019年が「SF小説元年」と言われるほどのムーブメントを作っています。
(詳しくは「文藝2020年冬季号」掲載の「現実を転覆させる文学 現地の編集者に聞く、韓国SF小説の軌跡」をご参照ください)

その韓国SFで、全米図書賞候補に名を連ねるなど世界的に活躍する作家キム・ボヨンの2009年~2020年の傑作を集めた小説集『どれほど似ているか』(斎藤真理子訳)が、好評を集めています。

 

朝日新聞書評「社会を照らすフェミニズムSF」 ―― 前田健太郎

はてなブログ「韓国SFに多大な影響を与え、現代韓国で「最もSFらしいSFを書く」と言われる作家のSF短篇集」 ―― 冬木糸一

本の雑誌「今週はこれを読め!」 ―― 牧眞司

読売新聞「記者が選ぶ」

 

このたび、池澤春菜さんによる本書の解説を公開します。
いま新たな世界を切り拓きつつある韓国SFを、ぜひお手に取ってみてください。

 

===↓本書解説公開はこちらから↓===

 

 

 

どれほど似ているか

解説「わたしたちが手をつなぐために」

池澤春菜

 

 

 

 キム・ボヨンの小説を初めて読んだのは、「SFマガジン」二〇二二年六月号アジアSF特集に掲載された「0と1の間」だった。読み終わってすぐに、もう一度読み返した。文字を追っていくうちにどんどん見えるものが変わっていく。一枚ずつ層を剥がすように、0と1の間で世界が瞬いて変化していく。だけどその足下には、今の韓国が抱える問題がしっかりとある。
 今回、他の作品を読みながら、これがキム・ボヨンがSFを書く理由であり、韓国SFが隆盛な理由なのだ、と改めて感じた。

 

 人それぞれ、SFの定義はあるだろうけれど、わたしは世界にIFを置いてみることだと思っている。サイエンス・フィクションというよりは、スペキュレイティヴ・フィクション、思弁小説。ありえたかもしれない未来、現在、過去を、SFの形で織り直す。それは時に歴史の見直しであったり、未来への備えになることもある。
 韓国は複雑な国だ(まぁ複雑でない国などないけれど)。光もあるけれど、闇も深い。その闇を見つめ、語るためにはSFの力が必要なのかもしれない。だからこそ、今、これほど多くの韓国SFが生まれ、日本や世界で読まれているのではないだろうか。韓国SFにはフェミニズムや分断、差別をテーマにしたものが少なくない。長く辛い時代を経て、ようやく見つけ出した、SFという自分たちの声。
 韓国のSF作家団体は、その名を韓国SF作家連帯という(親睦団体から始まった日本はクラブ。アメリカは協会Association。ここで連帯という言葉を選んだところに、今の韓国SFの持つ意味、そして役割があるような気がする。
 新しい価値観、新しい世界、そして新しい言葉。SFは、韓国文学の中で掲げられた連帯の旗印なのではないだろうか。

 

 それぞれの作品のベースとなっている、韓国社会が持つ歪みや問題点を解説してみる。わたしは韓国の事情に明るいわけではない。今、韓国で生きている人たちの心情や苦しみを理解できているとも思わない。だけど、知ろうとすることは、あと一歩、作品の中に踏み込むことだ。

 

「0と1の間」で描かれるのは、日本以上に厳しい学歴社会。韓国ではそれぞれの大学の頭文字を取ってSKYと呼ばれる名門三大学に入ることが全てだ。いずれかの大学に入れなければ、就職も結婚も難しい。だから、韓国の高校生は全てのエネルギーを勉強に注ぎ込む。部活などない。作中にも出てくる0時間目とは、始業前の自習時間のことだ。夜間自律学習もある。高校三年生にもなれば十五時限目、夜二十三時まで毎日のように残って勉強をする。その成果は大学修学能力試験と呼ばれる日本の大学入学共通テストにあたる試験で計られる。この一日で、その後の人生が全て決まってしまうと言っても過言ではない。最近では、あまりに過酷なこのシステムを見直し、推薦入学を重視するようになった。定員の七~八割が推薦になったというから、これはこれで極端。この推薦を得るために高額のコンサルタントを雇うことも多い。つまり、親の収入や住んでいる地域が大きく関わってくる。格差がより広がっているのだ。
 あまりに過酷な学歴社会に、子供を持つことを最初から諦めてしまう親もいるそうだ。OECD(経済協力開発機構)加盟国の中で最低の〇・七人台という出生率の原因は、ここにもあるという。
「0と1の間」の中で、キムたち親の世代は子供を理解することができないと嘆く。それは半分正解で、半分間違っているのだろう。それが必ずしも正しい道ではない、払わなくてもいい犠牲だった、とどこかで理解していても、認めてしまえば自分自身が耐えてきたことが無意味になってしまう。だから、子供には分別がない、大人が代わりに考え、道を示してやることが最善なのだ、と信じ込む。親と子供を隔てているのは、世代や年齢以上に、双方の間に立てられた、理解できない、理解したくない、という壁だ。
 それだけ熾烈な受験を経て大学に入っても、就職率は六十七・七%(日本は九十八%)
 貧困率は十六・六%。高齢者においてはOECD内で最も深刻な三十九%。老人自殺率はOECD平均の三倍近い。
 年収の三十%を貯蓄したとしても、ソウルに八十平米のマンションを買うには百十八年かかるという。
 どう生きていけばいいのか。当たり前の幸せ、普通の人生、なのにあまりにもハードルが高い。

 

「静かな時代」で描かれた政治不信。
 歴代の大統領を見てみると、第十一代・十二代の全斗煥チョン・ドゥファンは光州事件への関与や不正蓄財で退任後に死刑判決が出ている(後に特赦)十三代盧泰愚ノ・テウは内乱罪と収賄などで退任後に有罪判決。十六代盧武鉉ノ・ムヒョンは退任後、贈収賄の嫌疑で聴取され、その後投身自殺。十七代李明博イ・ミョンバクもまた、収賄や横領で退任後に有罪判決。十八代朴槿恵パク・クネは贈与の強要、横領などにより在職中に弾劾された。他にも亡命、暗殺、本人ではないにしても子息が収賄や脱税で逮捕されるなど、無事に任期を全うした大統領の方が圧倒的に少ない。
 作中に出てくるろうそくデモは、二〇〇八年に狂牛病を恐れる人々が米国産牛肉の輸入に反対することから始まり、次第に政府に対する批判へとシフトしていった。デマや陰謀論が飛び交い、三ヶ月でおよそ二千四百回ものデモが行われた。その後も暴力や暴動を伴わないプロテストの形として、さまざまな問題が起こる度に人々はろうそくを持って集まる。静かな、だけど断固たる抗議の形。

 

 韓国ではまた、男女間の格差も非常に大きい。
 賃金格差、女性国会議員や女性管理職の割合、男性のみに課される徴兵制。
「赤ずきんのお嬢さん」に出てきた「地下鉄の入り口には花とキャンドルが置かれ、ポストイットがたくさん貼ってある。ポストイットの一枚一枚には、糾弾の言葉がぎっしりと書いてある」というのは、おそらく江南殺人事件(瑞草洞トイレ殺人事件とも)が下敷きとなっているのだろう。
 二〇一六年、ソウル瑞草区の江南駅近くにある雑居ビルの男女共用トイレで、女性が刺殺された。犯人の男は女性と面識はなく、女性一般に対する憎悪からの犯行だと言われている。女性が女性であるが故に殺される、フェミサイドと呼ばれる殺人だ。
 事件後、江南駅の出口には、無数のポストイットが貼られた。
「被害者は女性だから死んだ。わたしだったかもしれない」
「明らかな女性嫌悪で殺人が起きた。ただ、弱そうな女性であるという理由だけで」
「女性を保護するんじゃなくて、保護される必要のない環境を作って」
「わたしはただ運良く生き延びただけ。本当にごめんなさい」
「ここはまるですべての韓国女性のための一つの墓地」
 約三万五千件のメッセージを分析すると、故人の冥福を祈る内容が六十三・七%、女性憎悪犯罪に対する批判が十九・六%、そしてもうこんな事件が起こらないような社会を作りたいという決意が十二・五%だったそうだ。
 韓国社会が抱える男女の対立は根深い。二〇一五年の中東呼吸器症候群(MERS)の流行が海外から帰国した女性によるものだという誤解に基づいた、ミソジニー(女性嫌悪)。これに抵抗して立ち上げられたフェミニズムコミュニティサイト「メガリア」に投稿された多くのミサンドリー(男性嫌悪)(ちなみにこのサイトの名前はノルウェーのSFに登場する架空の土地「イガリア」とMERSを合わせているそう)。未成年を含む多くの被害者を出したデジタル性暴力「n番部屋事件」。
 日本同様、儒教の影響を強く受けた韓国は、長らく父系主義が主流だった。家の長はあくまで男性であり、妻や娘は内助的な役割、娘よりも息子の誕生が望まれていた。一九七五年に国連が提唱した国際婦人年をきっかけに、少しずつ女性の地位向上に向けて社会は動き出したが、物言う女性に対する逆風も強まっている。
 韓国に生まれ、弱い存在として生きていくことは、性別や年齢関係なく大変だ。時に「無理ゲー」な社会に、文学を力として向き合う作家たちがいる。
 韓国フェミニズム文学の魁となったチョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』。ミン・ジヒョン『僕の狂ったフェミ彼女』には、今の世代のリアルが詰まっている。エッセイ集、キム・ジナ『私は自分のパイを求めるだけであって人類を救いにきたわけじゃない』。六十人あまりの女性へのインタビューで構成されたチョ・ナムジュ『彼女の名前は』。チョン・セランの連作短編集『フィフティ・ピープル』、女性が直面する様々な問題や不条理を描く短編集『屋上で会いましょう』。イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ フェミニストは黙らない』は、性差別主義者に立ち向かうための会話マニュアルという形をとる。
 そんな中、一際目映いのがSFだ。長い間韓国では、SFは子供向けのもの、文学の傍流であると思われていた。けれどSFという枠を使えば、例えば「全ての性別、性的指向、性自認が隔たりなく共存している社会」や「マイノリティとマジョリティが逆転した世界」を描くこともできる。作家たちはSFの持つ可能性に気づき、素晴らしい作品を次々に送り出している。たくさんのIFを詰め込んだ、優しく温かい短編集、チョン・ソヨン『となりのヨンヒさん』。叙情的な視線で綴られるキム・チョヨプ『わたしたちが光の速さで進めないなら』『地球の果ての温室で』。引退する競走馬とロボット騎手が繋ぐ人と人の絆、チョン・ソンラン『千個の青』。674階建ての巨大タワー国家を舞台にした連作短編集ペ・ミョンフン『タワー』。骨太な洞察に満ちたチャン・ガンミョン『極めて私的な超能力』。
 そして、本書『どれほど似ているか』。
 寡作な作家の十年間の集大成は、比類なく美しい。どの物語も、冒頭は謎めいている。読み進めていくうちに、登場人物たちのおかれた境遇や、特殊な世界が明らかになっていく。そういう意味ではキム・ボヨンが描くのは、特異な世界、特異なシチュエーションの中にいる、ごく普通の人々だ。時にはスーパーパワーを持っているかもしれない。時には人の体を得たAIかもしれない。だけど、その芯にいるのは、わたしたちと変わらない存在だ。
「この世でいちばん速い人」の中にこんな一文がある。
「みんなありふれた人たちだ。それだけの善意と力量を持ち、それだけの強さを持った人たち」
 そして世界を悪い方向に傾けているのは悪漢や、邪悪な誰かではない。
「こういうことは、誰かがミスをしたときではなく、まともな仕事をする人が一人もいなかったときに起きる。事件発生経路に連なる何百、何千人もの人の中に一人も、たったの一人も、そういう人がいないときに」
 何千人の中にたった一人、ありふれた、でもそれを止めようと思う人がいれば、流れは変わる。
 表題作「どれほど似ているか」。このタイトルも非常に示唆的だと思った。人はどれだけ自分と似ているかを、他人を理解するための指標とする。逆に言えば自分と似ていない、だから理解しなくてもいい、と思い込むこともできる。性別が違うから、年が離れているから、育った環境が違うから、価値観が違うから。似ていない理由はいくらでも見つけられる。そして、その無意識(に押し込めている実は意識的)な思い込みは、自分ではなかなか気づけない。
 この物語の謎が解ける瞬間、わたしたちは自分自身の中にあったブロックに気づく。フンの中から消去されたもの、見えなくされていたもの、それはまた、わたしたちの中からも消されていたものなのかも。
 どれほど似ているか。どれほど似ていないか。
 ありふれた、でも流れを止める強さを持った人と、それを見て見ぬふりをする人。たぶん両者にほとんど差はない。
 イ・ジンソ、ナム・チャニョン、フンが違いをこえて理解しあえたのなら、わたしたちが小さな思い込みを壊して手を結ぶことなど、たやすいように思える。
 こうやって、SFはわたしたちの中に物語の形をした小さな種を投げ込む。それを読んだ人たちの中に、考えること、気にすること、気づこうとすることが芽生える。SFは可能性の文学だ。韓国SFが人々の心の中に植えた小さな種は、国境や言葉の違いを乗り越えて広がっていく。だからこそ、今、韓国SFが世界で読まれているのだろう。

 

 作者のキム・ボヨンは、一九七五年生まれ。
 韓国を代表するSF作家の一人で「最もSFらしいSFを書く作家」と言われている。意外なことに、そのキャリアのスタートはゲーム開発会社だった。子供の頃から作家に憧れ、将来は物語を書いて生きていこうと心に決めていた。だけど、高校卒業後、いざとなると何も書けなくなってしまう。こうなったら十年かかっても、一生かかっても、一本の小説を書こう。百回書き直そうが千回書き直そうが、自分で完結したと思えるものを書いてみよう。そうしてゲーム開発会社でRPGの開発やシナリオ作成の傍ら書き上げた「촉각의 경험(触覚の経験)(未邦訳)で、二〇〇四年第一回科学技術創作文芸中編部門を受賞して作家デビュー。
 その作品に、小説家のパク・ミンギュは「女王の登場だ。キム・ボヨンの作品がいつか韓国SFの「種の起源」になると信じて疑わない」と賛辞を送った。
 その後も韓国の作家として初めてハーパー・コリンズから英訳の短編集を出し、また別の短編集「진화 신화(進化神話)(未邦訳)が全米図書賞にノミネートされた。
 キム・ボヨンがデビューした二〇〇〇年代初頭はまだ韓国SFの地位は今ほどではなかった。出版されるのもほとんどが翻訳で、最初の本を出すまでには時間がかかったという。
「四十年間マイナージャンルにいると、自分のジャンルがメジャーになる日が来るんだなと思いますね(笑)」
 今のように、一般誌にもジャンル文学が掲載され、若い書き手の活躍の場が増えたことをとても喜んでいる。
 と、同時に、今のSFブームがどう進んでいくか、一歩先を行くものとしての懸念もある。韓国のSF専門誌アーシアン・テイルズに書いた創作エッセイで「まずあなたがいる、それからSFがある」と書いた。かつては、作家があえてジャンルを決めずに書き、読み手も自由にそれを受け取っていた。けれど今はSFが人気ジャンルになったために、書き手も読み手も「これはSFだ」と決めつけてしまうことがある。
 「小説は基本的に小説であるべきなのに、科学が先行してしまっては困ります。むしろ自由に書くことによって、それがSFになることだってある。自分の創作に制限をかけないで欲しい。そうやって書いたものがSFじゃなかったら、それはそれでまた別の話」
 SFを愛している、自分と同じようにこのジャンルを愛し支えてきた人たちの存在が、SFをより愛おしいものにしている、と語るキム・ボヨン。よりいっそう自由で、豊かな作品が今後も書かれることを楽しみに待ちたいと思う。

(声優・作家・第二十代日本SF作家クラブ会長)

 

 

===本編は単行本『どれほど似ているか』でお楽しみください。===

 

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著者

キム・ボヨン著

1975年生まれ。ゲーム企画やシナリオを手掛ける仕事の後、2004年に科学技術創作文芸に当選して作家デビュー。現代韓国で「最もSFらしいSFを書く作家」として多くの書き手に影響を与えている。

斎藤 真理子(さいとう・まりこ)訳

翻訳家。著書に『韓国文学の中心にあるもの』がある。訳書にパク・ミンギュ『カステラ』、ハン・ガン『すべての、白いものたちの』、チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』ほか多数。

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