歪みを放置する社会で──本田靖春『複眼で見よ』武田砂鉄の解説公開中

複眼で見よ

本田靖春

本田靖春のジャーナリズム論とルポ傑作選、待望の文庫化!
文庫収録の武田砂鉄さんの解説を公開します。ぜひお読みください。

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解説 歪みを放置する社会で

武田砂鉄

 ひとまず経緯を端折ると、前ページまでの「編集付記」を書いたのは私である。単行本が刊行されたのは二〇一一年四月、直前に東日本大震災が発生し、福島第一原発が大破し、メディアには本当かどうか分からない情報が流れ、政府や電力会社は本当の情報を隠した。編集者として本田靖春の単行本未収録作品集を編む作業を続けながら、そのオビの裏面に、「わけ知りふうにいうと、社会に各種のウソはつきものである。しかし、現実の泥沼に首までつかっても、口が水面に出ているかぎり、たまにはホントもいえる。だが、口までつかると、物をいえない。耳までつかると、何もきこえなくなる。目までつかると、全て真っ暗である」という一節を引いたのは、その動揺の表れだったのだと思う。

「『最近の若者』に留まっている事を、こんなに喜んだ出来事はない」と記した自分は、その三年後に編集者を辞めて独立し、ライターとして、あちこちの媒体に原稿を書く仕事に転じた。もはや「最近の若者」でもなくなったが、本田作品に触発されながら、自分で例示した「いかなる事態が生じても自分の持ち駒から早々と二項対立に持ち込んで急いで結論を煽る面々」や「鈍い単眼を、権力と差別と慣例で一丁前に仕立てる面々」に成り下がってはいまいかと観察される、そして、挑発される側にもなった。

 原発が大破した後の日本社会には、自由にものを言うための高いハードルばかりが設けられた。特定秘密保護法によって公権力に隠す自由を与え、共謀罪の成立によって物申す個人を萎縮させた。政府はメディアに対して中立公正を求め、気に食わない報道があれば、これは偏向報道ではないかと周囲の代弁者に突っ込ませる体制を築いた。あからさまな隠蔽や改竄を指摘すると、「そんなことはしてない」とキレるのではなく、「その指摘はあたらない」「誤解があったとしたらお詫びしたい」などと回避し、うやむやにし続けた。追及する知力や体力が目減りするなかで、権力を批判する行為に嘲笑すら向かうようになった。進む監視社会に対して異議申し立てても、「やましいことがあるからそういうことを言うのだろう」と個人の資質に還元される。時の為政者に従属することによって自分の身を守る人たちがいる。そこからこぼれ落ちていく人たちに対して、こぼれ落ちていく理由があったはずと自助努力を促す。なんだか、本田靖春が嫌っていたことばかりが陳列されている世の中になった。今、私たちは、口までつかっているのか、耳までつかっているのか、目までつかっているのか。どの状態にあるのだろう。率先して溺れている気もする。

 東日本大震災が発生した時には会社にいた。国立競技場の目の前にある会社で働いていた自分たちはまず、目の前にある明治公園に避難した。そこには、日頃あまり見かけない多くの高齢者たちが不安そうな表情で集っていた。明治公園と隣り合う都営霞ヶ丘アパートの住民たちだ。小さなコミュニティを守りながら暮らしてきた人々。それからしばらくして、都営霞ヶ丘アパートは取り壊された。避難した明治公園も、もう存在しない。東京オリンピックのせいだ。開催に合わせて新設される国立競技場のため、公園はつぶされ、住民はアパートから追いやられた。最後まで出ていくことを拒んだ住民たちがいたと聞く。小さな声を消して、あんなに大きなスタジアムが建った。

 先日、久しぶりに会社を訪ねると、そこから見える景色が一変していることに驚いた。長らく守られてきたものがたった数週間の催事のために消えた。日々の営みを平然と奪うものがいれば、その勢力に対して、憤りの眼差しを向けなければいけない。ジャーナリズムの基本的な態度だ。もうすぐオリンピックがやってくる。復興五輪にしたい、と為政者が言う。復興五輪と叫び、五輪に金が注入されればされるほど、復興は遅れる。国の中枢で開かれる運動会のほうが金になる。だから復興は後回しになる。

 怒りを向ける矛先がいくらでも用意できてしまう社会に置かれている。私たちは今、ちゃんと怒れているだろうか。社会の歪みを認知しつつも、そのまま放置するようになったのではないか。単行本を編んだ二〇一一年と現在では、多くのことが変わった。しかし、本田の眼差しは生きている。機能してしまう、という言い方もできる。本書の一編で本田が「真摯さ、誠実さ、愚直さ、といった徳目がすたれつつある世の風潮」という書き方をしている。その風潮は今、加速してしまった。複眼で見よ。編集者として引っ張り出した本田靖春の眼差しに、今は、監視され、挑発され、背中を押されている。

(ライター)

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本編は本書にて

 

複眼で見よ本田靖春
河出文庫●2019年10月発売

戦後を代表するジャーナリストが遺した、ジャーナリズム論とルポルタージュ傑作選。権力と慣例と差別に抗った眼識が、現代にも響き渡る。今こそ読むべき、豊穣な感知でえぐりとった記録。

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戦後ノンフィクションの傑作、待望の重版!

私戦本田靖春

1968年、暴力団員を射殺し寸又峡温泉の旅館に人質をとり篭城した劇場型犯罪・金嬉老事件を追った、戦後ノンフィクションの傑作。

「ペンは強者に向かうべき」との意志を今こそ──武田砂鉄
色褪せぬ本田の憤りとメッセージ──青木理(解説)

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