「ブラジルのヴァージニア・ウルフ」、クラリッセ・リスペクトルとは誰か?--『星の時』訳者・福嶋伸洋氏による「あとがき」を先行公開

 

 ウォール・ストリート・ジャーナル他で「ブラジルのヴァージニア・ウルフ」として紹介され、「20世紀のもっとも謎めいた作家のひとり」(オルハン・パムク)、「カフカやジョイスと同じ聖殿に属する」(エドマンド・ホワイト)、「オブライエン、ボルヘス、ペソアと並ぶ20世紀の隠れた天才」(コルム・トビーン)、「カフカ以降最も重要なユダヤ人作家」(ベンジャミン・モーザー)と世界の文学者たちから形容される作家、クラリッセ・リスペクトル。
 近年世界的な再評価の著しいリスペクトルは、1984年に一冊の邦訳(『G・Hの受難/家族の絆』高橋都彦+ナヲエ・タケイ・ダ・シルバ訳、集英社)が刊行されていますが、日本ではまだ知る人ぞ知る作家です。
 そんなリスペクトルの紹介に代えて、単行本『星の時』の「訳者あとがき」を、3月27日(土)の発売に先行して公開します。
 『星の時』発表直後の作家インタビュー内容や、その生涯と作品、そして作家の死後1985年に公開された映画『星の時』について、訳者の福嶋伸洋さんによる魅力的な文章をお届けします。

 

 

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クラリッセ・リスペクトル『星の時』訳者あとがき

 

 白地に赤のランダムボーダーと、同じく白地に赤のポルカドットの生地の切り替えがほどこされた、夏らしいワンピースを着て、真珠のように見える小さな白い玉の連なったネックレスを首から下げ、脚を組んで革の肘かけ椅子に座っている。鋭いまなざしのまま、笑顔らしいものを浮かべることなく─「今日は疲れているから気持ちが沈んでいるんです。いつもは陽気です」とも言っている─、インタビュアーの問いに淡々と、しかし真摯に答え、ときに右手に持ったマルボロをふかす─クラリッセ・リスペクトルが映った唯一のフィルムでの、彼女の姿である。この貴重な映像をTVクウトゥーラがサンパウロで撮影したのは、一九七七年二月のことだった。本書『星の時』はそのおよそ八ヶ月後に刊行された。
 すでに執筆を終えていたというこの作品について、クラリッセはインタビューでいくつかの事実を述べている。貧しくてホットドッグばかり食べていた女の子の物語だが、主題はそれだけではなく、「踏みつぶされた無垢」「名もなき悲惨」(誰のものでもありうると同時に、見向きもされない悲惨、ということだろう)であること。舞台はリオデジャネイロで、主人公は北東部、アラゴーアスから来た女の子だということ─それはクラリッセ自身も北東部のレシーフェで育ったからだと説明している。そして、リオのサン・クリストーヴァン広場で開かれる北東部市場を久しぶりに訪れ、半ば忘れていた土地の空気をつかんだとき、物語の着想を得たということ。
 さらに、彼女自身が占い師のところに行き、よいことをたくさん聞かされたあと、タクシーで帰宅しようとしていたとき、そのタクシーに轢かれて死んでしまったら「可笑しい(engraçado)」だろうと想像したという経験も、この作品につながったという。ヒロインの名前をインタビュアーに尋ねられたときに、二十二分余りの映像のなかでいちどだけ、一瞬で消える微笑みを漏らして、「言いたくありません。秘密です」と答えている。そして、小説の題は十三あると述べている─それらの題は本書の扉のあとに並べられている。
 クラリッセは、自分がカード占い師に占ってもらった経験について自嘲ぎみに語っているが、友人の作家リジア・ファグンヂス・テリスが、このことに関連する興味深い出来事を、笑い混じりに証言している。あるときリジアはクラリッセといっしょに飛行機に乗っていた。機体が雲のなかで激しく揺れて、凍りつくほど怖がっていると、クラリッセから、「リジア、怖がらないで。わたしはベッドの上で死ぬって占い師が言ってた。だから大丈夫」と励まされたという。
 その予言は的中する。一九七七年十二月九日、クラリッセは、一ヶ月ほど前から入院していたリオデジャネイロのラゴーアにある病院で死去した。

 一九二〇年十二月一〇日、ウクライナのチェチェルニクでユダヤ人の両親のもとに生まれたクラリッセは、ロシア内戦下で横行していたユダヤ人迫害から逃れるため、生後すぐに家族に連れられて亡命の途についた。二二年にブラジル北東部にたどり着き、幼少時代を、ペルナンブーコ州の歴史ある港町レシーフェで過ごした(ちなみに、二〇一四年のサッカーW杯ブラジル大会で、日本代表がコートジヴォワール代表と対戦した地である)。北東部に広がる、灌木がまばらに生える乾燥地帯「セルタォン(sertão)」の荒凉感は、本作では、マカベーアやオリンピコの回想に、また気質に、滲み出ているように見える。
 出産時の事故で体が不自由になっていた母親は、クラリッセが九歳のときに他界。クラリッセは十二歳で、家族とともに、当時ブラジルの首都だったリオデジャネイロに移住する。一九四三年、第一作の長篇小説『野生の心の近くに』を上梓。文壇から高い評価を受け、詩人レード・イーヴォは「これまでに女性がポルトガル語で書いた小説のなかで最良のもの」とまで述べた。『星の時』の英訳者ベンジャミン・モーザーによれば、その題が、当時恋人でもあった作家ルシオ・カルドーゾの助言によって、ジェイムズ・ジョイス『若き芸術家の肖像』の一節「He was unheeded, happy, and near to the wild heart of life.」から取られていたため、ジョイスの文体の影響を見て取る批評家も多かったが、実際にはクラリッセはそのときまだこのアイルランドの作家の著作を読んだことはなかったという(ちなみにベンジャミン・モーザーは二〇一五年に刊行され、世界的な再評価のきっかけとなったクラリッセの英語版短編全集The Complete Storiesの編者でもある。翌一六年にはこの短編全集はブラジルに「逆輸入」され、原文のポルトガル語でTodos os Contosとして刊行されている)。
 学生時代に結婚した夫が外交官となったため、クラリッセも十六年にわたって、スイス、イギリス、アメリカで暮らしたのち、夫との別居をきっかけにリオデジャネイロに戻った。そこで彼女は、『家族の絆』(六〇年)、『G・Hの受難』(六四年)、『禁じられた幸福』(七一年)、『流れる水』(七三年)といった代表作を次々と世に送り出していく(『家族の絆』と『G・Hの受難』は、集英社「ラテンアメリカの文学」第十二巻として一九八四年に邦訳が刊行されている)。ただ、彼女の作家業での収入は多くはなかったようだ。
 これらのうち、『家族の絆』や『禁じられた幸福』─その短篇のひとつ、レシーフェでの少女時代に経験したカーニヴァルの切なく甘い記憶を描いた「カーニヴァルの残りもの」は、拙訳が『世界の文学、文学の世界』(松籟社、二〇二〇年)に収録されている─のような短篇集は、簡素で的確な描写が積み重ねられた「読みやすい」作品になっており、ストーリーテラーとしてのクラリッセの紛う方ない技芸をうかがうことができる。そこには、哲学めいた、飛躍が多いとも感じられる思弁は少なく、出来事と登場人物の感情の動きがあざやかに巧みに描き出されている。
 いっぽう『G・Hの受難』や『流れる水』、本書『星の時』のような中長篇作品でクラリッセは、言葉で築き上げた迷宮にみずから深入りしていくように、語りを紡ぎ出している。たとえば『G・Hの受難』の次のような一節。「死ぬことについては、そう、わたしは知っていた。死ぬことは先のことであろうし、想像でき、想像する時間にはわたしはこと欠かなかった。しかし、瞬間、この瞬間─現状─これは想像できることではなく、現状とわたしの間に間隔はない。わたしのなかで今なのだ」(高橋都彦訳)。
 あるいは『流れる水』の次のような書き出し。「本当に深いよろこびをもって。これほどの歓喜。ハレルヤとわたしは叫び、そのハレルヤは、別れの苦しみの際に人間が発する、黒々とした怒号、同時に悪魔の幸福の叫びでもあるような怒号と混ざってひとつになる。だってもう誰もわたしを捉えることはないから。わたしは理性の力を持ち続けている─わたしは数学を学んだ。数学は理性の狂気だ─でもいまわたしが望んでいるのは血漿─わたしは胎盤から直に栄養を取りたい」。
 クラリッセの、「晦渋(hermético)」と評されることも多いこれらの作品を読み慣れた人にとって、『星の時』で彼女が創造した「ロドリーゴ・S・M」という語り手が綴る文章が、クラリッセ自身の文章にきわめて近いものであることは明らかだろう(作中では、語り手が男でなければならない理由について「女の書き手というものは、つまらないことですぐに涙ぐむから」と言われているが)。
 また、著者もあえてそのことを隠そうとしていないように見える。先に言及したインタビューでも、クラリッセは「わたしは簡潔に書く(Escrevo simples.)」「わたしは文章を飾り立てない(Eu não enfeito.)」と断言しているが、同様の言葉が本作中でロドリーゴ・S・Mからも発せられている。
 フランスの批評家ジェラール・ジュネットは、「物語(récit)」すなわち作品として構成されたテクストにおける「物語内容(histoire)」と「物語行為/語り(narration)」とを区別して考えた。たとえばマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』は、語り手が、作中で語られる、数十年にわたるさまざまな出来事の継起=「物語内容」がすべて終わったと仮想される時点から、小説の執筆=「物語行為」を始めているように読むことができる。出来事は、時系列に沿って語られるとは限らないし、詳細に記述されるものもあれば、ごく簡潔に記述されるものや省かれるものもある。「物語行為」によって組み立て直され、語り直された「物語内容」が「物語」となる。
 この『星の時』を例に取ると、マカベーアが上司やグローリアやオリンピコや占い師と出会って進んでいくストーリーが「物語内容」に当たり、いっぽうで、それを題材として語り手ロドリーゴ・S・Mが小説の文章を綴ってゆく作業(その作業を取り巻く事柄についてもたびたび書かれている)が「物語行為」に当たる。
 忘れてはならないのは、ロドリーゴの歯の痛みが続いている─シェイクスピア『から騒ぎ』の「For there was never yet philosopher / That could endure the toothache patiently」をほのめかしているのだろう─とか、白ワインを飲みながら書いているとか、疲れたから執筆を数日間中断するとかといった雑事や、自分の存在や死をめぐる唐突な省察など、「物語内容」にはまったく関わりのない、「物語行為」にまつわる文章もまた、「物語」を構成する要素になっているということである。語り手がたびたび物語に介入してくることは、とりわけ本作の大きな特徴となっている。
 すでに見たように、クラリッセが北東部から来た自分を、少女マカベーアにある程度は重ね合わせていたことは間違いない。同時に作家としての自分を、語り手ロドリーゴに投影していることも明白である。そのように考えると、物語を「生きる」自己と、物語を「語る」自己とに、つねにみずからを「身分け」しなければならない「作者」の運命が、『星の時』には体現されていると言える。
 アイルランドの作家コルム・トビーンは、これらふたつの焦点について、「人生の無垢な犠牲者であるマカベーアと、自分自身の失敗の犠牲者である、自意識の過剰な語り手の、どちらをより憐れむべきなのか、判断するのはむずかしい。無知すぎる者か、知りすぎている者か」と書いている。もし本当にわたしたちが「憐れむべき」なのだとしたら、そのような二者に永遠に自身を分けるという使命を引き受けた、書くことを選んだ一者が対象になるのだろう。

『星の時』は、ブラジルの映画作家スザーナ・アマラウによって映画化され、八五年に公開されている。大胆にも、原作にあるロドリーゴの存在は完全に削られ、マカベーアの身に起こる出来事だけでシナリオが構成されている。そして、驚くべきことにと言えるだろうが、ブラジルの慎しい少女の暮らしを描いた、哀しく美しい作品に仕上がっている─マカベーアを演じた女優マルセーリア・カルタッショがベルリン国際映画祭で銀熊賞を獲得した事実は、その証拠のひとつになるだろう。すでに死去していたクラリッセがこの映画を見たら何と感じたかは、想像の域を超える。
 二〇二〇年六月に他界したスザーナ・アマラウは、生前のインタビューで、クラリッセの『星の時』について次のように語っている。
「アメリカで映画の勉強をしているとき、クラリッセの作品を全部読みました。そして映画化する作品を探していたとき、『星の時』がぴったりだと感じました。彼女の最後の本『星の時』に深く共感したのです。というのも、わたしはブラジルの外にいてブラジルを見出したからです。マカベーアは〝つかみどころのないヒロイン(heroína sem nenhum caráter)〟だと思います。〝下品な〟という意味の sem caráter ではなく……。マクナイーマに対応する人物と言えるでしょう。彼女はブラジルのイメージなのです。マカベーアはブラジルの肖像です。少なくともあの時代の」
 そう言われてみると「マクナイーマ(Macunaíma)」と「マカベーア(Macabéa)」の音と綴りの近似も、ひそかに意図されたもの、あるいは無意識に生み出されていたもののようにも思えてくる。サンパウロの作家マリオ・ヂ・アンドラーヂが一九二八年に出した小説『マクナイーマ』の同名の主人公は、肌の黒い先住民の子で、怠惰で卑怯で色好みで幼稚で豪放な「英雄」として描かれ、ブラジル人の象徴と受け止められてきた。奇遇だがこの小説も拙訳で、『マクナイーマ─つかみどころのない英雄』(松籟社、二〇一三年)として刊行されている。Macunaíma は、オリノコ川流域の先住民の言葉で「大きな悪」という意味を持つ。いっぽう Macabéa は、「死に関する、不吉な」という意味のポルトガル語の形容詞 macabra を想起させる。
 ふたりの登場人物の比較がどこまで妥当なのか、すでにスザーナ・アマラウが死去したいまとなっても、両方の小説を訳していながら、訳者には、正確に見極めることはむずかしいように思われる。クラリッセ本人がマカベーアについて語っていた「踏みつぶされた無垢」「名もなき悲惨」という言葉に立ち返ってみれば、マクナイーマも侵略と植民の歴史の結果そのような性格を負うことになった、虐げられた持たざる人びとの象徴としてマカベーアに「対応する人物」と見ることができるだろうし、いっぽうマカベーアは、スザーナ・アマラウが言うように、その時代の「ブラジル人の肖像」であると同時に、より広く、辺境から大都会に出てきて、あまりにも無垢で、自分が不幸であることを知らないという幸福のうちに生き延びる、同様の境遇にある「現代人の肖像」と見ることも可能なのかもしれない。

 本訳書の底本には Clarice Lispector, A Hora da Estrela, Rio de Janeiro, Rocco, 1997 を使用し、Benjamin Moser による英訳 The Hour of the Star, New York, New Direction Books, 2011 を適宜参照した。
 クラリッセ・リスペクトルは、自作の翻訳について、文章が奇妙に見えるとしてもそれは原文に由来するものだとして、一言一句、点の位置まで原文に忠実に訳すことを求めていたという。英訳の多くはその要求に応えている。言語の構造が近いことは、それが可能だった理由のひとつに挙げられるだろう。
 いっぽうでこの日本語訳は、訳者と、編集者の竹花進氏との入念な打ち合わせに基づいて、原文の意図を汲みつつ、日本語の文章として読みやすいものにすることを優先した。それがむしろ作品の本来の力を尊重することになるという判断の上でだが、もし訳者があの世でクラリッセに出会ったら、られるならまだいいほうで、口も利いてもらえないかもしれないと思いつつ訳業を進めた。そんな折りが訪れることがあれば、わずかでも釈明の時間をもらえることを願いつつ筆を擱く。

 

福嶋伸洋

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クラリッセ・リスペクトル

1920年ウクライナ生まれ。大戦下にブラジルへ移住。43年の初小説でグラッサ・アラニャ賞を受賞。その後英米伊ほか外国生活の末帰国、77年に亡くなるまでをリオで過ごす。著書『GHの受難/家族の絆』ほか。

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