単行本 - 絵本
最果タヒ初の絵本『ここは』及川賢治(100%ORANGE)との共著で刊行!刊行記念Wエッセイを公開!
最果タヒ・及川賢治(100%ORANGE)
2020.06.15
ここは、ぼくのまんなかです。
ここは、おかあさんの ひざのうえです。
まちのまんなか でもあります。
(本文より)
最果タヒ待望の初絵本、ついに2020年6月26日刊行!
若い世代から圧倒的な支持を得ている詩人・最果タヒと及川賢治(100%ORANGE)が、過去・現在・未来の「すべての子どもたちと親たち」へ贈る絵本『ここは』。
二人によって書かれ、描かれた本書は、お母さんの膝の上に座る「ぼく」の視点から、「ここ」=「ぼくのいる場所」を様々にとらえ直します。それは世界の広さと可能性を伝えるとともに、私たちが日々の中で見失いがちな、自分の居場所を見つめ直すきっかけにもなるはずです。
本書刊行にあたり、著者の二人から特別に、刊行記念エッセイを寄せていただきました。
この絵本の成り立ち、原風景に触れることのできる、魅力あふれる文章を、ぜひお楽しみください。
・「幼さを思い出すことはできない。」最果タヒ (約1,550字)
・「丸太を手渡され」及川賢治(1 0 0 % O R A N G E)(約550字)
幼さを思い出すことはできない。
最果タヒ
先日、急に5、6歳の頃、アスファルトの隙間にたんぽぽの綿毛を3粒埋めて、水をあげていたことを思い出した。当時、誰にも言ってなくて、自分もすぐに忘れてしまったことなのだけれど、晴れた日、久しぶりに外に出て、アスファルトの隙間から生えた雑草を見ていたら思い出した。それをしながら何を考えていたか、とか、思っていたか、より、案外しゃがんで、近すぎるぐらい近づいて見ていたこととか、水をちょっとずつ運んであげていたこととかそんなことしか思い出さない。思い出さないけれど、わたしはやっぱり、子どもだったんだな、すごく子どもだったんだ、と大人になったこの身体と心で、ここまでリアルに実感できるなんて、その瞬間までほとんどなかったように思う。
幼さを思い出すことはできない。自分の「愛されていた記憶」より、愛してくれた人たちの記憶を辿るようにして、わたしは過去を思い出す。写真に写った幼いころのわたしを、幼いころのわたしは鏡でしか見ることがなかった。あれは、周囲にいた大人たちの記憶であって、本当は、わたしの記憶などではない。今ではその姿が当たり前に感じるけれど、あのときわたしが思っていた「わたし」は多分こんな形ではなかったし、それを思い出すことはもうないように感じていた。たんぽぽのことを思い出したとき、蘇ったのは、自分のそのときの体勢や、水を運ぶ緊張感だった。張り詰めていた身体は、わたしにとって、当時は「小さく」なんてなく、「頼りなさげ」なんかではなく、世界に対峙できるぐらいには大きくて、自分で思いついたことを実現できるぐらい、「いろんなことができていて」、でもどこかぼんやりとして、気持ちや考えはそんなはっきりとせず、何かをじっと観察して、ずっと待つためにここにいるような感覚だった。すこしも時間を惜しいと思わなくて、めざすものとか、後悔とか、そういうものがほとんどなくて、今思えばすごく暇で、でもわからないもの、知らないことが無数に周りにあって、全身が世界に対峙していた。自分が子どもであることなんて、たぶんほとんど思い出さなかった。
わたしは「わたし」を見ていなかったし、見る暇なんてなかったのだと思います。「世界」にとって、「わたし」がなんなのか、証明する必要を感じず、不安に思うこともない。それは愛されていたということですよね。愛してくれていた人の記憶を通じてではなく、自分自身の「愛されていた記憶」はなんにもないような一瞬の底の方に塗られている。だから、思い出せない。ほとんどの場合、その瞬間は退屈で平坦で、あのころのわたしにとっても、今のわたしにとっても、すこしも特別でなかったからだ。
わたしは幼いころ、絵本がとても好きでした。
登場人物が好きとかどうなりたいとかではなくて、ぼうっと絵本を眺めて、お話を聞くのが好きでした。大人になって改めてその本を開き、こんな話だったんだと気づくことも多いのだけれど、その「こんな話だったんだ」という瞬間に、自分の子ども時代が蘇る感覚がある。「こんな話なんだ」と気づくことのないぼんやりとした昔の自分を、ふと思い出すことがある。
絵本を書いてみたいと思ったのはだいぶ昔で、でもそれはとても難しいことだと感じていた。「伝えたいこと」なんてなくて、どちらかと言えば、たんぽぽの種を埋めてみようかなと自分で思いついたときのような、ああいう瞬間を、わたしは絵本で作ってみたかった。それは能動的にやろうとすればするほど難しくて、結局書けるまで、じっと待っていたように思います。『ここは』という絵本は、わたしにとって初めての絵本です。及川賢治さんの素晴らしい絵とともに、こうして形になり、とても幸せに思います。ぜひ、読んでみてください。
丸太を手渡され
及川賢治(100%ORANGE)
「ここはつくえのまえですね。」
「パソコンのちかくでもありますね。」
なんて頭の中で独り言を言いながら絵を描いていた。
「ここは画用紙のまえでもあるのかな。」
「きっとそうなんだろうなぁ……四角いなぁ。目の前のこの四角くて白いものは画用紙なんだろうなぁ。」などと情けなく現実逃避をしたりもする。
僕は気分転換によく手を洗う。手を洗ったその水がパイプを通ってどこか知らないところに流れてゆくとか。壁に掛かっている額は裏側に紐が付いていてそれが壁のフックに掛かって止まっているとか。そういう忘れそうなことを想像しているとだんだん楽しくなってくる。そうだ。僕はそういうことが楽しいんだからそれを最果さんの文章にぶつけてみようと思った。
この親子以外もきちんと描いてあげよう。それぞれ勝手に行動している人たち。床屋の中では誰かが誰かに髪を切られている。道に迷ったタクシーがいつまでもウロウロしている。
「ここ」を描くためには、「ここ以外」をちゃんと描いてあげなくてはと思ったのでした。
その為にいつもよりも細いペンを使い、いつもよりたくさんの色を使った。
最初にテキストをもらった時、ぶっとい丸太を手渡されたような気分でいたけれどうまく自分なりの枝葉をつけられたのかなと思う。