文庫 - 随筆・エッセイ

「正解以外、全部不正解」的な世の中を生きている私たちへ

 

七井翔子『私を見て、ぎゅっと愛して』

婚約者がいるにもかかわらず、出会い系サイトでの出会いをやめられない女性が、さまざまな精神疾患を抱える日常を率直に綴った話題のブログを大幅に改訂し文庫化。

 

「正解以外、全部不正解」的な世の中を生きている私たちへ

長江貴士

 

「感慨深い」という言葉が、一番近い気がする。この本が、文庫化されたことに対してだ。

 

2006年、僕はこの本と出会った。衝撃的な作品だった。読みながら、何度も泣いたことを、未だに覚えている。周りの人にも、勧めまくった。そして、機会がある度に僕は、「この本を文庫化してくれ」と知り合いの編集者などに話していた。

 

15年経ってようやく、文庫化された。実に感慨深い。

 

当時23歳だった僕は、正直、自分のことで精一杯だった。僕自身の人生が、僕なりに大変動していた頃のことで、メンタル的にも結構しんどかった。だから、その時の僕は、「七井翔子」という人が抱える生きづらさに、自分自身を重ねるようにしてこの本を読んでいたように思う。

 

15年経って、読み方が変わった。そして相変わらず、読みながら何度も泣いてしまう。

 

自分のことで精一杯だった時期を乗り越えて、僕自身は割と平穏に過ごせるようになった。一方で、色んな生きづらさを抱える人に出会ってきた。僕は、「七井翔子」という人と彼女たちを重ね合わせるようにして本書を読んでいた。

 

著者は、恐らくパッと見には、生きづらそうな人には見えないのだと思う。塾講師として生徒から人気が高い。容姿も整っているようだ。人見知りだそうだけど、気が合う人とは気持ちよく関われる。長く付き合っている人がいて、結婚する予定だ。恐らく、彼女のことをよく知らない人からは、羨ましがられるような、順調に人生を歩んでいるような見られ方をするだろう。

 

僕が出会ってきた生きづらそうな人も、割と同じだ。見た感じは、それこそ「リア充」と言っても良さそうな、明るくて楽しそうで元気に生きているように見える。しかし話を聞いてみると、「日々遺書を書いている」とか「好きではないけど自分のことを乱暴に扱って”くれる”セフレとの関係を切れない」(優しくされるとダメだと言っていた)とか、「何もする気力がなくて虫が這い回る部屋でただ横になっている時期もあった」みたいなことを言っていたりする。

 

【私は愛される価値のない人間だという自虐。私は自分を痛めつけることで、心を平らかにできている】

 

彼女たちは、そういう姿を表にはなかなか見せない。理解されないことがわかっているからだ。著者も同じ。この作品には、著者の家族や友人が様々に登場するが、そのほとんどが著者の行動を「理解できない」という風に捉える。

 

【ボケっとしてないで、なんとかしなさい。どうしてアンタは自分の感情を押し込めて押し込めて押し込めて生きているの。精神病って何よ。私にはただの甘えにしか映らないわっ!】

 

著者の姉は苛烈な言葉でこんな風に迫る。(こんな風に言われたらしんどいなぁ…)と思いながら、僕はこの姉の言葉を読む。

 

僕は僕のことしか分からないから僕自身のことを書くけど、最初から最後まで、「七井翔子」という人の感覚に近いなぁ、と感じる。そして、彼女の価値観を否定するような周囲の人間の言葉に、強く違和感を覚える。どうして、「そっち側」ばっかり、「正しい」ってことになるんだろう、と思ってしまう。

 

例えば、学生の頃からずっと信頼していた親友からの”裏切り”が発覚した後、彼女はその親友をどうしても恨む気持ちになれずにいる。さらに彼女は、こう感じもする。

 

【もう、私と由香は本当に親友に戻れないって思って、それが悲しい】

 

この返答に、姉は呆れ、理解できないという態度を示す。まあ確かにそれは、健全な反応ではあるかもしれない。でも、健全な反応だけが正解なわけではないし、そもそも世の中には無数の正解があり得る。しかし、どうにも著者の周囲には、「これが正解です。それ以外は全部不正解です」という感覚の人が多い。そしてそれは、僕自身が世の中全体に感じることでもあるし、それは、生きづらさが薄れたはずの僕の中にもまだ僅かに残る、そして、僕が出会ってきた生きづらさを抱える人たちが感じ取っているだろう、しんどさの遠因だったりする。

 

【違う。とにかく、私は本当に嬉しい。由香が笑ってくれていたなんて】

 

こういう感覚が、何故否定されなければならないのか、僕にはよく分からない。

 

【私はずっと恐れている。私が誰かを傷つける存在になりたくない】

 

僕も、いつもそれを恐れている。それを恐れずに生きていけるのは、本当に羨ましい。誰かと関わることは、常に、誰かを傷つける可能性と隣合わせだ。僕はその可能性に怯えてしまうし、僕が出会ってきた人たちもそういう人が多かった。自分がどれほど傷つこうが、相手が傷つかなかったことが嬉しい、という感覚は、僕にとっては結構当たり前の感覚なのだけど、でもこれが世の中の多数派ではないということも知っている。そして、意図しているわけではないけど結果的に誰かを傷つけてしまう人の存在を、僕はいつも恐れている。

 

【渇くほど他者の手を欲していながら、その一方で渇くほど孤独を欲している。この矛盾。自己撞着に常に苛まれている。

私をかまって、見ていて、だけど寄り付きすぎないで。見過ぎないで。だけどずっと線の向こうで見てて。でも見過ぎないで。でも目を離さないで。

ああ、この非生産的で倒錯的なループ。我ながらひどすぎるな、と嘲る。】

 

程度の違いはあると思うが、この感触はよく分かる。しっくりくる。時々、こういう距離感が、なんの説明もせずにすっとハマる人がいて、そういう時は非常に楽で呼吸がしやすい。でも、大体の場合は、言語化してもなかなかこの感触には届かない。だから、説明を諦めてしまう。説明を諦めれば諦めるほど、自分の首が締まることも分かっている。

 

この本を読んで改めて感じることは、相手を傷つけまいと考えて考えてした行動が、結果的に相手を傷つけてしまうことがある、ということだ。

 

この本には、本当の意味での「悪人」は登場しない。もちろん、個別の行動の善悪について議論はあるだろう。倫理的に「正しくない」行動をしている人はいる。でも、僕の感触としては、「生きていくためには生き物を殺して食べなければならない」というような切実さがそこにあるように思う。動物を殺して食べることは、罪悪であるようにも感じられるけど、僕らにとってそれは必要だからその罪悪感を鈍麻させて生きている。同じように、この本の中で「正しくない」行動をしている人たちは、自分がなんとか正常を保って生き延びるためにやむにやまれず、そうせざるを得ないというような切実さを感じる。

 

【どうして彼以外の人と寝たいのか。それは七井翔子という殻から脱出して、すべてを擲ち、自由に奔放に泳ぐことができるからだ。今まで、この得がたい開放感は彼への罪悪感をも軽く凌いでしまっていた。高邁な思想も、智恵も、しがらみも何もかも捨て忘れ、一個のメスとしてふるまうことの快感を、見ず知らずの男たちからは手易く得られていた】

 

もちろん、自分が生き延びるために何をしてもいいわけじゃない。法律を破ることは社会の秩序を乱すし、相手との合意がないままで(あるいは、合意を強制するようなやり方で)相手に何かを強要するような行為は許されないだろう。でも、この本の登場人物たちは、出来うる限り相手を傷つけまいと葛藤し、可能な限り正しくありたいと切に願い、しんどい道を選んででも真っ当さを保とうと努力しているにも関わらず、それでも様々な要因から境界線を踏み越えてしまっている、という感じがする。

 

その必死さに、僕は揺さぶられてしまう。

 

彼ら彼女らを「間違っている」と断ずるのは簡単だ。行為だけを抜き出してみれば、間違いだらけだと言っていいだろう。今の時代なら、簡単に炎上するかもしれない。

 

でも、行為だけ抜き出してしまったら本質が失われてしまうような事柄はたくさんある。外側から、全体像の輪郭だけ見ていても、その真ん中にある核の部分は見えてこない。そういう繊細さを、著者は絶妙に言語化していく。

 

それが、この本の凄い点だと感じる。

 

著者は、自分自身の状況を「書く」ことで整理し、心情を吐き出すことでデトックスしているという実感がある。その感覚は、僕も分かる。頭の中に、モヤモヤした何かが浮遊している状態だと、自分が何に悩んでいるのか、何に悲しんでいるのか、何をしんどいと感じているのか分からない。言語化してみることで、自分のモヤモヤがきちんと輪郭を持ち始める。そして、自分が抱えているものの輪郭が見えることで、安心感が得られることがある。

 

だから著者は、自分のブログに、徹底して心の内を吐き出していく。

 

【ブログの日記にこのことを書く必要はないと、一瞬思う。私の行く末を案じてくださっている方々に心配させるのは心苦しい。責める人は責めるだろう。黙っていれば読者には永遠にわからない。それがブログの利点でもあるだろう。でも、それは絶対にやってはいけない。私のポリシーとして、それはできない。私は、正直に書く。なんと非難されようと、書かなければならない】

 

そういう意味でも、この本には、切実さが、そして誠実さも、満載に詰まっている。

 

正直に言えば、「小説みたいだな」と感じる部分もある。文庫化にあたって、縦書きになったことも、この印象を強める結果になったことは意外でもあった(単行本は、ブログ本の常として、横書きだった)。怒涛の展開は、そんなことが実際に起こったとは信じられないような、非常にドラマチックなものだ。しかし、徹頭徹尾貫かれている、著者の「文章を書くこと」に対する誠実さみたいなものが、この本を「フィクション」から遠ざけているようにも感じる。

 

だから、リアルに想像してしまうんじゃないだろうか。自分が、「七井翔子」と同じ立場に立った時、それぞれの場面でどのような選択をするのか、と。もちろん、著者には精神的な問題がある。その問題込みで想像するのはなかなか難しいだろうし、だからこそ、彼女の決断を「あり得ない」「信じられない」と感じてしまう要因にもなるのかもしれない。でも僕は、精神疾患こそない(正確には、精神科医に診てもらったことはないから、病名がついたことがないだけ)が、著者の感覚には理解できる部分が多いので、「自分だったらどうするか」という想像のスタート地点に立てる。僕自身は、「求められること」に対する切実な渇望感もあまりないし、結婚や子供に対する願望もほとんどないので、そういう意味で彼女の葛藤に寄り添えない部分も大きいのだけど、それでも、彼女の様々な決断を「勇敢」だと感じる自分がいる。

 

彼女の弟が「姉ちゃんは実は強いんじゃないか」と言う場面がある。弟は自分が傷つきたくないからそういう場面は最初から回避してしまうけど、姉ちゃんは体一つでぶつかっていく、というのがその理由だ。『エヴァンゲリオン』の加持リョウジが、「大人はさ、ずるいくらいがちょうどいいんだ」と言っていたのを思い出す。誰だって、自分を生き延びさせるために、ほどよくずるくなる。僕もそうだ。でも、そう出来ない人もいる。だから、ずるさに頼らずに進んでいって、当然のように傷付いていく。そしてそれは、見方次第では「勇敢」だとも言えるだろう。

 

ずるくなれないからこそ、優しさが誰かを傷つけてしまう。「優しい人に思われたい」のではなく、本当に心の底から相手の幸せを望む優しさであったとしても、それは曲解され誤解され、正しく伝わらない。そんなもどかしい衝突を何度も繰り返しながら、傷だらけでヘトヘトになりながら、それでも誰かと切実さをもって関わり続ける。

 

そんな彼女は、やはり「勇敢」なのだと思う。

 

 

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