ためし読み - 5分シリーズ

ひとに恐怖を与えるには、五分で充分なんです。――「5分シリーズ」×ホラー界の新鋭・梨コラボ試し読み 『5分後に取り残されるラスト』プロローグを全文公開

シリーズ累計160万部突破記念、ホラー界の新鋭・梨氏とコラボしたスペシャルエディション
5分後に取り残されるラスト』が10月29日に発売となりました。
不条理に満ち満ちたホラーを楽しめるシリーズ最新刊。恐怖の世界へ誘う梨氏書き下ろしの「プロローグ」を全文公開します。

 

==ためし読みはこちらから↓==

5分後に取り残されるラスト
feat.梨

 

 

プロローグ

 

 五分。

 今から、五分だけ、時間をくださいませんか。

 

 いえ、それほどお時間は取らせません。

 もしかしたら二、三分で終わってしまうかもしれない。

 それくらい短い、ほとんど誤差のような時間で済むお話です。

 興味がなければ、そのまま聞き流していただいても構いません。

 

 今からするのは、「五分ごぶ」に関するお話です。

 「五分」ではありませんよ。

 「五分ごぶ」に関する話です。

 

 五分を「ごふん」ではなく「ごぶ」と読むとき、

 そこにどんな意味があるか、あなたはご存じですか。

 

 まずひとつは「一寸の半分」という意味。

 一寸、は分かりますか? ほら、一寸法師ってあるでしょう。あの一寸です。

 尺貫法といわれる、昔の日本におけるものの長さの数え方に即して考えたとき、一寸の半分にあたる長さのことを五分ごぶといいます。つまり十分じゅうぶで一寸というわけですね。

 五分ごぶは大体一・五センチほどだそうです。それなりに小さいですね。

 「一寸の虫にも五分ごぶの魂」ということわざは、ここからきています。三センチほどの小さい虫にだってそれなりの魂はあるのだ、という思想でしょう。

 

 ほかにも意味はあります。例えば先ほどの尺貫法的な換算から派生してか、「物事の半分」という意味でも用いられます。「五分咲き」といえば、桜などの花弁が満開と比較して半分程度咲いているという意味になる。

 

 つまり、絶対的に「一寸の半分」「約一・五センチ」という数詞として用いられるのではなく、相対的に「全体と比較していくつ」という考え方でも用いられるのです。基準が一寸ではなく一メートルだったとすれば、五分ごぶは一・五センチではなく五〇センチになる。

 

 もうひとつだけ、ほかの意味を紹介しておきましょうか。

 それは、「互いに優劣の差がない」という意味です。

 例えばスポーツの中継などで「実力は五分五分だ」「五分に渡り合っている」なんて表現を聞いたことがあるかもしれません。このとき、その言葉が示すのは「互いに差がない」という意味であり、客観的に見ても優劣をつけられない状態だといえるでしょう。

 

 このように、一口に「五分ごぶ」という表現を使ったとしても、その言葉が示す意味は、ほとんど真逆といってもいいかたちで変化しているのです。

 絶対値的な単位として一・五センチ程度の大きさを表したかと思えば、もっと意味が広くなり、あらゆる物事の半分、という可変な大きささえも包摂する。どこまでだって大きくなれる。しかも、それは同時に、両者には差や優劣が存在しないという意味にさえなりえる。

 そしてこの構造は、人に何らかの──特に「恐怖」に類する──感情を喚起させたい場合に、それなりに役立ちます。

 

 最初はほんの少し、それこそ誤差になる程度の「ずれ」を与えるだけでいい。

 その「ずれ」はやがて、より広く可変な大きさの穴にまで拡大し、同時にそれらの差をつけることが困難になっていく。

 私たちは、より大きくなっていく「ずれ」に、いつしか気づけなくなる。

 

 例えば、こんな想像をしてみましょう。

 あなたは今、とても暗く長い吊り橋の、真ん中に立っている。

 吊り橋は高く、狭く、歩くたびにぎしぎしと音を立てている。

 しかも、その橋には手すりや壁といったものが存在せず、

 少しでも足を踏み外せば、あなたは黒く冷たい暗闇に落ちてしまう。

 

 その吊り橋を見下ろしても、底は一切見えません。

 ただ、黒い風があなたの足元を吹き抜けていくだけ。

 ろくに身動きも取れず、行くことも戻ることもできず、

 ただ落ちないようにぐねぐねとバランスを取ることしかできない。

 

 そんな中で、あなたの後ろから、

 やけにはっきりとしたあしおとが聞こえてきました。

 その音は明らかにあなたのほうへ向かっていて、

 ぎしぎしというかすかな揺れは音とともに大きく、強くなっていく。

 

 あなたは動けない。

 ただ落ちまいと硬直していることしかできない。

 少しでも動いたら、動かされたら、

 取り返しのつかないことになってしまうという感覚がある。

 

 音は徐々に近づいている。

 振り返ることはできない。

 それだけで身体がぐらりとゆれてしまいそうなほど、

 危うげなバランスで固まっている。固められている。

 音は徐々に近づいている。

 それが近づいてくる。

 揺れが大きくなる、

 風が吹いている、

 体が揺れる、

 なにかの、

 気配が、

 ほら、

 もう、

 

 ぽん、と背中を押される。

 ほんのわずか、後退あとずさる。

 

 自分の脚が、数センチだけ動いた。

 ただの誤差でしかない程度の距離、なはずなのに、

 そのずれが拡大していく感覚がある。

 

 ぐらりと、体が傾いた。

 視線が傾いて、体の半分が宙に投げ出され、そして。

 

 落ちる。

 落ちていく。

 体が、ゆっくりと重くなっていく。

 取り返しのつかない絶望とともに、

 どこかその状況を受け入れている自分に気づいた。

 あなたは元からそこにいたような、そんな感覚。

 その変化が、単なる誤差でしかないような。

 

 分かりますか。

 ひとに恐怖を与えるには、五分で充分なんです。

 

 ただほんの少しだけ、そのひとがいる場所をずらすだけでいい。

 わずか数センチくらい、差なんて殆どないような距離。

 そうすれば、いつしかその差は五分ごぶに広がり、やがて受容される。

 そのひとがいつの間にか取り返しのつかない場所にいることを、当人にすら気づかれないかもしれない。

 

 つまり。

 五分もあれば、ひとは簡単に「取り残される」ことができるのです。

 

 と、ここまでが大体二〇〇〇文字程度の文章です。

 ひとが一分間で読める文字数は約四〇〇字と言われていますので、あなたはここまでの文章を読み切るために五分程度の時間を使ったということになります。

 

 これからあなたは、先述した様々な「ずれ」を体感することになるでしょう。

 文章を通してあらわれるそれは、恐怖かもしれないし、不条理かもしれないし、ファンタジーかもしれない。五分という時間の中で生まれた五分ごぶの誤差が、あなたをどのような暗闇へ突き落としてくれるのか。それは誰もわかりません。あなた以外には。

 

 それでは、ページをめくってみてください。

 

 梨

 

 

***続きは、『5分後に取り残されるラスト』でお楽しみください。***

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著者

梨(なし)編著

インターネットを中心に多くの怪談を執筆。2022年に初の書籍『かわいそ笑』を発表。マンガ『コワい話は≠くだけで。』(景山五月)原作、イベント「その怪文書を読みましたか」ストーリー制作などをてがける。

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