ためし読み - 文庫
阿部和重インタビュー第3回/「It’s Alright,Ma (I’m Only Bleeding)」「Eeny, Meeny, Miny, Moe」(河出文庫『ULTIMATE EDITION』刊行記念 全作品解説/全8回)
阿部和重
2025.11.20
老いた教官を訪ねたロシア軍特殊部隊員、「仮想時空修学旅行」で内戦中のシリアへ降り立つ22世紀の高校生、人生の再起をかけた高級車窃盗闇バイト……。
本書『ULTIMATE EDITION』は、一触即発の現代を生きる者たちの無垢な心を円熟の筆致で描いた、アイドルグループ「嵐」や「A.B.C-Z」とのコラボレーション作品を含む、多彩な第二短編集です。
本書の文庫化を記念して、阿部和重作品を知り尽くしたフィクショナガシンによる全作品解説インタビューを配信します(単行本刊行時のものを再編集したものです)。全8回の3回目となる本記事では、「仮想時空修学旅行」で内戦中のシリアへ降り立つ22世紀の高校生が主人公の「It’s Alright,Ma (I’m Only Bleeding)」、孤独な独裁国家元首をめぐる「Eeny, Meeny, Miny, Moe」をお届けします。
ぜひお楽しみください。
「It’s Alright,Ma (I’m Only Bleeding)」
アメリカのフォークシンガー、ボブ・ディランの楽曲名
──シリアの惨状を訴える二〇一四年の動画を、百年ぐらい先の未来の少年が発見します。そして、二〇一四年にタイムトラべルのようなものをする。そこでシリアの現実と向き合うのですが、現代の私たちと同様、少年には功利主義的な発想をするところもあって、二つの感情の間で揺れ動きます。アクロバティックな構想と、シンプルな感情とが交錯する作品ですよね。『Ultimate Edition』の最重要作品だと私は思うのですが、変な言い方ですが、このようなアイデアはどうやって思い付いたんですか。
「シリアの人道危機について書きたいという気持ちがまずありました。シリアには行ったことがないし、実際の状況は報道でしか知り得ない。しかし、知らされる事実はあまりに深刻で、それによって搔き立てられる感情もある。同時に、地理的な隔たりもあれば認識のズレもある。そうした自分自身の現実をどうすれば作品に落とし込めるかと考えて、少年が遠い未来に生きていて、過去の情報に触れるという形なら書けそうだと思い付いたんです。ちょうど同じ頃に、国際NGO『セーブ・ザ・チルドレン』がアップした動画がありまして」
──それが少年の発見する動画ですね。家族に囲まれ幸せに生きていたシリアの少女が、戦火の中で逃げ惑い、親とはぐれ……と、刻々と状況が深刻化していく短い動画です。
「非常にスタイリッシュに作られた動画ですよね。これを少年が発見したということにすれば、今話したような構造をうまく組み立てられるなと。それで、少年が修学旅行で過去の世界をバーチャルに旅するという、SF的な設定も考えました。バーチャルにその場に行くことは、われわれが日々報道で触れながら事実を知った気になるのとほとんど同じことなんですよね。そこにも自分のリアリティーを投影できると思ったわけです」
──こういう一文があります。「とにかく現状を正しく把握したいと切望し、自らに可能な唯一の手段を行使する。検索をかけ、ここで今なにが起きているのかを調べる以外にできることはない」。あなたの現実に対する思いが強烈に表れていて、他の誰にも書けない文章だと思いました。ジュブナイルSFのように少年の修学旅行という形を取っている点は、不良高校生らの争いを描いた『ABC戦争』など、二十代の作品で見受けられた感覚を呼び覚まします。同時に、より手が込んで、深化しているようにも感じました。
「さすが鋭いなあと思いながら聞いていました。自分にしては珍しいぐらいに、この短編には自分自身をダイレクトに投影したところがあって。『タケイ』という主人公の少年の抱える衝動は、自然と自分の中に芽生えてきた感情に近い。この初期衝動のような何かをとにかく作品にしなければならないと、そういう気持ちで書いたところもある。書き上げた時はそれなりに手応えがありました。現実に存在している動画を組み合わせて、作品の狙いをクリアに表現できる仕組みになったこともよかった」
「Eeny, Meeny, Miny, Moe」
日本の「どちらにしようかな」に当たる英語の数え歌
──小説と現実が繫がっていることで、読者は小説を読んでいる間だけ読者でいるのではなく、読んだ後も読者であり続ける感じを得るのでしょうね。さて、次は金正恩の話が来ます。『ブラック・チェンバー・ミュージック』に関連する内容ですが、同作よりもだいぶ前に書かれています。
「そうですね。固有名詞は出てきませんが、誰が読んでも金正恩のことだと分かるようには書かれているはずです。英語版の数え歌をタイトルにしたのは、『どちらにしようかな』という状況に置かれた若き最高指導者の心境を描きたかったからです」
──最後にひどいオチが付きますね。
「ほんとにひどい(笑)。これを書いたのは最高指導者になって数年後の金正恩が、張成沢という後見人的な立場にある叔父の処刑を命じたという衝撃的な事実が報じられて間もない頃です。ナンバー2の権力者とされる張成沢は中国とのパイプ役などもつとめる有力な存在だったので、若い金正恩の指導力が未知数だったこともあって当時は北朝鮮の内政がだいぶ危ぶまれていました。その一方で、金正恩と親交のあるデニス・ロッドマンというNBAの元スター選手が何度も北朝鮮に招かれていた。金正恩の誕生祝いの際も仲間の選手たちと訪朝して親善試合をおこなっているんですが、その最後にデニス・ロッドマンがハッピーバースデーを歌うわけです。実際にそういう出来事があったので、叔父を処刑させた直後の不穏な空気が続く中、誕生日の盛大な祝宴に臨む若き最高指導者の心境を想像する小説を書いてみたくなったということです」
─作者自身もその人物像を見極めかねている感じがします。時代の刻印性という点でいうと、まさにそのときにしか書けない作品です。今読むとそこがかえって面白い。ちなみに同名の楽曲が「三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE」にもあるようですが……。
「これは本当に数え歌の意味で付けました。でも、そのようですね」
──聴いてみたのですが、実は歌詞の内容がばっちりなんですよ。「凄く物足りない」とか「欲しいのは平凡な日々じゃない」とか「ほかにない自分だけのスタイル」とか。本作の主人公が思いそうなフレーズで溢れているんです。
「じゃあ、三代目の曲ということにしましょう(笑)。彼らのファンにも読んでもらえるように」
──オチもすごく馬鹿馬鹿しいのですが、それが見過ごせないのは、日本的な、牧歌的にも思える決着をしているからです。逆に、極めて恐ろしい終わり方だとも言えますが。
「この作品でもやっぱり距離感について考えざるを得なかった。当時の自分にとって北朝鮮は、思い立ってすぐに詳細に書けるような舞台ではなかった。必要な資料をそろえて書くべきところ、そうすると〆切に間にあわないので自分の想像力で乗りきるしかないとなった。そんな中、どうやったら作品として成立させられるかと考えたときに、この状況そのものを書けばいいのだと思いついて、すると自分がやっていることって結局、幸福の科学の霊言みたいなものだなと気づいたわけです。小説なんて霊言と変わらないよなと」
(つづく)















