ためし読み - 文庫
阿部和重インタビュー第7回/「Hush…Hush, Sweet Charlotte」「Let’s Pretend We’re Married」「(河出文庫『ULTIMATE EDITION』刊行記念 全作品解説/全8回)
阿部和重
2025.11.24
老いた教官を訪ねたロシア軍特殊部隊員、「仮想時空修学旅行」で内戦中のシリアへ降り立つ22世紀の高校生、人生の再起をかけた高級車窃盗闇バイト……。
本書『ULTIMATE EDITION』は、一触即発の現代を生きる者たちの無垢な心を円熟の筆致で描いた、アイドルグループ「嵐」や「A.B.C-Z」とのコラボレーション作品を含む、多彩な第二短編集です。
本書の文庫化を記念して、阿部和重作品を知り尽くしたフィクショナガシンによる全作品解説インタビューを配信します(単行本刊行時のものを再編集したものです)。全8回の7回目となる本記事では、「さらわれた赤ん坊」を拾う青年をめぐる「Hush…Hush, Sweet Charlotte」、17歳の少年が強盗を試みる「Let’s Pretend We’re Married」をお届けします。
ぜひお楽しみください。
「Hush…Hush, Sweet Charlotte」
ベティ・デイヴィス、ロバート・アルドリッチ監督によるホラーサスペンス映画「ふるえて眠れ」の主題歌
https://music.apple.com/jp/album/hush-hush-sweet-charlotte/896737339?i=896737440
──世界の政治指導者も出れば、日本のアイドルも出る。この固有名詞の幅広さもあなたの魅力ですね。次の作品では十代の男女らが偶然、親族間の内紛で親元から連れ去られてしまったらしい赤ん坊を発見します。子育ての知識など何もない若者らが、高熱を出す赤ん坊をなんとか助けようとする姿にじーんときました。
「これは『早稲田文学』とイギリスの文芸誌『Granta』との共同企画で、イギリスの誌面に英訳が載ることが最初から決まっていました。ちょうど自分自身も乳幼児の子育て中だった頃です。育児についてはわが家にいらっしゃる大先生(妻で作家の川上未映子さん)が『きみは赤ちゃん』というエッセイを既に発表していたこともありましたが、この自分はその大変さをどういう形で書けるだろうかと色々考えてはいたんですね。そういう時期に、英語圏でも読まれることを意識して、日本社会の今の現実を映したものをなにか書けないだろうかと考えた結果……実はこの話、二〇一一年三月一一日の福島の原発事故の切迫感を念頭に組み立てたんです」
──へえええ! そうなんですか、全くそれは気が付きませんでした。
「熱が出てるぞ、冷やさなきゃ、みたいなあの慌てっぷり。子育てなんて全くしたことのない連中がそれを引き受けざるを得ない。あれは原発事故のメタファーとして書いたものなんです」
──なるほど。ヘリコプターが原子炉に向けて放水していた映像を思い出しますね。なんだかずしりときますね。
「あのときの右往左往感を小説として書いておきたかった。シャッター通りとなった街でくすぶっている十代の連中が、赤ちゃんを親族に引き渡せば金をもらえるという噂を聞き付ける。そういった打算の中で、赤ちゃんの面倒を見なきゃいけなくなる。最終的にそれを引き受けるのかどうか。そういうドラマで日本の今を表現したかったわけです」
──検索を封印して、自分の実体験と、二〇一一年の原発事故の際の不安感を、赤ん坊の熱を下げなきゃいけないという展開に重ねていたわけですね。二〇二二年になり、掲載から時間を経て、今こうやって作者の意図を聞く体験に意味があったんだなと感じています。原発事故を匂わせるようなことは一切書かれていなかったからこそ、あえて書かなかった作者の思いが強く伝わってくるように思います。
「書いた当時の記憶はだいぶ薄らいでいますが、自分としては新しい試みができたような感触はありました。原発事故処理という現実を念頭に置いて犯罪にからむ不慣れな子育ての切迫状況を描くうちに、作品が多面性を帯びて奥行きも深まるような感覚を持てました。これを書いていたので、『オーガ(ニ)ズム』では子育てをうまく対象化できたのかもしれないですね」
──物語自体も派手なのは最初だけで、極めて控えめな進行をしていきますよね。登場人物たちは自分らの身に起こったことに驚いていますが、投げ出すことを選択しませんね。この物語の背後に、原発事故の原子炉のシルエットがあったのだと知ると、とても腑に落ちます。
「あまりそう読んではもらえないのですが、震災に関しては何作も書いてきたつもりなんです。『オーガ(ニ)ズム』もそうですし、『Deluxe Edition』に収録されていた『Ride on Time』や『In a Large Room with No Light』というプリンスの曲名を引用した作品も、震災小説と言えるはずなんですが、評論家にはスルーされてしまって悲しいです」
「Let’s Pretend We’re Married」
アメリカのマルチミュージシャン「Prince」の楽曲名
──次も若者が主人公です。
「これも実は時事ネタを潜ませているんですよね。こういうインタビューなので種明かししちゃいますが、去年の秋頃にものすごいバッシングを食らいながらも結婚し、現在はニューヨークで暮しているご夫妻がいらっしゃるじゃないですか。あの婚姻に変革の予兆を感じないでもないわたくしとしては、僭越ながら小説のかたちで小室夫妻に祝福を捧げたいと意図した次第なんです。ちなみに、タイトルにつけたプリンスの曲名には邦題があって、『夫婦のように』というんですね」
──いやあ、全く見抜けなかったですね。学校を辞めて特殊詐欺の受け子をやっている若者が主人公ですが……言われてみれば、名前が皇児ですね。
「そうなんです。ヒントは潜ませました」
──ご夫婦のことは傍に置いたとしても、活字だからこそ表現できる少年と少女の距離感のなさというか、会話の心地良さがあって、すごく好きな作品でした。
「自分としても、いい感じの少年少女の関係性が書けたなと手応えがあったんです。舞台は横浜市郊外ですが、わたくし自身が学生の頃に住んでいた地域を選びました。相鉄線沿線のあの辺りを舞台に若者たちの小説を書きたいなと思っていたので、元ネタのご夫妻のことは切り離しても、思い入れの深い作品に仕あげることができました」
──団地の屋上の場面がいいですよね。気持ちの良い風が吹いてそうで。五分刈りの男というのが追いかけてきますが、彼がここで迎える最後の場面が非常に謎めいていて、印象的です。
「この場面に関しては、ある映画のシーンを思い浮かべて書いたんです。こういう場面を書きたいなあと。自分の中では引用のようなつもりで」
──もしかしてリドリー・スコット監督の『ブレードランナー』ですか?
「正解です! ビルから落ちかけているハリソン・フォードをレプリカント役のルトガー・ハウアーが片手で持ち上げて救って、息絶えて、鳩がばたばたと飛んでいく。あれをやりたかったんですよ」
(つづく)












