ためし読み - ノンフィクション

1366年 ウェストミンスターで大工の親方が腕前を上げるために悪魔に魂を売り有罪判決──誰もが魔術に頼っていた時代のリアルな日常『中世ヨーロッパの魔術師』

1366年 ウェストミンスターで大工の親方が腕前を上げるために悪魔に魂を売り有罪判決──誰もが魔術に頼っていた時代のリアルな日常『中世ヨーロッパの魔術師』

たとえば、正式な警察も保険も存在しない世界で大切なものを失くしたら、人々は誰を頼ればいいのでしょう?

中世ヨーロッパでは、最初に思いつくのはたいてい”魔術師”でした。

中世ヨーロッパでは魔術も魔術師は日常の一部であり、王も騎士も聖職者まで、魔術に頼って暮らしていました。

当時の人々のリアルな生活と感情を描き、魔術のイメージがくつがえす一冊『中世ヨーロッパの魔術師』から冒頭の「はじめに」を特別公開します。

 

『中世ヨーロッパの魔術師』
Amazonで買う 楽天ブックスで買う

 はじめに

 

 

 1637年秋、メイベル・グレイはスプーンをなくした。午前中いっぱい家中をひっくり返して捜し、隣人にも手伝ってもらったが、残念ながら見つからなかった。友人は、カトラリー捜しが得意な魔術師に頼んでみてはどうかと言った。こうしてロンドンを巡る長い旅が始まった。スプーンを取り戻したい一心のメイベルは貧民街に足を運び、数人の魔術師に会った。

 まずサザークの「カニングウーマン」のところに行った。カニングウーマンとは、単純な魔術を専門とする一種の魔術師だ。ウェストミンスターの自宅を発ち、舟でテムズ川を渡り、ウェストミンスターホール対岸のスタンゲイトステアーズで下船する。ランベス宮殿の温かみのある赤い壁を右手に見ながら、家畜がたむろする野を東に3キロメートルほど進み、魔術師を訪ねた。だが結局は無駄足だった。メイベルの冒険を記録した法廷文書には、カニングウーマンは捜し物に成功しなかったと書かれている。もしかするとこの種の魔法が専門ではなかったのかもしれない。というのも、彼女から、ドルリー・レーン近くに住む男性なら、超自然的な力を使って紛失物や盗難物を見つけられるだろうと勧められたからだ。そこでその男の住所を教えてもらい、指示に従って、舟のこぎ手に半ペニーを払って再び川を渡り、西に向かった。第二の魔術師が住むラトニー・レーンは、瀟洒でも清潔でもなかった。ジョン・ストライプの『ロンドンとウェストミンスター調査(A Survey of the Cities of London and Westminster)』1720年版によれば、ここは「ごく平凡」で「建物も住人もとるに足らない」そうだ。18世紀の読者は、この描写に若干の軽蔑を感じ取っただろう。建物はたいして手入れされておらず、「とるに足らない」住人は、上品とは言い難い人を指していたと思われる。

 だがメイベルの決意は固かった。彼女はカニングマンの家をノックし、状況を説明して、スプーン捜しに手を貸してほしいと頼んだ。魔術師は同情しながら耳を傾けたが、残念ながら自分も助けられないと言う。その代わり、第三の魔術師、タン氏なる者なら彼女のように捜し物をしている人を助けられるから、会いに行ってみるといいと勧めた。ここからそう遠くない、フリート通りの先、ラム通りに住んでいる。メイベルは複雑な気持ちだっただろう。この時点で足はくたくたになっていただろうが、タン氏は近くに住んでいるそうだ。だが同時にラトニー・レーンの通りが「とるに足らない」としたら、ラム通りは「堕落している」と考えられていた。ストライプの調査によれば、「酒場が立ち並び」「債務者にとっては特別な場所」、すなわち借金持ちが潜伏するには安全な場所だっ 1。メイベルがカニングマンに3シリング払ってまで、タン氏宅についてきてもらった理由は、ラム通りの評判だろう。きっと一人では安全ではないと思ったのかもしれない。幸いにもカニングマンは承知し、メイベルは第三の魔術師、そして望むべくは最後の魔術師に会うべく出発した。

 ようやくメイベルは、助けてくれると言う魔術師に出会った。彼女はタン氏に5シリングを現金で、3シリング分はぶどう酒で支払って、スプーンがどこにあるのか、盗まれたのか、だとしたら誰が盗んだのかを教えてもらうことにした。答えは曖昧だったが、魔術師は自信満々に「盗人はスプーンのある家にいる。(中略)どうやってかはわからないが、スプーンは戻ってきて、盗まれたときの場所に置かれるだろう」と語った。

 なぜメイベルは一日かけてロンドンを巡り、少なくとも11シリング(熟練工の一週間の給与相当)を支払ってまで、カニングフォークに会いに行ったのだろう。スプーンが彼女にとって非常に大切だったことは明らかだ。大量生産時代以前は、単純な家庭用具でさえ時間をかけて作られ、何十年も使うべき物だった。金属、特に銀製なら、彼女の所持品の中で最も高価な、ひょっとすると唯一相続可能な資産だったかもしれない。つまりスプーンは、時間と金をかけてでも捜すに値する物だったのだ。だが正式な警察も保険も存在しない世界では、こうした高価な物を見つけるのに誰を頼ればいいだろう。メイベルのような多くの者にとって、最初に思いつくのはたいてい魔術師だった。メイベルのスプーンが見つかったのかどうかはわからないが——そうだといいが——、いずれにせよ、魔術に投資する価値があると彼女が考えていたことは明らかだ。

 魔術師の助けは多岐に亘り、盗人がどこに隠れているかを言い当てるなど単純な場合もあれば、より複雑で、倫理的に曖昧なことさえあった。感情を扱う魔術師の場合は特にそうだ。

 

夫の毒殺依頼

 メアリー・ウッズはノリッジから12キロメートルほど北の、ストラットン・ストローレス教区に住んでいた。「ストローレス〔藁のない〕」という語は、周辺地域が耕作に適していなかったことを示唆しており、樹木が密生していたようだ。メアリーが森の奥深く、霧に覆われた人目につかない家に住むカニングウーマンだと考えると胸がわくわくする。確かに彼女は人里離れたところに住んではいた。だがこうしたステレオタイプとは違い、ジョンという男性と結婚していて、頻繁に旅をし、人との交流も多かった。メイベル・グレイが訪ねたカニングフォークとは違って、その交流関係からすると、メアリーは比較的地位も高いか、少なくとも一定度の社会的信用はあったようだ。彼女は、ジェームズ一世の国務大臣ロバート・セシルの命令で、1612年と13年に四度、尋問を受けた。その時の法廷証言によれば、数度ノリッジに行き、未来を予言し、恋愛魔術をかけたという。少なくとも一度はロンドンまで出向いた。17世紀の道路状況を考えると、片道160キロメートルの遠出は、金のかかる大変な旅だっただろう。さらに驚くべきは、彼女の顧客の社会層と依頼内容だ。

 メアリーが最初に登場するのは1612年の初夏で、サックリング夫人なる女性に招かれて、占い——詳しく言えば、彼女の夫サックリング博士があとどれくらい生きるか——を頼まれた。これ自体は不吉な依頼ではない。一家の長の死は悲嘆だけでなく、経済破綻をも引き起こす可能性があり、あらかじめ知っておくことが備えにつながる。メアリーは喜んでサックリング夫人に、旦那さまは長生きするでしょうと請け合った。彼女は客を安心させたつもりだったが、逆効果だった。夫人は見るからにがっかりして、夫に毒を盛ってほしい、と「大金」を約束した。メアリーの法廷証言によれば、彼女は金も依頼も拒否したそうだが、その言葉を信じてよいかどうかは疑問だ。

 翌年2月、彼女は博士夫人よりもずっと著名な顧客を得た。エセックス伯爵夫人フランシス・ハワードだ。明らかに、メアリーの評判は上昇していたようだ。

 フランシスはメアリーに、サックリング夫人とほぼ同様の希望を伝えた。つまり夫を亡き者にするための毒を所望したのだ。伯爵夫人は夫から自由になりたいと心底願っていた。フランシスは政治的理由から政略結婚させられた。ハワード家は仇敵との結婚を通して一族の繁栄を築こうと、わずか15歳の娘を第三代エセックス伯爵ロバート・デヴァルーのもとに嫁がせた(ロバートも10代だった)。1606年のことだ。夫婦が一緒に過ごしたことはほとんどなかった。フランシスはロバートに軽蔑を感じていたのかもしれない。長男である彼の父はエリザベス一世の寵愛を失い、この結婚の5年前に処刑された。ロバートの頭上には政治の暗雲が立ち込めていたことだろう。彼はつねに不機嫌で、フランシスにはこうした状況に一生耐える覚悟はなかった。彼女の依頼は明確だった。嫌疑を避けるために、数日かけて効果が出る毒であ 2

 今回は、法廷でのメアリーの無罪申し立ては立証が難しかった。彼女はまたしても依頼を拒否したと主張したが、伯爵夫人から現金とダイアモンドの指輪を受け取ったことが判明した。一般的な依頼なら、こうした贈り物などありえない。のちに、毒を受け渡した時点でさらに1000ポンド(現代の26万ポンドに相当する莫大な額)を渡すとの約束が交わされたことも明らかになった。反証を突き付けられたメアリーは、とうとう二人の間の取り決めを自白したが、後悔して毒を渡さずにロンドンを去ったと断言した。おそらくそれは真実だろう。というのもロバート・デヴァルーはその後33年間生きたからだ。いずれにせよ1613年末、フランシスはロバートの性的不能を理由に結婚の取り消しに漕ぎつけ(ロバートは自分はフランシスに対してだけ不能だと自己弁護した)、2か月も経たないうちに、愛人ロバート・カーと再婚した。つまりフランシスが結婚を解消したいと本気で思っていたことは確かだ。1615年、彼女は再び殺人の容疑をかけられた。今回の犠牲者は二度目の夫の友人で相談相手でもあったトマス・オーヴァーバリーで、トマスは二人の再婚に反対していた。フランシスは複数回オーヴァーバリー殺害を企て、ついに毒入り浣腸剤で殺したかどで有罪判決を受けた。彼女は自白し、カーと共に1622年までロンドン塔に投獄されたが、辛くも処刑は免れた。

 フランシス・ハワードはメアリーの最も有名な顧客だが、メアリーは2年の間に少なくとも三人の女性の夫殺しを共謀したかどで訴えられた。そのほかにも手相占い、「使い魔」がいること、妖術で怪我を治療したことも糾弾された。失敗した結婚に終止符を打ってくれるというメアリーの評判は、彼女自身が夫ジョンを毒殺しようとした疑い(と、失敗して離婚したこと)から来ているのかもしれない。彼女は何年もの間惨めな結婚生活を送っていた。夫婦関係の詳細は伝わっておらず、なぜ彼女が夫を殺したいほど毛嫌いしたのかはわからない。もしかするとフランシスとロバートのように、愛情ではなく義務から結婚したのかもしれないし、互いに対する長年の無関心が嫌悪に変化したのかもしれない。ジョンは冷酷な人物で、メアリーは八方塞がりだったのだろうか。あるいは、ジョンはメアリーほどの野心がなく、彼女は自分の「才能」の追求を邪魔されたくなかったのかもしれない。

 だがメアリーにかけられた毒殺容疑は結局立証されなかったようで、結婚の取り消し後、彼女は法廷記録から一切姿を消した。私たちは彼女に起こったことを憶測することしかできない。多くの学者は、彼女はペテン師に過ぎず、殺意をでっちあげてやると客たちをゆすっていたと主張している。もしかするとそうなのかもしれない。はったりが行き過ぎて、貴族の殺人未遂で尋問を受けたために怖気づいてやり方を変えたのかもしれない。だがこうした解釈には——特にトマス・オーヴァーバリーの死への関与を考慮すると——、実態が伴わない。加えて当時、配偶者がどれくらい生きるかといった類の質問を受けていた占い師はほかにもいたし、魔術を使った殺害の企ても珍しくはなかった。

 

悪魔に魂を売った大工

 魔術に暗い面があったことは確かで、魔術師は人を助けることも、危害を加えることもできた。不幸な、ひょっとすると有害な結婚生活に耐えながら、これがいつまで続くのか知りたいと願う女性もいただろう。だがそれだけでは不充分な女性も確実にいて、自分の手で決着をつけたいと願った。何人の妻が魔術に頼って結婚生活を終わらせたのか、何人の女性が魔術を通して結婚に漕ぎつけたのかを正確に知るのは不可能だ。歴史上の記録は当然、ほとんど情報を与えてくれないが、現存するわずかな記録からは、メアリー・ウッズの顧客たちの要望は特殊ではなく、メアリーもこうしたサーヴィスを提供していた多くの者の一人に過ぎないことがわかる。彼女が占いや不幸な生活の解決法を提供し続けた可能性は高い。実際、かなりの儲けが見込めた。だがフランシスの一件の後、有力者たちに近づき過ぎることは避けたようだ。

 メアリーと彼女の顧客たちを突き動かしたのは、貪欲、野心、あるいは自分たちに用意されている生活よりもよい人生を送りたいという希望だったのかもしれない。一方、職業上の利点を求めて魔術に頼った者もいた。中世後期の『ウェストミンスター年代記』によれば、1366年、大工の親方が腕前を上げるために悪魔に魂を売ったかどで有罪判決を受けた。親方の人生について、年代記は詳しくは述べていないが(氏名、出身地、年齢などの事項は伏せられていた)、付随する情報からいくばくかのことが推測できる。『ウェストミンスター年代記』に登場するということは、彼がシティ・オブ・ロンドン〔ロンドン中心地〕のすぐ外に住んでいたこと、「親方」大工として言及されていることは、大工の同業組合の正会員だったことを示している。大工は名声をもたらす技術職で、専門の道具、様々な木材や樹木の成長パターンに関する特殊知識が要求され、15世紀には最低7年間の修業が必要とされた。中世のほとんどの建物は木材でできており、石造りの家屋や教会の壮麗なハンマービームの屋根〔壁面から突き出た室内の梁〕にも木材が使われていた。つまり大工はつねに必要とされており、経験と才能を備えた職人は引っ張りだこだった。の大工が「親方」の資格を持っていたということは、彼がこの職業の最上層に位置し、何年も修業を重ねて、非常に優秀だと評価されていたことを意味する。記録に登場した頃の彼が15年にわたり同業者を圧倒していたことは確実で、数人の徒弟を抱え、中世のウェストミンスターで多くの建造物を手がけていたはずだ。

 残念ながら、彼の成功は長くは続かなかった。15年間活躍したが、唐突に死を宣告された。周囲の者も驚いたことだろう。当時彼はせいぜい45歳だったし、まだ働いていたことからすると、比較的元気だったはずだ。彼がとった行動はさらに周囲を驚愕させた。彼は自分が間もなく死ぬことを友人や同僚(おそらく大工の同業組合の会員だった者もいた)に知らせ、他人に危害を及ぼす危険が高いので、完全に一人にしておいてほしいと指示した。友人らは希望を聞き入れて、一晩中彼を部屋に閉じ込めた。ゆっくりと寝て、とてつもない恐怖を克服してほしいと願いながら。だがそうはならなかった。彼がベッドに入ってから間もなく、友人たちの耳に苦しそうな泣き声が聞こえてきた。年代記の言葉を借りれば、「部屋に入った彼らは、大工が自分の腹わたを引き出しているのを目にした」。友人たちは彼を止めようと駆け寄って手当てを試み、誰かが司祭を呼びに行った。この恐ろしい行動の理由は、彼が自分の経済状況を告白して明らかになった。自身の証言によれば、彼は15年間悪魔に仕え、誰よりも優れた技能と引き換えに魂を売った。彼がどのように悪魔と取引をしたのか、魔術師を頼ったのかは定かでない。年代記はむしろ、彼が臨終の秘跡を受けて間もなく他界したこと、カトリックの信仰の中で生を終えたことの方を強調している。

 ごく野心的な人間と、人間の弱みに付け込もうと待ち構える悪魔が手を握るという話は、一度ならず聞いたことがあるだろう。クリストファー・マーロウ著『フォースタス博士』やヨーロッパ各地の無数の民話の原型であり、14世紀の人はこの話を通じて、約束を交わすべき相手は悪魔ではなく神であり、野心には苦痛と危険という対価が伴うことがあると肝に銘じたはずだ。現代人にとっては、当時は超自然の力があらゆるところに存在していると信じられていたことの証でもある。人々は魔界と隣り合って生きていることを意識していた。魔界は物質的利益により操作されることがあり、多くの超自然的活動は教会により断罪された。『ウェストミンスター年代記』の大工の話は、この出来事自体が特筆に値することはもちろんだが、悪魔と契約を交わしてはならぬとの教訓も含んでいる。大工の身元の詳細が省かれているのは、この話がより広く語られ、教訓として役立つ可能性があることを意味している。

 

「サーヴィス魔術」

 本書を読み進めていくうちに、何かうまくいかない場合や、期待したほど人生が順調ではないときにも、魔法が選択肢を提供していたことが明らかになるだろう。ほとんどの場合、お人よしがペテン師に騙される話は(それが現実だったとしても)、気持ちのいいものではない。前近世的考え方では、魔術は彼らが生きていた超自然的宇宙をなす合理的な要素だった。神と悪魔、天使とデーモンはいずれも現実のものであり、人々の生活を左右しうる。男性も女性も、金持ちも貧乏人も、貴人も庶民も、自分たちを取り巻く力を利用しようとした。魔術の利用が厳密に倫理に適っているか否か(あるいはそれなりにキリスト教に適っているか)は別の話で、魔術が無害であれば、教会も世俗当局も目をつむることもあった。悪質に利用されたり、災いをもたらすために使われたりする場合は当局も動くが、魔術師と客に分別があれば、彼らの活動が人目に付くことはなかっ 3

 本書は全体を通して魔女を扱うが、魔女についての本ではない。魔女や、魔女裁判の煽情的側面に注目が集まるあまり、中世後期から近世初*1にかけて、多数の魔術師がいたことは忘れられがちだ。あまりに色が濃いと絵はぼやけてしまう。そのため私たちも、前近世の人々は迷信、女性嫌悪、パラノイアに支配されて生きていたと考えがちだ。しかし魔術を実践していたすべての人が魔女と考えられたわけではないことは念頭に置いておくべきだろう。魔女とは悪魔の助けを借りて活動する者、と一律に定義した神学者もおり、キリスト教の聖人を除いて超自然能力を備えた人はすべてこれに当てはまると考えた。だが実際には、魔術師は通常二つのカテゴリーに分かれていた。他人に危害を及ぼそうとの悪意をもって魔術を使う者と、周囲の世界にポジティブな影響を与えるために魔術を利用する者である。前者は魔女と見なされることがあり、嵐を呼んだり、病気をはびこらせたり、少し罵られただけで仕返ししようと耐え難い苦痛を引き起こしたりする強力な力の持ち主だ。後者は隣人たちから好意的に見られていて、道徳的にも中立だと考えられていた。彼らは客の要望に応えて力を使い、客の依頼が邪悪であれば、罪を共に背負った。彼らは隣人に自分のサーヴィスを提供したため、歴史家たちは彼らの活動を「サーヴィス魔術」と呼んだ。

 この二つのグループ——妖術で訴えられた人々とサーヴィス魔術師(あるいは「カニングフォーク」)——は、人々の心像においても当時の法廷においてもほぼ重ならなかった。例外的にイングランドでは、一握りのワイズウーマンと男性が魔女として裁判にかけられたが、そうした者が一人いれば、誰にも邪魔されずに魔術を続けた者は数百人いたはずだ。衝撃的な例外として挙げられるのが、1582年にエセックスで妖術の罪で絞首刑に処されたカニングフォーク、ウルスラ・ケンプで、悲劇的な最期を遂げた。彼女は治療者ヒーラーとして長年評価され、悪意ある魔女にかけられた呪いを解く専門家でもあった。それにもかかわらず、隣人のグレース・サーロウの足が不自由になると、ウルスラ自身魔女として処刑され 4。痛ましい話ではあるが、イングランドでこうした最期を遂げたカニングフォークはごくわずかだ。実際、16世紀から17世紀にかけてヨーロッパや北米で魔女裁判が頂点に達したのと同時期に、邪悪な悪魔から派生した魔術への恐怖が高まり、魔術師の仕事も増えていった。魔術を使った庇護や、「魔術解除(呪いの除去)」、魔女の識別はカニングフォークの収入源の一つだった。

 魔術師の大多数は魔女ではなかった。同様に、彼女らを似非えせ医者としてひとまとめに括るのも間違いである。似非医者だった者もいるだろうが、誰にとっても評判が重要だった世界では、サーヴィスがある意味で効果なしと断じられたら、「商売あがったり」だったろう。加えて前述のように、魔術は自分たちが生きている世界の一部だと信じられていた。カトリック司祭も日常的に超自然とやり取りし、悪魔を祓い、豊作を願って畑を祝福し、日々の聖餐式を通じてちょっとした奇跡(文字通り、パンとぶどう酒をキリストの肉体と血に変える)を行っていた。ある意味で司祭が魔術師と同じであるという考えは理不尽に思えるが、両者とも基本的には超自然の力と協力していた。

 両極端に位置する神のしもべと魔女の中間にいるのが魔術師だ。彼らは幅広い領域を行き来していた。カニングフォークの中には司祭もいれば、魔女として死刑に処された者もいるが、ほとんどの者は比較的静かな生活を送り、隣人のために魔術を行った。彼らの共通点は、大多数の人間にはなしえない方法で世界を操作する能力であり、その技術を売ろうとする姿勢である。

 本書は「有用な」魔術を使った人々と、お金を出してそれを求めた人々についての話であり、彼らの望み、欲望、恐れ、弱さに目を向ける旅である。また、中世から近世初期にかけてのヨーロッパの人々が、日常生活の中で直面した問題と、彼らが見つけた解決法を探り、人生、信仰、そして魔術がいかに日常に深く根付いていたかを扱う。旅の出発日和を占うありふれた魔術から、行方不明者捜索や救命などの命に関わる深刻な魔術まで、様々な使い方も見ていこう。道すがら、狡猾な魔術師や向こう見ずな客、力を求めるすべての人に手を差しのべる心優しい魔術師と出会うことになるだろう。奇妙なことを信じる純真な田舎の人々だけでなく、社会の最高権力者や優れた知識人が魔術を頼り、そして恐れていたことがわかるだろう。魔術は教会から弾圧されるどころか、神父もしばしば祭壇越しにまじないを販売していた。

 旅が終わる頃には、どのようになくし物を見つけたり、埋もれた宝を発見したり、愛を成就したり、復讐したり、病を癒したりするかを習得しているだろう。なぜ時には闇の魔術が唯一の解決法とされるのか、一度かけられた呪いをどのように解くのかが明らかになるだろう。読者が突然16世紀に連れて行かれたとしても、どこに行けば必要なスキルを持った魔術師に会えるか、本物の魔術師とペテン師の見分け方で困ることはないだろう。だが何よりも重要なのは、中世の視点から世界を覗く機会であり、そこでは道端で悪魔に出会い、星を通して未来をコントロールし、黄金を見つけるのに妖精の力を借りることもできるのだ。

 

*1 本書で扱う時代について簡単に説明しておこう。「中世」と「近世初期」の語は広義で、いずれもいつ始まりいつ終わったかについては、歴史家が何(そしてどこ)に焦点を置くかによって違うが、ここはそのような議論の場ではない。本書での中世後期、近世初期は、ざっと14世紀から15世紀後半までを指す。

 

原注

1 John Strype, A Survey of the Cities of London and Westminster (London, 1720), pp. 76, 277–8.

2 フランシス・ハワードといわゆるオーヴァーバリー事件については以下を参照。Alastair Bellany, The Politics of Court Scandal in Early Modern England: News Culture and the Overbury Affair, 1603–1660 (New York: Cambridge University Press, 2002).

3 カニングフォークを取り上げるのは私が最初でもないし、最後でもないだろう。イングランドのカニングフォークについての先駆的研究は以下を参照。Owen Davies, Popular Magic: Cunning-folk in English History (London and New York: Hambledon Continuum, 2007).

4 マリオン・ギブソンは聖オシス魔女裁判について、ウルスラ・ケンプの人物像、敬虔さ、背景を含む広範な文書を著した。特に以下を参照。Marion Gibson, The Witches of St. Osyth: Persecution, Betrayal and Murder in Elizabethan England (Cambridge: Cambridge University Press, 2022) 及び Early Modern Witches: Witchcraft Cases in Contemporary Writing (London: Routledge, 2000).

 

==続きは『中世ヨーロッパの魔術師』でお楽しみください。==

Amazonで買う 楽天ブックスで買う

関連本

関連記事

著者

タビサ・スタンモア

英エクセター大学にて、中世及び近世初期イギリスにおける魔術と魔女術の研究を専門とする研究者。レヴァーヒューム基金によるセブン・カウンティ・ウィッチハント・プロジェクト〔17世紀の魔女狩りを再検証する歴史研究プロジェクト〕のメンバー。博士論文は『愛の魔術と失われた宝物:中世後期から近世初期にかけてのイングランドにおけるサーヴィス魔術』。ラジオ3’Sのフリー・シンキング、BBC4のプラグ・フィクションといった番組に出演。TIME、The Conversation、The Telegraphなど各誌に寄稿している。本書で、フォークロア研究やその出版物を対象としたキャサリン・ブリッグス賞を受賞。

ダコスタ吉村花子

翻訳者。訳書に、ジョーンズ『テンプル騎士団全史』『十字軍全史』『中世ヨーロッパ全史』、Future Publishing編『闇の魔女史』、ライス『禁断の毒草事典』など多数。

人気記事ランキング

  1. ホムパに行ったら、自分の不倫裁判だった!? 綿矢りさ「嫌いなら呼ぶなよ」試し読み
  2. 『ロバのスーコと旅をする』刊行によせて
  3. 鈴木祐『YOUR TIME 4063の科学データで導き出した、あなたの人生を変える最後の時間術』時間タイプ診断
  4. 日航123便墜落事故原因に迫る新事実!この事故は「事件」だったのか!?
  5. ノーベル文学賞受賞記念! ハン・ガン『すべての、白いものたちの』無料公開

イベント

イベント一覧

お知らせ

お知らせ一覧

河出書房新社の最新刊

[ 単行本 ]

[ 文庫 ]