ためし読み - ノンフィクション

「みんな悪人。悪を抱きしめて生きてください」―― 今中博之が語る、学校では教えてくれない逆説的教育論「悪人力」の「はじめに」を公開!

愛すれば愛するほど、愛されれば愛されるほど、人は悪人になる―― 「善人を作る教育」の時代は終わった。大阪大学D&Iセンター招へい教授・アーティストスタジオ「インカーブ」の代表が「悪人」の正体=力に迫る!

 

悪人力
今中博之 著

 

 

  はじめに

 

 毎日のように悪人に出会います。ヤツらは、生殺与奪せいさつよだつの権利を行使して、子供たちを無慈悲に殺す鬼畜でも、SNSの闇バイトの募集で集まった強盗犯でもありません。塀の中ではあるまいし、日常でそんなヤツらに囲まれるわけもなく、私の周りにいる悪人は、品行方正を装っている普通の人たちです。
 自分の好むものをむさぼり、自分の嫌いなものを憎み嫌悪する。ものごとに的確な判断が下せずに、迷い惑う自己中心的な人間を本書では「悪人」と言います。気がつかないだけで、きっとあなたも悪人。かく言う私も嫌になるほどの悪人です。
 社会を糾弾きゅうだんする前に、私は私を糾弾したいと思いながら書き始めました。しかし、よくよく考えてみると、あなたのDNAは私と99.9%同じです。これは、個人の違いよりも共通点が多いことを示しています。つまり、あなたもまた高い確率で糾弾される立場にあるということです。
 人間は、過去3500年間に少なくとも1万回の戦争と紛争を行い、1億5000万人以上をあやめてきました。それを哲学者トマス・ホッブズは、「万人の万人に対する闘争」は人間の自然状態だと書きました。また、第2次世界大戦の前夜、アインシュタインはフロイトに「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」と質問し、フロイトは「人間から攻撃的な性質を取り除くなど、できそうにもない!」と身も蓋もなく答えています。
 一方で、人間の進化史では、オキシトシン(絆のホルモン)によって、私たちは生きるために協力的に進化し、現在ではそれが本性(生まれながらに持っている性質) ―― 愛すること・愛されること ―― となり習慣になったと教えてくれます。人間はとても協力的な生き物ですが皮肉にもそれが激しい攻撃性を生み出すのです。
 私たちは、自分が死ぬかもしれないリスクを冒しても戦争に行き人を殺めます。その攻撃性は、敵対心からくるものではありません。オキシトシンによって仲間を守りたいと思う一方、仲間以外には線引きをして攻撃的になる。人間はアイデンティティが強まると、外の集団を敵視し、自分の集団の仲間同士の結束を強めようとします。仲間への愛が敵を意識し、そこに線引きをして、仲間同士で安全な場所を作り防御するのです。
 このように私たちは、愛すれば愛するほど、愛されれば愛されるほど、悪人になります。親が子供を守るような防衛本能が湧き上がれば、極悪人になることも躊躇ためらわない。さらに相手を”人間の皮をかぶったけもの“だとみなすと攻撃を正当化することもあります。
 獣である私たちの悪の根源には「愛」がある、と言えば不思議でしょうか。いきなり、そんなことを言われてもわけがわからない、と思われるかもしれません。でも、悪の根源に愛があるという事実は古代ギリシャのアリストテレスも見抜いていました。
 私たち悪人は、人間を殺めるほどではないけれど、ボスになり、上の位置に居つづけたい欲求から他者をおとしめることをいといません。相手とほどほどな関係を長続きさせるよりも、論破することに喜びを感じるのも通俗的な悪です。特に自分よりも社会的地位の低い者には容赦がない。
 偏差値至上主義で争ってきた教養の高い悪人のコミュニティでは、マイノリティへの想像力を欠いた言動がまかり通っています。そのような環境を当たり前だと思っている若い世代が偏見や無配慮を再生産している。一方で、境界知能(知能指数が平均的な数値と知的障がいとされる数値の間の領域)の若い世代や大人などの社会的弱者のコミュニティは、自分よりも弱い人を狩り、マイノリティカーストを作ります。やっていることは、教養の高い悪人のコミュニティと一緒で、彼ら彼女らも悪人です。

 

 100万人に1人の障がい(私は障がい者には”害”がないと考えているので、本書では法令や他者の言説を除き”障がい”と書くことにします)がある私は、貧困家庭で育ち、早くに家族を失いました。それでも、家族は私に潤沢じゅんたくな愛を注いでくれました。その家族をおびやかす他者は私の敵。相手をののしる言葉を学び、負けまいと虚勢をはり、貧困から逃れるためならはったりもかける。弱者の私は、もっと弱い者を狙いました。”るよりも劣らぬものは思う罪”です。心に思う所業は悪人そのものでした。
 一方で、私は知的に障がいのあるアーティストのスタジオ「インカーブ」(旧アトリエ インカーブ)を設立・運営し、長年、障がい者の方々と生活を共にしてきました。破壊的な争いを避け、他者の言動に惑わされずに制作に打ち込むアーティストの姿は、私に悪人の自覚を促してくれました。
 貧困にあえぐ人、言われのない差別を受けている人を取り残さない社会的実践は、適正な規模を超えない限りにおいて、多様な人々を結束させることができます。普遍的な問題をみんなで解決していくことが、敵対心を高めてしまう悪人の心を鎮める唯一の手立てだということがわかりました。
 マジョリティもマイノリティも悪い欲望に突き動かされる存在ですが、本来は生きるために協力的に進化し、それが本性となり習慣になりました。きっかけさえあれば、良い心情が発動します。悪人である自分を自覚できれば、悪の根源にある愛を発見でき、救いになるはずです。一方で、その愛で苦しみも生まれます。愛は肯定されるべきか否か、本書で考えていくもう1つのテーマです。
 本書では、そのきっかけとなる「悪人の自覚」を私自身の障がいと苛烈な体験、くわえて私の専門分野である社会福祉とソーシャルデザインを通して考えていきます。とはいえ、悪を語るのは性悪説と性善説を巻き込む人間の根源的なテーマです。そこで、私が”人間とは何か”を問うために学んできた宗教や哲学、脳科学などの知見を総動員して悪の正体に迫りたいと思います。私にできることは、それらを現代にチューニングして、あなたに悪人の自覚を促すことです。
 ところで、みなさんは、宗教と聞くだけで毛嫌いされる方も多いと思いますが、イスラエルの歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリは世界的ベストセラー『サピエンス全史 下』で私たちホモ・サピエンスが、なぜこれほどまでに文明を発展させ、地上を支配する勝利者となりえたのかという問いに宗教の出現をあげています。それは、「歴史上屈指の重要な革命であり、普遍的な帝国や普遍的な貨幣の出現とちょうど同じように、人類統一に不可欠の貢献をした」というのです。本書では、悪の自覚を促す補助線として、宗教の中でも仏教を有効活用していきたいと思います。

 

 第1章では、半世紀におよぶ「私の悪人ぶり」をご紹介します。4親等以内の親族は、ほぼ死別しているので文句は出ませんが、私の本性を知った友人たちは離れていくかもしれません。それはそれとして良しとしましょう。
 第2章では、私とあなたに潜む「悪の正体」を暴いていきます。その手掛かりを悪人の救済方法を考え続けた親鸞しんらんの教えに求めます。日本の歴史上、彼ほど自らの悪性に向き合った誠実な思想家はいませんから。私たち日本人に潜む悪の正体におののきながらも、それを自覚することで、私たちの隠された本性が見えるはずです。
 第3章では、日本社会や文化がタブーにしてきた「障がい者の悪」を考えます。なかでも、私が20年以上、生活を共にしてきた知的に障がいのある悪人は、「善良なるものは想像力を欠いている」ゆえに「悪しきものは想像力がある」ことを納得させてくれます。彼らの愛に裏付けられた悪行は身震いするほど魅惑的です。
 第4章では、「日常使いの悪」を拾い出してみましょう。私たちは、純度の高い悪意や悪意のない善意から平気でウソをついたり、自分の思うようにならないとイカリを爆発させます。不正、いじめ、差別、裏切り、嫉妬などの悪は、貧富の差に関係なく存在しています。
 第5章では、哲学者や思想家が「それぞれの幸福」をどのように定義してきたのかを見ていきましょう。遠回りのようですが、悪の源泉に近づくには”幸福とは何か””愛するとは何か”を考える必要があると思うのです。
 最終章の第6章では、「チームに宿る悪」を考えます。「私たち」というチームが他チームと線引きして「自立」する時は、仲間を守りたいと思う一方、仲間以外を”線引き”して攻撃的になります。あなたは、そんな私たちの生存本能を肯定できるでしょうか。

 

 はじめに、くれぐれも誤解のないように申し上げます。本書を読んで「悪人であることを自覚すれば善人になれる」なんて決して思わないでください。善人らしく見える人でも、必ず微量の悪が潜んでいます。あなたも私も、みんな悪人です。だからこそ、悪の衝動を飼い慣らしてほしいのです。もっともよく生きた人は、もっとも悪人と善人の間を揺れ動いた人ですから。

 

 悪を抱きしめて生きてください。
 きっと、あなたの中に「悪人力・・・」が宿るはずです。

 

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続きは単行本
悪人力』で
お楽しみください
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著者

今中 博之(いまなか・ひろし)

1963年生まれ。ソーシャルデザイナー。「アトリエ インカーブ」クリエイティブディレクター。著書に『かっこいい福祉』(村木厚子との共著)、『壁はいらない(心のバリアフリー)、って言われても。』など。

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