ためし読み - ノンフィクション

特別対談「角幡唯介×角野栄子 未知の物語を求めて水平線の向こうを冒険する」──「文藝別冊 総特集 角野栄子 水平線の向こう」より一部公開!

撮影:小原太平

 この度刊行したKAWADEムック「文藝別冊 総特集 角野栄子 水平線の向こう」では、「フィクションVSノンフィクション」と題して、角野栄子さんと二人のノンフィクション作家との豪華な対談を収録しております。
 その第一弾として、冒険家・角幡唯介さんとの特別対談を一部公開いたします。
「水平線の向こうを想像するとワクワクする」という好奇心あふれる角野さんと、極夜を旅し、「冒険という行動も作品の一つ」と語る角幡唯介さん。ジャンルは違えど、お二人の執筆活動に共通点が見えた、貴重な対談です。

 

表紙撮影:濱田英明

 

 

真っ暗闇の旅と発見

 

角野 『極夜行』を読ませていただいて、私としては風景を思い浮かべることはできないの、だって未知の世界でしょ。どういう岩があるのかお書きになっていても、私が見るような岩とは違うから想像できないんだけれども。

角幡 はい。まあ、真っ暗ですしね(笑)。

角野 私の暗闇というのは、空に多少の光があったんです。戦時中は灯火管制で真っ暗でしたけど、月あかりもあったし、新月の夜でも空に何か力があって、ぼんやりでも見えたんです。だから全くの暗闇というのは知らない。

角幡 極夜も、月があったり星があったりしますから、目が慣れてくるとばあっと見えてくるんですよ。基本的に雪原ですから反射したりもして。別の惑星みたいというか、「あ、惑星ほしにいるんだな」という感じですね。地球は惑星ですけど、都市空間に住んでいると星に住んでいるという感覚が希薄になるじゃないですか。極夜ではそうじゃなくて、光すらない虚無だからこそ地球が宇宙に漂っていることを感じられる。まさにこの地球は天体であり、太陽系の周りを回っている惑星なんだと。「地球」というとどうしても日常的な空間の感覚になっちゃうんですけど、例えばSF映画で出てくるような他の惑星の風景というか、他の星の上を旅しているような感覚がすごくありますね。

角野 なんだか行ってみたい気もしますね。

角幡 北極にはそういう惑星感がありますよ、極夜じゃなくても。二月から三月の極夜が終わって白夜に向かって行く時期の空の色合いが独特なんですよ。朝焼け ── 日本の朝焼けとはちょっと違って、紫がかったりピンクがかったりして空の色がものすごく綺麗になるんですよ。二月の後半くらいからですかね。角野 それは昇ってくる太陽からくるわけですか?

角幡 そうですね。ちょうど極夜が終わって太陽が地平線の近くまで来て ── 僕が行っている場所では二月十七日くらいに太陽が昇るんですけど、その間際くらいだと滲み出てくる光で空が照らされてピンクのような紫のような空が広がって、さらに大地の雪や氷が反射して、独特の色合いを帯びるんですよ。そういう時期も、惑星にいるなあって感じがしますよ。

角野 行ってみたいけど、見られないと悔しいね(笑)。

角幡 大丈夫じゃないですか。グリーンランドでも大きな街にはホテルもありますし。

角野 魔女のことを調べたら、暗闇と魔女とはすごく関係があることがわかって、それ以来、真っ暗な夜というのを見たいと思っていたんです。ある時、車を運転して山中湖に行ってみて、誰もいないところでヘッドライトを消したんです。そうしたら一瞬で本当に真っ暗になった。「自分は車に守られているけれど、ここで暮らしたらすごく怖いだろうな」と思った。『わたしのママはしずかさん』という私の作品があるんですが、このしずかさんは迷子になっても太陽を見ればわかると言う人なんです。太陽がどのくらいになったら三時頃だ、ということで時間もわかる。そういう人なのであんまり機械を使いたくないお母さんだったんですけど、角幡さんのお話を聞いていて、そういうことを思い出しました。

角幡 たしかに太陽は偉大です。極夜のなかで旅をすると現在地がわからなくなりパニックになりかける。でも太陽が昇るとまわりの景色が見えるから、それがなくなる。それって命が未来につながった安心感なんですね。今は情報がありすぎて、いろんなことが分かってしまう。検索したら全てが判明してしまうから、角野さんがおっしゃるようなワクワク感は得にくいですよね。

角野 そうですね。だって私が何十年前かにブラジルで住んでいたアパートをグーグルストリートビューで見ることができるんです。私が出入りしていた入口や、部屋も見えるわけ。ちょっと時間がワープしたみたいに。

角幡 それは不思議な感覚ですよね。

角野 だからなんでも分かっちゃうわけです。通ってた道を辿ってここまで行ったなとか、何屋さんがあったなとかね。当時とは変わっているところもありますけれども。

角幡 確かに。グーグル・アースでも見ることができますしね。僕のデビュー作はチベットの峡谷地帯を一人で探検した時を書いた『空白の五マイル』なんですけど、当時は、グーグル・アースが一気に精度を上げて実用的になってきた時代で。グーグル・アースの時代にこういうことをやる奴がいるんだとよく言われましたね。

角野 でもグーグルはどこ行ってもよく見せてくれるけど、人との会話はないわね。そこが一番大事。

角幡 身体性は全くないですよね。身体性ないと経験にならない。自分の手を汚さない行為は面白くないですよ。最近はなんでも自分で作った方が面白くて、それこそ衣類とか作ってるんですよ。

角野 私ね、作るということは、この『極夜行』を書かれたことも同じだと思ってるんです。そう思って読んでいた。というのはすごく過酷だけれども、それを克服して行った後にやっぱり何かを作りたい、表現したいという気持ちになるんじゃないかなと私は思ったんです。

角幡 自分の世界を作るというか。探検や冒険という行動も一つの作品だと思っています。

角野 そうですよね。作品はイマジネーションの結果だから、探検の過程や結果として何かを作ることはあるんじゃないかなと私は思ったんだけど。

角幡 大きな旅をしたら、それを書きたいという気持ちは自然とわきあがります。必ず発見があり、それが次の旅を生む。行為の質を高めるために道具を作って、その道具で旅をすることもあります。

角野 だから、完結したらまた扉が開くんですよね。

角幡 そうです、まさにその通り。今は犬ぞりをやっているんですが、そのほうが旅をさらに発展させられると思ったからなんですよね。次々扉を押し開けてる状態で、そりも自分で作ってるし、衣類は白熊の毛皮のズボンだとか、アザラシの靴とか手袋とか全部自分で作るようになった。それらで旅をすると、自分自身が旅により深く関わってる感覚があって、満足度が高くなるんですね。充実するというか。

角野 機能的なスポーツ用品を持っていくよりも、ですよね。その時に着てらした動物の毛皮のものはなめしてあるんですか?

角幡 僕は白熊の毛皮のズボンを使ってるんですけど、向こうに大島育雄さんという日本人がいらっしゃるんですよ。今七十六歳になったのかな。その方はなめすんですけど、イヌイットの人々はなめさない。洗って、脂を落として、乾燥させて、それを揉んだりかじったりして柔らかくしたものを使ってるんですよね。だから多分それを日本に持って帰ると傷んだり腐ったりしちゃう。薬品を使ってなめしてはいないんですよ。

角野 でも意外と厚いものなんですか?

角幡 動物の種類によりますね。白熊とかセイウチのようなゴツい動物の皮はやっぱり厚いです。小さいアザラシは薄いし、大きいアザラシだと厚い。背中の皮は厚くて腹は薄いとか、体の部位によっても違います。

角野 じゃあ場所によって手袋にしたり。

角幡 そうですね、動物のどの部分を使うかは用途によって全然違ってきます。去年から日本でも狩猟を始めたんですが、今年からは毛皮をなめそうかなとも思っていて。自分でいろいろ作った方がすごく楽しいですね。時間はかかりますけど。

角野 私も書くときは、パソコンに向かう前に絵を描くことから始める。自分の手触りのものが少しできた時に、作品の方に移っていくという感じがするのね。きっとそういうところが共通しているのかもしれない。

 

旅すること、書くこと

 

── 角野さんの昔のインタビューを拝読したのですが、お書きになる時に終わりを特に決めずに書いていらっしゃるというのがすごく旅っぽいなと思いました。

 

角野 『イコ トラベリング』は、トルーマン・カポーティの『ティファニーで朝食を』を真似しました。主人公ホリー・ゴライトリーの名刺には、名前の最後に「トラベリング」と書いてあって、若い時にそれを読んで素敵だなと思ったんです。

角幡 あえて終わりを決めずに書いているのか、それともそういう書き方しかできないのか、どっちなんでしょう?

角野 終わりを決めないのは、理屈っぽくなりたくないからなんです。結末を決めちゃうとお話をそこに持って行こうとして自由さを失うんですね。決めずに面白いと思ったものをどんどん書いていくと、主人公の人格の通りに物語が終わるんです。この書き方は最初は不安ですよ、ちゃんと終わるかしらとか、これでいいのかしらとかね。だけど書いていくうちに、この主人公はきっと終わらせてくれるとわかるの。そうして書き進めると、あ、こうなるのね、という結末が出てくるんです。

 

── キャラクターとの信頼関係があるんですね。

 

角野 だから、彼らをすごく愛さないとダメですね。あとは、ついていくだけ。

角幡 実は僕も全く同じ感じです。書く時もそうなんですけど、探検も同じで、僕は目的地のない旅をやっているんです。あらかじめ終わりを決めちゃうと、その物語や探検がゴールのために邁進するものになって、途中が消化試合になっちゃうのがすごく嫌で。それで目的地を決めずその時々を楽しむということをやり始めたんですね。これを実践していると途中の出会いだとかさまざまな発見だとかに、まさに旅的な意味が出てきて。でも実は、今終わりが見つからなくて困ってるんです(笑)、すごく不安。

角野 私も今でも不安ですよ、「あんた大丈夫?」みたいな(笑)。でも終わらなかったことはない。最初に書いたお話は、七年間、発表しなかったんです。なぜなら、終わらなかったから。でも、書き始めて七年後くらいに、主人公との間にも信頼ができてきて、終わりも見えた。それで誰かに見てもらうことにしたんですけど。その七年間は誰にも見せられなかった。

角幡 沢木耕太郎さんや三島由紀夫さんは、事前に構成を練って、ガチッと決めて書き始めると聞いたんですけど、よくそんなことできるなと思う。

角野 私も。途中で曲がらないのかなと思っちゃう。それに途中で曲がった道の方が面白かったりするじゃないですか。

角幡 そうなんですよ。あと事前に決めてしまうと、書いてるうちに絶対に辻褄が合わなくなってくる。文章のリズム感とかうねりが構成と合わなくなると思う。僕はそもそも、書きながら考えてるんですよね。だからはじめから構成を固める書き方はできない。多分頭の構造だと思いますけど。

角野 三島さんはきっと「超頭のいい人」ですから、そういう風に計画を立てても書けたんだと思うんですけど、私は横道が見えたら横道に入ってみなくちゃ、それでまた戻ればいいと思ってる人なの。書き直すこともなんとも思わないから、「ちょっと面白そうだから右に曲がってみようか」なんてしてしまう。

 

── 辻褄を合わせるということじゃないんでしょうね。

 

角野 そう。ただ、主人公の性格については、辻褄を合わせなければならないですよ。たとえばものすごいケチの人が、突然ケチじゃなくなるとリアルではないでしょ。本人が生まれ持った性格に合わせて、面白いこと、奇想天外なことをやるんだったら、いくら突飛なものでもリアリティがあると思っているの。私は、物語の世界でちゃんと生きている主人公を追いかけてるんです。たとえば『魔女の宅急便』のキキは、ずっとトンボを想っているんだけど、私は著者として、他の男の人を投入するわけよ、浮気させようと思って。だって一人じゃつまんないじゃない?って思っちゃうのよ(笑)。だけどキキの生まれ持った性格がそうじゃないから、彼女は浮気しない。もう少し遊べばどう?って作者は思うんですけど(笑)。

 

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続きはぜひKAWADEムック「文藝別冊 総特集 角野栄子 水平線の向こう」でお楽しみください!

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著者

角野 栄子(かどの・えいこ)

1935年、東京生まれ。70年、ブラジルでの体験をもとに作品を発表。代表作に『魔女の宅急便』、「アッチ、コッチ、ソッチのちいさなおばけ」シリーズ等多数。紫綬褒章、国際アンデルセン賞作家賞等受賞多数。

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