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なぜ、戦火の中で彼女たちは着飾っていたのか? 東京大空襲×連続不審死を描く「このミス」入賞作『エレガンス』、衝撃の1万字公開

なぜ、戦火の中で彼女たちは着飾っていたのか? 東京大空襲×連続不審死を描く「このミス」入賞作『エレガンス』、衝撃の1万字公開

戦争で、空襲でどうせ死ぬ。それなのに、どうして殺人事件を追うのか?
石川智健『エレガンス』の舞台は第二次世界大戦末期の東京。実在した二人の主人公、東京大空襲の惨状を撮影した33枚の写真でも知られる警視庁所属の写真家・石川光陽と、自殺・他殺の判断基準とされる防御創“吉川線”を考案した鑑識捜査の第一人者・吉川澄一が、洋装女性が連続して不審死を遂げた事件〈釣鐘草の衝動〉の謎を追う傑作ミステリー。著者自身が「作家生命のすべてを懸けた」と語るほどの渾身の一作です。
カバーをとった本作の表紙には、石川光陽の写真を全面にあしらいました。当時の光景を眼に焼き付けながら、本書に描かれた約4カ月の壮絶な物語をぜひ味読ください。

 

 

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エレガンス

石川智健

序 章
 
今、死を撮っている。
肌を刺す冷気。時さえ鳴りを潜めるような寒さだった。人を孤独にさせる冷たさが音もなく、絶え間なく流れ込んでくる。それにもかかわらず、背中だけに粘度のある汗がにじんでいて不快だった。体温を奪い去る鋭い寒威かんいによって、末端からだんだんと皮膚の触覚が麻痺していくように感じる。半面、神経過敏になっていく。身体に矛盾をはらんでいる。
一九四四年十二月。頭の芯の痺れに顔を歪めた石川光陽いしかわこうようは、呼吸が浅くなっていると意識する。喉が強張り、息苦しさを覚える。口を大きく開けて空気を集めようとするものの、上手く取り込めない。異物がつかえているのかといぶかしみつばを飲み込む。苦味が口の中に広がっただけで、息詰まりは解消されないままだった。
カメラから顔を離し、乾燥した眼を休めるために瞬きを繰り返す。ものは少ないが、整頓された部屋だった。血の臭いはない。腐臭もない。しかし、眼前には遺体がある。矛盾した光景だ。再びファインダーを覗く。こみ上げる感情に蓋をする。ただ事実のみを撮影するのだと念じる。
軍手をはめた手が思いどおりに動かない。それでも、寒気と緊張で震える指を意識しつつ、シャッターを切った。フィルムに記録するごとに、カメラの重みが増していくような錯覚に陥る。
カメラが取り込むのは静止した空間だ。人間は、不動の世界に身を置くことはできない。常に動き続ける世界の中で、目に見えるものを余すところなく認識もできない。カメラは違う。カメラによって切り取られた部分は静態となり、人が認識しなかった細部も記録する。
裂かれたシーツで首を吊っている女性。シャッターボタンを押し、フィルムに写し取る。美しい遺体だった。正座の状態から両脛りようすねを開き、臀部でんぶを床につけた姿勢で事切れている。
長いスカートが放射状に広がり、まるで花冠かかんのようだった。死んでいるのに華やかだ。相容れない感覚を抱く理由は、身に着けている洋服にあるのだろう。死んでいるはずの女性が、まだ生きているように見えてしまう。そんな力のある服だ。光よりも闇が支配している空間に、一輪の花が咲いている。
釣鐘草つりがねそうの衝動〟と風聞ふうぶんされる死が続いている。

 

第一章 ライカと釣鐘草

 

光陽はカメラを握り、ファインダーを覗く。これは世界を見つめるための窓だ。
人間は、左右の目を使って被写体との距離を把握する。同様にこのカメラの左右にも距離計窓がついていて、距離を測定できるようになっていた。距離計のアイピース内には、一・五倍の可変倍率式の望遠装置が内蔵されており、前のモデルと比べてカメラ性能が飛躍的に向上している。
シャッターの速度も自分で決められるようになっていた。まったく動いていない対象を撮るのなら、シャッタースピードは関係ない。ただ自身が移動していたり、動いている被写体だったりする場合は、この機能が重要だった。写真は一瞬を切り取るが、速度の操作で動きを写しこむこともできる。そのためにカメラの底部には低速機構が組み込まれ、一秒から一/二十秒のスローシャッターダイヤルをレバーで連動させていた。
ライカDⅢ。機能的で必然性のある美を持つカメラ。一人の天才的な機械工が作り上げた、一生ものの宝飾品とも評されるカメラ。
「写真?」
ファインダー越しに見える画に集中しすぎていたため、自分に向けられた言葉だと気付くのが遅れる。
「ねぇ、撮っていただきましょうよ」
カメラから顔を離す。左からやってくる二人連れの若い女性と目が合った。声を発したのは、この女性たちだろう。
一九四五年一月。尾張町おわりちようは銀座の中心であり、そこの角に植えられている柳にピントを合わせていた光陽は、被写体を変更し、ノブを持ってフォーカスリングを回す。するとカメラの距離計が連動し、ファインダー内に見える左右の二重像が重なる。レンズの焦点は女性にぴたりと合致した。
好奇の眼差しを向けてくる二人はパーマネントをかけ、洋装という出で立ちだった。がいとうを掛け合わせており、寒そうに身を縮めている。膝を隠すくらいのスカート丈。一人が紺色で、もう一人が緋色。足元は二人ともかかとの低いさめ皮の靴だった。洋服を着こなす女性を見て、表情を緩める。
戦時下であり、時代による厳しい目がある中でも、着飾っている人は消えていなかった。美装する女性を見ると、胸がすく思いになる。レンズを向けると、示し合わせたかのように口元を綻ばせた。白い息が、薄く塗った口紅の隙間から漏れ出る。
「良い笑顔ですね」
シャッターを切った。爽快な音が響く。
瞬きをするくらい自然に写真を撮る―そんな境地には達していないが、それでも、ライカが身体の一部になっているような感覚はあった。
「素敵な写真が撮れました」
ぼうせいの帽章付き戦闘帽を被っている光陽は、その短いひさしに手を当てて礼を言った後、わずかにずれた眼鏡の位置を指で戻した。
ブラック仕上げのライカは驚くほど軽い。ストラップで首から下げていても負担がかからなかった。
撮られた二人は礼を述べて、互いに屈託なく笑い合ってから立ち去る。その後ろ姿を見送った光陽は、寒風を受けて身体を震わせた。曇天のため、太陽の恩恵がなく肌寒い。気温は五度くらいだろうか。カーキ色の外套の隙間から冷たい空気が入ってくる。軍手をつけていても、手がかじかんだ。
銀座の街並みにファインダーを向けて、シャッターボタンを押す。三越銀座店と服部時計店を写真に収めたところで、フィルムを使い切った。肩から掛けているざつのうを探る。背負うはいのうと違って荷物を取り出しやすいので、外に出るときには雑嚢を常用していた。中を確認するものの、予備のフィルムはなかった。カメラに視線を落とし、ベロンと舌を出すように垂れ下がっている革ケースのボタンを留める。高級品のため、ライカ純正のものを用いて筐体きようたいを保護していた。
東銀座と数寄屋橋を結ぶ通りを挟み、ヱビス・ビヤホールとキリン・ビヤホールがあった。ヱビスには、かつてライオンという名の大きなカフェーが営業し、五十人ほどの女給が働いていた。光陽は酒がほとんど飲めなかったものの、ときどき同僚に連れられ、オレンジジュースを使ったサニー・カクテルを出してもらった。一九三一年に身売りしてしまい、ヱビスに変わってからは足が遠のいている。
思い出の多い街だ。今のところ、これといった空襲被害はないものの、いつか惨禍に巻き込まれてしまうのではないかと思うと心穏やかではなかった。
歩調に合わせて、腰のあたりにぶら下げている鉄帽が腰骨をポンポンと叩く。外套の下は警察官の制服だった。空襲で死んでも身元が分かりやすいからと、勤務のときは着用するよう命じられていた。ただ、勤務外のときは国が制定した国民服を着る。銀座の街を歩く男も総じて味気ない国民服で、女性の大半は和装。そして一部は洋服を身にまとっていた。
十四時。桜田門にある警視庁に戻ると、庁員たちが、庁舎入り口に土嚢を積み上げているところだった。空襲の爆風を防ぎ、被害を最小限にするためだ。
「ついに警視庁も攻撃目標になりそうですか」
光陽が問う。土嚢を置いたばかりの年配の庁員が肩で息をしながら、冬なのに額に浮かぶ汗を腕で拭った。
「上からのお達しだ。今のところ軍事目標ばかりが狙いだが、いつなにが起こるか分からないからな」
腰に手を当てながら答え、すぐ作業に戻る。
先行きの見えない世の中だ。東京に飛来するB29爆撃機の標的は軍需工場のようだったが、相当数の民家もやられている。軍需工場が第一目標で、民家が第二目標というのが陸軍の見解だった。しかし、両方とも第一目標になっているかのような被害に遭うときもあった。連日連夜、爆弾を満載したB29が来襲し、眠る時間も与えないような神経戦を強いている。そのため爆弾の被害がなくても、寝不足で疲労困憊しているのが実情だった。
土嚢を積む庁員に労いの言葉をかけてから建物内に入り、会計課に向かう。
「お疲れさまです。これ、お願いします」
胸ポケットから発注票を取り出し、会計課長である村上の机に置く。発注票は、事前に複数枚書いてあった。受け取った村上は、発注票を見ようともしない。
「コダックフィルム三十六枚撮り、二十本です。お願いします」
念を押し、にんまりと笑う。
「……まったく、警視庁のドラ息子が」
顔をしかめた村上は、ハンコをして受領箱に入れる。
「なるべく早くお願いいたします」
「どうせ、まだ使っていないフィルムを大量に隠し持ってるんだろ?」
「いやいや」
図星だったが、表情には出さない。写真室には三十本ほど常備するようにしていた。
「では、よろしくお願いいたします」
頭を下げ、五階にある写真室に向かった。
警務部の写真室所属だったが、そこに勤務しているのは光陽ただ一人になっていた。満州事変後、警視庁の庁員にも召集令状が届くようになり、写真室の同僚だけでなく、写真技術を持つ者は皆戦死してしまった。警視庁所属の戦死者が増えてくると、六十人ほどをまとめて築地本願寺で合同慰霊祭を開く決まりなので、その際の遺影の焼き伸ばしも光陽一人で夜通し行っている状況だった。
まるで警察官ではなく写真家だとされもしたが、そもそも、警察官になるつもりなどなかったのだ。

福井県で生まれた光陽は、一九一九年に上京し、薬剤師になるため東京薬学校に通っていた。しかし、父が長野県で写真館を開業すると決め、光陽にカメラマンになるよう言い渡した。それに伴い学校を中退し、九段坂下のはち写真館で二年間修業をすることになる。突然の指示に面食らったが、もともとカメラが好きだったので父に対する反発心はなく、写真技術の習得にのめり込んでいった。
修業が終わった後、故郷である長野の松本に戻り写真館を手伝うことになったものの、一九二五年に徴兵され、歩兵第八十連隊に入隊。除隊後は再度、松本で写真館をやっていたが、思うように客がつかなかった。このままではジリ貧だと思いつつ、どうする当てもない。
考えても妙案が浮かばなかったので、気分転換に再び上京し、東京府東京市ばら区大崎にある親戚の家に滞在することにした。単発的に配達や製図の仕事などをしながら、浅草で映画や芝居を見る生活を送っていると、近所に住んでいた大崎署の巡査部長から、巡査にならないかと誘われた。
警察官になるなど考えたこともなかった。カメラを使って生きていけたらと伝え、それとなく断ったが、写真技術は警察にも必要だから内務省の管轄である警視庁に入ってくれと頼まれ、押し切られる形で試験を受けることとなった。
結果は合格。ただ、嬉しくはなかった。光陽は、景色や花や女性といった綺麗なものをカメラに収めるのが好きだった。光と影が織りなす瞬間の美を切り取るのだ。警察官になったら、どんな写真を撮らされるか分からない。
煮え切らない光陽だったが、警視庁には写真の専門家がいないから是非にと懇願された。特別手当を貰えるというので、嫌になったら辞めればいいかといった軽い気持ちで警視庁に入ることに同意したのだ。
ライカDⅢと出会ったのは、所轄の赤坂表町署から警視庁本庁勤務になった二年後の一九三三年のことだった。警視庁に写真機材を納めている浅沼商会の担当者からドイツ製のライカDⅢを紹介され、一目惚れした。
当時の警視庁では〝アンゴウ〟という組立暗箱式の大型カメラを使っていたが、重くて機動性がない。対してライカDⅢは小型で、ロール・フィルムを入れれば連写できる。しかも気品があり、そのたたずまいには言い知れぬ存在感があった。
光陽はすぐに会計課長に購入依頼したが、最初は突っぱねられた。
理由は単純明快で、カメラの本体と標準レンズだけで六百円もしたからだ。引き伸ばし機など暗室道具を入れると二千円にもなるため、検討の余地なく突き返された。当時の光陽の月給が四十円で、六百円あれば家が建てられた時代。ライカDⅢは破格の値段だった。ただ、どうしても欲しかったので諦めずに説得し、新兵器ともいえるカメラの有用性を訴えた結果、ようやく予算が下りて購入するに至った。噂はすぐに広まり、警視庁のドラ息子という評判が立ったが、惚れたカメラの決済に二千円もの大金を使わせたので、言い得て妙だなと思っていた。
ただ、買ってもらった手前、そう簡単に警察を辞められなくなってしまい、今も警視庁に所属している。

写真撮影については、警務課長のはらぶんより、東京の景色や空襲被害を写真に残すよう言われており、仕事として認められていた。
戦時体制だったため、政治犯や思想犯を取り締まる特別高等警察―特高は別として、ほかの警視庁の庁員たちは、治安維持となる犯罪の取り締まりだけでなく、空襲の対応もしなければならなかった。ほかにも防空対策や交通管理、そして衛生問題の主管だったので美容業などの監督官庁にもなっている。警務部だけでなく、刑事部もさまざまな業務に忙殺され、犯罪捜査はおろそかになっているのが実情だった。
警視庁の皆が忙しく立ち働いている中で、街並みを撮っている光陽への文句は誰からも出ていない。正式な仕事として任命されているからでもあるが、東京―日本がどうなってしまうのか、このまま存在し続けるのか分からなかったので、記録に意義があると思っているのだろう。
軍事機密保護法によって、一般人だけでなく、新聞社でさえ空襲被害の撮影は禁じられていた。正式に記録を残せるのは、光陽だけになっていた。ただ、それでも陸軍の憲兵に見咎められ、れつきとした警視庁の業務だと説明したにもかかわらず二度逮捕されている―それからは、陸軍省、憲兵隊本部、管内各警察、消防署長、警備隊長などに撮影協力の公文書を発行してもらっていた。
先ほど庁舎入り口に土嚢を積んで警戒態勢を敷いていたように、アメリカの標的は軍需工場だけではない。いつ警視庁が空爆されてもおかしくないと噂されていた。
真珠湾攻撃によって太平洋戦争へと突入し、一九四四年十一月二十四日からアメリカのB29による東京への空襲が始まっていた。その日は北多摩郡武蔵野町の中島飛行機武蔵製作所、江戸川区、荏原区、品川区、杉並区、保谷町、小金井町、久留米村、東京港が標的で、百十一機のB29が襲来した。同年末までに、東京市街地への空爆は十回を数える。
年が明けてからも空爆は続いていた。敵航空機の来襲の恐れがある場合、これをあまねく知らせるために防空警報が発せられる。敵機侵入の可能性が高いと、規定ではまず警戒警報が鳴り、その後に空襲警報、何事もなければ空襲警報解除となる。
伝達手段はサイレンのほかに電信や電話やラジオ、口頭や警鐘だった。待避を指示する半鐘は、敵機が上空に到達する間際に鳴らされることになっていた。ただ、警戒警報が終わらないうちに空襲警報に切り替わったり、警戒警報が出ずに空襲警報が鳴ることも珍しくない。空襲警報が出たときにはすでに敵機が頭上にいて、待避の半鐘なく陸軍の高射砲が唸っていることもあった。
空襲警報下はもちろんそのほかの場合でも、警報を鳴らしたら待避する運用に一元化したらどうかという声もあったが、市民には防空法で定められた応急消火義務が課せられているためか、今のところ改まっていない。
元日にはしようだんが下谷、浅草、神田の三区に落とされ、八百戸の家を焼き、四十八人が死んでいた。この日は警報が何度も鳴り、ほとんど眠れなかった。
一月五日の爆撃は小規模で、六日から八日の朝まで空襲はなかったため、束の間の休息を得られた。餅の配給があったので鶏肉の入っていない雑煮を食べ、ささやかながら正月気分に浸った。幸福なひとときだった。
久しぶりに食べた餅の味を思い出していると、腹の虫が鳴る。この頃は、常に腹が減っている。
戦闘帽を脱いで机に置き、隣に軍手とライカを並べ、雑嚢から金属製の弁当箱を取り出す。警視庁内には食堂もあったが、最近は忙しく、食堂が開いている時間に食べに行けないことも多いと家で愚痴を漏らしたら、今日は妻のが作って持たせてくれた。貴重な食料だったので悪いと思いつつ、その気持ちが嬉しくて持参した。
外套を脱ごうと思ったが、寒いので着たままにする。弁当箱の蓋を開ける。七分づきの少々の米とカボチャが混ざったもの。その真ん中に、梅干しが押し込まれている日の丸弁当だった。
そこでようやく、今日が毎月八日のたいしようほうたいだと思い出す。節約の上に節制を重ねる日であり、国民の戦意を高めるために設けられた日だ。そもそも米の配給は減り続けている。この時世において、普段以上に生活を簡素にするなどできるはずもないので、意識のらちがいにあった。この弁当だって豪勢に思えるほど、食糧事情はひつぱくしている。
皇居に向かって、申し訳程度に敬礼する。最敬礼をするきゅうじょうようはいには程遠かったが、今は腹が空いていた。
今日は朝から陸軍はじめかんぺいしきが宮城前で執り行われたので、光陽は正礼装姿で報道班に交じり、愛馬の〝白雪〟にまたがった天皇陛下を写真に収めた後、一度警視庁に戻り、着替えてからすぐに銀座に向かって写真を撮っていた。
ようやく一息つける。警視庁は今のところ断水していなかったので、コップに水をんで喉を潤し、日の丸弁当を一気に掻き込んだ。食べきるのに二分とかからない。満腹とは程遠いものの、手料理で心が満たされた。身体が温まったので外套を脱ぎ、ライカを持って暗室に入った。部屋の中に充満している酸っぱい匂いを嗅ぐ。定着液の酢酸と、現像液のアルカリが混じり合った独特の香り。
「さて、やるか」
気合いを入れて、暗室での作業に取りかかった。ライカからパトローネと呼ばれる円筒形のフィルムケースを取り出し、パトローネの下蓋をペンチで開けて、フィルムを巻き取っている中軸のスプールごと取り出した。スプールとフィルムの端が接合しているので、この部分をはさみで切り離し、フィルムを現像リールに巻く。
これらの作業は光を完全に遮断した暗室でやらなければならない。少しでも光がある場所では、フィルムが感光して無駄になってしまう。
フィルムが巻かれた現像リールを現像タンクに入れ、現像液を注ぎ、かくはんする。
現像が終わったら、次に定着液でフィルムを定着させる。定着後、フィルムを洗い、乾燥させた後は引き伸ばし機を使う。それまでのカメラは密着焼きにより写真を作るのが主流だったが、小型のライカはフィルムが小さいので引き伸ばしを前提とした。そのため、引き伸ばし機は必須だった。
目をすがめる。
フィルムのネガを印画紙に投影し、露光時間とコントラストを決める。露光後、印画紙を現像液、停止液、定着液の順に処理し、水洗して乾燥させる。
現像液で十分、停止液で二分、定着液で十分、水洗に二十分ほどかかる作業だった。
一通りの現像を終え、暗室から出てくる。暑いわけではなかったが、集中していたためか、身体が汗で湿っていた。
すでに夕方になっていた。
「写真撮影、順調そうですね」
くつろいだ様子で椅子に座っていたのは、警務課長の原だった。眉毛が濃く、恰幅の良い身体つきは威圧感を与えるのに十分だったが、常日頃から人懐こい笑みを浮かべているので接しやすい。四十一歳の光陽よりも一回りほど若い三十二歳。将来は警視庁の最上位に上り詰めると噂されている人物だった。
「なにか、ご用でしょうか」
世間話をするために写真室に寄るような性格ではない。
「〝釣鐘草の衝動〟は知っていますね」
階級は原のほうが高い。ただ、年齢が上の人間に対しては丁寧な言葉を使っていた。
「もちろんです」
大事件ではないものの、釣鐘草の衝動は、ぞんぶんに世間を騒がせている。
東京にB29が飛来するようになった非常時であっても、女性たちの中には、お洒落を楽しむ者もいた。パーマネントをかけ、洋服で着飾る人もちらほら目につく。
一九四〇年に公布された国民服令によって、質実剛健な国民服が標準服となり、女子も非常時の服装としてモンペが推奨されていたが、今のところあまり普及せず、洋服を着る女性は絶えなかった。そのため、日本各地で拡大している国防婦人会や愛国婦人会といった組織は、パーマネントや華美な洋装といったしやを批判するために街頭でビラを配ったり、実際に呼び止めて注意したりしていた。また〝ぜいたくは敵だ!〟などの標語を作った国民精神総動員の政策の中で、パーマネント禁止の決定が頻繁に出されていた。しかし、法令ではなかったので強制力はなかった。
美しくありたいと願う女性たちと、質素倹約を強いる体制側。そのせめぎ合いの中で、洋服を着た若い女性が痛ましい遺体となっていた。
一九四四年十二月三日から、翌年一月八日現在の時点で、計四名の遺体が警視庁管轄内で発見されている。女性たちは全員、ワンピースのほか、ブラウスやジャケットとスカートを合わせた恰好だった。遺体で発見された四人の女性が穿いていたスカートはドレスにも見える長さのもので、光陽はすべてに臨場し、写真に記録した。
着飾った女性たちは首を吊っていたものの、床に足がついており、まるで自立しているようにも見える状態だった。
座っている姿勢で発見された女性もいて、その場合はスカートが床に放射状に広がっていた。それらスカートの様子が、下に向いて咲く花のようだったため、二人目の遺体が見つかった段階で、女性たちの死を釣鐘草の衝動と表した新聞社があり、真偽が定かではない大本営発表にんでいた民衆の心を掴んだ。
遺体の写真は掲載できないため、釣鐘草の写真を載せた新聞社は、検閲官に連絡を取って発禁処分にならないよう事前の擦り合わせをしたはずだが、大きく話題になったことで問題視された。結果、検閲の総元締めである内務省検閲課から発禁処分を受けた。ただ、すでに朝刊は配られており、ちまたの話題になってしまっていた。
以後は報道規制によって、写真は報道関係者の目にも触れないようになっている。それでも四人の首吊り遺体発見の噂は広がってしまっている状況だった。遺体が出れば、周囲の住民によってでんする。せいで起こる騒動については目撃者も多くなる。人の口に戸は立てられない。
それにしても―釣鐘草の衝動という表現は的確だなと光陽は感心した。発見された首吊り遺体はどれも美しかった。膨らみを持ったスカートが花冠のように見えるのだ。花になぞらえた言い回しがしっくりとくる。
咳払いをした原は、ポケットからおもむろに煙草の箱を取り出す。外箱に金色のトビが描かれている両切り煙草のきんだった。
紙巻き煙草を一本くわえ、もう一本を光陽に渡す。大詔奉戴日は飲酒と喫煙を自粛する決まりになっていたが、見咎められない場所なら守る必要はない。火をつけて、二人で紫煙を口から吐いた。最近では煙草も高く、手に入りにくくなっている。一日六本だった配給は、今では一日三本になっており、瞬く間に吸い尽くしてしまう。以前、刻み煙草にトウモロコシの毛を干したものを混ぜ、かさ増しして吸ってみたものの、いがらっぽい煙が出るばかりでまったく美味くなかった。甘柿の葉を干したものを使えば案外いいらしいが、混ぜ物に懲りたので試していない。
「金鵄の味も落ちましたね」
原の口から、煙と共に文句が出る。
「国家財政の八割以上を直接軍事費に注ぎ込んでいるんですから、煙草を吸えるだけでも有り難いです」
光陽の言葉に頷いた原は、空咳をした。風邪を引いているのだろうと推察する。
「それで、です」
かすれ声を発した原が再度咳をして、喉の調子を整える。
「四件目の釣鐘草の衝動は今年の一月三日。新聞の報道では首吊りの詳細は書いていなかったので、報道を知って真似たわけではないでしょう。ただ、同じような状況での自殺が四件続いたのは事実です」
原の言うとおり、この四件は共通点が多かった。
住んでいる場所はバラバラだったものの、死んだ四人はまだ若く、単身者用のアパート暮らしだった。いずれも、布団のシーツを裂いたもので首を括っていた。シーツは、衣類整理棚の外套といった洋服を吊るす竿さお部分に引っ掛けたり、カーテンレールに結び付けていた。
灯火管制が敷かれていたため、空襲警報が鳴れば照明に遮光具を取り付け、またカーテンで窓を覆ったりしなければならない。単身者用のアパートにもカーテンレールが設置されており、そこに切り裂いたシーツを括り付けて首を吊っていた。
レール自体の強度はなかったものの、身体が宙に浮いているわけではないため、壊れなかったようだ。四件のうち、三件目と四件目ではカーテンレールが使われ、遺体は窓に寄りかかったようにして床に座っている状態で発見された。二件とも、脛を開いたわりの姿勢。けいじようみやくを絞めるには僅か二キログラムほどの加重がかかればよく、座っていても首は吊れるので、自殺は可能だという見解だった。
「十年と少し前には、上野松坂屋のビルから飛び降りる人が相次いで、ちょっとした自殺の名所になりました。状況は違いますが、たくさんの子供を産むことが推奨されているこの時代に、若い女性の連続自殺は具合が悪い。警視庁の上のあたりでも、釣鐘草の衝動などは人心をかくらんする恐れがあると騒いでおり、この忙しい時期でも捜査しろという話になったようです。水が低いところへ流れていくのと摂理は同じで、お鉢が回ってきました」
「……つまり釣鐘草の衝動を探って、この連鎖を止めろと命令がきたわけですね」
「そう考えていただいて構いません」
原は頷き、続ける。
「といっても我々も空襲の対応や治安維持などで大忙しです。自殺の原因などに構っていられません。突っぱねようとも思ったのですが、無視できない気になる点もあるのは事実で、そこを突かれてしまい、結局は受けてしまいました」
申し訳なさそうに告げ、意味深長な視線を向けてきた。
―気になる点。
若い女性が四人も似た方法で首を吊っている。方法や状況などの詳細は秘匿されているが、伏せられている捜査上の事実はもう一つあった。全員が、ドレスメーキング女学院の生徒だったのだ。
ドレスメーキング女学院は、一九二六年にすぎやまけいが創立した洋裁学校で、二年前の一九四三年には校名を敵性語だと咎められ、杉山女学院と改めていた。ただ世間的に校名変更は浸透しておらず、それは警視庁内でも同様だった。
「原因を確かめる必要はあるかと」
自殺の原因の捜査。重要度は高くないので、写真を撮って俸給を貰っている、比較的時間に余裕のある者をあてがったというわけか。
「それに石川さんには車がありますから、移動も容易でしょう」
「たしかに、移動はしやすいですが……」
一九四一年十二月八日の開戦から約四カ月後の一九四二年四月十八日、ノース・アメリカンB25十六機の爆撃編隊が東京上空に現れ、超低空での爆撃を敢行したが、それで空襲は一度収まった。ただ、終わったわけではない。間隔を置き、去年の十一月二十四日から、ほとんど間断のない東京への空襲が始まっていた。
爆撃が本格化した頃、警視総監室に呼ばれて行ってみると、原のほかにさかのぶよし警視総監がいた。がっちりとした体躯の坂は、強度の眼鏡を通して光陽を値踏みするように見たあと、これからも空襲が激しくなるだろうと語り、現場や警察消防の活躍状況の撮影をするよう命令した。その際、災害現場に向かう仕事になるので、電車や自転車ではなく専用の車を用意すると伝え、老朽化したシボレーを使えるようになっていた。
光陽は納得しつつも、頭の中に疑問が横たわる。上層部も暇ではない。不審な点はあるものの、女学生の死が続いただけで捜査命令が下るだろうか。自殺は捜査対象にはならない。もちろん、他殺を示す証拠は出ていなかった。
「まぁ、そう時間を割かないで構いませんし、単独捜査ではありません」
原は一拍置いた。
「……捜査のため一名派遣が決定しましたので、同行が主な任務だと思ってください」
「今回の件で、応援があるのですか?」
枝葉末節と考えられている案件に人を派遣するなんて、いったいどういう了見だろうか。
「上が決めたことです。一両日中に来られるそうなので、頼みます。引き続き、東京の街や空襲被害を記録しながらで構いませんし、先方も写真を撮る時間は割いてもいいと言っていますので」
「いったい、どなたが応援に?」
問いを受けた原は頑丈そうな歯を見せる。
「内務省警保局防犯課の技師である、よしかわちよういちさんです」
吉川澄一。
名を聞いた光陽は大きく目を見開く。どうしてあの吉川が派遣されるのか。連続自殺は枝葉末節ではなく、核心要点の出来事なのか。
「私も、まさか吉川さんが捜査をするとは思ってもみませんでした……ともかく頼みます」
原はそれ以上の説明をせず、立ち去ってしまった。逃げるような足取りにも感じた。

―面倒ごとを押し付けられた。
一人になった光陽は椅子に座り、息を吐き出す。煙草の煙がくゆるのを目で追う。ゆらゆらと舞う白い煙。変なことに巻き込まれてしまったと思案した。
吉川澄一の名は、光陽でも噂くらいは耳にしていた。警視庁の功労者であり、伝説の人物と言っても差し支えない。
かつて警視庁鑑識課長だった吉川は、自らの権限を使い、すぐに〝被害カード〟というものを作成したという。通報があったすべての事件を手口別に類別して犯罪捜査に役立てる英国の〝M・O法〟と同じもので、〝手口法〟と銘打って全国の警察に導入された。吉川はさらにM・O法を発展させ、膨大な記録を分析して犯人の特徴を推論するための基礎資料として活用していたらしい。
計九十四件の強盗と窃盗を起こした〝説教強盗事件〟と呼ばれた大事件を警視庁が解決したのは手口法があったからだと聞いた。
鑑識課長を経た吉川は内務省警保局防犯課に技師として引き抜かれたため、現在は警視庁にはいない。ただ、全国各地で発生する殺人事件に派遣されることが多く、捜査支援をしているので、警視庁とも繋がりが強かった。
釣鐘草の衝動はたしかに世間を騒がせている。ただししよせんは自殺だ。戦争で多くの兵士が死に、本土の空襲爆撃によって人が殺されている。このような重大な時局において、吉川の派遣は不可解だった。
どちらにせよ、なし崩しに受けてしまったので仕方ない。原の話では、吉川は近日中に警視庁にやって来るらしい。それまで考えるのは止めよう。短くなった煙草を灰皿に押しつけ、立ち上がったところで、視界の端に人影が入る。写真室に、一人の男がきつりつしていた。
「わっ」
思わず声が出た。存在にまったく気付かなかった。男は、どちらかといえば肉付きの良い体格。黒縁のロイド眼鏡をかけている。年齢は六十歳くらいだろう。血色が良く若々しく見えるので、人によっては四十代だと思うかもしれない。全体的に柔らかい雰囲気だったが、眼には鋭いものが宿っていた。
「内務省防犯課の吉川です」
かしこまった調子で頭を下げる。立ち上がって応じた光陽は困惑した。手に乾燥昆布を持っている。かなり分厚い昆布で、それをしゃぶっていた。
「……あ、吉川さん……吉川技師でしたか」
昆布に気を取られた光陽は、間を置いてから答える。
「吉川で構いません」

 

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石川智健

1985年神奈川県生まれ。2011年に『グレイメン』で「ゴールデン・エレファント賞」第2回大賞を受賞。他の著書に『エウレカの確率 経済学捜査員 伏見真守』『ため息に溺れる』『ゾンビ3.0』など。

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