ためし読み - ノンフィクション

かつて日本から海外に渡った多くの移民たちの「その後」──寺尾紗穂『日本人が移民だったころ』無料公開 朝日新聞「折々のことば」で紹介! 

かつて日本から海外に渡った多くの移民たちの「その後」──寺尾紗穂『日本人が移民だったころ』無料公開 朝日新聞「折々のことば」で紹介! 

2023年に刊行された、寺尾紗穂さんによるノンフィクション日本人が移民だったころ

音楽家であり文筆家の著者が、戦前戦後に海外へ渡った移民たちの「その後」をたどる、聞き書きルポルタージュです。

刊行から3年の時を経て、国内での「移民」イシューへの関心の高まりを受け、異例の重版が決定!

朝日新聞朝刊の鷲田清一さんによる人気連載「折々のことば」(2月17日)でも紹介されました。

“日本はかつて国策として移民を推奨する「移民送り出し国」だった”──

札幌、沖縄、パラグアイ。移民たちが戦後にたどり着いた場所を著者が自らの足で訪ね、それぞれの家族の激動の旅路を追っていきます。

「移民」をめぐる分断が広がるいま、いまこそ読まれてほしい一冊です。

 

寺尾紗穂『日本人が移民だったころ

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まえがき

 

 2009年に読んだ樋口健二『闇に消される原発被曝者』という本がきっかけで、原発労働について話をしてくれる当事者を探して調べていた。探し当てた証言者の話の中で、「原発には日系の人がいた」という証言に何度かであった。リーマンショック後に職を失った南米からの日系2世や3世の中には、原発労働に流れた人々がいたことを知った。日系人は、みかけは日本人のようでビザなどの問題もなく、採用されやすい背景があったと言える。トヨタなどの工場労働を求めて、多くの日系人が日本に来ていることは知っていた。彼らの父や祖父が海を渡っていったことは想像がついたが、その詳細を知ることはなかった。当時私が知っていた移民は、戦前に海を渡っていき、終戦となると日本に戻った人たちだった。だから原発で働いていたとされる日系ブラジル人をはじめとした日系人たちの中に、戦後の日本から南米に渡った人たちがいるとは当時は思いもよらなかった。

 戦後移民のことを知ったのは、中島敦の作品を読んだことがきっかけで南洋に興味を持ち、サイパンやパラオに渡っていた移民たちに取材を始めてからだった。引き揚げた戦後日本で、再び開拓地と格闘し、そこを安住の地とした人たちは、やがてパラオ時代や戦後の困難をふりかえる回想録を各集落で残したが、それを読む中で、日本各地の開拓地からペルーやパラグアイなど南米に再移住した人々の存在を知った。驚きだった。彼らの流転のその先を知りたくなった。本書の後半は、そうした人々をたどる旅になっている。

 すでに本にまとめた『あのころのパラオをさがして』を刊行したあと、まだまだこれから向き合わなくてはいけない、と痛感したテーマは、引き揚げから戻って戦後の日本を生きた人々のことだった。南洋の現地の人々の声が顧みられてこなかったのと同じくらい、元移民だった日本人たちの戦後の声もまた、ほとんど表に上がっていない、と感じた。

 彼らの多くは、戦前、経済的に先の見えない生活に見切りをつけ、海外に活路を見出した。満州、朝鮮、台湾、南洋、あるいは南米やアメリカへ。敗戦後、日本が勢力を拡げた満州、朝鮮、台湾、南洋に渡った人々は帰国を余儀なくされた。着の身着のままで日本に戻った人々の戦後は様々だ。夫を戦争で失い、女手一つで戦後を生きた人、炭鉱に活路を見出した人もあれば、米軍基地に職を得た人、逆に戦闘の被害を受け、もう軍隊に関わりたくないと基地の仕事を避けた人もいた。開拓地に家族総出で入り、「こじき集落」「かいたくもん」などと陰口をたたかれながら、やせた土地と格闘した人々もいた。川辺の条件の悪い場所では、度重なる水害にあったり、全壊となり多数の死者を出した開拓地に生きた人もいた。開拓の厳しさに見切りをつけ、南米に再び移民として渡った家族もいる。

 現在ニュースで語られる「移民」は、一番にアジアやアフリカ、中東などから日本へやってくる人々がイメージされ、日本社会への移民受け入れの是非をめぐる意見や、いかに共生が可能か、といった議論が交わされている。時に無知や差別意識に満ちた意見もみられるが、こうした日本人の「移民」イメージをのぞいてみると、移民はどこまでも「他者」であり、まるで日本人は移民になることなどないような錯覚にとらわれる。しかし、明治から戦後のある時期まで、日本は確かに国策として移民を推奨する「移民送り出し国」であった。

 日本の貧しい村から海を渡った人々は多く、ハワイやブラジルをはじめとして、オーストラリア、フィジーなど同郷の知人や親戚を頼って世界に広がっていった。これは今日では華僑のイメージに近い。沖縄や九州はとりわけそのような傾向が強かったが、東北や北海道からも、多くの移民が出ている。『あのころのパラオをさがして』で取材をさせてもらった宮崎・環野の開拓地に今も在住の久保松雄さんも、戦前の福島から母親と共にパラオに渡った経歴を持つが、久保さん自身は父親がフィリピン人でフィリピン生まれだった。久保さんが生まれる前、母親が福島からフィリピンに写真見合いで海を渡っているのだ。おそらく、フィリピンに嫁いだ方が幸せな生活が送れるという考えからだろう。当時の日本人の移動ぶりは想像以上にダイナミックである。

 戦前と戦後は言うまでもなく繫がっている。けれど、そのことは一人一人の人間を主軸に見ていかなければ気付きにくいことでもある。私たちが過去を知ろうとして、テレビ番組や本などの情報から学ぶとき、それがわかりやすいものであるほど、まるで戦前と戦後は180度違う時代のように描かれ、教科書的な表層の理解にとどまってしまう。あるいは情報の多くが戦前は戦前のこと、戦後は戦後のこと、と最初から区切られている。けれど、個人の人生は厳然と連続しており、その中に戦前と戦後をつなぐ経験が凝縮され、一人一人の感情がその上に形作られている。

 私たちが歴史の横顔をなんとかつかもうとするとき、個人の人生から得られる情報は得難い価値を持つ。それらは一つ一つが違う様相をしているからだ。パラオで少年たちが銃を持たされた、というのは私が久保さんから聞いた話だ。久保さん自身が銃を持たされて畑の監視隊をさせられていた。他の少年兵の一人は畑に盗みに入った日本兵を撃ち殺した。けれど、公の歴史としてそんな事実は残っていない。小さないくつもの声は、紙で残された文書によって立ち上がった大きな歴史の細部を埋め、ときに懐疑を呼び起こし新事実をつきつける。

 引揚者はすでにふれたように、朝鮮、満州、台湾、南洋など様々なところから日本に戻っている。南洋からの引揚者といっても、サイパン、テニアン、マーシャルなど多岐にわたるが、本書では、私が学生時代、中島敦という作家の作品を通して縁をもらい、執筆を通して向き合ったパラオからの引揚者の行方を追う。もう少しで消えていこうとする戦前と戦後をつなぐ元引揚者たちの声を伝えてみたい。

 

==つづきは『日本人が移民だったころ』でお楽しみください。==

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著者

寺尾紗穂

1981年東京都生まれ。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了。2006年にシンガーソングライターとしてミニアルバム「愛し、日々」をリリース。07年にアルバム「御身」でメジャーデビュー。音楽活動のかたわらノンフィクションやエッセイを執筆し、文筆家としても活躍中。著書に『原発労働者』(講談社現代新書)、『南洋と私』(中公文庫)、『あのころのパラオをさがして 日本統治下の南洋を生きた人々」(集英社)、『彗星の孤独』『天使日記』(ともにスタンド・ブックス)など。

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