ためし読み - 海外文学
リオのスラム育ちの少年が小説を書いたら「ブラジル最高の文学だ!」と大評判になった作品、1話まるごと無料公開
ジョヴァーニ・マルチンス著 福嶋伸洋訳
2026.03.11
リオデジャネイロのスラム街〈ファヴェーラ〉で育ち、10代前半から、飲食店のウェイターや路上のサンドイッチマン、ビーチテントの販売員などの仕事で生活の糧を得ていたジョヴァーニ・マルチンス。
ファヴェーラの現実を描いた『太陽に撃ち抜かれて』は、「今世紀最高のブラジル文学」と評価され、その後、本書は世界10カ国で翻訳出版、英語版は「スペクテイター」誌や「フィナンシャル・タイムズ」紙の年間ベストブックに選ばれました。このたびは本書の収録作無料公開第2弾として、「登校初日」を無料公開いたします。
ファヴェーラ版「トイレの花子さん」である本作を、ぜひお楽しみください。

ジョヴァーニ・マルチンス『太陽に撃ち抜かれて』

登校初日
ジョヴァーニ・マルチンス著 福嶋伸洋訳
その学年の終わり、アンドレは、クラスメートたちから制服のTシャツに寄せ書きしてもらいたいとは思わなかった。そこで過ごす最後の日だったけれど、学校や先生や子どもたち、あらゆるものにうんざりしていたから。何より、誰か女の子に、前にどこの学校に行っていたのか訊かれるのが死ぬほど恥ずかしかった。アントニオ・アウストレジェージロ小学校。「おいおい、それが学校の名前? ていうかもしかして人の名前?」っていう学校名。それでも名前のことだけならまだなんとかなった。口に出して言った瞬間にバカにされるようなもっとひどい名前の学校に通ってた友達もいたから。「ウヴァウド・ヂ・オリヴェイラ小学校、バカが入学、髑髏が卒業」とか、有名な「ジャウマ・マラニャオン小学校、バカが入学、泥棒が卒業」とかの決まり文句になっちゃってて。少なくともアウストレジェージロと韻を踏む単語はないし、単に名前がめちゃくちゃかっこわるいだけだった。それでも、七、八歳の子ばかりの小学校でアンドレが留年している十一歳であり、もうすぐ十二歳になるのでほぼティーネイジャーである、というのは揺るぎない事実だった。
エンヒッキ中学校に行けば、全部変わるに違いなかった。アンドレはいい決断をしたと自信満々だった。次に行くのはみんなが一目置いている学校だ。その子たちはイケてたので、自分もイケてる子になると夢見ていた。ジェトゥーリオ中学校のやつらと毎週やってるケンカで活躍して有名になる。その辺りでジェトゥーリオの連中にケンカで張り合えるのはエンヒッキだけだった。その戦いは、何世代にもわたって引き継がれてきた敵対関係の一部だった。どんなふうに始まったのか誰も知らなかったし、どんなふうになってゆくのか誰にも予見できないその抗争をめぐっては、込み入った物語がバングーの街角でひっきりなしに語られていた。
アンドレはいつもぼんやりしていた。授業中も、教会のミサでも、家族での昼食でも。いつも心ここにあらずで、等しく熱い想いを込めて、等しく必死にいろんなことを空想していた。長期休みのときだけは、白昼夢を見なくても平気だった。両足を地につけて全速力で走って、心拍が上がるのを感じるのが好きだった。でもそのときは、新しい学校の初登校のことを空想せずにはいられなかった。凧揚げとかビー玉とかコマ回しとか、夕方みんなでやるサッカーとかについて、考え事の隙間で近い未来のことを夢見ていた。
最初の登校日の前の夜は眠れなかった。ソファベッドで一晩中寝返りを打ちながら、中学校での生活を想像した。先生は八人いて、教科ごとに違う。二科目までは、落としても次の年に取り返せばよい。学校同士のケンカには最初のときから加わって、制服のTシャツにかけた母校愛のために戦えば、先輩たちに気に入られるに違いない。別にケンカは好きではなかったし、殴ったり蹴ったりも得意ではなかった。それまでも同じ年頃の子たちの争いでは平凡だったけれど、自分が求めている尊敬を獲得するにはそれ以外の方法はなかった。そうしなければ人生は地獄で、月曜から金曜までどつかれたりばかにされたりしながら一年を過ごすことになる。
色鉛筆、定規、ペンその他、母親がリストを見て、家計の負担に耐えながら一生懸命に買い揃えてくれた学用品は、家に置いてきて、フラメンゴのノートとビックのボールペンだけを持っていった。筆箱を用意して前の席に座って、先生の質問にちゃんと答えるなんて、学校で一目置かれる存在になるためには最悪の手だった。
壁に開いている窓みたいな穴からサッカーグラウンドが見えた。広くて、屋根もついていて、体育の授業のあとにシャワーを浴びることのできるロッカールームまであった。緊張していて、一挙手一投足に細心の注意を払いながらではあったけれど、アンドレにはそういう新しいものひとつひとつを味わう余裕もあった。
サッカーグラウンドの奥、金網のそばに二人の女子生徒が座って、監視係の目を盗んでタバコを吸っているのが見えた。その様子を満足げに眺めながら、自分もその二人の共犯者になっていると思っていた。現れつつある新しい人生を前にして、自分が成長し、成熟していると感じていた。二十歳になる頃にはどんなふうになっているだろう? 起業家とか、サッカー選手とか、パラシューターとか?
休み時間前の最後の授業はフランス語だった。アンドレには何もわからなかった。男の先生のつながった眉毛ばかり見ていて、勉強にはちっとも興味が持てなかった。本当に学びたいのは英語だった。みんながお金になると言うし、テレビゲームのこともあった。みんなが好きなゲームの登場人物が話している言葉を覚えたら、ゲームをするときに呼んでもらえるはずだった。その当時には、母親にゲームを買ってもらうより、英語を覚えるほうがずっと簡単だった。チャイムが鳴って、ようやく我に帰った。クラスメートのひとりが、「クー」はフランス語で「首」という意味〔ポルトガル語では「肛門」の意〕だと言っていた。そう聞くと、授業にもちょっと興味が湧いた。フランス語は何の役にも立たないかもしれないけど、笑えると言えば笑える、とアンドレは思った。
食堂の入り口のところに第八学年の少年たちがいた。アンドレは中庭に来たときすぐにその子たちを見かけていたけれど、どんな恐ろしいことがあっても堂々としていなければここで生き延びることはできない、と知っていた。「昼飯は誰にも食わせねえ」と彼らは言った。アンドレは、ひとりひとりの顔をじっと見ながら、何をしでかすかわからない危ないやつだと思われるように、精一杯強そうな顔つきをした。「みんなトイレに行くぞ」と、金色に染めたストレートの髪の、プレイボーイっぽい少年が言った。みんなそのとおりにした。トイレに着くと、少年たちは学校の仕組みを説明した。アンドレは注意深く一言一言を聞いた。公正な仕組みに思えた。ルールを聞かされたあと、「新入りは全員テストを受けなきゃならない」と言われた。アンドレはカマを掘るのかと思った。それは予想外だった。女の子たちがタバコを吸ったりヤったりしている大きい子たちの学校で、そういう経験をしなければならないとは想像していなかった。でも違った。
テストというのは「トイレの金髪女」だった。その話はアンドレもよく知っていたけれど、自分の身に降りかかるなんて信じられなかった。トイレの金髪女というのは、学校のトイレでレイプされて自殺した少女だった。それ以来、鏡の前で「トイレの金髪女」と三回言うと、彼女が現れるらしかった。そうなったら全速力で逃げないと幽霊がトイレに取り憑いてしまう。もしその場に居合わせたら、残された道は二つだけ。少女の幽霊のせいで正気を失うか、鏡のなかに閉じ込められてしまうか。
アンドレは前にも、ただの好奇心からひとりでそれをやってみたことがあった。そのときは無事逃げることができた。でもものすごく怖くて、この先何があっても二度とやらないと自分に誓っていた。それで彼は少年たちに嘯いた。
「ああ、そんな楽勝のテストかよ。トイレの金髪女なんて小学校のガキどもをびびらせるだけの子ども騙しだろ」。そしてちょっとだるそうに笑った。
するとストレートヘアの少年が宣告した。
「信じてないならおまえが最初だな。みんなトイレから出ろ」
みんながいなくなり、ドアが閉まって電灯が消えた。アンドレは、その瞬間にしくじってしまえば、自分がどつかれること、女の子にモテなくなること、サッカーに入れてもらえなくなること、その他のあらゆるひどい目に遭うと思って、体が熱くなった。震える両足に力を込め、強く息を吐き、鏡のなかの自分の目の奥を見つめて唱えた。「トイレの金髪女、トイレの金髪女、トイレの金髪女」と。
==他の作品は『太陽に撃ち抜かれて』でお楽しみください。==

ジョヴァーニ・マルチンス『太陽に撃ち抜かれて』





















