ためし読み - 14歳の世渡り術

いじめや虐待で心はどう傷つき、どう回復する?——私たちのクラスで起きたこと

いじめや虐待で心はどう傷つき、どう回復する?——私たちのクラスで起きたこと
 
 
 

けれど、心の傷はそれだけではありません。いじめ、DV、虐待、家庭や学校でのつらい体験――。身近にある様々な出来事が、その人の心や身体に深い影響を残すことがあります。

本書の著者・杉山登志郎さんは、発達障害や虐待、トラウマの診療と研究に長年取り組んでこられた、日本における児童精神医学の第一人者です。小児科、精神科、教育学という複数の領域を歩みながら、傷ついた子どもたちとその家族に向き合い続けてきました。現在は福井大学子どものこころの発達研究センター客員教授を務め、『発達障害の子どもたち』『発達性トラウマ障害のすべて』など、多くの著書を通して子どもの心について伝えています。⁠

⁠杉山さんが本書で描くのは、それぞれ異なる事情から心に傷を負った、6人の中学生の物語です。トラウマを抱えると、心や身体には何が起こるのか。つらい記憶が消えないのはなぜなのか。そして、傷ついた心はどのように回復していくのか…… 近年注目されている「発達性トラウマ症」についても、物語とともに一つひとつ丁寧にひもといていきます。

中学生に向けて書かれた入門書ですが、過去の出来事に今も苦しんでいる人や、身近な誰かの生きづらさを理解したい人にも手に取ってほしい一冊です。「自分が弱いから」「いつまでも気にしているから」と責める前に、まずは心が傷つく仕組みを知ることから始めてみませんか。
誰もが抱えうる心の傷と、その先にある回復の道のりを知っていただくため、本書の冒頭部分を無料公開します。

【※注意】本文中には、いじめに関する詳細な描写がございます。

 

 

 

はじめに

「トラウマ」という言葉から、あなたは何を思い浮かべるでしょうか。

 トラウマという言葉は日常語になっています。みなさんはトラウマというと、大震災を真っ先に思い浮かべるでしょうか。人はだれでもトラウマの一つや二つをもっている、などという言葉を聞いたことがあるかもしれません。

 しかし私からみると、トラウマはきちんと理解されていないと感じます。トラウマとは、もともとの意味はギリシャ語に語源をもつ言葉で、ただ単に「傷」の意味です。しかし最近、「からだの傷」ではなく「こころの傷」をあらわすようになりました。
 大変に怖い体験をしたときに、人はそれに立ち向かうため、心身の反応が起きます。普通は少しずつ安心が戻ってきて、そのような反応はおさまってきます。ところが怖さがあるレベルをこえていたり、1回だけではなく、長い期間にわたって続いていたり、もともと安心な生活ができていなかったりすると、この心身の反応が形を変えながら続くことが起きてきます。これがトラウマです。つまりトラウマとは、こころにもからだにも現れる複雑な反応なのです。

 このようなトラウマによって、すごく多彩なこころとからだの症状が起こります。さらに重要なのは、このような「こころの傷」は、専門家が悩みや問題を聞くといった一般的なカウンセリングでは良くならないことです。つまり、特別な対応が必要になってきます。
 学校生活の中でよく起きるいじめもまた、トラウマの原因になっています。物価が上がって給料が上がらず、毎日どうやって暮らしていこうといった状態で、親が朝から夜まで必死に働いていると、子どもへの世話が滞りがちになります。この世話ができない子育てもまた、いろいろなトラウマを引き寄せることになります。

 トラウマは、私たちの周りにもよく起きている問題なのです。

 これからお話しするのは、あるのどかな地方の町の私立中学校(町の名前を取って、N中学校としておきます)で起きた出来事です。この町にはたまたま県立の子ども病院があり、そこには「子どものこころの外来」もあって、児童精神科のドクターがたった1人で、とても忙しい外来を開いていました。このドクターは私の長年の友達で、N中学校のあるクラスで起きた出来事について、私に話してくれました。

 それはどこの中学でもあるような、いじめから始まったのです。
 どこに住んでいるだれなのかわからないように、細部を書きかえてみなさんに紹介したいと思います。

 

序章 私たちのクラスで起きたこと

 私の名前は友美ゆみといいます。N中学校に通う中学2年生です。私の学校は中高一貫の私立中学、高校で、中学生の大多数が、そのまま高校に進学しています。N高校は、N市では一番大きな高等学校です。中高一貫校ですが、高校から入ってくる子が高校生の半分以上で、高校は1学年7クラスあります。それに対し、中学校は1学年2クラスしかないこぢんまりとした中学です。

 私の仲良しは、同じクラスの明美、しおり、なるみ、真知まちです。私を入れたこの5人はいつも学校で一緒にお昼を食べ、毎日SNSの交換をしていました。

 私が明美や栞と仲良くなったのは、あることがきっかけでした。中学校に入学したときのことです。真知はとても大人しい子で、はきはきした他のクラスメートの輪になかなか入れませんでした。1年生が始まったとき、私の隣の席に真知が座ることになり、最初、みんながお友達のいない中で、一緒にお昼を食べたりしているうち、少しずつ仲良くなったのです。真知はいつもちょっとおどおどしていて、授業のときにも手を挙げることはほとんどありませんでした。でも話を少しずつするうちに、朝、顔を合わせると私に笑顔を見せるようになりました。真知のお父さんはN市で会計事務所を開いているのだそうです。真知はお勉強が得意ではなく、数学の授業のときに隣の真知のノートを見ると、鉛筆が止まって何も書いていないということがよくありました。私は真知に、「私もわからないことが多いけど、何か困ったら聞いてね」と言うと、「ううん大丈夫」と強い口調で真知が答えたのでびっくりしたことがあります。

 2学期になって、運動会のときのことです。クラス対抗リレーがありました。1年生から3年生まで6組が運動会の最後に対抗戦をします。このリレーは、人数だけ合わせて、ほぼ全員が参加するのです。この大イベントのときに、ハプニングが起きました。クラスの中に龍太りゅうたというやんちゃな子がいます。この子は勉強が苦手で、どうやって受験に合格したのだろうと中学生の私でも首をひねるような子でした。でも運動は得意で、みんなの噂では部活の推薦で入学してきたのじゃあないかとのことでしたが、推薦入学があるのは確か高校生からなので、普通に受験して合格したのだと思います。

 クラス対抗リレーは毎年白熱するのです。アンカーは陸上部に入っている男の子と決まっていて、陸上部に入っている龍太が自分からアンカーを買って出ました。それまでの順番はクジで、最後から2番目が私、その前が真知という順番になってしまいました。抜きつ抜かれつの大接戦のリレーが展開され、真知の前までなんと私のクラスは1位になっていました。真知にバトンがわたり、真知は頑張ったのですが足は遅く2チームに抜かれ、バトンタッチの直前で転んでしまいました。しかも転んだまま起き上がらなかったのです。私は思わず駆け寄り、バトンをつかみ取ると必死に走りましたが挽回できず、5位に順位を上げるのが精一杯でした。私からバトンを受けとった龍太はすごく頑張り、3位までになって、ゴール前に2位のチームと並びました。みんなが見つめる中で、ゴール直前のところで龍太は2位のアンカーの顔をバトンで殴ったのです。龍太は2位でフィニッシュしたのですが、当然、ルール違反という抗議がそのクラスから出て、私のクラスは失格になってしまいました。龍太はバトンを横に振ったら顔に当たっただけだといかりまくり、1年生の運動会は苦い幕切れになりました。

 振り替え休日もあけて、次の日の放課後、龍太は真知の所に来て、お前のせいでクラスはビリ以下になったと言い始めました。そのとき、同級生の明美と栞が龍太の前に立ってかばってくれたのです。「龍太、偉そうにそんなこと言えるの! お前がバトンで殴ったから失格になったんじゃない。あんたは小6の運動会でもずるしてトラックの内側を走って失格になったのを忘れた? つまりお前の責任じゃないか」後で聞くと、龍太と明美は小学校が同じ学校だったとのことでした。さらに栞は龍太に「そうだよ、あんたのような障害がアンカーをやると言ったときからこのリレーはビリ以下になると決まっていたんだよ」と言いました。ちょうどそこに、担任の田崎先生が来たこともあって、龍太の勢いはどこかに飛んでしまい、ブツブツ言いながら引き下がりました。明美は私と真知に、「あいつは小学校の頃から知っているんだ。ばかなことばかりしているんで有名なんだよ、絡まれたら私に言って」と言い、私は明美と栞に「ありがとう」と言いました。

 この出来事をきっかけに、私と真知は、明美や栞と仲良くなったのです。2年生になって、クラスが分かれると嫌だなと言い合っていたのですが、同じクラスになり、みんなで喜び合いました。しかし龍太(彼もまた同じクラスになりました)はその後も真知に対し、真知が1人でいるときに「おい」とか、よく声をかけていたようです。龍太は1年生の頃は衝動的な行動が多く、いきなりクラスで大声を出したり、ものを投げたり、先生の言うことを聞かずに反抗したりということもありました。明美によると、それでも小学校の頃よりは余程良いとのことでした。

 明美はクラスの中で力があって周りを仕切るタイプの子でした。いつでも明るく、頭も良く、クラスのリーダーになっていました。栞はかわいいと評判の子で、男の子から人気がありましたが、他の子をいじることがありました。なるみは遠方から引っ越して来て、中学生になってこの町に来た子でした。なるみの方言を栞がからかったときに、明美から叱られ、その縁で、なるみはこのグループに入ってくるようになりました。5人は仲良しと見られていましたが、真知は栞からちょっとしたからかいや、SNSでも真知だけに回さないなど、いじめを受けることもあったようです。

 1学期のある日、私は、明美からスマホの動画を見せられました。それは、真知がトイレで排泄はいせつしている動画でした。私はびっくりして、この動画はどうしたのと聞くと、真知がトイレに入ったのを見て、ドアからスマホを差し入れて動画を撮影したのだといいます。私はすぐに「気持ち悪い、やめて」とこの動画を削除するように明美に強く言い、明美もしぶしぶ削除すると約束しました。

 しかし後でわかったのですが、その前に明美は栞に動画を見せていました。栞は面白がって分けて分けてと明美に言い、今度は栞がその動画を、龍太をはじめとするクラスの数人に見せてしまいました。意外なことに龍太はこの動画を観て、栞に「やめろよ」と強く言ったと聞きました。しかし栞を通してやがて男子を含むほぼクラス全員に、動画が分けられてしまいました。1週間もしないうちに、真知は「排泄女子」と呼ばれるようになり、学校に来られなくなりました。このときも、真っ先にいじめの先頭に立ちそうな龍太は加わりませんでした。むしろ真知に声をかけるなど、すごく不器用ながら励まそうとしているようでした。

 私は明美から、自分は姓が3回も変わったのだと聞いたことがあります。明美は高校生の先輩と付き合っているという噂でした。私が夜、家族と一緒に外出したときにも、実際に男の子と遊び歩いている明美の姿を見たことがあります。栞は明美といつも一緒に行動していました。栞は普段はニコニコしているのですが、ひょんな拍子に他の子をいびるところがあり、そうなると目がわってしまって、とことんいびり倒さないとおさまらなくなるというところがありました。

 私は明美や栞の行動をいさめたため、今度は2人から無視されるようになりました。しかしなるみは「友美が正しいと思う」と言って私をかばってくれました。なるみが私から離れなかったため、今度はなるみも明美や栞から仲間はずれにされてしまいました。真知は不登校のままで、電話しても出てくれませんでした。しばらく私となるみは、学校に行っても2人以外に、あの龍太しか口をきいてくれる人がいない辛い日々が続きました。龍太もまた、真知の味方をしたことで仲間はずれになっていたのです。

 しかしやがて、この事件が先生たちにも知られるようになりました。SNSによって真知の排泄の動画が、すでに不特定な所まで広まったことは後からわかりました。さらに事の次第が真知の親にも伝わりました。不登校の理由と、事件の詳細が親に知られたのは、事件が起きて1ヶ月後のことです。真知のお父さんは激しく怒り、校長先生に詰めより学校を非難し、弁護士を立て学校や担任教師を民事訴訟そしょうに訴えると学校に迫ったため、大騒ぎになってしまいました。

 真知の父親は、明美と栞の行動を許せないと言っただけでなく、龍太に以前いじめられたことも、真知のこころの大変大きな傷になっていると言ったようです。明美も栞もこの時点で真知にようやく謝罪しましたが、すでに動画が拡散していて、真知の家族の怒りはおさまりませんでした。

 学校は大荒れになりました。職員会議が繰り返され、2学期の運動会が飛んでしまったほどです。

 明美も栞も児童相談所に通告され、児童相談所での相談を受けるようになりました。実は龍太も以前から児童相談所で相談を受けていたと噂がながれてきました。真知のお父さんは龍太まで含めこの3人が登校していては、真知が学校に行けないと言い、3人とも学校に来られなくなってしまいました。

 しかしその後も、真知は時々しか学校に出てこられませんでした。私となるみは何とか真知を支えられないか働きかけたのですが、真知は心を開いてくれませんでした。

 私が住む小さな町には、県立子ども病院があり、そこに子どものこころの外来がありました。この事件を受けて、事件に関わった全員がこの外来を相談に訪れ、そこのドクターである和久わく先生に受診することになりました。

 私もあることから和久先生の外来を訪れることになったのですが、それは後でお話しします。

 

==続きは『世界一やさしいトラウマ入門』でお読みください。==

 

世界一やさしいトラウマ入門

世界一やさしいトラウマ入門――心はどう傷ついて、どうやって治るの?
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『世界一やさしいトラウマ入門――心はどう傷ついて、どうやって治るの?』もくじ

はじめに

序章 私たちのクラスで起きたこと

第1章 暴力が止められない ――発達性トラウマ症龍太の場合 
第2章 フラッシュバックに襲われる ――震災によるトラウマ なるみの場合 
第3章 ときどき別人になる私 ――DVドメスティック・バイオレンス 明美の場合 
第4章 私は私が大嫌い ――心理的虐待 栞の場合
第5章 いつもだれかに見られてる ――教育的虐待 真知の場合
第6章 和久わく先生の講義 その1 ――トラウマと、トラウマからの回復
第7章 和久先生の講義 その2 ――発達性トラウマ症と、そのケア
第8章 これからの多彩な家族のあり方 ――友美の場合
おわりに

●Column 杉山先生×志村先生の もう少し教えて!「トラウマ」のこと

①児童相談所ってどんな場所? 
②時間がたっても悲しみは癒えないの? 
③多重人格のしくみと治療
④加害の後ろには被害がある 
⑤教育虐待が引き起こすもの 
⑥トラウマ治療に関わる人たち 
⑦「発達性トラウマ症」って? 

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著者

杉山登志郎

1951年、静岡市生まれ。久留米大学医学部卒業。久留米大学医学部小児科、名古屋大学医学部精神科、静岡県立病院養心荘、愛知県心身障害者コロニー中央病院精神科医長、カリフォルニア大学留学、静岡大学教育学部教授、あいち小児保健医療総合センター保健センター長などを経て、現在は福井大学子どものこころの発達研究センター客員教授、浜松市子どものこころの診療所顧問。著書に『発達障害の子どもたち』『子育てで一番大切なこと』『トラウマ:「こころの傷」をどう癒やすか』(いずれも講談社現代新書)など多数。

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