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6月19日 太宰治没後70周年 太宰を愛し、太宰をモデルに小説を書いた佐藤春夫の追悼文の内容とは  『太宰よ! 45人の追悼文集 さよならの言葉にかえて』より

9784309416144

本日6月19日は、太宰治が6月13日に玉川上水に身を投げ、その遺骸が発見された日。奇しくもその日が太宰治の誕生日でもあったことから太宰を偲ぶ日となり、「桜桃忌」と呼ばれるようになりました。

没後70周年にあたる今年に至ってもファンは増え続けており、お墓がある三鷹の禅林寺には毎年全国から多くのファンが集います。
今も人々の心を掴んで離さない太宰は、生前からその才能と人間的な愛らしさから多くの友人たちと交友を結び、絆を深めていました。
河出書房新社は今月、太宰を愛してやまなかった人々の追悼文集『太宰よ! 45人の追悼文集 さよならの言葉にかえて』を出版しました。
その中から、70回目の桜桃忌によせて、佐藤春夫の追悼文を全文掲載します。佐藤春夫は芥川賞選考委員だった頃太宰から、長さ約4メートルもある、芥川賞受賞を懇願する内容の手紙を送られたことでも有名です。
なお佐藤はこのことを小説(!)にしてしまい、太宰の不快を買った、という事件がありました。その経緯に関する佐藤の考えと、距離を置かれてもなお愛し続ける佐藤の思いが主に綴られています。

稀有の文才

佐藤春夫

 

芥川賞の季節になるといつも太宰治を思い出す。彼が執念深く賞を貰いたがったのが忘れられないからである。事のてんまつは一度書いた事もある。当時それをバクロ小説か何かのように読んだ人もあった模様であったので久しく打捨てて作品集にも入れなかったが、この間「文藝」に再録されたのを久しぶりに再読してみて一言半句の悪意もない事を自分で確めたので改めて作品集にも安心して加えた。

 

あの作品には何の悪意もなくむしろ深い友情から出た忠告があったつもりであるが、今冷静に読んでくれればこの事は何人にも了解して貰えると思う。しかしあの作品は遠慮会釈なく本当の事をズバリと云っている。自分は本当の事なら誰にも憚らず云っていいと信じている。世俗人ではなく、苟も文学にたずさわる程の人間ならこんな事ぐらいは常識と思っているのに、あまり本当の事を云われたのが太宰には気に入らなかったと見える。見え坊の彼には鏡の前にアリアリと写った自分の姿が正視するに堪えず恥ずかしかったのであろう。そういう見え坊の慚羞や気取が太宰の文学をハイカラに洒脱な、その代りに幾分か弱いものにしてしまっている。

 

あまりに本当の事を見、本当の事を云いすぎる自分のところへ、彼はいつの間にか出入しなくなってしまって専ら井伏のところあたりに行っていたようである。僕もコワレもののように用心しながらつき合わなければならない人間はやっかいだから、出入しなくなった彼を強いて迎える要もないと思いながらもその才能は最初から大に認めていたつもりである。芥川賞などは貰わないでも立派に一家を成す才能と信じ、それを彼に自覚させたかったのが「芥川賞」と題した彼をモデルにした作品を書いた動機でもあった。

 

世俗人や凡庸な文芸人などがそれをどう読もうと問題ではなかったが、太宰自身がそれを自分の読ませたいように読み得なかったのは自分にとって頗る残念であった。そうしてそれ以来自分のところへ近づかなくなった彼に対しては多少遺憾に思いながら遠くからその動静を見守っていたものである。

 

昭和十八年の秋、南方の戦線に出かけて行った自分は十九年の春、昭南でデング熱に冒されて一週間ほど病臥した事があった。その時、偶、ホテルの人が枕頭に持って来てくれた改造のなかにあったのが彼の「佳日」という短篇であった。

 

自分は一読して今更に彼の文才に驚歎した。全く彼の文才というものは互に相許した友、檀一雄のそれと双璧をなすもので他にはちょっと見当らないと思う。尤も彼と檀とでは本質的には対蹠するものがあって、そこが彼等の深い友情の成立した秘密かも知れない。

 

檀の南国的で男性的に粗暴で軽挙妄動するのに対して彼は北国人で女性的に細心で意識過剰である等々。

 

自分は病余のつれづれに、いつまでも枕頭にあった「佳日」を日課のように毎日読んだ。外には新聞より読むものがないのだから新聞を拾い読みした後では必ず「佳日」を愛読したものである。そうしてしまいには唯読んだだけでは面白くないから、どこかに文章の乃至はその他の欠点はないものだろうか一つそれを見つけてくれようという意地の悪い課題を自分に与えて読んでみた。そうして無用な気取りやはにかみなどの今さらならぬ根本的な不満は別として、その短篇の構成にも文章の洗練の上でも、自分は再読し三読して毛を吹いて疵を求めるように意地悪く、というよりも依怙地になってかかったが結局どこにも欠点と思しいものは見つからなかった。この事は自分の帰ったのを知って会いに来てくれた時、彼に直接話したような気がする――もしそうならば十九年の六月頃が彼に会った最後である。それとも直接話したのではなくて彼から本を貰ったお礼の序に書いたのであったかも知れない。それならば二十一年の春ではなかったか知ら、もう記憶の明確は期しがたくなっている。

 

 

彼の死は信州の山中にあって知った。何れはそんな最期をしなければならない運命にある彼のような気がして、折角幾度も企てて失敗している事を今度は成し遂げさせたいような妙に非人情に虚無的な考えになっていた自分は、他人ごとならず重荷をおろしたような気軽るなそれでいて腹立しい変な気がしたのを得忘れない。 「津軽」は出版の当時読まないで近年になって――去年の暮だったか今年のはじめだったか中谷孝雄から本を借りて読んで、非常に感心した。あの作品には彼の欠点は全く目立たなくてその長所ばかりが現われているように思われる。他のすべての作品は全部抹殺してしまってもこの一作さえあれば彼は不朽の作家の一人だと云えるであろう。

 

あの作品に現われている土地は、彼の故郷の金木の地の外は全部自分も見て知っているつもりであるが、土地の風土と人情とをあれほど見事に組み合せた彼の才能はまことにすばらしいものである。生前これを読んで直接彼に讃辞を呈する事のできなかったのが千秋の恨事である。

 

それまでは大方信州にいて出られなかった桜桃忌の七周年に今年、はじめて自分は夫妻で出席して彼の遺孤の成長したのをも見たが、席上求められるままに話したのがおおよそ、この文と同じことであった。 

(『現代日本文学全集 第四十九巻』月報、筑摩書房、一九五四年)

 

 

 

さとう・はるお 一八九二―一九六四 詩人、作家。代表作に『田園の憂鬱』『晶子曼陀羅』。太宰が師事。太宰の才能を認め、薬物中毒になったときには病院探しに奔走。太宰から芥川賞を懇願する手紙を受け取ったことも。

 

『太宰よ!』目次はこちら。

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弔辞(井伏鱒二)
文芸の完遂(檀一雄)
不良少年とキリスト(坂口安吾)
白い手(青山光二)
稀有の文才(佐藤春夫)

太宰治昇天(石川淳)
太宰治氏のこと(石川桂郎)
太宰治を憶う(宮崎譲)
刃渡りの果(伊馬春部)
性得の宿命――『晩年』へつながる純潔(沙和宋一)
仙台・三鷹・葬儀(抄)(戸石泰一)

太宰治先生に(田中英光)
苦悩の末(野口冨士男)
太宰治の死(上)(柴田錬三郎)
小事(武田泰淳)
太宰の死について(中野重治)
太宰治を偲ぶ(大西巨人)
やむを得ぬ滅亡――太宰治の死(桑原武夫)
水中の友(折口信夫)
地獄の周辺(花田清輝)
太宰治は生きている(土井虎賀寿)

酒徒太宰治に手向く(内田百閒)
友人相和す思い(林芙美子)
私の遍歴時代(抄)(三島由紀夫)
ある日のこと(小沼丹)
太宰治と私(丹羽文雄)
太宰治の魅力――ひとつの個人的な回想(江藤淳)
太宰治、追悼(埴谷雄高)

太宰君を憶う――一愛読者として(尾崎一雄)
脆弱な花(平林たい子)
「晩年」に寄せて(吉行淳之介)
「生れてすみません」について(山岸外史)
滅亡の民(河盛好蔵)

追憶(阿部合成)
太宰治の追憶(中村貞次郎)
「晩年」時代の太宰治(浅見淵)
想い出(小山祐士)
太宰君のこと(外村繁)
三鷹(津島美知子)
初めてたずねた頃のこと(小山清)
「斜陽」のころの太宰さん(野平健一)
晩年のころ(臼井吉見)
山水蒙(中凶)(今官一)
太宰治の思い出(亀井勝一郎)
太宰治のこと(井伏鱒二)
太宰治との一日(豊島与志雄)
解説  町田康
太宰治略年譜

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