文庫 - 随筆・エッセイ

土用の丑はやっぱりうなぎ。「本所おけら長屋」シリーズ畠山健二の下町グルメエッセイ

9784309414638
 『下町呑んだくれグルメ道

畠山健二

20万部突破「本所おけら長屋」シリーズの畠山健二がおくる、爆笑必至の下町グルメエッセイが待望の文庫化!
抱腹絶倒のグルメ妄想話。本書の一部を公開しました。

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うなぎ

下町のAランク

うなぎと江戸っ子は深い関係にある。それが証拠に、古典落語には「鰻の幇間」「鰻屋」など鰻屋が舞台となる噺も多い。人情噺の名作「子別れ」の、主人公の大工が別れた息子を鰻屋に誘う場面では、私は必ず泣いてしまうしなあ。
下町では、昼食時に訪れた来客に店屋物を注文するとき、客を五段階に分けて注文する食べ物を使い分ける。
Eランクはラーメン。これはもう客とは思われていない。虫けら同然の扱いだ。当家の場合、若手の芸人などがこれに属する。
Dランクは親子丼。とりあえず客なのだが、どうでもよい客。不意に訪れた高校時代の友人など。用件が借金の申し込みだったりしたら、すぐに注文を取り消してラーメンに変更。逆に借金の取り立てのときは、ただちにAランクに格上げだ。
CランクとBランクは微妙だ。寿司か天丼となる。ここからが「客」ではなく「お客様」。相手の好みや、季節に合わせて注文するが、天丼の「並」にするのなら、カツ丼の「上」の方がよい。寿司の場合、特上の鉄火丼ならAランクの客にも通用する。
Aランクはうな重。店屋物のうな重は「あなた様のお情けにすがって生きるしかありません」という敬意の証である。相続人のいない資産家の親戚や、脱税をしている際の税務調査官などがこれにあたる。
とはいえ、私はうなぎが特別好きというわけではない。江戸前といえばサッパリ系のイメージがあるのに、なぜ江戸っ子はうなぎにこだわるのだろう。ハモを珍重する京都人に対抗するためか。
だいたい、土用丑の日にはうなぎを食うなんて決めやがって、お節介である。私なら戌の日にウナギイヌを食べるんだけどな。
うなぎは生後十年くらいになると海に下り、奄美大島や硫黄島付近の深海で産卵すると考えられているが、その生態には謎が多い。なんか不気味だよな。深海から川に戻ってくるなんて。川にチョウチンアンコウがいたら気持ち悪いだろうに。
土曜日の昼。近所のオヤジが、うなぎを食べに行こうと私を誘う。
「そばにしようよ。うなぎはあんまり好きじゃないから」
「べらぼーめ。てめえなんざスーパーのシケたうなぎしか食ったことがねえからだ。うなぎの味を知らねえようじゃ江戸っ子とは言えねえな」
このオヤジは、表札に書いときたいくらいの江戸前人間なのだ。度が過ぎているために近所でも敬遠されている。
すぐ下に隅田川が流れる二階の座敷に通される。ロケーションは最高だ。窓の外を眺めていたオヤジの眉毛がピクリと動く。
「屋上にウンコを乗っけたビルなんざ建てやがって。スットコドッコイが」
でかい声で言うなよ。ここがカレーライス専門店だったら叩き出されてるぞ。
うなぎの白焼きと熱燗が運ばれてくる。若い女性の店員だ。
「へえー、なかなか可愛いコだな」
「可愛いだと。べらぼーめ。江戸っ子はそんな言葉を使うんじゃねえ。器量よしと言え、器量よしと」
長方形の四角い皿に、うなぎが丸ごと一匹、開かれて置かれており、皿の隅にはワサビがのっている。熱燗のお銚子は木製の枡の中に立っていて、なんとも乙な姿だ。
「ハナは白焼きと熱燗。これが基本よ。いきなり、うな重をぱくつくなんざ粋な男のすることじゃねえ。ワサビは醬油に溶かすんじゃねえよ。白焼きを箸で割って、その上にワサビをチョコンとのっけるのよ」
そんなことはわかってらい。箸で割っただけで白焼きの柔らかさが伝わる。白焼きは、少し焦げた表面のパリパリ感と、中身のホンワカ感が、すこぶるよろしい。これを肴に真っ昼間から熱燗を喫するなんて、落語の若旦那になった気分だ。
「乙なもんだなあ。でもさ、うなぎの蒲焼きを食う前に、肴としてうなぎを食うなんて、なんか腑に落ちないな」
「これだから素人はいけねえ。お前だって寿司屋に行きゃあ、握りを食う前にツマミで刺し身を食うだろ」
納得。江戸前の強引な理論だ。
「うなぎほど東と西で違うものはねえな。あっちは腹開きだが、武家社会の江戸では縁起が悪いってんで背開きよ」
それじゃアジの開きはどうなるんだよ。
「江戸では蒸してから焼く。余計な脂を落として、ふっくらと焼きあげるのよ。この店じゃ頭とヒレを落としてから蒸してるってこった」
「武家社会なら、頭を落とすってえのも、まずいんじゃないの」
「お前じゃなくて、向島あたりの乙な芸者と差し向かいで食いてえもんだな」
人の質問に答えろっての。
うな重が運ばれてくる。なんともいえないタレの香りだ。落語で煙の匂いだけで飯を食ったというクダリがあるが、本当かもね。
箸でうなぎを真四角に切り、ほどよくタレが染み込んだ飯と一緒に口に運ぶ。うーん、くどくない甘さで後口も爽やかだ。こりゃうなぎに対する評価を変えなきゃいけないな。
「やっぱ、スーパーのウナギとは違うな」
「あたぼうよ」
うな重には、お吸い物と、浅漬けのお新香がよく合う。脂がのったうなぎの添え物は、さっぱりしてなきゃ。四角い漆の器の角に口を当てて、残った飯をかっこむ。
「野暮な食い方するんじゃねえよ」
「いやー、うまかった。うなぎを食って精力もついたことだし、粋な江戸っ子としては、ここらでナカに繰り出すなんて、いかがなもんざんしょ」
「ナカって、吉原か。うっ、この前、ギックリ腰をやっちまってな」
うまいことケムにまきやがった。鰻屋といえば煙がつきものだからなあ。

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著者

畠山健二

1957年、東京都墨田区出身。小説家、コラムニスト、笑芸作家。早稲田大学中退。台本演出した漫才が第34回NHK漫才コンクール最優秀賞受賞。代表作に「本所おけら長屋」シリーズ(PHP文芸文庫)がある。

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