文庫 - 随筆・エッセイ

「テンプラ蕎麦」は何かへん!「ヌルヌル」なのか「ぬるぬる」がいいのか……日本語にとって「カタカナ」とは何かをとことん論じた一冊。

カタカナの正体

山口謡司

カタカナはいったい何のためにあるのか?漢字、ひらがな、カタカナを使い分ける日本語の不思議とカタカナ誕生のドラマからカタカナ語の氾濫まで、多彩なエピソードをまじえて綴るユニークな本。

 

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はじめに
ウルトラマン、ガッチャマン、タイガーマスク、マジンガーZ、ガンダム……高度成長期生まれの人たちは、私も含め、産湯に浸かった時から、〈カタカナ〉のヒーローに、人生を教わってきた。
クールで、強くて、時に、ズッコケた笑いを見せるヒーローたちは、もちろん日本で作られたキャラクターであるが、ほとんどが英語に由来する名前である。
戦後のアメリカからの文化の流入、高度経済成長は、それまでの日本語の世界を著しく変化させた。
言うまでもない、未曾有の外来語増殖である。
流行の最先端は海外から、というのが、我々日本人が潜在的に持っている意識である。それは、我が国の文化が、古く中国からの文物、言語の輸入によって形成されたということにも起因しよう。そして、近代にいたってはオランダ語、フランス語、ドイツ語、ロシア語、英語などによって「文明開化」がなされた。舶来の文化は、常に我々に、新しい種を蒔いてくれたのである。
しかし、明治から昭和の初期までは、外来語も可能な限り日本語に訳されていた。そのままカタカナで、発音を表記することは、あまり見られなかった。
ところが、今や、カタカナ語の大繁殖である。とにもかくにも現代の日本には、「カタカナ語」が溢れている。
マイクロインフルエンサー、インターネットのキュレーター、キュレーティド・コンピューター……専門家でなければ分からない言葉が会議のなかで行き来する。
英語は、世界と通じるビジネスマンにとって、必要不可欠なのは承知の上だが、それと同時にカタカナ語を習得せずには、部下との会議に適当に相づちを打つ羽目になる。
もちろん、日常生活にもカタカナ語は溢れている。
初孫の誕生を心待ちにしているご婦人が、娘さんと赤ちゃんグッズを買いに百貨店へ──。買い物リストには、「スタイに、クーファンにアフガン」と書かれている。売り場に着くまで、それが「よだれかけ、赤ちゃんを入れておく籠、おくるみ」だとは見当もつかなかったと彼女は笑う。
入試でも「カタカナ語の文章を日本語に直しなさい」と、出題される日が来るのかもしれない。あるいは、「カタカナ語検定」というものができて、就職に強い資格ナンバーワンに浮上する時もやってくる可能性がある。
カタカナ語は、日本語にとって、今や「マストアイテム」である。
フランス語のプチ(petit)から、トマトを改良した「プチトマト」という野菜が生まれた。そして、今や「プチ断食」、「プチ留学」も存在する。petitというフランス語の「小さな」という意味が、わが国では「お手軽な」という意味に変わったのである。
和製外来語と呼ばれるカタカナ語は、日本人の知恵とセンスが融合した独自性が際立っている。カタカナ語の飽くなき変貌、斬新な発想はたまらなくおもしろい。それは我が国の文化そのものである。
しかし、現代的な匂いを漂わせるカタカナ語は、じつは、古くは奈良時代に遡る。当時から日本人は、外来語を使って、現代と同じような増殖の方法を、ずっと繰り返してきたのである。
擬音語や擬態語、外来語などを書く時に、普段、我々が何気なく使う〈カタカナ〉は、そういう意味では、日本語増殖の最前線に立っているものであった。
はたして、〈カタカナ〉はどのようにして生まれたのだろうか、そしてそれは日本語のなかでどのような機能を果たしてきたのか。日本語の歴史をひもときながら、それを明らかにしたいと思うのである。

第一章 日本語はかわいい!

■かわいい日本語

フランスでは、日本の漫画が大人気である。
翻訳された漫画を求める人たちが多いが、なかには、どうしてもオリジナルが欲しいという人たちもいる。
頼まれて、おみやげに、少年ジャンプ、少年マガジン、コロコロコミックなどを持っていくと、これこそが日本の文化の凝縮だと言った社会学者もあった。
明治時代に日本に来た外交官や文化人が、江戸時代の後期に出版された黄表紙や浮世絵の類を持ち帰ったのと同じ気持ちなのだろう。
日本の漫画のどこが好きなのかと訊いてみると、彼等は異口同音に「かわいいところ」と言うのである。もちろんなかには、日本の漫画は暴力的なシーンが多いから嫌だという人も少なくないが、そういう人たちに対しても、激しい場面のないコマだけを見せると、「かわいい!」という感想が返ってくる。
ところで、この「かわいい!」という言葉は、日本語を学ぶ外国人からもよく聞く言葉なのである。
漫画に対してではない、日本語に対してである。
「日本語がかわいい」というのは、どういうことなのだろうか。
詳しく訊いてみると、「ブルブル」とか「ニョキニョキ」などという擬音語・擬態語は、他の外国語には決してない「かわいさ」があると言うのである。
そう言われてみると、外国語に比べると、日本語はオノマトペと呼ばれる擬音語や擬態語が非常に多い。
フランス語にも英語にもオノマトペがないわけではないが、ほとんどは幼児語で、普段の大人の生活ではあまり使われない。中国語の場合も同じように、幼児語ではオノマトペが使われるが、日本語に比べると、極端に少ない。
外国人にとって、日本人が普通の会話のなかで、「ドキッとした!」とか「サラサラの髪ね」というようなオノマトペを使うことは、非常に新鮮でかわいく思えるそうなのである。

■「かわいさ」の秘密

さて、日本の漫画がかわいく、また日本語のオノマトペがかわいいというところに、共通点はあるのだろうか。
漫画といっても千差万別であるが、「ポケットモンスター」や「ドラえもん」など、外国で人気の高いものを考えると、特徴的なところは、目の大きさである。日本の漫画で描かれる、現実にはあり得ないほどの大きな目は、外国の漫画では見かけることはないし、もしそれを描いたとしたら、その作家は、すぐさま、日本の漫画の影響を受けたものと言われるに違いない。
そして、次に特徴的なのは、スラリとしたスタイルの女性を描いても、なんとなく頭が大きいということであろう。
「新世紀エヴァンゲリオン」の綾波レイのファンは外国人にも非常に多い。漫画の設定では、彼女は十四歳の中学生ということであるが、彼女のプロポーションは、理想以上に理想的ではないだろうか。しかし、それにしても頭は大きい。
目が大きい、頭が大きいというのは、子どもに特徴的なことである。そして、それは浮世絵にも通じるものがある。
ところで、外国語でオノマトペが使われるのは、ほとんど幼児語であると書いた。
たとえば、「おいしい〜」というのをフランス語では「miam-miam(ミャムミャム)」、英語では「yum-yum(ヤムヤム)」と言うが、これは子どもがものを食べる時に出す音の擬音語である。
また、雨がパラパラと音を立てて降ることを、フランス語では「flic flac(フリックフラック)」と言い、中国語では「稀稀落落xīxiluòluo(シーシールオルオ)」と言う。
フランス語の「flic flac(フリックフラック)」は、雨粒が地面に落ちて出る音であるが、これも童謡で使われるから、幼児語である。
また、中国語の「稀稀落落xīxiluòluo(シーシールオルオ)」は、本来「疎ら」なことを意味する「稀」と「雨が落ちる」ことを意味する「落」が合わさって作られた言葉である。擬音語と言えば言えないこともないが、どちらかと言えば、意味から作られた言葉である。
中国語の擬音語、擬態語は、じつは漢字に書き表される時点で、すでに文章語としての意味に転換されるものが多い。中国語で、漢字に直されていないものは、言葉としては認めることもできない、泡のように消えてしまう音だけの世界なのである。
してみれば、日本の漫画とオノマトペは、幼児性というところで共通したものと言うことができるだろう。

■三種類の文字

日本の漫画や言葉に幼児性があると言って、筆者は日本の文化を批判しようとしているわけではない。
日本の漫画は、すでに触れたように海外では非常に高く評価されているし、言語という面に関しても、日本語は、外国語をうまく取り入れて、新たなものを創り出すための原動力となっている。
ところで、世界にも稀に見るオノマトペの多い言語である日本語は、かわいいという印象を与えながらも、じつは、外国人に対して、大きな壁となって立ちはだかっている問題がある。
それは、「なぜ、日本語には、漢字、ひらがな、カタカナの三種類があるのか」ということである。
漢字を使うのは、日本の文化が古く中国との関係によって発達してきたということを説明すれば、分かってもらえる。しかし、なぜ〈ひらがな〉と〈カタカナ〉という同じ音韻大系を持った書き方が存在するのかを説明することは非常に難しい。
ヨーロッパの諸言語は、もちろんアルファベットだけで書かれる。中国へ行けば漢字だけ。韓国では漢字を使った看板が時々見られるが、韓国の人も年齢の若い人たちは、ほとんど漢字を使わずハングルだけで自国の言葉を書き表す。
なぜ、日本人だけが、漢字、ひらがな、カタカナと三種類、時にはローマ字も合わせて四種類、さらに携帯で使われる顔文字のようなものも含めれば五種類にも上る文字を使うのだろうか。
その答えは、もうしばらく後で詳しく述べたいが、いずれにしても、こんなに文字を使い分けることができる日本人の精神性は、言語学的に見ても非常に興味深いことである。

■「テンプラ蕎麦」は何かへん!

漢字、ひらがな、カタカナの三種類で書かれるものに、たとえば、「てんぷら」がある。
お蕎麦屋さんに行くと「天ぷらそば」と書いてあるところもあれば、「天麩羅蕎麦」、「てんぷらそば」など、ほとんどが〈ひらがな〉か、漢字ひらがな交じりでメニューが書かれている。筆者は、長い間「テンプラそば」あるいは「テンプラ蕎麦」と書かれているメニューがあるかと捜しているが、残念ながら見つけたことがない。
これは、どうしたことなのだろうか。
それでは、「フランス」と「ふらんす」と「仏蘭西」と書くのではどうだろうか。
同じ国名でも、日本語を母国語として日本に住んでいるふつうの日本人には、〈カタカナ〉で書くのと〈ひらがな〉で書くのと漢字で書くのでは、違った印象を受けるのではないだろうか。
漢字で「仏蘭西」と書けば、明治時代か大正時代のレトロな感じがする。
カタカナで「フランス」と書かれるのが最も一般的なもので、新聞のニュースにしても旅行のパンフレットにしてもほとんどこのように書かれているが、これは外国であるということ、また一般名詞としての国名ということをそのままニュートラルに示す表記である。
ところで萩原朔太郎に「旅上」という詩がある。

ふらんすへ行きたしと思へども
ふらんすはあまりに遠し
せめては新しき背広をきて
きままなる旅にいでてみん。

ここで「フランス」と書いていたら、観光旅行に行きたいというような印象を受けるのではないだろうか。彼は「フランス」だけでなく「イスラエル」についてもこれを〈ひらがな〉で表記している。
「遠い」とは言いながら、「ふらんす」や「いすらえる」は朔太郎の心のなかではすでに身近な文化として熟成しているような書き方を感じる。
「てんぷら」もまた同じで、もともとポルトガル語で「調味料を加える」などの意味の「temperar(テンペラル)」が〈カタカナ〉で「テンプラ」と書かれていると、まだ外国語という感じがするのに対して、〈ひらがな〉で「てんぷら」と書かれるとすでに日本の文化に馴染んだものという印象を強く受ける。漢字で書かれる「天麩羅」は、何か江戸時代か明治時代の食べ物という感じがしないでもない。

■「てんぷら」は日本語の大人

ところで、「マニフェスト」「ナビゲーション」「ワイヤレス」など、いわゆるカタカナ語が使われるのは、「テンプラ」や「フランス」同様、本来、外国語の発音をそのまま日本語で聞いて書いたものである。
これらの言葉がもし、〈ひらがな〉で書かれていたとしたらどうであろうか。
「まにふぇすと」「なびげーしょん」「わいやれす」、これでは、かえって何か違和感を感じてしまう。
それは、外国語であるはずのこれらの言葉が、まだ日本語として同化するには時間的にも日が浅く、日本の文化のなかにしっかりと根付いたものではないという感覚を受けるからに他ならない。
そうであるとすれば、こうしたカタカナ語は、日本語としては未熟な段階にあるものと考えてよいだろう。
そして、そうした意味においては、オノマトペも外国語で幼児語として使われることが多いことを考えれば、日本語として未熟な段階にある言葉であろう。
〈ひらがな〉で「ぬるぬる」と書くか、〈カタカナ〉で「ヌルヌル」と書くか、あるいは「どきっ」と書くか「ドキッ」と書くかは、表現する人の気持ちにもよるだろうが、〈カタカナ〉で書くと、〈ひらがな〉で書くより、もっと強い異常な印象を与えるのではないか。
してみれば、その強い異常な印象こそが、〈ひらがな〉で書かれた「ぬるぬるさ」や「どきっ」とした心臓の鼓動よりも、「ヌルヌルさ」や「ドキッ」が、対象とするものに切迫した言葉であることを示す。
日本語になりきっていない外国語、〈カタカナ〉で書かれるオノマトペは、日本語にとって、まだ赤ちゃんか幼児のような存在なのである。
そして、反対に言えば、〈ひらがな〉で書かれても違和感を感じない言葉こそ、日本の土壌でどっかりと腰を据える大人になった日本語と言うことができるだろう。
ポルトガルからやってきた「てんぷら」は、まさにそういう存在なのである。

(つづきは本書でお楽しみください。)

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著者

山口謡司

1963年、長崎県生まれ。大東文化大学准教授(中国文献学)。著書に、『日本語の奇跡』『ん』(以上、新潮新書)、『てんてん』(角川選書)、『迷いが晴れる論語の読み方』(幻冬舎)など。

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