単行本 - 政治・経済・社会

今アンジェラ・デイヴィスを知るべき理由――訳者まえがき

『アンジェラ・デイヴィスの教え――自由とはたゆみなき闘い』
アンジェラ・デイヴィス著 浅沼優子訳
46判/本体3,300円(税別)/256ページ

 

黒人として、女性として、つねに時代の困難に向き合ってきた思想家=活動家、アンジェラ・デイヴィス。レイシズム、フェミニズム、インターセクショナリティ、アボリショニズムなど、彼女が50年以上の歳月をかけて伝え続けてきたメッセージが凝縮した主著『アンジェラ・デイヴィスの教え――自由とはたゆみなき闘い』がいよいよ刊行されます。これからの世界を想像する上で不可欠な一冊、その一端を訳者である浅沼優子さんの「まえがき」からお届けします。

 

 

 

 

なぜ今読まれるべきか

 刊行から5年が経過した今、なぜ日本語でこの本が読まれるべきなのか。まず一つに、近年アンジェラ・デイヴィスに再び世界的な注目が集まっていることが挙げられる。特に2020年はそのピークとなった。毎年『TIME』誌が発表する「世界で最も影響力のある100人」の2020年の一人に選ばれた他、イギリス版『VOGUE』誌の2020年9月「アクティヴィズムの現在」特集号の「世界を変えるアクティヴィスト人」の一人として表紙 を飾り、タナハシ・コーツが編集を手がけた『VANITY FAIR』誌の9月特別号でも、ニューヨーク・タイムズが発行する『T Magazine』の「2020年の偉人」5名の中の一人としても、長編インタビューが掲載された。CNNもロシアのRTもカタールのアルジャジーラもイギリスのチャンネル4も、アンジェラのインタビューを放送した。これまで何度も出演してきた『デモクラシー・ナウ!』のような媒体のみならず、メインストリームの媒体までもがこぞって彼女の意見を求めているのは、多くの人々にとってショッキングで処理しきれない出来事の連続――未曾有のグローバル・パンデミックと、それに伴い露呈した政治・経済問題、そこに追い打ちをかけるようにソーシャル・メディアを介して拡散された残忍な人種差別的暴力、その反応として世界的なムーヴメントとして広がったブラック・ライヴズ・マター(Black Lives Matter: BLM)運動、それに民主主義そのものの真価が問われる大統領選――に、冷静かつ知的な視座を与えることが可能な人物であることを認識しているからだ。それは彼女が長年カリフォルニア大学サンタクルーズ校の教授を務め、現在は名誉教授となっている哲学の学者であり、最も重要で影響力のある思想家の一人であるというだけではない。彼女は50年以上にわたり、アクティヴィストとして民衆運動の最前線に立ち続けてきた。そして彼女は、世界でも比類のない修羅場を生き抜き、アメリカという巨大な国家権力による抑圧に打ち勝った経験を持つ人物だからだ。

 私が本書を初めて読んだのも、2020年であることを先に告白しておく。ちょうどヨーロッパ各国がロックダウンとなり、ベルリンで音楽イベントへのアーティスト・ブッキングを主な仕事としていた私はすべてが停止した状態になり、当面の予定が全く立たなくなったのが3月。パンデミックに関する情報を必死に追っていた頃、ジョージア州でジョギング中に白人親子に銃殺されたアマード・アーベリーの事件(2月23日)と、ケンタッキー州の自宅で就寝中だったブリオナ・テイラーが警察によって殺害された事件(3月13日)が起こった。その後、ニューヨーク市を中心に新型コロナウイルスの被害が拡大し、特に黒人やヒスパニック系などの有色人種が不均衡に犠牲になっていることが報道されていた。4月の末にはベルリンによく長期滞在していたデトロイトの友人の黒人DJが、COVID‐19によって現地で若くして亡くなった。その約1ヶ月後にミネアポリスでジョージ・フロイド殺害事件が起こった。BLMというスローガンは理解していたつもりだったが、それに付随して繰り返される「Defund The Police(警察予算を引き揚げろ)」の意味するところはよく分からなかった。間もなくして6月7日にミネアポリス市議会が市警察の解体、予算拠出の打ち切りを表明した時は正直驚いた。警察を解体するとはどういうことなのか。度々出てくる「アボリション(abolition)」という概念も掴みきれずにいた。

 本書はこれらの疑問や混乱にすべて答えてくれただけでなく、その先のヴィジョンまで示してくれる内容だった。それはアンジェラ・デイヴィスが預言者だからではない。本書の出版された2016年当時、いや収録されているスピーチが行われた2013〜2015年当時、さらにはずっとその以前から、黒人の置かれている状況、経験している不条理、そして変革を求める運動の本質は変わっていないからである。むしろ本書の出版後にトランプが大統領に就任し、レイシズムの問題はますます深刻化していた。そこにパンデミックの蔓延と、それに伴うソーシャル・メディア利用の増大、スマートフォン(のビデオ撮影)によってリアルタイムに実情が可視化され、拡散されるという特殊な状況が重なったことで、市民の怒りと不満がピークに達し、遂に決壊を起こしたのが2020年であったと言えるだろう。しかし、もし彼女の存在とこれまでの功績がなかったら、それは全く異なる形で表出していたかもしれない。それほど、彼女のこれまでの活動や研究、主張と、アメリカのみならず世界各地で民衆が求めている変革には重なる部分が多い。

 この本は、2012年のトレイヴォン・マーティン殺害事件をきっかけに立ち上がったBLM運動が大きく拡大する起因となったミズーリ州ファーガソンでのマイケル・ブラウン殺害事件(2014年)、その際に歴然となったパレスチナ解放運動との連帯に焦点を当てながら、アンジェラ自身の研究者・アクティヴィストとしての叡智に基づき、それらの関係性の歴史と発展の可能性を解き明かしていく内容だ。その過程でBLMの創始者3名(アリシア・ガルザ、パトリス・カラーズ、オパール・トメティ)が女性なのは偶然ではないこと、彼女たちがクィア・フェミニストであることも偶然ではないこと、「指導者不在の運動」と呼ばれることも偶然ではないこと、世界各地でこれほど連帯運動が広がったことも偶然ではないことを教えてくれる。なぜアメリカの黒人殺害事件を機に、ヨーロッパで奴隷商や植民地主義を象徴する人物の銅像が破壊されたり撤去されたりしたのか、なぜ刑務所や警察の廃止(アボリション)と政治犯の解放が求められているのか、なぜパレスチナ解放運動が重要なのか、なぜ先住民や移民の人権問題とも切り離せないのか、そのコンテクストとしてのレイシズムとグローバル資本主義の関係性について教えてくれる。そしてアンジェラ・デイヴィスの最も素晴らしいところは、長年教育者として若者を指導してきたからだろうか、常に希望を携えて未来を見ているところだ。

 しかしながら、日本語では驚くほど彼女のことは紹介されていない。彼女が国際的な注目を最も集めたのは、FBIの大最重要指名手配犯となり、逮捕され裁判にかけられた1970年から1972年の間に巻き起こった「フリー・アンジェラ」運動によってである。その頃彼女への支援を促すために出版された『もし奴らが朝にきたら――黒人政治犯・闘いの声』(現代評論社)と、その数年後に出た『アンジェラ・デービス自伝』(現代評論社)はいずれも絶版となっており、それ以降は『監獄ビジネス――グローバリズムと産獄複合体』(岩波書店)しか邦訳書は出ていない。アンジェラの年代初頭の印象的なインタビュー映像をフィーチャーしたドキュメンタリー映画『ブラックパワー・ミックステープ〜アメリカの光と影』は日本でも2012年に公開されているが、詳細なリサーチに基づき彼女が指名手配されるまでの経緯と無罪を勝ち取るまでを再検証したドキュメンタリー映画『Free Angela and All Political Prisoners』(2012年)▼1は日本未公開だ。オンラインで記事や動画検索をしても、日本のマスコミに彼女が取り上げられた形跡はほとんど見当たらない。だとすると、日本におけるアンジェラ・デイヴィスは70年代の政治犯で、「産獄複合体」の研究者であるという認識以降アップデートされていない可能性がある。

 BLMへの関心と共感、およびこの運動や背景にある様々な問題についてより理解を深めたいと考えている人は日本にも多いように見受けられる。だが、その際にアンジェラ・デイヴィスについての日本語資料がここまでないのは問題だ。ならば自分でそれを変えようと、邦訳の企画を出版社に持ち込んだのが本書刊行の発端である。私はアメリカ黒人史の専門家でも、フェミニズムの研究者でも、社会運動論に精通しているわけでもないのだが、とにかく一人でも多くの日本語読者にアンジェラ・デイヴィスの功績と主張をもっと知ってもらいたいという一心で翻訳した。そして、それはこの本の目的と役割を考えた時、むしろ相応しいことのように思えた。市井の音楽ライターで、女性である自分をこのように奮い立たせ行動を起こさせたのも、アンジェラという人の影響力である。自由のための闘いに参加することは、誰にでもできるのだから。

 

想像することと伝えること

 彼女が事あるごとに繰り返し述べていることの一つに、「未来を(再)想像することの大切さ」がある。カナダ放送協会(CBC)の2011年のインタビューで、彼女は人種隔離されたアラバマ州バーミンガムに暮らしながら、幼少の頃から教師で活動家でもあった母親に「本来はこうあるべきではない」と教えられてきたと話している。目の前の現状が自分の望むものでないならば、自分はどういう世界を望むのかを想像する、想像することからすべてが始まる。想像を膨らませることは、誰にでもできる。

 

自分では変えられないものを私は、これ以上受け入れるつもりはない。自分が受け入れられないものを、私は変えていく。

 

 これはよく知られるアンジェラの発言だが、自らが想像する公正と平等と自由の世界について、ずっと彼女はあらゆる人に伝える努力をしてきた。カリスマ的なパブリック・スピーカーである彼女は、何度も何度も民衆の前に立ち、自らの声と言葉でそれを伝え、人々の心を動かし行動を促してきた。フランス語を学び、ドイツ語を学び、哲学を学び、いくつもの論文や著書を発表してきた。大学の教授として長年学生の指導にもあたった。そして76歳の現在も、目まぐるしく講演を行い、デモに足を運び、パネル・ディスカッションに参加し、執筆も続けている。そんなアンジェラの想像する世界は、ラディカルなものである。現代社会の根本的な変革を迫るものであり、実現には根気強さと長い時間を要するものである。しかし、確実に同じ世界を想像する人々による国際的なコミュニティが形成されてきており、今や主要なマスコミまでもが、彼女の声を伝えるようになった。ずっと先の未来を描き続けてきた彼女に、やっと時代が追いついてきたようだ。

 少し個人的なことに触れると、私には約1年前から深く記憶に刻まれていた言葉がある。アンジェラも本書の中で触れており、親交のあったノーベル文学賞やピュリッツァー賞を受賞している偉大な黒人女性作家で、プリンストン大学で教鞭も執っていたトニ・モリスンが2019年8月5日に亡くなった際、多くの人がシェアしていた数々の彼女の名言の中の一つである。

 

私は学生たちにこう伝えています。「あなたがこれまで受けてきた素晴らしい教育のおかげで職に就いた時、覚えていてください。あなたが自由なら、あなたの本当の仕事は他の誰かを自由にすることだと。あなたが力を持っているなら、あなたの仕事は他の誰かに力を与えることだと」。

 

 私の場合は、自分が享受する自由はとことん謳歌してきた。音楽に携わる仕事をしてきたのも、それが楽しいからであって、そのような選択肢があることは自分が極端に恵まれているからだということも認識していた。しかし、その自由を他の誰かの自由のためにどれだけ生かしてきただろうか。他の人が経験していない、またはできない体験や学習の機会から得た知識を、十分共有してきただろうか。他の誰かに自由を与える、力を与える、それが自分にもできることだという意識を持ち合わせていなかったことに気づかされた。思い返せば、私が感動させられてきた、憧れてきたブラック・ミュージック、ヒップホップやソウルやジャズ、レゲエもディスコもハウスもテクノも、聴く者に自由と力を与える音楽ではないか。

 つい先日、カリフォルニア大学デイヴィス校の女性資料研究センター(University of California Davis Women’s Resources and Research Center)の開設50周年を記念して行われた「ラディカル・フェミニズムの未来の想像」と題されたパネル・ディスカッションに参加したアンジェラは、未来に望むこととして、「今後、もっと音楽や芸術の力を人々に認識して欲しいと思います。芸術は多くの場合過小評価されていますが、芸術には我々が夢を描くことを可能にする力があります。私は音楽の力を信じています」と発言した。実は、彼女は1998年に3名の黒人女性ブルース歌手をフェミニズムの観点から分析した著作『Blues Legacies and Black Feminism: Gertrude “Ma” Rainey, Bessie Smith, and Billie Holiday』(未邦訳)を発表しており、現在はジャズに関する本を執筆しているという。この発言には、音楽に携わってきた者として非常に心を動かされた。私にも、もっと何かできることがあるかもしれない。

 

アンジェラ・デイヴィスという人

 ここで改めて、彼女がどのような人物なのかを紹介しておきたい。

 

私は共産主義者で、進化論者で、国際主義者で、反人種主義者(アンチ・レイシスト)で、反資本主義者で、フェミニストで、黒人で、クィアで、アクティヴィストで、親労働者階級(プロ・ワーキング・クラス)で、革命家で、知的コミュニティ構築者です。

 

 2020年6月にニューヨークの2人のドラァグ・クイーンが主催したオンライン・イベント、「ブラック・クィア・タウンホール(Black Queer Town Hall)」▼2のトークに出演した際に、まず「ご自身の属性を自己紹介してもらえますか?」と聞かれ、アンジェラは笑顔でこう答えた。事実、彼女はブラック・パワー・ムーヴメントの闘士であるだけでなく、ラディカル・フェミニストであるだけでなく、刑務所廃止論者であるだけでなく、これらすべてを同時に兼ねている。そして刑務所廃止を議論する中で、トランスジェンダーに対する暴力の問題についても強く主張してきた。そんな彼女の半生を大まかに辿ってみるとしよう。

 自身が「南部でも最も人種隔離が顕著であった」と言うアラバマ州バーミンガムの出身で、彼女は幼少期から激しい人種差別的暴力を間近に経験しながら育った。学業に長けていたであろう高校生の時、人種隔離されていた南部の黒人生徒に対し、北部の人種統合された学校で学ぶ機会を提供するクエーカー教会のプログラムによりニューヨークの高校に通う。その後奨学生としてマサチューセッツ州のブランダイス大学に入学し、フランス語を専攻していた彼女はパリのソルボンヌ大学などで交換留学生として学ぶが、ブランダイス大学に戻ってからは専攻を哲学に変更し、フランクフルト学派の哲学者、ヘルベルト・マルクーゼ▼3に師事。哲学の修士課程でフランクフルト大学に留学を果たすが、マルクーゼが教鞭を執っていたカリフォルニア大学サンディエゴ校に戻って修士号を修得している。複数のインタビューで述べているところによると、ヨーロッパ留学中に母国ではブラックパンサー党(Black Panther Party: BPP)が発足するなど、いわゆる「ブラック・パワー・ムーヴメント」が本格化し始め、それに自らも参加するために帰国を決めたという(なお、博士号は東ベルリンのフンボルト大学より授与されている)。

 1969年に25歳の若さでカリフォルニア大学ロサンゼルス校の哲学科の助教授として、マルクス理論を教えるために迎えられるが、他にも複数の大学からオファーがあったようだ。アンジェラがカリフォルニアを選んだのは、BPPの本拠地がカリフォルニア州オークランドであったことと無関係ではないだろう。しかし、本書のインタビューでも述べている通り、彼女はBPPの「教育担当」として活動に携わっていたが、正式な党員にはならず、共産党員になることを選んだ。この頃は、殺害予告が何百通と届き、教室間の移動や自宅においても厳重な警備が必要だったと後のインタビューで振り返っている。そして、時のカリフォルニア州知事のドナルド・レーガンは、彼女が共産党員であることを理由にカリフォルニア大理事会に彼女を解雇させる。その後、解雇は違法だとして一度復帰が認められるも、別の理由で再度理事会によって解雇されてしまう。

 同年の1970年、事件が起こる。すでに不当に収監されている黒人受刑者の支援活動に従事していたアンジェラは、ソルダッド刑務所に服役していた死刑囚で、「ソルダッド・ブラザーズ」の一人として知られる、獄中でBPPの党員となったジョージ・ジャクソン▼4という人物と交流を深めていた。その彼の当時17歳の弟ジョナサンが、兄を解放する目的で裁判所を襲撃し、ジョナサン自身と上級裁判所裁判官ハロルド・ヘイリーを含む4人の死者と2人の負傷者が出る惨事となる。その際に使用された銃が彼女の名前で登録されていたことから、殺人、誘拐、共謀の三つの容疑で起訴され、さらにFBIのエドガー・フーヴァー長官により 大最重要指名手配犯に指定された。

 2ヶ月ほど逃亡しアメリカ国内を転々とするが、ニューヨークで逮捕され、アンジェラは16ヶ月という期間を拘置所で、しかも大半を独房で過ごす。この際、時のリチャード・ニクソン大統領は、「凶悪なテロリスト」を捕らえたFBIを公に称賛している。だが、すでに自身が刑務所問題に取り組む活動家だった上に、目立つ存在となっていた彼女の解放を求める運動がアメリカ全土で捲き起こる。彼女を支援するためにジョン・レノンとオノ・ヨーコが「Angela」という曲を、ザ・ローリング・ストーンズが「Sweet Black Angel」という曲を作ったこと、さらに、アレサ・フランクリンが彼女の保釈金を払うと名乗り出たことなどは有名なエピソードである。世界中に「フリー・アンジェラ」運動が広がり、熱い注目を集める中行われた1972年の裁判は、とはいえ陪審員は全員白人、検察は三つの容疑すべてに対し極刑を求刑しており、この時代にあえて黒人の弁護団で挑んだ黒人容疑者に勝算のある状況ではなかった。有罪となれば死刑か、(ちょうど1972年にカリフォルニア州で死刑が違憲であるとの理由で一時的に中止されていたため)少なくとも無期懲役が待っていた。特に共謀罪で無罪を証明するのが極めて困難であったというが、この逆境において彼女はすべての容疑で無罪を勝ち取ったのだった。

 この国家による組織的な抑圧に対する勝利は、アンジェラ一人のものではなかった。彼女は、これまで差別や迫害を受けてきた、中にはすでに命を絶たれたか鉄格子の向こう側にいる黒人、その他の有色人種、活動家、ブラックパンサー、共産主義者、女性、政治犯を象徴していた。彼女が自由の身で生存していることが、こうした人々やその支援者の希望となった。そのことを誰よりも理解しているのはアンジェラ自身であり、彼女は頑なにそれを主張し続けている。彼女の勝利は個人のものではなく、人民の、民衆運動の勝利であると。「いかにより多くの“人民の勝利”をもたらすかが、私の人生のテーマとなりました」という彼女の言葉で、ドキュメンタリー映画『Free Angela and All Political Prisoners』は締めくくられている。

 

インターセクショナリティとアボリション

 アンジェラは1974年に自伝を発表してから、1975年にさっそく教育の現場に復帰し、クレアモント大学院大学、サンフランシスコ州立大学などで教えた後、1991年から2008年まで17年間カリフォルニア大学サンタクルーズ校の教授を務め、現在は同校の名誉教授となっている。学者としては、1981年発表の、ジェンダー、人種、階級の複合的な関係性を論じた『Women, Race and Class』(未邦訳)はフェミニズムおよびジェンダー論研究、人種問題、階級問題それぞれの分野のその後の研究に影響を及ぼした彼女の代表作と言えるだろう。交差性(インターセクショナリティ)という、現在ではフェミニズム理論において非常に重要になったこの概念を最初に定義付けたのは、アメリカの法学・哲学者であるキンバリー・ウィリアムズ・クレンショーが1989年に発表した論文だとされているが、デイヴィスの著書はその土台となった理論的枠組みを提供しており、彼女の活動や研究そのものがインターセクショナリティの具現化に他ならなかった。黒人や先住民やその他の有色人種の女性、経済的に貧しい女性の経験する差別は性別だけでなく複合的な要因で構成されており、中産階級の白人フェミニストが求める男女平等の議論から彼女たちは除外されてきたからだ。ジェンダー間の平等は、人種間の平等や経済的な平等と同時に達成されなければならないことをアンジェラは説いてきた。

 もう一冊極めて重要なのが、原書は2003年に発表されている『監獄ビジネス――グローバリズムと産獄複合体』(岩波書店)で、ここで彼女が定義付けた「産獄複合体(Prison industrial complex)▼5の概念は、今や一般にも広く理解され、定着しつつある。刑務所の民営化により利益を追求するビジネスとなった刑務所の問題とレイシズムの関連性は、その後ベスト・セラーとなったミシェル・アレクサンダーの著書『The New Jim Crow』(2010年、未邦訳)でも論じられ、本書の刊行と同年の2016年に公開されたエイヴァ・デュヴァーネイ監督のドキュメンタリー映画で、アンジェラもミシェルも出演している『13th――憲法修正第13条▼6によって、これまでにないほど広く認識されることとなった。どちらも女性が手がけているという点にも注目すべきだろう。この議論において発展していったのが「アボリショニズム」である。「abolition」という語は、直訳すると廃止や廃絶という意味で、奴隷制廃止運動の頃から使われてきた。刑務所や警察による暴力を廃絶せねばならないという主張で、日本では多くの場合「prison abolition」は「刑務所廃止」と訳され、本書でもそれに倣ったが、日本語の「廃止」という語は既成の制度や設備の使用を止めるというニュアンスが強い。アボリショニズムは「廃絶主義」と訳すのが妥当だと思われるのは、アボリショニストが目指すのは制度の廃止のみならず、その前提となる社会規範や考え方の根本的な変革だからである。つまり、刑務所や警察という制度をただ無くせばいいと言っているのではない。処罰の手段として身体を拘束し、自由と権利を剥奪すること、また警察が暴力の使用によって市民の行動を制御することが、社会の安全を確保するために有効なのかを問い直し、他の方法を模索するよう促している。本書ではそのより広義の意味も込めて、文中のabolitionの多くをカタカナ表記とした。

 冒頭でアンジェラ・デイヴィスに注目が集まっていることに触れたが、その理由は彼女が兼ねてから説いてきた、そして長い間「エクストリーム」で非現実的だとされていたこれらのラディカルな理論が、BLMの主張と直結しているからである。本書では、そうした要点がアンジェラ自身の言葉で簡潔に説明されており、一通りの概要を網羅することができる。全体を通じた彼女の分析および主張の特徴は、彼女が「フェミニスト・アプローチ」と呼ぶ、一見バラバラに見える様々な問題の関係性を解き明かすことに重点を置いている点、根底に資本主義批判があり、常にグローバルな視点から物事を捉え国際主義を重んじている点、そして必ず個人よりも集団・構造に着目している点である。それは複雑な問題の単純化を拒む態度であり、根気強く取り組むことを強いる態度でもある。

 

レイシスト的な社会においては、「非レイシスト」であるだけでは不十分である。「反レイシスト」でなければならない。

 

 という彼女の有名な言葉があるが、これは社会の不正には個人として関与しない選択をするだけでは不十分であることを伝えている。また、BLM創始者の一人であるアリシア・ガルザは、「私たちはリーダーをスーパーヒーローとして扱うことを止めなければならない」と2016年のTEDトークで発言している。アンジェラですらも、スーパーヒーローではなく、彼女一人だけで社会の不正を正すことはできない。黒人が遂に大統領の座にまで上り詰めたからといって、レイシズムが消滅するわけではなかったことも、すでに実証済みである。社会の構造的な変革を促すには、集団的な意思表明と行動に参加しなければならないのだ。

 50年以上こうした問題に取り組み、アクションを起こしてきたアンジェラ・デイヴィスは、現在の状況について、2020年6月のチャンネル4のインタビューでこのように述べている。

 

この瞬間、現在の歴史的な巡り合わせは、これまで我が国で我々が経験したことのない変革の可能性をもたらしています。これを60年代の民衆蜂起と比較すべきかどうかは分かりませんが、そこからの歴史的な連続性があります。2020年、我々は過去何十年、いや何百年と取り組んできた社会からレイシズムを追放するための努力の成果を目の当たりにしています。(中略)このような奴隷制と植民地主義がもたらした結果に対するグローバルな挑戦は、未だかつて経験したことがないのではないでしょうか。

 

 常に社会の変革は可能であるという希望を持ち続けてきた彼女は、過去と現在を繋ぎ、その連続性を自ら体験している希少な存在の一人である。しかし、私たちはまだ彼女が想像してきた世界を実現したわけではない。先に触れたカリフォルニア大学デイヴィス校主催のパネル・ディスカッションでは、このようにも語った。

 

私は、この瞬間に立ち会えなかった、闘争に参加してきたたくさんの人々を代表して歴史を目撃しています。グローバル資本主義の帰結として、このようなグローバル・パンデミックが起こり、そしてそのパンデミックが構造的人種差別を浮き彫りにし、人々に熟考の機会をもたらすことになろうとは、誰も想定していませんでした。しかし、もし我々が継続的な組織化と知的労働をしてこなければ、どのような世界がより望ましいかを考えてこなければ、この瞬間を変革の機会として生かすことはできなかったのです。歴史は、自然に私たちの望む方向に進んでくれるわけではありません。ですから、我々は努力を続けなければならない。新たな制度を作り上げなければならない。ドラマチックな瞬間が過ぎても、地道な作業を続けなければならないのです。私が今後に望むことは、その努力が続けられることです。

 

 だからこそ今、彼女がこれまで取り組んできたことをより多くの人に知ってもらいたい。そして、今という瞬間の歴史的な重要性を認識してもらいたい。自由と安全を当たり前のように享受して生きてきた(私のような)者とは全く違う視点で世界を、時代を見て生き抜いてきたアンジェラは、我々に自由の意味を深く考えさせてくれる。自由とは何か、これまで特定の人々の自由のために、どれだけ他の人々の自由が犠牲にされてきたのか、そして私たち が享受している自由のために、どれだけ闘ってきた人たちがいたのかに思いを馳せながら、アンジェラ・デイヴィスの教えに触れて欲しいと思う。

 

 

 


▼1 このドキュメンタリー映画のプロデューサーにはラッパーのジェイ・Zとウィル・スミスも名を連ねている。
▼2 3日間行われたオンライン・イベントは YouTube で視聴可能。最終日のクロージング・トークのゲストとしてアン ジェラが出演している。
▼3 フランクフルト大学を中心に、マルクス主義の新たな潮流を生み出した学者グループ「フランクフルト学派」の一員 だった哲学者・社会学者。ユダヤ系だったためにナチスを逃れてアメリカに亡命し、その後帰化している。
▼4 詳細はジャクソンの著書、『ソルダッド・ブラザー』(草思社)で読むことができるが、彼自身は1971年(アンジェラが勾留されている間)に脱獄を試みた際に銃殺され亡くなっている。ボブ・ディランが彼のについての曲を同年に発表している。
▼5 直訳すると「刑務所産業複合体」だが、邦訳書に合わせて本書では産獄複合体という訳で統一した。
▼6 この映画はネットフリックス社が2020年4月からYouTube上で全編無料(日本語字幕あり)で公開している。

 

 本書は、2016年2月に刊行された『Freedom Is a Constant Struggle: Ferguson, Pales- tine, and the Foundations of a Movement』の日本語訳である。現時点におけるアンジェ ラ・デイヴィスの最新の著作で、2013年から2015年の3年間に行われたインタビューやスピーチ、寄稿された記事で構成されている。

 

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著者

浅沼 優子(あさぬま・ゆうこ)

フリーランス音楽ライター/通訳/翻訳家。歌詞の対訳や映像作品の字幕制作、音楽イベントの企画・制作なども手がける。訳書に『パラダイス・ガラージの時代 上巻』(2006年)がある。

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