単行本 - 政治・経済・社会

「こんなに真面目に働いてるのに、おかしい」と思ったら→『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』から訳者あとがき公開

 

Q.アダム・スミスが「立派な研究」に勤しんでいた間、食事や身の回りの世話をしていたのは?

 

 とびきり刺激的な経済学の本が届きました。『アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?』。本書を刊行後、著者はBBCの選ぶ「今年の女性1​0​0人」に選出。本書自体もガーディアン紙のブックオブ・ザ・イヤーに選出され、今や世界20カ国で翻訳されています。
 なにがそんなに衝撃だったのか。
 それはリーマンショックを経て起きた(起きなかった?)奇妙な出来事に起因します。

 

保守派の政治家からローマ教皇まで、あらゆる人がいっぺんに資本主義を批判しはじめたかのようだった。今回のできごとはパラダイムシフトをもたらす、と誰もが言った。
(略)
 もはや消え去るしかないと思われた経済のしくみとストーリーは、金融危機を経てもなお、踏みとどまった。奇妙な図太さだった。なぜ災害級の危機でさえそれを変えられなかったのか? 
 さまざまな答えが考えられる。本書ではそのうちの、ひとつの視点を紹介したい。
 ジェンダーだ。それを本気で掘り下げてみたい。

(本書より)

 

 

 なぜ巨大な危機を経ても、世界のしくみは変わらなかったのか──。それを解き明かした本書の刊行に先がけ、訳者の高橋璃子さんの訳者あとがきを公開します。

 

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訳者あとがき

 本書は2​0​1​2年にスウェーデンで刊行され、世界中で話題を呼んだ経済と女性の本です。これまで20か国語以上に翻訳され、2​0​1​5年にはガーディアン紙の年間ベスト本にランクインしました。同年、著者カトリーン・マルサルは、B​B​Cによる「今年の女性1​0​0人」に選ばれています。

 

金融危機とコロナ危機

 本書が書かれたのは、世界金融危機の数年後です。2​0​0​8年にアメリカの投資銀行リーマン・ブラザーズが経営破綻し、それをきっかけに世界中が深刻な不況に陥りました。金融中心の資本主義を根本的に問い直そう、という機運が広がりましたが、結局のところ大きくは変わりませんでした。
 そして今、世界はふたたび危機に見舞われています。
 新型コロナウイルスの感染が世界中に広がり、人々はロックダウンや自粛生活を強いられ、経済は大きなダメージを受けました。今回のコロナ禍でとりわけ目立つのが、ジェンダーをはじめとする社会的な立ち位置による格差です。
 株価が奇妙に値上がりする一方、仕事を失って住むところや食事に困る人が増えています。内閣府男女共同参画局の資料によると、コロナ禍で男女ともに就業者数が減少しましたが、女性の減少幅は男性の約2倍です。とりわけ非正規雇用の女性が高い割合で職を失いました。子どもの休校で、家事や育児の負担を引き受けているのも主に女性です。また保育や教育、サービス業、医療・福祉など、リモートワークがしにくい職種には女性が多く、厳しい環境で働くことを強いられています。D​Vや性暴力被害も増え、女性の自殺者数が大幅に増加しました。このように女性に深刻な影響が及んでいる状況は「女性不況」とも呼ばれます。
 何かがおかしい。どうして女性がこんなに苦しまなくてはならないのか。本書はそんな疑問に答えるための、有力な手がかりを与えてくれます。今こそ読まれるべき本だと思います。

 

北欧にもジェンダー格差はある

 著者カトリーン・マルサルは、スウェーデン出身のジャーナリストです。スウェーデンをはじめ、北欧といえば、ジェンダー平等の進んだ国というイメージがあるのではないでしょうか。
 国連が発表しているジェンダー不平等指数(GII)で、スウェーデンは世界3位(2​0​2​0年)。きわめてジェンダー格差が少ないことがわかります。世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数でも5位(2​0​2​1年)と、下から数えたほうが早い日本とは大違いです。
 ところが、そのスウェーデンでさえ、男女の平等が実現しているとは言いがたいのです。スウェーデンには差別禁止法が存在し、職場における男女平等が積極的に進められています。それでも著者が指摘するとおり、男女の賃金格差は依然として存在します。また、企業の重役やトップの座につく女性の割合はけっして多くありません。
 それはなぜなのか。経済のしくみに何か問題があるのではないか。というのが、本書の着眼点です。
 経済学と聞くと「難しそう」と感じるかもしれません。やたらと難解な言葉と数式を並べて人を怖がらせるのが経済学の常套手段です。でも本書には、難しい数式はひとつも出てきません。経済学を学んだことがなくても、誰でも身近な問題として、経済を考えることができるようになっています。読みやすく、ウィットに富んだ文章からは、「経済学はみんなのものであるべきだ」という著者の姿勢が伝わってきます。

 

なぜ女性は生きづらいのか

 「女性活躍」が叫ばれ、企業で働く女性が増える一方で、ワークライフバランスは今も多くの女性を悩ませています。
 もっと働きたいけれど、働けない。子どもを預けられない。働いているのに家事も全部やらなくてはいけない。とにかく忙しすぎる。何もかもなんてできない。子どもがほしいけど、産める気がしない。
 そうした困りごとの中心には、男性がフルタイムで働き、女性が家事と育児をやるべき、という性別役割分担の意識があります。「男性は仕事だけしていればいいのに、女性が同じことをするとダメな女だと言われる」のは、北欧でも(程度の差はあれ)変わらないようです。
 シェリル・サンドバーグの『リーン・イン』に代表されるリベラル・フェミニズムが一部で批判されるのも、男性的な働き方の問題点を問わないまま、そこに女性を合わせようとしているからです。「女性を加えてかき混ぜればいいというものではない」と著者はいいます。「男性によって男性のためにつくられた枠組み」のなかに女性を放り込んでも、女性の負担が増えるだけなのです。
 問題は、私たちの働き方や考え方が、「経済人(ホモ・エコノミクス)」という誤った前提の上に立っていることではないか。この経済人という幻想に立ち向かわないかぎり、状況は変わらないのではないか、と著者は言います。なぜなら「経済人は、けっして女性ではない」からです。経済人に象徴される経済学の考え方が、女性を考慮に入れるどころか、全力で排除してきた経緯を本書は明らかにします。

 

経済学を定義しなおす

 このような男性中心の経済学に対抗する立場として、1​9​9​0年代に登場したのがフェミニスト経済学です。フェミニスト経済学の第一人者スーザン・ヒメルヴァイトによると、フェミニスト経済学とは、まず第一にジェンダー平等を考慮する経済学です。主流派経済学は合理的な男性をモデルにして経済を考えますが、フェミニスト経済学は女性の置かれた立場を分析します。著者も指摘するように、「男性と女性が経済のしくみのなかで異なるポジションにいるとき、経済政策は男性と女性に異なる効果を及ぼす」からです。そこからさまざまな格差の問題が見えてきます。
 またフェミニスト経済学は、市場経済の外にあるものを含めて、社会全体がどう維持・運営されるかを考えます。私たちが生活できるのは、そして食事を食べられるのは、アダム・スミスのいう「自己利益の追求」のためだけではありません。家事労働があり、人とのふれあいがあり、ケアがあってはじめて、社会は機能するのです。経済人が目を背けてきた「依存」や「分配」にここで光が当てられます。
 主流派経済学は、伝統的に女性の役割とされる仕事を過小評価してきました。経済活動の指標としてもっとも広く使われる数字はG​D​P(国内総生産)ですが、G​D​Pは家事など市場の外でおこなわれる労働を測定しません。G​D​Pに含まれるのは市場での売買や、軍事費、金融などです。ところで、何をG​D​Pに含めて何を含めないかは、政治的な問題です。あらかじめ測るべき実体があってそれを測っているのではなく、政治の都合に合わせて、何を測るべきか(何に価値があるとし、何を無価値とするか)の線引きが決められてきたのです。
 女性の家庭内労働は、経済の世界から排除され、価値のないものとされてきました。そして伝統的に女性の労働であったケア労働は、賃金の安い、不安定な仕事になってしまいました。もっとも大切であるはずの、人の身体に関わる仕事が軽視され、ケアワーカーの低待遇や人材不足の問題を引き起こしています。

 

 本書はそうしたフェミニスト経済学の考え方をベースに、既存の経済学をバサバサと斬っていく爽快な読み物です。
 日本でも近年、フェミニズムに対する注目が高まってきました。これまで黙らされてきた女性たちが声を上げ、平等を求めて戦っています。
 フェミニズムは単なる「女性の権利」の問題ではありません。社会全体の問題です。私たちみんなが、そして未来の世代が、どんな世界に生きるのかを考えることです。格差の解消やケアの分配といった課題は、これからの経済と民主主義を考えるうえで欠かせない視点を与えてくれます。
 本書がそうした問題について話し合うきっかけになることを、心から願っています。

 

この続きは11月17日刊行予定アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?をお読みください。

アダム・スミスの夕食を作ったのは誰か?

これからの経済と女性の話
アダム・スミスが研究に勤しむ間、身の周りの世話をしたのは誰!? 女性不在で欠陥だらけの経済神話を終わらせ、新たな社会を志向する、スウェーデン発、21世紀の経済本。
格差、環境問題、少子化―現代社会の諸問題を解決する糸口は、経済学そのものを問い直すことにあった。20カ国語で翻訳、アトウッド、クリアド=ペレス称賛。ガーディアン、ニューヨーク・タイムズ等各紙誌絶賛。

カトリーン・マルサル 著
高橋璃子 訳
単行本 46 ● 288ページ
ISBN:978-4-309-30016-0 ● Cコード:0033
発売日:2021.11.17(予定)
https://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309300160/

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著者

高橋璃子 (たかはし りこ)

翻訳家。京都大学卒業。ラインワール応用科学大学修士課程修了(MSc)。訳書に『エッセンシャル思考』『スタンフォード大学で一番人気の経済学入門』『GDP 〈小さくて大きな数字〉の歴史』などがある。

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