単行本 - 政治・経済・社会

今週末の参院選を前に、米の東欧研究者による話題の一冊『あなたのセックスが楽しくないのは資本主義のせいかもしれない』より第6章「バリケードから投票箱へ」を全文公開!

 7月10日は参院選。私たち一人ひとりの意思を示す大切な日です。私たちが今感じている閉塞感を脱し、より良い未来を考えるためには、過去たしかに存在した、資本主義ではない世界の良いところも悪いところも含めて再検討することが欠かせないと著者は語ります。雇用差別と賃金格差、出産と育児、リーダーシップと偏見、セックスと経済の関係、そして社会参加について「政治的なことは個人的なこと」ーー社会を変えるための第一歩を踏み出してみませんか?

第6章

バリケードから投票箱へ――社会参加について

(クリステン・R・ゴドシー 高橋璃子訳)

 

 2006年、私は1枚の素敵な年表を手に入れました。

「世界の歴史年表:国々の興亡」というもので、紀元前3000年から紀元2000年にいたるまで、世界中の文明や国々の移り変わりがカラフルに図示されています。年表の横軸は、文明の歴史5000年間の時間軸です。縦軸には世界の地域が南北アメリカ、サハラ以南のアフリカ、ヨーロッパ、北アフリカおよび中東、アジア、オーストラレーシア〔オーストラリア・ニュージーランドおよびその付近の島々〕の6つに分類され、各時代にどんな勢力がどれくらいの力を持っていたのかを視覚的に把握できるようになっています。

 この表のすばらしいところは、どんな帝国も一時的なものだと一目でわかることです。そこに描かれたさまざまな色と形は、社会が大きく変化する可能性を示しています。

 

 大学で教えるようになって20年が経ちました。若い人たちを見ていると、この世界が固定されて不動のものだと信じきっている様子に戸惑ってしまいます。そんなふうに信じるなら、政治的無気力に陥るのも無理はありません。

 

 私が生まれ育ったのは冷戦時代の後半でした。19歳のときにベルリンの壁が壊され、21歳のときにはソヴィエト連邦が崩壊しました。劇的な政治的変化は起こりうるし、それは思いがけないときにやってくる。そういう実感を持って20代と30代を過ごすことができました。1989年の夏に大学をやめる決意をしたのも、核戦争ですべてが吹き飛ばされる前に世界を見ておきたいと思ったからです。当時は核戦争の脅威が現実としてそこにありました。普通の暮らしをしている場合ではない。核爆弾が降ってきたときに、化学の中間試験など受けていたら絶対に後悔する。そう思って、スペインへの片道チケットを買い、1989年9月末にアメリカを離れました。

 それから2か月もしないうちに、冷戦は終わりました。あっという間のできごとです。

 翌年の夏、私はバックパックを背負って東ヨーロッパ諸国をめぐりました。みんな幸せそうで、これから無限の可能性が開けてくるんだという気分に満ちていました。とくに若い人たちは、親たちが得られなかった自由と豊かさ謳歌しようと、期待に目を輝かせていたものです。その頃まだ東ヨーロッパの多くの人は、ニューヨークやロンドンの通りには黄金が敷きつめられていると思っていました。民主主義と資本主義は消費者の理想郷を連れてきてくれる、そこではリーバイスのジーンズやキャシャレルの香水が無尽蔵に湧いてくる、と信じていたわけです。

 のちに東ヨーロッパで研究を始めたとき、ベルリンの壁崩壊のたった数日前に自殺したり、やけになって自分を傷つけた人の話を山ほど耳にしました。その日々を生きていた人たちの目には、現状はけっして変わらないものに見えたのです。東ヨーロッパ各地で抗議行動は広がっていましたが、あれほど劇的な変化がやってくるとは誰も予想していませんでした。あと数日で世界が変わるとは、知りようがなかったのです。

 あと48時間待っていたら、閉塞した世界がガラガラと崩れ、その後の人生をまったく違う環境で生きられたのに。

 いま現在の状況が永遠に続くものではないと、信じることさえできていたなら。

 

 1989年以降に生まれた人たちは、資本主義が一人勝ちした世界しか知りません。20世紀の激動を経て、生き残ったのは資本主義の政治経済システムだけでした。フランシス・フクヤマはそれを「歴史の終わり」と呼び、我々の文明は頂点に達したのだと宣言しました。荒れ狂う新自由主義に希望を打ち砕かれたとしても、ほかの選択肢は残っていません。冷戦後に生まれた人たちは、資本主義こそが天下無敵の、唯一の政治体制なのだと刷り込まれてきました。『スター・トレック』のボーグ風に言うなら、〈抵抗は無意味だ。お前たちはいずれにせよ同化される〉というわけです。

 

 強大な資本主義は若い人たちを踏みつけ、その気力を奪い、諦めを植えつけました。「何も変わりはしない。それが現実なのだ」と何度も何度も言いつづけて。

 そういう言葉を聞くたびに、私は「国々の興亡」の歴史年表を取りだして学生たちに見せます。

 そして「何も変わらない」とはいったいどういう意味なのかと問いかけます。

 この図の真ん中には、巨大なオレンジ色の領域があります。ローマ帝国です。ローマ帝国は紀元前から1000年続いた大国で、ヨーロッパと北アフリカと中東の広大な地域を支配していました。しかしある時点で突如、時代の切れ目の線が入ります。ローマ帝国が崩壊し、ヨーロッパが暗黒時代に突入したのです。

 もしも自分が紀元456年にローマ郊外に生まれていたら、と想像してください。476年9月1日に20歳の誕生日を迎えたあなたは、1000年も続いてきた帝国でずっと生きているわけです。北のほうで蛮族との小競り合いはありますし、数々の陰謀や策略が政治を蝕んでいるようですが、そうはいってもここはローマです。西ゴート族などよりずっと大きな敵を打ち倒してきた無敵の帝国です。

 紀元476年9月4日にいったいどんな気分だったか、想像できるでしょうか。その日、蛮族出身のオドアケルが西ローマ皇帝ロムルス・アウグストゥルスを権力の座から追放しました。古代ローマの終焉を印づけるできごとです。ローマ皇帝の支配は終わり、イタリアの王が統治する時代がやってきました。永遠に続くかと思われたローマに暮らしていたあなたは、とつぜん時代の変わり目の混乱と衰退の中に投げ込まれたのです。

 さて、この時点で、私は学生たちに年表の右下にある小さな紫色の長方形を示します。アメリカ合衆国です。ローマ帝国やその他の文明に比べると、アメリカの歴史などちっぽけなものです。こうやって歴史の全体像を眺めれば、「何も変わらない」という言い方がどれほど欺瞞に満ちているかは一目瞭然です。

 

 世界の歴史はいつだって、大きな変動に満ちていました。民族や帝国が栄えては滅びました。ときには外敵に倒され、ときには内側から崩れていきましたが、たいていは両者が組み合わさっていました。

 そして変化はつねに、予想もしないときにやってきました。1980年代のソ連で育った人類学者のアレクセイ・ユルチャクは、その時代の空気をこう言い表します。「終わりが来るまでは、すべては永遠だった」

 ポジティブな変化は起こりうるし、実際に起こっている。歴史に偶発性はつきものですが、しかし歴史を動かす力の根底にあるのは、力を合わせて活動する人びとの存在です。「思慮深く献身的な市民の小さな集団が、世界を変えられるのだということをけっして疑ってはならない」と文化人類学者マーガレット・ミードは言います。「それこそが、世界を変えてきた唯一のものなのだ」

 もちろん、変化はいつも良いほうに向かうとはかぎりません。東ヨーロッパの人びとはそれを現に見てきました。前進があれば後退もある。だから現状にしがみつく人が多いのかもしれません。ですが、流れのなかでその場にとどまろうとすれば、押し戻そうとする力に容易にのみ込まれてしまいます。前進しようという確かな歩みだけが、過去へと引き戻す勢力に対抗する力になるのです。

 私たちの未来を左右する戦いに負ければ、多くを失うことになるのは女性です。すでに女性の権利を剝奪しろという叫びは上がっています。2020年に、アメリカは女性参政権の獲得から100周年を迎えました。しかし、100年で充分だ、もう終わらせろと思っている人もけっして少なくないのです。

 

 

 ドナルド・トランプとヒラリー・クリントンが戦った2016年アメリカ大統領選挙のとき、ツイッターで#Repealthe19th(女性の参政権を廃止せよ)というハッシュタグがトレンドになりました。

 きっかけとなったのは、統計学者ネイト・シルバーのツイートです。未来予測で有名なシルバーは、彼が立ち上げた人気ウェブサイト「Five­irtyEight.com」の記事で、もしも男性だけ/女性だけが投票したら選挙結果はどうなるかを予測しました。その結果、男性だけが投票した場合はトランプの圧勝、女性だけが投票した場合はヒラリー・クリントンの圧勝という予測になりました。

 シルバーがツイッターでこの記事を紹介すると、一部のトランプ支持者が焦りだしました。トランプを確実に勝たせるために「合衆国憲法修正第19条を廃止せよ」、つまり女性の参政権を廃止しようと言いだしたのです。あるトランプ支持者の女性は「トランプを大統領にするためなら、参政権なんか喜んで差しだしますよ」と書いています。ツイッターは荒れに荒れ、ロサンゼルス・タイムズ紙やUSAトゥデイ紙などの主要メディアにも取り上げられて大論争を引き起こしました。

 その後の分析で、ハッシュタグの多くはむしろ参政権廃止を批判する文脈だったことがわかりました。それでもこのハッシュタグが流行したこと自体、保守派が有権者の人口構成に不安を募らせ、共和党の将来に危機感を抱いていることを示しています。

 さかのぼって2007年、保守派政治解説者のアン・コールターが、女性の参政権を廃止すれば政治は今よりずっと良くなる、とラジオのインタビューで語りました。

「女性から投票の権利を取り上げれば、もう民主党の大統領なんか出てこないわけですよ。まあ夢物語ですけどね、そういうことを空想しているわけです」

 コールターはさらに、女性たち、なかでも独身女性が「バカな」投票の仕方をすると言い、民主党は男性票が少ないことを恥じるべきだと主張します。民主党は女性頼みの党で、医療と教育と保育園を餌にしてサッカーマム〔日本でいえば「教育ママ」〕を買収しているのだ、とまで言い放ちます。

 コールターが女性の投票行動を非難するのは、経済専門誌ジャーナル・オブ・ポリティカル・エコノミーに掲載された1999年の有名な論文の影響かもしれません。論文の著者ジョン・ロットとローレンス・ケニーは、20世紀初頭の女性参政権の広がり(州単位で徐々に認められ、1920年に憲法修正第19条で全米に拡大)と、アメリカの政府支出との相関を調べました。そして、女性の投票と政府支出増加に因果関係があるのではないかという説を展開しています。

 統計データを見ると、どうも女性の投票が増えるにつれて政府支出が拡大しているようだ。女性は賃金が低く、自分で生計を立てるのが難しい。だから経済的リスクを減らしてくれる大きな政府を望むのではないか。ロットとケニーはそのように議論を進めます。「女性は所得が低いため、累進課税のような所得再分配政策の恩恵を受けやすいのである」

 とりわけ独身女性が公共サービスのメリットに気づき、投票によってそれを推し進めてきたのだと彼らは主張します。

「一人で子どもを育てることになった女性は、リベラルを自称し、民主党に投票し、累進課税のような政策を支持する傾向がある……女性に選挙権を与えたことが、政府支出の推移に影響を与えてきたであろうことは容易に見てとれる」

 小さな政府を望む保守派は、政府支出の拡大を嫌います。ロットとケニーの論文はそんな彼らに、政府支出が増えているのは身勝手な女性有権者のせいだ、というイメージを植えつけました。インターネットで「男性差別反対」論者のブログを読んでみれば、ロットとケニーの論文が頻繁に引用され、女性の選挙権を剝奪するべきだという主張に利用されているのがわかります(ただし、そんなブログを読むよりはドッグフードの食品ラベルでも読んでいたほうがよほど有益ですが)。

 女性の参政権が認められたのは世界の歴史のなかでもつい最近ですが、「男性差別」論者は女性参政権こそが文明破壊の元凶だと主張しています。『1920年の呪い』という本には次のように書かれています。

「女性の権利は癌に似ている。手術で根こそぎ取り除かなければ、また戻ってくる。我々の国を執拗な病から救うためには、その原因を絶たねばならぬ。つまり、女性を政治から排除するのだ」

『デンマークでヤレると思うなよ』を書いたナンパ師ルーシュも、2017年3月のブログ記事で、女性参政権の廃止こそがアメリカを社会主義の悪夢から救う唯一の道だと主張しています。

「女性の投票権をなくしてみればいい。次の選挙で、左派政党がひとつ残らず潰れるはずだ。次の次の選挙になれば、政治家はみんな男性のニーズに向き合ってくれる。家父長制、男性の経済的成功、安定した家族、そして社会における女性の公平な分配といった、男性本来の利益が確保されるだろう」

 どうやって女性を公平に分配するのかわかりませんが、いずれにせよ女性に決定権がないことだけは明らかです。

 女性嫌悪に塗り固められて見えにくいのですが、「男性差別」論者の主張には、ひとつ興味深い前提があります。女性は進歩的な候補者に投票する。なぜならそれが女性の経済的利益につながるからだ、ということです。

 ロットとケニーの論文は女性嫌悪の道具に使われていますが、見方を変えれば、自由市場を放置するよりも所得再分配の政策をとったほうがたしかに女性のためになる、ということを確証しているとも言えそうです。実際、「男性差別」論者たちは、多くの女性が見逃しがちな事実をよく理解しているのです。

 女性が投票すれば、政治が変わるという事実を。

 

 セックス経済理論は資本主義が女性の性を商品化していること、そしてジェンダー平等と社会的セーフティネットがあれば性を売らなくても女性が経済的に自立できることを図らずも示しました。それと同様に、ロットとケニーの論文は、女性の政治参加こそがより多くの人のニーズに応える政治につながってきたことを示しています。

 極端な保守派の人たちは、女性のせいで家父長制と私有財産を破壊したがる「社会主義者」が大統領になってしまうんだ、と声高に不平を言います。もちろんアメリカが社会主義者をリーダーに選んだことはありませんが、彼らの不安はただのパラノイアとも言いきれないかもしれません。

 オルタナ右翼の憎まれ口のなかに、実は女性が切り開く未来の可能性が示されているのではないでしょうか。

 

 

 アメリカの有権者の人口構成は、近い将来、女性に有利に傾きそうです。そうなればルーシュの言うような「家父長制、男性の経済的成功、安定した家族、女性の公平な分配といった男性本来の利益」が脅かされます。だからこそ保守派は、社会主義的な考えを見るたびに、スターリン主義の汚名を着せようとするのでしょう。

 社会の不正に対して声を上げる人を見ればヒステリックだ、ポリコレ棒だと馬鹿にして、格差是正を語る人を見れば粛清だ、強制収容所だと騒ぎ立てる。国民皆保険制度や保育施設の充実が、全体主義国家の悪夢に直結しているかのような口ぶりです。しかしそうした右派の暴論は(まだ資金力は潤沢ですが)、だんだん別の声にかき消されようとしています。

 資本主義しかない世界なんてうんざりだ。そんな若い世代の声が高まってきたからです。

 

 保守派は若い人の資本主義離れを恐れています。若い女性が左派候補者に票を入れるのではないか。市場への国の介入や、公的な健康保険、高等教育の無償化、電気・ガス・水道や「大きすぎて潰せない」銀行の公営化、その他の再分配政策が女性のほうにメリットがあると気づいたら、女性の票はどんどん社会主義者に向かうのではないか。

 実際、ミレニアル世代やZ世代は、閉塞を打ち破る解決策が民主社会主義にあるのではないかと気づきはじめています。抗うつ剤に頼るより、そちらのほうがよほど健全です。

 2017年1月、「なぜミレニアル世代は社会主義を恐れないのか」という記事がネーション誌に載って話題を呼びました。執筆したジュリア・ミード自身もミレニアル世代で、自分がどうやって社会主義に出会ったか、そして2016年にバーニー・サンダースが登場する以前、いかに政治の話題から社会主義があらかじめ排除されていたかを語っています。

 

 生まれてからずっと、政治の議論から社会主義思想が消し去られていたのは偶然ではない。西側が冷戦に勝利し、自由と民主主義のお祭りムードのなかで偶像破壊が始まった。……コミュニズムは殺され、社会主義やマルクス主義について語る人はいなくなった。私が幼少期から思春期を過ごしたのはそんな世界だ。進歩的とされる政治家たちも実際は中道派で、労働よりも資本を優遇する点では保守派と何ら変わらなかった。いわゆる自由貿易の無秩序な拡大や、野蛮な軍産複合体を見ればそれは明らかだ。人生のほとんどの時期、私は資本主義の定義をうまく理解できなかった。ニュースを見ても教科書を見ても、それ以外の経済システムがどこにも見当たらないからだ。別のやり方があることすら知らなかったのだ。

 

 ミレニアル世代が社会主義に惹かれるのは、「自分たちが受け継いだ不平等な世界にうんざりしているからだ」とミードは言います。それから半年後、ネーション誌の編集者サラ・レナードは、ニューヨーク・タイムズ紙に「なぜ若い有権者は高齢の社会主義者が好きなのか」というコラムを寄稿しました。アメリカのバーニー・サンダースやイギリスのジェレミー・コービンなど年配の白人男性の人気にふれながら、若い世代に社会主義支持が広がっているのは、若者にありがちなラディカリズムとして片づけられる問題ではない、と論じています。

 若い世代が社会主義を支持するのは、これまでの政治が資本主義の最悪の暴走を抑えられなかったからなのです。

 私たちの時代の政治は、金融危機と政府の共犯関係のうちに形成されている。とりわけ2008年以降、企業が家族から家を奪い、医療費を搾取し、雇用を奪うのを私たちは見てきた。政府が銀行家の機嫌をとるために冷徹な緊縮財政を敷くのを私たちは見てきた。資本家がそうしたのは偶然ではない。利益のためにそれをおこない、手に入れた利益を政党に投資したのだ。私たちの大半にとって、資本主義は歓迎すべきものではなく、恐れるべきものである。私たちの敵は、ウォール街やロンドンの金融街(シティー)にいる。

 

 保守派の政治家や、その支持者である富裕層にとって、ミードやレナードのような若い女性が左派に惹かれていくのは大きな脅威です。

 アメリカでは2016年に、ミレニアル世代とX世代の有権者数がベビーブーマー世代を上回りました。2020年の選挙では、ミレニアル世代の票が選挙結果に大きな影響を与えています。ミレニアル世代の人口はその上のX世代よりも多く、また若い移民が市民権を獲得することで、今後さらにふくらんでいきます。

 有権者に占める若い人の割合がどんどん大きくなれば、規制緩和と富裕層の減税を望む共和党支持者には大打撃です。ピュー・リサーチ・センターの2017年7月のレポートによると、ミレニアル世代の有権者はその親や祖父母の世代に比べて、民主党支持または民主党寄りの無党派を自認する人がずっと多くなっています。

 若い世代が投票に行けば、変化は起こるということです。

 保守派はなんとしても若い人の投票率を下げようとするでしょう。格差是正や市場規制の政策を掲げる人たちを全力で叩き、悪いイメージをばらまくでしょう。ですが、過去の恐怖におびえて、社会主義が残した良いやり方まで手放す必要はありません。

 20世紀の国家社会主義の記憶は、あまりに長いあいだ、社会主義についての健全な対話を打ち砕いてきました。社会主義のめざした理想を再検討し、21世紀に合う形に調整してみようという話ができなかったのはそのせいです。もちろん過去の過ちや残虐行為を無視するわけにはいきません。20世紀の国家社会主義が犯した過ちは、包み隠さずしっかりと議論されるべきです。

 東ヨーロッパの一部の国では、特定の歴史認識を標準化しようという政治的な動きが進んでいます。しかし社会の進歩のためには、歴史の真実が誰によってどのように作られているのかを深く理解することが欠かせません。政治を何らかの方向へ誘導するために、歴史が都合よく利用されていないか。慎重に目を光らせる必要があります。

 

 

「政府」と呼ばれるもの自体は、良いものでも悪いものでもありません。ある時点でたまたま政権を担当する人たちが操縦していく乗り物にすぎません。国政の「舵を取る」という言い方がされるのはそのためです。さらに「市場」と呼ばれるものも、それ自体は良いものでも悪いものでもありません。そこから利益を得ようとする人たちの使い方次第です。

 最近の市場は、大金持ちがさらに富を増やすための道具になっているようです。富めるものはますます富み、お金の力で政権への影響力をさらに強めていきます。アメリカの大統領は選挙で選ばれますが、実権を握っているのは超富裕層の人びとです。政府は国民の意思を代表すると言いながら、実際はお金持ちの言うことを聞いています。ちょうど国家社会主義国の政府が、国民のために働くふりをしながら、実際は独裁者とエリート官僚に仕えていたのと同じです。

 政府と市場の違いは、少なくとも民主主義の場合、政府が国民に奉仕するという建前があることです。誰もが投票権を持つとは、そういうことです。しかし市場はそうではありません。

 市場はいつでも、ゲーム開始時点で持ち金が一番多い人が得をするように仕組まれています。そして2010年に無制限の政治献金を許したシチズンズ・ユナイテッド判決が示すように、市場のルールは市場の内側だけにとどまる気はないようです。

 お金があればあるほど、政治への影響力も強まる。むきだしの自由市場と政治権力が絡み合い、負のスパイラルが生まれます。超富裕層は金にものを言わせて政治にどんどん圧力をかけます。そうして私たちの教育や環境、公共サービスがないがしろにされ、規制緩和や民営化で富裕層の懐がさらに潤っていきます。

 この状況を変えるためには、政治を市民の手に取り戻さなくてはいけません。一握りの大金持ちのためではなく、普通の人たちのために、政府を働かせるのです。

 民主主義とは、普通の人たちによる統治です。デモクラシーという言葉の語源は、ギリシア語で「民衆」や「大衆」を意味するデーモスから来ています。それに対して、プルートクラシー(金権政治)という言葉がありますが、こちらはギリシア語で「富」を意味するプルートスから来ています。私たちの社会がそのどちらであるかは、金融危機後に政府が大金をはたいてウォール街を救済したり、2017年にドナルド・トランプが「トランプ減税」で富裕層に利益を誘導しているのを見れば明らかでしょう。

 大げさに聞こえるかもしれませんが、超富裕層が裏で実権を握り、アメリカという国が事実上の一党独裁になることもありえなくはないのです。

 でも今はまだ、そこまで悪くはありません。今のところ、経済的エリートも民主主義の体面を保とうとしています。だからこそ、女性の力で大きな変化を起こすことができるのです。

 私たちが選挙に行き、長期的に経済的・政治的状況を良くしてくれるような候補に票を入れなければ、今後の社会は取り返しのつかない方向へ突き進んでしまうかもしれません。無責任に赤字を膨らませた共和党は、財政破綻を避けるために社会福祉の予算を削ってやろうと虎視眈と狙っています。

 もしも公的年金やメディケア〔高齢者向けの公的医療保険〕が消えてしまったら、介護の負担は女性の肩にのしかかってきます。保育園に入れず家で育児をしている女性が、親の面倒まで見なければならなくなるわけです。また皆保険制度のないアメリカでは、メディケイド〔貧困層のための医療扶助〕の予算が削られると、医療費が払えずに自宅で療養しなければならない人がどんどん増えます。その人たちの世話をするのも、娘や母親、姉妹や妻といった立場にいる女性です。

 こうして無償のケア労働の負担が増えると、女性の自立は失われ、経済的にますます依存する立場になります。家庭に不満があっても、肉体的・精神的な暴力を受けていたとしても、そこから逃げることすらできません。もう手遅れだ、政治はもはや修復不可能だ。そんなふうに言う人もいます。もしもお金の力で選挙の票数が捏造されているならば、もう逆転は不可能でしょう。そのときはアメリカの敗北を受け入れ、次の手を打たなくてはいけません。しかし今はまだ、そうではない。民主主義の手続きによって、ラディカルな政治的変化を起こすことができます。バーニー・サンダースの言う「下からの変革」です。

 女性がいっせいに立ち上がって投票所に足を運んだら、世の中は確実に変わります。だからこそ、超保守派の人たちは女性の投票権を取り上げようと必死なのです。

 社会を変えるための第一歩は投票すること(そして友人や知人を投票に行くよう促すこと)です。ただし、それだけではまだ足りません。

 社会に疑問を感じたら、政治学の基本を学んでみてください。本を読む、動画を見る、ポッドキャストを聞く、図やグラフを眺める。どんなやり方でもかまいません。国民国家というものがどうして存在するのか、なぜ他人に統治を任せているのか、このやり方が時代とともにどういう理由でどのように変わってきたのか。ぜひ知識を広げてほしいと思います。

 自分の好きな情報だけでなく、異なる意見にも耳を傾けましょう。嫌な気持ちになると思いますが、あえて自分とは反対の立場をとる雑誌を手に取ってみてください。いつもは読まない新聞に目を通してください。モヤモヤした気持ちになったら、誰かと話をしましょう。自分の殻を破って、学んだことを広く発信してみましょう。学校や職場でもいいし、地域の図書館やコミュニティでもいい。読書会に参加したり、社会運動や政治活動をやっている団体に参加してみるのもいいでしょう。といっても、私自身が内向型なので、実際やるのは難しいのもわかります。ですが、もしもあなたが社交好きなタイプなら、どんどん外に出て声を上げてみてください。

 選挙以外にも、政財界のリーダーに意見を届ける方法はあります。社会のために声を上げている人たちとつながって、正規の公務員雇用の拡大や公営保育園の増設、男性も女性も育児休暇が取れるようなインセンティブ付きの育児休暇制度、多様な人材がリーダーになれるクオータ制、誰もが手頃な価格で医療を受けられる国民皆保険制度、高等教育の学費引き下げなどを訴えましょう。こうした政策は社会の格差を減らすのに大いに役立ちます。トップ1%ではなく、下のほうにいる大多数の人のための社会を作ることができます。

 北欧の国々が取り入れているような社会的セーフティネットの拡大は、個人の自由を減らすどころか、むしろ自由を広げてくれます。金銭的な制約に縛られることなく、自分の意思で生き方を決めることができるからです。健康保険のために嫌な仕事を続けたり、子どもを養うためにDV男の言いなりになったり、大学の教科書を買うために金のある中高年とセックスしたりする状況を、もう誰も耐えるべきではありません。

 何より大事なのは、自分の時間や感情、それに自分自身の価値を、資本主義の手から取り戻すことです。

 あなたはただの商品ではない。あなたの抑うつや不安は単なる脳の不具合ではなく、人間性を食いつぶして拡大していくシステムに対する健全な反応です。

「メンタルヘルスは政治的問題だ」とマーク・フィッシャーは言いました。(12)メンタルヘルスと私生活が切り離せない以上、恋愛やセックスもまた政治的問題です。人と人とのつながりを経済的交換に押し込めようとする価値観に、なんとか対抗していかなくてはいけません。

 関心を数値化するかわりに、関心を分かち合うことは可能です。気持ちを売買するのではなく、与えたり受けとったりすることができるはずです。感情を市場に搾り取られないように、感情の主権を取り戻しましょう。
 2017年の夏、ミュンヘンのある書店が〈愛は資本主義を殺す〉というコピーを店頭に掲げました。親しい人と幸せな関係を築き、金銭的価値ではなく自分が人として大事にされていると感じることができれば、資本主義の主要な武器をひとつ無効にできます。つまり、孤独な心の穴を埋めるためにモノを買う必要がなくなります。

 社会から切り離された疎外感は、資本主義の格好の餌です。愛情を売買の対象にしないことが、資本主義への抵抗の第一歩なのです。

 

 

 20世紀の国家社会主義崩壊を研究していて私が学んだ大きな教訓は、東ヨーロッパの人びとが自由市場の運んでくるものに対してまったく無防備だったという事実です。政府が情報を統制していたため、一般市民は資本主義や民主主義の実態をほとんど知りませんでした。ホームレス状態の人たちのこと、貧困や失業のこと、定期的にやってくる不況のことをいくらか耳にしていたとしても、そんなものは独裁政権のでっちあげた噓だと思い込んだことでしょう。

 そもそも東ヨーロッパの人たちには、自由民主主義というものが「現存する社会主義」(社会主義の理想とは区別される実際の社会主義の状態)とどう違うのか、なぜ違うのか、それを学ぶためのテキストがありませんでした。世界を核戦争の危機にまで追い込んだ政治思想の対立について、自分で学び考える手段がなかったのです。

 冷戦が終わってみて、東ヨーロッパの人たちはこんなふうに言うようになりました。「共産主義について政府の言ったことはみんな噓だった。でも資本主義について言ったことは、みんな本当だった」

 西洋社会では、政府に邪魔されることなく自分の読みたい情報を読むことができます。それなのに、しっかりと時間をとって社会の行く末を考えてみる人は多くありません。もしも民主主義が崩れたとしたら、私たちの国は(あるいは分裂した国々は)どんな社会になってしまうのか。

 東ヨーロッパの急激な社会変動を見てきた経験から言いますが、たとえ平和的解体やビロード離婚(チェコとスロヴァキアの平和的な分離を指す言い方)であっても、社会の信頼を再構築するのは苦痛と混乱に満ちたプロセスです。もしもユーゴスラヴィアのように社会の不安定化から紛争が起これば、多くの命が失われ、生き残った人もその傷を何十年も抱えつづけることになります。

 分断され二極化していく社会のなかで、それでも公正で持続可能で平等な世界を望むなら、私たちにはやるべきことがたくさんあります。古くさい言い方かもしれませんが、前向きな変化を起こすために、市民としての責務を果たさなくてはいけません。

 

 社会変革のための努力は、死にかけている資本主義の延命にしかならないと主張する人もいます。勝手に壊れるに任せたほうが、結局はみんなのためではないかというのです。

 しかし、もしも21世紀の資本主義がいきなり崩壊したら、世界は壊滅的な混乱に投げ込まれるでしょう。そのときにもっとも苦しむのは、今まさに資本主義に苦しめられている多くの人たちです。革命を叫びたい気持ちもわかりますが、あらゆる体制変革は(たとえ良い変化であっても)人びとに痛みを押しつけます。私たちは可能なかぎり、その痛みを減らさなくてはいけません。

 20世紀国家社会主義の最大の闇は、公正で平等な未来のためという理念のもとに、指導者が庶民を進んで犠牲にしたことでした。どこを目指すかも大事ですが、どのような道のりを辿るかも大事です。体制の移り変わりは世の常であるとはいえ、大事故に巻き込まれるよりは、かすり傷ですんだほうがいいに決まっています。

 資本主義は超新星爆発のように派手な最期を迎えるかもしれませんが、それよりも白はくしよく色矮わい星せいになってゆっくりと死んでくれたほうが、大多数の人にとっては助かるはずです。

 本章の最初にお話しした、国々の興亡の年表を今また眺めています。さまざまな色の塊が、時間とともに膨らんでは消えていく。何も変わらない現実に苛立ち、無力感を覚えるとき、あるいは現代の西ゴート族が攻め込んできて新たな暗黒時代が来るのではないかと怯えるとき、この年表を見ると勇気づけられます。

 具体的には描かれていませんが、この表のなかには1000億を超える人びとが住んでいます。これまで地球上に生きてきたすべての人たちです。

 一人ひとりが母親から産まれ、もしも生き延びれば、大人になって何らかの集団や共同体で生活しました。日々食べて飲み、眠り、夢を見て、セックスをして、家庭を築き、やがて病気になって死んでいきました。現代の私たちと同じです。教科書に名前は出てこないけれど、この1000億の人びとが実際に歴史を作ってきたのです。ごく普通の人たちが子どもを作り、ダムを建設し、作物を育て、戦争で血を流し、寺院を建て、革命を起こしてきたのです。

 巨大な隕石が降ってきて人類が絶滅でもしないかぎり、この先の歴史を作っていくのも、やはりごく普通の人たちです。普通の人が力を合わせて行動すれば、世界を大きく動かすことができます。

 もしも世界で20億人がフェイスブックをやめたり、アマゾンで買い物しないことに決めたとしたら、世界でもっとも儲かっている強大な企業が二つ、あっという間に消えるでしょう。もしもある日みんながいっせいに銀行へ行き、預金をすぐに引きだしたいと言ったなら、どんな巨大な銀行もあっけなく潰れるでしょう。
 その昔、まだ労働組合が強く、労働者が団結して雇い主と交渉していた頃、人びとは生産した富の分け前を今より多く手に入れていました。金権政治にとって最大の脅威は、人びとが共通の利害のために連帯し、集団で動きだすことです。資本主義が利己心と個人主義の上に栄えているのは偶然ではありません。

 資本主義の擁護者が、利他心や協力といった連帯の精神を笑い飛ばそうとするのも、けっして偶然ではないのです。

 

 共通の目標に向かって立ち上がりながら、同時にそれぞれの違いを尊重するのは、もちろん簡単なことではありません。誰かが特権を与えられ、誰かがこぼれ落ちていないか。集団の中での権力構造にはつねに注意深くあるべきです。

 多様性を推し進めながら、力強く連帯する。そのためのやり方を見つけることは私たちみんなの急務です。現在の政治的・経済的泥沼を抜け出すためには、使える道具をできるだけ広く深く探っていく必要があります。20世紀のマルクス・レーニン主義の試みは失敗しましたが、その失敗のなかには多くの教訓が含まれています。

 条件反射的にすべてを拒否するのではなく、彼らの失敗を繰り返さないように、よりよいやり方を見つけるべきではないでしょうか。
「風呂の湯と一緒に赤ん坊まで捨てるな」ということわざがあります。水は汚れていたかもしれない。でもそこには、たしかに大事なものが入っていたはずです。

 捨ててしまわないように、それを救いにいきましょう。

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著者

クリステン・R・ゴドシー

ペンシルベニア大学教授(ロシア・東欧学)。ジェンダーや、社会主義、ポスト資本主義に関する著書・論文で定評を得ている。一般読者向けに書かれた本書は各国語に翻訳され、著者初の邦訳となる。

高橋璃子訳

翻訳家。京大卒。マキューン『エッセンシャル思考』『エフォートレス思考』などのベストセラーを訳す。他にコイル『GDP――〈小さくて大きな数字〉の歴史』など。

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