単行本 - 文学全集

ケルアック、石牟礼道子、カズオ・イシグロ…世界、そして日本。史上初、個人編集の文学全集ができるまで 〜前篇〜

ケルアック、石牟礼道子、カズオ・イシグロ…世界、そして日本。史上初、個人編集の文学全集ができるまで 〜前篇〜

 

祝!ノーベル文学賞受賞!

「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集』第Ⅲ集6巻『短篇コレクションⅡ』には、
カズオ・イシグロ「日の暮れた村」(柴田元幸訳)が収録されています。

ノーベル文学賞受賞の大反響を受け、重版も決定しました。(10月下旬より書店店頭に並びます)

また、9月に刊行を開始した角田光代さんによる新訳『源氏物語』は、
「敬語をほぼ廃し、画期的」「今までの訳の中で一番読みやすい!」と評判を呼び、
発売即重版となりました。

累計86万部を突破した“異例”の「文学全集」はどのように生まれたのか。

池澤夏樹、文学全集を編む』より、
編者である池澤夏樹さんと全集編集長の鼎談を特別公開します!

(「後篇」はこちらから)

 

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編集鼎談

メイキング・オブ・文学全集 〜前篇〜

池澤夏樹  ×  木村由美子 (「世界文学全集」編集長)×  東條律子(「日本文学全集」編集長)

(『池澤夏樹、文学全集を編む』収録)

_____________________

池澤 まずね、いちばん聞きたいことなんだけど、そもそもなぜ僕が編者を頼まれたんだったっけ?

木村 そうですね、まず全集企画の成り立ちをご説明すると、会社の創業一二〇周年企画として「世界文学全集」を立ち上げたい、という当時の経営陣の意向があったんです。企画内容は社長と役員たちを中心に考えていて、現場の編集部はほとんどタッチしていませんでした。

池澤 上の人だけで?

木村 ええ、八〇年代に出ていた河出の「ステラ版 世界文学全集」を基に、新しい作品を加えて作ればどうか、と考えていたらしくて。それも、「一斉に定年を迎える団塊の世代向けに」と。その後、実際に編集作業を行う私たち翻訳課にこの企画がおろされたのですが、現場はみな、過去の全集の焼き直しになってしまうんじゃないか、それでは売れない、そもそも今さら文学全集なんて……と大反対でした。実は私はそのとき、海外文学の面白さを伝えるのに「文学全集」という形態自体はいい機会になるかもと思っていましたが、古いままでは届けられないだろう、とも思いました。経営陣はすでに、池澤さんはじめ作家や翻訳家の方々に打診をはじめていたようです。でも結局、現場の反対でボツになったのです。

池澤 僕も初めは蹴ったしね。「『世界文学全集』をやりたいから、池澤さん、やらない?」って依頼された。それはまだ僕だけでということではなかったかもしれない。しかしともかく関わってくれないかと、昔なじみのA氏が、当時僕がいたフランスまで来て言った。僕はそれこそ過去の版の焼き直しにしかならないと考えて、「そんなの無理だよ」と一蹴した。それで一旦終わったと思っていた。

木村 一旦は終わったんです。ただ私は当時、海外文学のシリーズを担当していて、若い読者に翻訳小説の魅力を伝えるにはどうしたらいいかすごく悩んでいたので、先ほど言ったように「世界文学全集」という発想自体はありかな、企画そのものをボツにするのはもったいないなと思っていました。それで、「セレクションも一からすべて新しいものにし、まったく新たな文学全集を自由に作らせてくれるんだったらやってみます」と当時の社長だった若森さんに言ったら、彼はすぐに「それでもいいから、とにかく『世界文学全集』を」と言ったんですね。それで、どうしたらこれまでと全く違う文学全集が作れるか一生懸命考えたのです。まず思ったのは、編集委員を複数にするとどうしても合議制のなあなあになり、これまでの全集の枠組みから自由になれないな、と。

池澤 持ち寄りか陣取りになってしまう。

木村 そうなんですよ。せっかく新しいものを自由に考えていい、と言われているのに、それでは面白くないなと思って。それで思いついたのが編者を一人にしては、ということ。で、一人編者としたらどなたにお願いするのがベストかと考えたとき、池澤さんしかいないと思ったのです。私は元々、池澤さんの書評のものすごいファンだったんですね。本を見る目は確かだし、ご自身で翻訳もされていて、海外のルポルタージュ文学賞の選考委員もされている。きっとカノンとご自身の偏愛とのバランスもうまくとってくださるだろう。一人編者は池澤さんのほかにはいない、と。それで、ぜひ池澤さん一人で編集する全集にしたい、と社長に言って、結果的にそれに会社のOKが出たんです。

池澤 僕は一人と決まってすぐに勇気凜々、ではなかった。仮の収録作品リストを作り始めても、ホメロスやシェークスピアやトルストイだと全然新機軸が出ない。ずいぶん考えました。そこで、十九世紀以前を切ってしまうという案がふと浮かんだ。さらに第二次大戦後という範囲にまで絞ると、ここ七十年の文学史の総括ができる、自分の読書体験も応用できると気がついて。次の問題は、それを「世界文学全集」と呼んでしまっていいのか、ということでした。

木村 そうなんです。大枠のリストができた段階で、営業部からも、従来の世界文学全集とは収録作品の方向がずいぶん違う、「現代海外小説選」とかそういった名称にしたほうがいいんじゃないかという意見が出たんです。でも私は、これを「世界文学全集」と呼ぶのがいいんだって主張しました。「名作選」とか「現代小説選」というんじゃ面白くない、「世界文学全集」と銘打つことに意味があると。そこは断固譲りませんでした。

池澤 それは一種のすり替えなんだけど、効き目がある。だってこれが「世界」であると言ってしまえばいいんだから。それで押してしまう。単純明快なタイトルで行く。出版形態においては間違いなく文学全集であるわけだし。

木村 お一人で選ぶわけだから、自由に選んでいただいて、池澤さんが「これは『世界文学全集』です」と言ってしまえばそれでいいと私も思っていました。

池澤 僕には昔から「世界」という言葉を濫用する癖があるんです。

木村 ご著書のタイトルにもありますね。

池澤 これは冗談じゃなくて、僕の世界観だと思うんだ。たいていの作家たちが人を見るときに、僕は状況を見てしまうんですよ。状況を用意して、舞台を用意してから、登場人物が出てくる。そのときの舞台というのは「世界」なんですよ。そういったものの考え方からいっても、「世界」という言葉をどうしても使いたいし、限定したくない。真正面からの直球ストライクでやっちまおう、という気持ちだった。

木村 そうですよね。いわゆる古今東西の名作を並べる、ということではなくて、いい作品だけど未訳のもの、絶版になってしまったものなど含め、「僕が読んで面白かったから君も読んで!」というものを集める、そして若い読者に翻訳小説の面白さを伝える……それが願いでした。ナビゲーターは池澤さん以外考えられなかったんです。

池澤 あと、自分で言うのも何だけど、一人のほうがずっととんがって見える。主張として強いでしょう。僕が適役かどうかはともかく、ここで一人で立つというのはいい戦略だった。

 

ひたすらリスト作り

 

池澤 あのときに僕が考えついた宣伝文句は、終戦の日から9・11の間くらいまで、つまり戦争が終わってからの世界のありようを文学がどう表現してきたか、ということでした。リスト作りのまず最初の手がかりは、元々自分の本にも入れていたこのリストでした。これを基にして、現代の作品を加えればけっこういける。それからあれもある、これもある、と思い出す。ともかく思いつくかぎりの長いリストを作った。そして「こっちとこっちだったら、こっちを取る」「これとこれ。こっちを取る」、残ったリストの中で、また一作一作を相手にそれを試みる。濃縮する。一段階ごとの評価を通じて、自分の中に隠れていた基準が見えてきたということです。それは面白い作業だった。

木村 そうですよね。池澤さんはお忙しいのに随分時間を取ってくださり何度も何度も会社に来てくださって、一作一作検討してくださいました。なるべく新訳・初訳を、という方針でしたが、何も全部新訳がいいということではなく、名訳の旧訳は当然活かしましょうとも。

池澤 『アブサロム、アブサロム!』は篠田一士訳を残しましたよね。

木村 何種類も訳が出ていたのを、池澤さんが読み比べてくださって、決めてくださったんです。ほかにも既訳があるものはすべて読み比べてくださいましたよね。

池澤 でもそうはいっても大事だったのは、新訳を基本原則とするということ。それは編集部から推してくれました。そうすると「あれはいい作品だけど、今の訳はちょっとなあ」と思っていた作品もちゃんと生きる。『存在の耐えられない軽さ』、バオ・ニン『戦争の悲しみ』もそう。そんなに翻訳者をこき使っていいのか、と思いましたけれど。

木村 でも本当に皆さん、力を入れて引き受けてくださった。「日本文学全集」もそうだと思いますけど、やはり「池澤さんからの依頼」ということが大きかったです。「この作品を入れたい。あなたの訳で入れたい」というふうに、編集部だけでなく、池澤さんが言ってくださったのが大きいと思うんですよね。

池澤 二十年前と比べて皆、翻訳の腕が上がっていると思いましたよ。それについては世界の風俗が今は昔より共有されているから、訳しやすいというのがある。また日本語そのものが欧米化したということもあったかもしれない。上がってきた訳も読みやすかったです。

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日本の作家は?

 

木村 Ⅱ集を刊行している最中で、Ⅲ集も発表しましたね。

池澤 二十四冊を出すと発表した段階では、売れるかなという心配があったんです。「文学全集なんて、何を今さら」って元々僕も反論したくらいだから、しょぼしょぼと終わるかもしれない。でも始めてしまったら社運をかけてでも二十四巻ぜんぶを出すしかない。おそるおそる開始してみたら、第一回配本の『オン・ザ・ロード』(文庫はこちら)がかなり話題になったし、その後も好調だった。けっこう終わりまで行けそうだねという見通しがついたあたりで欲が出て。

木村 そうですね。Ⅰ集Ⅱ集の二十四巻には短編が入れられなかったから、というのもありました。だからⅢ集には短編を入れたいと。それから、日本から石牟礼道子さんの『苦海浄土』を、というのがⅢ集を考えた大きな理由ですよね。

池澤 二十四巻でそのうちの一巻を日本にしてしまうのはちょっときつかったんです。なるべく手を広げたかった。もし入れるとしても、じゃあ誰にすればいいのかが問題。日本からも選びましたというアリバイとして村上春樹を入れても、今は文庫でみんな買えるじゃないか。中上健次でも村上春樹でも大江健三郎でもない、というところで一旦置いてしまったんだよね。それでⅠ集Ⅱ集を出している途中で「石牟礼さんの『苦海浄土』があった」と気づきました。全三部をまとめるとちょっと分厚くなるけど、これまで一冊で読めるものがなかったから。それで短編集二冊と石牟礼さんは絶対入れる、それで六巻を加えて全三十巻にしようということになった。

木村 そうです。たしか二〇〇七年の秋、東大で「世界文学全集」のイベントをしたときに、「もし日本の作家を一人入れるとしたら誰ですか」という質問があって、そのときに初めて池澤さんが石牟礼さんの名前を出していらっしゃいましたよね。

 

装丁、交渉。編集上の試行錯誤

 

池澤 装丁の話もありますね。そもそも全集にはつきものの「函(はこ)」をどうしようかと最初は皆で悩んだ。

木村 書店の方たちを会社にお呼びして、営業部も一緒にヒアリングをしましたね。セレクションに関しては「え、これですか」「知らない作家が多い」という声もあった。装丁に関しては、文学全集なんだから函に入れるべきだという意見も強かった。でも池澤さんも私も、全巻揃えるのがむずかしい若い人にも、せめて一冊、興味があるものを買ってもらいたい、そのためには店頭でぱらっと見られないと、と思っていて。函を作ると定価が高くなるから、それも嫌だな、と。最初はスケルトンの函を作ってみたりもしましたよね、軽い透明な感じで。

池澤 スケルトンだと函から本がすぐ滑り落ちる。逆に困るんです。店頭で見られるというのは大事で、昔みたいに「全集」といったって、本屋さんが毎月家に届けてくれるわけではないんだから。店頭で衝動買いを促すためには中が見えなきゃいけないんです。函があると立ち読みの手間が一つ増えてしまう。だからそれは要らない、カバーだけで勝負しようと。函に入れると財産という感じを出すのはもう古い。箱入り娘にはしたくなかったんです。

木村 とにかくいろんな国が入っているというイメージを出しましょうというのが基本にありました。そうしたら、デザイナーからカバーを六色で展開するのはどうかという提案があって、真夜中までいろんなカラーチップを前に、これにしよう、あれにしようって。

池澤 全集なんだから統一したデザイン。その中でバラエティを出すという意味で、とてもいいアイデアでした。繫がっているけど広がってもいる。バランスが良かった。

木村 鳥というアイコンもありましたね。「日本文学全集」にも引き継がれているけれど。これは「世界はこんなに広いし、人間の思いはこんなに遠くまで飛翔する」という池澤さんの全集宣言の言葉からデザイナーが考えてくださいました。何かモチーフが欲しいというときに、「やっぱり鳥ですよね」と。世界中をはばたいていく、というイメージで渡り鳥。三十巻分の鳥の捕獲にはデザイナーも苦労して、「WATARIDORI」という映画を見たりもしました(笑)。

各巻のカバーに羽ばたく鳥各巻のカバーに羽ばたく鳥

 

池澤 各巻の解説は訳者がやってくれるから、僕は月報を全部書くということにしました。これはイントロダクションに徹する。入口まで読者の手を引いていって「あとはお一人で」と背中を押す。

木村 池澤さんじゃなかったらこれはできなかったと思います。

池澤 ともかく読んでほしかったんです。中身がいいから売れるはず、と言って待っていてはいけない。どうやったら読んでもらえるか。

木村 だからある意味でわかりやすく面白いところを前面に出して、若い子も「これは面白そうだ。読んでみよう」と、そういうのを狙って書いていただいて。

池澤 「夕刊フジ」の連載コラムもありましたね。後にまとまって『池澤夏樹の世界文学リミックス』という本になりましたが。これは若森社長が持ってきた企画だったけど、「書くよ。もう何でもやりますよ」と言った(笑)。

木村 でも反響も大きかったし、若森社長が会う度に「あれは面白い、面白い」って言っていた。文体も「夕刊フジ」用に変えられて。そういう仕掛けは池澤さんならではですよね。

池澤 中身の話でいえば、苦労したのは作品収録の許諾をくれない出版社があったこと。けっこう直談判に近いこともして。相手の立場から考えれば当然なんですがね。

木村 でも基本的には、皆さん協力してくれましたよね。あとは海外の著者との交渉で、他の作家の作品とセットで収録するお願いをしたときに、この作家とは思想が全く異なるのにどうして一緒にするのだ、と言われたこともあって。それで入れ替えたり最初とラインナップが変わってしまったり。訳者が著者に連絡して説得してくださったこともありました。

(「後篇」はこちらから)

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*「日本文学全集」について語り合う後篇は 明日27日(金) より公開予定!

*『池澤夏樹、文学全集を編む』には、豪華対談・鼎談を多数収録。目次はこちらから

*「世界文学全集」の各巻一覧はこちら

*「日本文学全集」特設サイト

 

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池澤夏樹

1945年生まれ。作家・詩人。88年『スティル・ライフ』で芥川賞、93年『マシアス・ギリの失脚』で谷崎潤一郎賞、2010年「池澤夏樹=個人編集 世界文学全集」で毎日出版文化賞、11年朝日賞、ほか多数受賞。他の著書に『カデナ』『砂浜に坐り込んだ船』『キトラ・ボックス』など。

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