文庫 - 随筆・エッセイ
女は、ことばで満たされる。思い知れ、男たち。──もっとわかり合える!男と女の脳科学。
黒川伊保子
2016.07.21
『感じることば』
黒川伊保子
なぜあの「ことば」が私を癒すのか。どうしてあの「ことば」に傷ついたのか。日本語の音の表情に隠された「意味」ではまとめきれない「情緒」のかたち。その秘密を、科学で切り分け感性でひらくエッセイ。
【本書冒頭「はじめに」を特別公開】
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はじめに
いつだったか、神秘学の権威であり、占星術師でもあったルネ・ヴァン・ダール・ワタナベ先生に、お目にかかった。
ほんの数分も話した頃だろうか、ルネ先生が突然、「あなたは、触感の魔女だね」とおっしゃった。「あなたのことばは、皮膚に触れてくる。触感でしゃべっているでしょう」と。私はびっくりして、「他の方は、違うのですか?」と質問してしまった。
ものごころついたときから、私にとって、ことばは、触るものだった。
ある人の名は、口の中に爽やかな風を起こし、ある人のことばは、口の中にこもって温かな気流を作る。
たとえば、上あごを滑る息を楽しみながら、私は「すき」と発音する。意味を伝えることよりも、「すき」の体感の気持ちよさが伝わるといいなと願って。
意味に寄り添うことばの触感を、私はずっと感じて生きてきた。
そのことを文章にしよう、と思い立ったのは、十六年前のことである。
私に降ることばを紡ぐようにして、文章を仕立てる。その営みは、月刊誌の連載エッセィ「感じることば」として二年間続いた。それらの文章は、後に美しい一冊の本に編んでいただいたが、その本も役割を終え、今は絶版になっている。
先日、その本を久しぶりに読んで、なんとも甘く心が疼(うず)くのに気がついた。この文章は……何と言ったらいいのだろうか……そう、恋をしたくなる。著者の私が言うのも変だけど(微笑)。
私は、ことばを紡ぐとき、そのとき持っていた恋情を一緒に紡いでしまったようだ。
恋をする力が強かった脳。今はもう書けない色彩の文章である。
その恋する力が、文章ごしに今の私を照らす。恋をしてみたくなったし、実際にしてしまうかも。この効果は、私の今の読者の方にも起こるかしら、とちょっと嬉しくなった。
なので、その恋情を掻き立てるエッセィを、この文庫で、蘇らせてみた。
一冊まるまるそれで行く勇気はなかったので、半分は、最新のエッセィで中和してある。十六年の時間差を、楽しんでいただけたら何より。
そうそう、男性の方も、「女の恋情?」だなんて、引かないで。
ここには、女心をゆらした、大人の男のセリフが並んでいる。そのまま使わないまでも、きっと何かのインスピレーションになるはず。
男は、もっと、女にことばを与えなければいけない。女を満たすのはことばである、結局。
それでは、「感じることば」を、どうぞ。
二〇一六年六月、くちなしの匂う宵に