
書評 - 文藝
もし成人男性の8割が子宮をもっていたら――日本SF界の泰斗・飛浩隆の最新刊『鹽津城』
評者:荻堂顕(作家)
2025.02.26
『鹽津城』
飛浩隆 著
評:荻堂顕(作家)
日本SF大賞2冠の巨匠・飛浩隆による8年ぶりの作品集『鹽津城』が刊行。
本作の魅力を作家の荻堂顕さんが語る。
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アンリ・マティスが「黒によって光を表現することができる」と言っているが、小説にも余白という光が存在する。あえて描かれないことによって、その余白が読者に何かを提示するのだ。この技法は、あり得たかもしれない世界を描くアプローチとすこぶる相性がいい。この作品集は、収録されている作品すべてにこの技法が用いられていて、語り手によって紡がれる物語世界のなかに、別の世界・可能性が内包されている。
表題作である『鹽津城』は異なる三つの世界を描くFacet(切り口)で構成され、それぞれが交互に進行していく。Facet1は、大地震後に海水が真水と塩に分かれて生き物のように活動する「鹵害」という現象が発生した世界で、母の生地であるL県の塩満に戻った渡津託朗と、その妻である巳衣子の暮らしが描かれる。このパートでは、塩によって覆われ、白い巨大なドーム状になった原子力発電所が鹽津城と呼ばれている。Facet2は、「鹹疾」という一年に五百万人が罹患し、三十万人が死亡する深刻な難病が蔓延する世界で、十五年で六十億部を売り上げた「鹹賊航路」という漫画の作者である村木一瀬・百瀬姉弟が、担当編集者とともに、彼らの「漫画のふるさと」を目指して旅に出る。Facet3は、鹵を制御することによって水上居住圏と化した鹽津城を舞台に、ポリネシア風の文身を持つマナイアは、自分の息子を身ごもった父・イハイアの出産を待っている(この世界では、成人男性の八割が腹腔に子宮を備えている)。
この三つの切り口は、塩(鹵)と名の付く用語が頻出するという類似性を持っているが、なかでもとりわけ大きな共通点が、表題でもある「鹽津城」の存在だ。Facet1では、鹽津城は世界を混乱させる脅威の核心であり、悪魔という言葉さえ登場する。一方、Facet3では、新たな国土となった鹽津城を神聖視し、その場所を堅く守ろうと誓う者たちが描かれる。Facet2においては、鹽津城はシオツキと表記を変え、村木一瀬・百瀬姉弟が創作に勤しむオフィスの名となっている。このように、部分的な類似性を持つものの、起きている出来事や、使われる用語、歩んでいる歴史が異なっているはずの三つのFacetは、「とあるアイテム」の登場によって、にわかに接近していく。読者は異なっていたはずの世界が重なり合うさまにメランジュ現象のような「自然的なパターン」を見出すことができるだろう。しかしながら、ラストで描かれる祈りの行く末はもちろんのこと、何が真実で、何が物語だったのか、全てが語られるわけではない。僕たちに解釈の可能性を与える余白の存在は、この作品集が「国創りの物語」(=神話)と銘打たれた所以なのだろう。
開かれた物語には、寓話としての力が宿る。真実という言葉が、それが指すものと「使われ方」を含め多義性を持ち始めた現代において、『鹽津城』という寓話の情景は、読む者の目にどのように映るのだろうか。あるいは、この本自体が、どこかの世界からやってきた「鹽絵」なのかも知れない。